来年もいっしょに (前編)





朝、顔を洗いながら自分の状態に気付いて一番最初に思ったことは

(誕生日、 なのに・・・・・・・・)

だった。

昨日の夜寝る前に少しだけ喉が痛かったけど、
こんな季節に風邪なんてひくわけないと高をくくっていた。
けど朝になったら咳が出始めた。  熱も鼻水もないけど、咳だけが出る。 
ひどいってほどでもないけど、一度出るとしばらく続く。  誕生日なのに。

2人で暮らし始めてから最初のオレの誕生日。
といっても引っ越したのは夏だったから、卒業してからは2度目の誕生日だ。
阿部くんには少し前に今日の予定を聞かれた。  
その時内心でぎくりとした。

誕生日の今日は 「絶対帰ってこい」 と前から親に言われていたから。
講義が終わったらあっちに帰って、夕食を食べろと何度も念押しされている。
お母さんよりもお父さんに泣かれんばかりに言われて断れなくて、内心で困りきっていた。
もちろん、帰るのがイヤなわけじゃない。
阿部くんが知ったら、絶対不機嫌になるんじゃないかと思ったからだ。

でも隠しているわけにもいかないので、おそるおそる正直に言ってみたら意外にも阿部くんは
「ふーん」 と普通の声でつぶやいた。
それから少し考え込む顔になったけど。

「そうだな、顔見せてこいよ」

と、また普通の声で言った。  オレは。
拍子抜けしたと同時に、何かが引っ掛かった。 だから提案してみた。
きっと喜んでくれるだろうと思いながら。

「あの、良かったら、 阿部くんもいっしょに・・・・・・」
「オレはいいよ」
「え・・・・・・」
「久し振りに親子水入らずのがいいだろ」

また引っ掛かった。 予想が外れた。 それも、悪いほうに。
変な違和感、 と同時に微かに湧いたものがあった。  でも。

「でもさ、できれば泊まらないでこっちに帰ってきてくんない?」

次にそう言われてホっとして、一も二もなく頷いた。 元からそのつもりだったし。

(夜はいっしょに過ごせる、んだから・・・・・・・・)

そう自分に言い聞かせて安心していた。




今までの誕生日を思い出すと。
阿部くんは記念日とか行事みたいなものにあまりこだわりはない、ほうだと思う。
けど誕生日だけは別だった。
毎年プレゼントを聞かれるし、いっしょに過ごしたいとはっきりと主張した。
それに、夜。

(すごく、張り切る、し)

思い出しながら顔が熱くなる。
それはオレにとっても幸せな思い出ばかりで、だから今年もそうなるんだろうと、
どこかで期待していた。  感じた違和感については考えないようにしていた。

それなのに風邪をひいてしまった。
咳の悪いところはごまかせないこと。
熱とか鼻水ならうまくすればごまかせる。 けど咳は無理。
だから当然阿部くんにも一発でバレた。
咳が出るだけで熱があるわけじゃないし、とオレが思っても多分阿部くんはそう思わない。

予想は当たって、朝御飯の時にオレの状態に気付いた阿部くんは眉を顰めた。
そして出かける前になってから言われた。

「本当は、今日おまえんちに終わる頃迎えに行って
 帰りにいっしょにプレゼント買おうと思ってたんだけど」
「・・・・・・・・。」
「治ってからにしような」
「・・・・・・・うん」

素直に頷いた。 そこまでは良かったんだけど。

「・・・・・・風邪みたいだし、無理に帰ってこないでそのまま泊まってきていいぜ?」
「えっ・・・・・・・」
「そのほうが楽だろ?」

何も言えなかった。
「泊まらずに帰る」 と本当は言いたかったのに。
胸にちりっとした痛みが走ったからだ。 小さいけれど確かな痛み。

実家に帰ることを阿部くんがすんなり了承してくれた時にも感じた違和感。
考えないようにしていたそれを、俄かに思い出してしまった。
あの時に違和感と共に湧いたもの、すぐに揉み消したそれの正体は自分でもわかっていた。 

不安だ。

もしかして、阿部くんは。

(・・・・冷めて、きた のかも・・・・・・)

そうはっきりと胸の内で言葉にしたら
「帰ってきたい」 と本音を口に出して言うことができなかった。





不安を抱えたまま、学校に行った。
それでも久々に親に会えるのも嬉しかったから、もやもやしたものはなるべく直視しないようにして
予定どおり学校からまっすぐに家に帰ったらご馳走が並んでいた。

「元気そうだな、 廉」

嬉しそうなお父さんの顔はオレにとっても嬉しかったし、
久し振りに親とたくさん話して、楽しかったのも本当だ。
でもせっかくのお母さんのご馳走はあまり味がしなかった。

(阿部くん、何してるかな・・・・・・・・)

