来年もいっしょに (後編)





「でも無理はダメだかんな」

と最初に告げられた言葉のとおり、阿部くんはベッドでも優しかった。
乱暴にされることもなく、必要以上にしつこく煽られることもない。
幸せなはずなのに。

(・・・・・・・何でだろう・・・・・・・・)

不安が拭えない。

確かに抱き合っているのに。 これ以上ないくらい優しくしてくれてるのに。
阿部くんが別の人みたいに思える。
どこかで遠慮しているみたいな感じがするからだ。
長引かせまいとしているのも何となくわかってしまう。

(風邪ひいてる、から だよね・・・・・・・・)

何度言い聞かせても消えない不安。
遠慮しているみたいなのが別の理由だったら。
抱き合っているのに、不安だなんて初めてだ。

でもそんな気持ちとは裏腹に、いつもどおり、かそれ以上に丁寧な指とか舌に
体のほうは簡単に反応する。 自分でも呆れる。
不安なまま終わるのがイヤで、体の準備ができなければいい、
なんてちらと考えてはみても慣れた阿部くんの指にかかるとあっけなく霧散する。
意思ではどうにもならない自分の体が、こういう時は恨めしい。

「もう、入れていい?」
「・・・・・ん・・・・」

律儀に聞かれるのも久し振りな気がする。
そのことにまた新たな不安が湧いたけど、
いつものように熱い塊が、奥まで全部入りきった時ワケもなくちょっと安心した。

「・・・・・・しんどくねえ?」
「ん、 平気・・・・・・・・」

やっぱり風邪だから気遣ってくれてる、んだと思う。
じっとして様子を窺ってくれているらしい阿部くんの視線を感じながら、
余計な思考を追い払うように体の力を抜いて小さく息を吐いたところで。

「けほ」

咳が出た。

まず感じたのは 「色気ないなあ」 という自己嫌悪だった。
この状況で本当に色気がない、ないのは今さらだけどせめて今くらい、と
情けなくなって、でもそれより強く思ったことは。

(あ、阿部くんが気を変えたら どうしよう・・・・・・・)

せっかく少し安心できたのに。
恐れながら薄目を開けてみたら、阿部くんは予想と全然違う顔をしていた。
白けた顔でも心配そうな顔でもない。  そのことにびっくりしながら また。

「けほけほけほっ」
「うっ」

今度は妙な声までついた。  表情もさらに変わった。  いっそう珍しい顔になった。
少なくともベッドではこういう顔はあまり見たことない。
以前はあったかもしれないけど、最近はない。 

阿部くんの顔は、 も の す ご く 焦っていた。
それだけでなく、赤くなって眉を顰めて、何だかやけに。

(・・・・・・・色っぽい・・・・・)

