策略 (前編)





その週の週末に、お父さんとお母さんが2人で出かけることになって、
おまけにどうやら泊まりになりそうだとわかって、 
「ごめんねー廉」  と申し訳なさそうに言うお母さんに
「全然、いいよ」  と返しながら思い浮かべていたのは、もちろん阿部くんの顔だった。

その翌日阿部くんにそれを言った時、阿部くんも
「じゃあ土曜の練習の後におまえんち行くな」
ととても嬉しそうに言ってくれて。
オレもすごく嬉しかった。
親のいない日に阿部くんが来ればどうなるかなんて火を見るより明らかで。
オレだって阿部くんとするのは幸せだから、楽しみにしていた。 のに。



当日になって予定どおり阿部くんが来て、オレに手を伸ばしてきた時拒んでしまったのは。

拗ねていたから。

と自分でわかって自己嫌悪を感じたけど、
そんな自分は贅沢で傲慢だということもわかっていたけど。
そう思うそばから、昼間の光景が頭の中をよぎって素直になれない。



その子は前から時々練習を見ていた。
グラウンドの隅の邪魔にならないところに座ってるその女の子が誰を見ているのか、
オレはすぐにわかった。
だからそのうち毎日来るようになって、どんどん不安が大きくなって見るたびドキドキしてて
時にはそのせいで練習中も上の空になってしまったりしてたから。
今日とうとうその子が阿部くんに話しかけてきた時、オレの心臓は破裂しそうになった。
血が下のほうに下がって立っているのがやっと、てくらいの不安に襲われた。

でもきっと、阿部くんはそっけない態度を取ってくれるんじゃないかとか
(阿部くんはいつもそうだから) 図々しい期待をどこかで抱いていたんだけど。
最初はそんな感じで対応していた阿部くんは、でも女の子が冗談でも言ったのか、
珍しく楽しそうに 笑った。
その子も頬を染めて嬉しそうに笑い返したりして。
遠くから見ていて、 とても似合っているな、 と うっかり思って。

涙が出そうになった。

これはきっとつまらない嫉妬。

わかっているのに。

その後オレはうまく笑えなくなった。
練習後に阿部くんといっしょに帰ってきてもまだそれは続いていた。
夕食を食べたりお風呂に入ったりの間に忘れようと努力したけど、ダメで。

「今日は・・・・・・いや だ」

言ってしまってから、自分で言ったことなのにますます悲しくなった。
阿部くんは驚いた顔をした。

「なんで・・・・・・・?」

声に苛立ちと同時に困惑が混じっている。

「あ、 あの」
「おまえだってそのつもりだったんじゃねーの?」
「つ、疲れて・・・・・・・・て」

嘘をついた。  本当は大して疲れてなんかいない。
オレは  拗ねていた。
でも阿部くんは心配そうな顔になった。

「大丈夫か?」
「う、 うん・・・・・」
「どっか調子悪い?」
「そ、そんなことは、ない けど・・・・・・・・」
「・・・・・そっか」

はーっと阿部くんは小さなため息をついた。 ずきっと胸が痛んだ。

(オレ、バカ、だ・・・・・・・・・・・)

そう思いながらもどうしても素直になれない。

阿部くんはそれ以上オレに手を伸ばしてこない。
けど訝しげな、何か言いたげな顔でじっとこっちを見てる。 疑われているのかもしれない。
なにか、なにか言わないと。
なにか、阿部くんの気の逸れるようなこと。  機嫌の良くなるようなこと。
慌しく考えて、ふと思いついたことを口にした。

「あの、オレ、次の対戦相手の資料、覚える・・・・・」
「え? あー・・・・・・・、 うん」

阿部くんは一瞬目を見開いてからカバンの中をごそごそと探し始めた。
阿部くんが今日それを持っていることをオレは知っていた。
そしてそろそろ覚えなきゃいけないことも。
自分からそんなことを言うなんて滅多にないから、阿部くんは変に思ったかも。
でも阿部くんは資料を出しながら確かに嬉しそうな顔になったんで、
オレも内心でこっそりと安堵のため息を漏らした。