またちりっと痛みが走る。
不安になってしまうのは、阿部くんがいつもと違う感じに見えたからだ。
実家に帰ると言ったら不機嫌になるだろうと、恐れながら実はどこかで期待していたのに。
そんな素振りさえなかった。 
それどころか泊まってきてもいいなんて、今までの阿部くんからすると変だ。
ものすごく、変だ。

(もし冷めかけて、いたら・・・・・・・)

慌ててその考えを追い払った。
すぐに暗い方向に考えるのはオレの悪いクセだ。  阿部くんにもいつも怒られる。

(・・・・・・・・でも、やっぱり・・・・帰ろう・・・・・・)

そう考えた途端に、帰りたくて仕方なくなった。  だってそうすれば。

(・・・・・・夜は2人で過ごせるし・・・・・・)

今までの誕生日からすると、こんな不安なんか阿部くんはきっと吹き飛ばしてくれる。

と自分に言い聞かせたところで。

「けほ」

咳が出た。  咳は昼間の間にも時折出続けた。 ひどくはないけど、良くもならない。
気持ちがまた沈んだ。   こんな咳をしていると。

(何もして、くれないかも・・・・・・・)

そんな心配ばかりしながら食べていても心から楽しめない。
うっかりするとお母さんやお父さんの話にも上の空になっちゃって、我に返って後ろめたくなったり。
それにオレの不安が全くの取り越し苦労だとするとそれはそれで。

(阿部くん、今頃1人で何しているんだろう・・・・・)

どっちで考えても落ち着かなくて、食後のケーキを食べ終わるとすぐに立ち上がった。

「今日は泊まれるんだろう?」

お父さんがびっくりしたように聞いてくるのに、食べながら考えておいた言い訳を言う。

「えっと、明日までのレポート、忘れていて・・・・・」
「こっちじゃできないのか?」
「う、うん」

後ろめたさはぎゅっと奥のほうに押し込んだ。

「じゃあ仕方ないか・・・・・・」

お父さんが寂しそうな顔をしたんで、押し込めた罪悪感がまた出てきそうになる。
それでもオレは早く帰りたかった。 阿部くんの顔を見て安心したかった。
申し訳なく思う気持ちを蹴散らすくらいに。

「ま、また近いうちに来るよ」

本気でそう言った。 今日が譲れないのは誕生日だからだ。
特別な日。
阿部くんが毎年特別扱いしてくれていたから、オレにとっても特別な日になった。

「体に気をつけてね」
「頑張れよ」
「う、うん!」

最後には笑顔で送り出してくれた親に感謝しながら
オレは走り出したいような気分で阿部くんの待つ部屋に戻った。







○○○○○○○

「三橋・・・・・・?」

阿部くんはオレを見て驚いた顔をした。
同時にどことなく嬉しそうな目になった、ような気もしたけどよくわからない。
そう思いたいだけかもしれない。
くるくると回っている期待とか不安が顔に出ないように頑張ってみる、
けど上手くできているかもよくわからない。 変な顔をしているかもしれない。

「ごほっ」

悪いことに、そのタイミングでまた咳が出た。 しばらく止まらなくて、
咳き込みながらも阿部くんの顔が曇ったのがわかった。

「泊まらなかったんだな」
「う、ん」
「・・・・・・・・何で?」

誕生日を阿部くんと、過ごしたかったから。

と言いたいけど言えない。
理由を聞かれたことにショックを受けたからだ。
泊まってきて欲しかったんだろうか。
黙って俯いたら、阿部くんは言った。 優しい声だった。

「・・・・・・・楽しかったか?」
「・・・・・・うん」
「良かったな」
「・・・・・・・・。」

優しいのに。 キツいことも冷たいことも何も言われてないのに。

胸が疼く。
不安が大きくなる。

やっぱり変だからだ。 こないだから感じていた違和感がなくならない。
安心したくて帰ってきたのに。
あまり安心できない。
空気がどこかぎこちない気がしてしょうがない。
でも阿部くんは何も悪いことはしていないし、言ってない。 どうしてオレは。

とぐるぐるしながらキッチン兼居間に入ったところで。

「・・・・・・・実はケーキ買っといたんだけど」
「え」
「や、明日でも食べるかと思って」
「・・・・・・・・・。」
「ホールは今日食ってくるだろうと思ったから、ちっこいヤツだけど」
「ううん、 ありが と」
「今、食う?」

少しホっとした。
でも同時に困ってしまった。
だって、味がしないなぁと思いながらも、お母さんのせっかくの心遣いを
無駄にするのがイヤで無理にたくさん食べたせいでお腹いっぱいだったから。
けど、阿部くんの気持ちも嬉しかったし、ぎこちない空気も消したかったんで
食べる、 と言おうと口を開けたら。

「でも今日は、やめといたほうがいいな」
「へ」
「いっぱい食ってきただろ?」
「・・・・・・・・・・。」
「だから明日にしな?」

開けた口を閉じた。
きっと困ったのが顔に出たんだ。
阿部くんの言うことは当たっているし、優しさから出た言葉だ。 わかってる。

なのに不安がまた大きくなった。
違和感の理由は、はっきりわかっている。
阿部くんが全然、カケラも不機嫌にならないから。
やけに物分りがいいから。 こないだからずーっと。
オレにとっては助かることのはずなのに、不安ばかりが先に立つ。

(やっぱり、 さ、 さ、 冷めてきた、 のかも・・・・・・)

その一点が消えなくて内心で青ざめていたから、阿部くんの次の言葉にどきりとした。

「今日は、早めに寝ろよ」

最後の頼みの綱が切れようとしている。
それだって、気遣いから出た言葉だと充分わかりながらオレは頷けない。
だって誕生日は毎年阿部くんは。

「た、誕生日なのに・・・・・・・?」

それだけ言って見つめたら阿部くんは面食らったような顔になった。

「・・・・・・・は?」
「誕生日、 なのに」

同じことを繰り返すしかできない。
続きは言えない。 
恥ずかしいのもあるけど、不安で言えない。

阿部くんはぽかんとした顔をしてから、いきなり下を向いて片手で顔を覆ってしまった。 
顔が見えなくなった。    けど直後にため息が聞こえた。
ごくごく小さなものだったけど、息を詰めて窺っていたオレにはわかった。

血がどんどん下がっていく、 のを感じる。
それ以上阿部くんを見ていられなくなって視線を落とした。
見たくもない床をじっと見つめる。

「そんな咳してて何言ってんだ」
「・・・・・・・・。」
「今日は、しねーぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「三橋」

朝感じた予感が当たった。
オレの体調が悪い時は阿部くんは絶対手を伸ばしてこない。
わかってた。
いつものことだ。
大丈夫。

言い聞かせても全然ダメだった。
阿部くんがいつもどおりだったら平気なのに。
いつもどおりじゃないから。
だから、してくれない理由もいつもどおりじゃないかも、しれない。

けほんと、また咳が出た。 見つめていた木目がふいに歪んで慌てて喉にぐっと力を入れた。

(オ、オレ、 ワガママ言ってる・・・・・・)

こんなじゃ、もっと冷めちゃう。
でも諦める気になれない。 だって安心できるかもしれない。
取り越し苦労かもしれない。 そうであってほしい。

泣きそうな気分を堪えながらだんまりを決め込んでいたら、
また微かなため息が聞こえてしまった。 思わず身を縮めたところで。

「・・・・・・・わかった。 しよ?」

言葉とともに阿部くんの手が伸びてくるのを目の端に捉えながら。
いきなり全然別のことに気付いた。  今の今まで忘れていたこと。

それから焦った。  手、だけでなく阿部くんの顔まで近付いてきたからだ。
意図を悟って慌てて腕を突っ張った。
阿部くんの顔が遠ざかってしまった。  オレが遠ざけたんだけど。

「おまえな・・・・・・・」
「あっ」

しまった。
そんなつもりなかったのに、半ば突き飛ばすような恰好になってしまった。

「誘っておいてナンだよ・・・・・・」
「や、 あの、 ちが」
「違うって何が!」
「キ キ キスは ダメ」
「はあ?」
「あ、 だって うつる かも」

それをまるで考えてなかったオレはバカだと思う。
本当なら、阿部くんの言うとおりに何もしないで大人しく寝たほうが絶対にいいんだ。
やっぱりやめて、今日は寝る。 と言うべきなんだ。
そう言わなきゃ、 と思いながら言えない。 言いたくない。

「・・・・・・・・おまえなぁ」
「う」
「同じ部屋にいんだから、今さらって気がすんだけど」
「・・・・で、 でも」
「キスはダメだけど、したいってか?」

おそるおそる、頷いた。 怖くて顔は見れない。

「・・・・・・・なんか、おまえ今日ちょっと変じゃね?」

(変なのは、阿部くんの ほうだよ。)

咄嗟に浮かんだ言葉も、言えない。

「何でそんなに積極的なわけ」

何でって。

(・・・・・・・不安だから)

思ったこととは別のことを口が発した。

「・・・・誕生日、だか ら」

全然理由になってないなぁと思いながらうなだれる。
阿部くんの反応が怖い。 いつもは怒鳴られるのが怖いけど、今日は。
自分でもどうしてほしいのかよくわからなくて混乱してくる。

びくびくしながら待っていても阿部くんは何も言わない。
不安が募って耐えられなくなって、勇気を出した。 ちらっと目を上げて顔を見てみる。

阿部くんはいつのまにかオレよりも深く俯いていた。
そして何かぼそりと一言、つぶやいた。   何て言ったのかは聞き取れなかった。
でも次に顔を上げた時阿部くんは、微笑んでいた。

「・・・・・・・・わかった」

優しい声だった。

望んだ展開のはずなのに。
ホっとしたのも確かなのに。

オレの不安はますます大きくなった。

















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                                               相変わらず細かいところですれ違っている模様。