けど、本当に覚えたくて言ったわけじゃないから。
資料を見始めて5分も経たないうちに面倒になってきた。

(いいやもう。 見てるふりだけすれば・・・・・・・)

なんてズルいことを考えながら、とにかく気まずい空気が消えたことにホっとしていたら。
少ししたところで、阿部くんがぼそりと言った。  低い声だった。

「あのさ三橋」
「へ?」
「・・・・・おまえホントに覚える気、ある?」
「えっ?!」

どきっとした。 阿部くんは時々すごく鋭い。

「あ、あるよ・・・・・・」
「ふーん・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「じゃさ、こうしね?」
「え」

嫌な予感がした。

「あとで打者のクセとか問題出すからさ」
「う」
「答えられなかったら1問につき1回キスさせて?」
「!!!!」

(や、やっぱり・・・・・・・・)
 
以前にもこんなことがあったような。
けど、あの時は 「オレから」 でしかも 「阿部くんの指定したところ」 という
恐ろしい内容だった。
阿部くんからキスしてくれるだけなら。  キス、好き、だし。  それくらいなら。

そう思ったオレは頷いた。
頷いてから 「あ、でも」 と思った。
流されないようにしないと。  今日はしない、 て決めたんだから。

(大丈夫、 かなオレ・・・・・・・・・)

一抹の不安を覚えながら、そのくせきっぱり断らなかったのは
キスして欲しかった、 から  だと思う。
つまり全然 「罰則」 になっていなかったから、オレは相変わらずあまり身が入らなくて
20分くらい経って阿部くんが 「そろそろいいよな」 と言った時、実は半分も覚えていなかった。
なので最初の 「1番打者の得意な球は?」 という問にはかろうじて答えられたけど。
次の 「3番打者の苦手な球種は?」 で早くも躓いた。
もごもごと口ごもるオレに、阿部くんはむしろ嬉しそうに笑った。

「じゃあキス」
「・・・・う」

ん、 まで言わないうちに引き寄せられた。 
ぎゅっと目を瞑ったら、意外にもそっと優しく触れられた。
その瞬間嬉しくて。
やっぱり、オレ、したかったんだな、とぼんやり思った。
触れるだけのそれに 「もっと・・・・・」 なんて密かに願っていたから
深く舌が入り込んできたとき、幸せで体が震えた。
阿部くんの舌が丁寧にオレの口の中を探る。
舌を絡め取られて強く吸われると体中の力が抜けるくらい気持ちよくて。
さっき覚えた半分ですらどこかに飛んでいってしまいそう。

(でも、今日は、しない・・・・・)

ぼーっと自分に言い聞かせながらも止められない。  止めてほしくない。


ようやく離された時オレは快感の余韻で呆けていて、
元々何をしていたかということすら忘れていた。
なので阿部くんがいきなり冷静な声で 「じゃあ次な」 と言ったとき
一瞬 「なんのこと?」 と思ってそれから そうだった、 と思い出した。
慌てて頭を振って、さっきの資料を思い出す努力をした。

3問目はなんとか答えられた。  4問目、はまたダメだった。
阿部くんはまた嬉しそうににっこりした。

(阿部くんもきっと、キス、したいんだよね・・・・・・・・)

期待にどきどきしている自分に気付いてしまう。
何だか何をしているんだかよくわからないな・・・・・・  なんてほわっと思ったところで。
阿部くんは今度はさっきと違って、オレの服をそっとめくった。

「え?」

オレは焦った。   キス、じゃないの?

「阿部、 くん?!」
「なに?」

言いながら阿部くんはそろそろと服をゆっくり持ち上げてて、もうお腹が丸見えに。

「あの、話が、ちが・・・・・・・・・」
「なんで?」
「答えられなかったら キス、 ・・・・て」
「だからキスだよ?」
「え、 だって」
「『口に』 なんてオレ、一言も言ってないぜ?」

え!!?  と驚いてから 「あっ!」 と思った。
慌てて阿部くんの顔を改めて見ると、にんまりと笑っていた。  とても楽しそうに。

呆然とした。

そして気付いた。


・・・・・・・・・・・・だまされた。
















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                                                   だましてないもん。   by 阿部くん