見惚れているうちに普通の顔に戻った、 けど。

「・・・・・・ヤベー・・・・・・」
「・・・・・・・?」

ヤバいって何だろう。
という疑問は、次の瞬間吹っ飛んだ。

「・・・・・・・やっぱ今日はやめとこう」
「えっ」
「あ、ちゃんとイかせてやっから心配すんな」
「えっ」
「とりあえず抜くぞ」

え、 と焦っている間にも熱が出て行きそうになったのがわかって。

パニックになった。

咄嗟にぎゅうっと力を入れた。 よく考えればそんなことしても無駄なんだけど、
そこまで考える余裕はなかった。 でも。

「うぁ」

ぴたりと阿部くんの動きが止まった。 同時にまた、焦っただけでなく
今度は怒ったような顔になった。
オレを見下ろしながら何か言いたそうにしたのもわかったけど。

「や、 いやだ」

涙声になった。
ずっと泣きたい気分だったのを堪えていたのが、とうとうぷつりと切れた。
抑えられなかった。

「やだ、 やめな いで」
「・・・・・みは」
「お、おね・・・・・・・」

嗚咽で全部言えなかった。
阿部くんは目を丸くして、それから片手で顔を覆ってしまった。
そのせいで、聞こえた声はくぐもっていた。

「・・・・でもオレ、ヤバいんだけど」
「・・・・・・へ・・・・・・」
「このままだと、無理させそうなんだケド」
「む、無理でも いい、よ!」

本音を言った。  むしろそのほうが。

「オレ、 安心、でき・・・・・」
「え?」

阿部くんがオレを見た。 その顔が思い切り不審気だったんで慌てて言い直した。
必死だった。

「な、なにしても いいよ!」
「・・・・・・・・・・。」
「阿部くんのしたい ことなら、 何でも」

また出そうになった嗚咽を堪えながら祈るような気持ちで見詰めた。
阿部くんは俯いて、またしても手で顔を隠してしまった。
と思ったらぼそっとつぶやいた。

「・・・・・・・・このやろう」

それから手を離して、まっすぐにオレを見下ろした。 

ぞくぞくした。  だってその目が、

とても見慣れた光を放っていた、から。

「・・・・・・・・どうなっても知んねーぞ」
「い、 いいよ!」

頷いた途端に乱暴にキスされた。

「む」

変な声が漏れたのは、咄嗟に口を閉じたから。 
キスはダメだって言って、聞いてくれたのに。  顔を振って逃れて。

「う、 うつる」

からダメ、 と言おうとした半分も言えないうちにまた塞がれた。
それどころか口を開けていたせいで、難なく舌が入ってきて。

全然言うどころじゃなくなった。

阿部くんのキスにはただでさえ弱い、うえに下もまだ入ったままで。
それでなくても熱かった体の熱が一気に上昇した。 気持ち良くてくらくらする。
コマコマした思考が飛んでいって生の感情が剥き出しになる。

こうしてほしかったんだ。 本当は、ずっと。

気付けば阿部くんの背中にしがみつきながら夢中で応えていた。
しばらくしてようやく離された後も酸素を取り込むのに忙しくて頭が回らない。

「・・・・・・・おまえがワリーんだかんな」
「・・・・・・・は・・・・・」
「なにしてもいい、っつったろ?」

そう告げる声は低くて、目はやっぱり不穏に光っていた。 オレは。

やっと  安心した。

(いつもの、 阿部くん だ・・・・・・)

息を整えながらぼぅっと見惚れていたら、阿部くんは何か考えるような顔になった。
見ているうちに目がすぅっと細くなってそれから、小さく笑った。
その笑い方も見慣れたものだったので、嬉しくなる。

「えーと、三橋さ」
「は、 い」
「もっかいしてみて?」
「へ?」

何を?

「もっかい咳して」

きょとん、 としてしまった。 そんなこと言われても。

「あ、出そうと思って出るもんじゃねーよなそうだよな、うん」

阿部くんは自分で答を言って、少しだけ赤くなった。 ワケがわからない。
と不思議に思ったところで。

「けほけほけほ」
「う ぁ」

阿部くんの顔がまた焦った。

「・・・・・・・ヤバいこれほんとに」
「・・・・・・・へ?」
「・・・・・・・めっちゃキモチいい・・・・・・・」
「えっ」
「すげーいいマジいい」
「え、  あの」
「おまえが咳すると中がなんつーかすごく」
「!!!!」

びっくりするやら恥ずかしいやらと同時に納得もした。
咳が出る瞬間は体に力が入るから、そのせいだと思うけど。
でも咳は自分の意思では出せないし。

「ひゃ?!?」

驚いたせいで色気ゼロの声が出た。
阿部くんがオレの脇腹を触ったからだ。 それも普通の触れ方じゃなくてつまり。

くすぐった。

無意識に身をよじったらその拍子にまた。

「ごほごほごほっっ」
「あ、」

阿部くんの顔がすごく、色っぽくなった、 かと思うと、

「ダメだ。 わり・・・・」

前触れなくいきなり突き上げられた。 息が止まるほどの強さで。
そしてそれは一回で済まなかった。

「あ、ちょっ、  待っ・・・・・・・」

制止の言葉もままならない。
唐突だったうえに、それはそれはそれは容赦のない動き方だったんで。

「あ、  やっ   はっ」

体がばらばらになるかと思ったくらい激しくて。

苦しかったけど。

幸せだった。

やっといつもの阿部くんに戻った。

不安が全部飛んでいったのは、半分は何か考える余裕がなくなったからだけど、
半分は違和感が消えたから。

目をぎゅっと瞑ると阿部くんの熱さしか感じない。
それが全てで唯一で、それだけに集中できる、それしかできない。

達した時は痛いくらい強く抱き締められていて耳元で 「ごめん」 と
掠れた声で囁かれた、 のだけは何とか聞こえた。








繋がりを解かれてようやくまともに息をついて目を開けてみれば
阿部くんはばつの悪そうな顔をしていた。

「・・・・・・・・大丈夫か?」
「・・・・う  ん」
「・・・・・だからやめるっつったのに」
「へ・・・・・・」
「・・・・・・・悪かったよ」
「え、 いい よ」

だってオレが頼んだのに。
慌てて首を振ったらまだくらくらした。
けどそれがバレたら気にすると思って、無理して起き上がろうとしたら、

「寝てろ!!!!!」

すごい剣幕で言われて、力も入らなかったからそのままぼーっとしているうちに、
阿部くんがあちこち拭いて服も全部着せてくれた。
その後で阿部くんも服を着ている衣擦れの音を聞きながら目を閉じて。

とりあえず不安もほとんど消えたし。
満ち足りた気分でうとうととまどろんだところで、微かな声が聞こえた。

「あぁヤバいなぁ・・・・・・・」

困惑したような声音だった。 沈みかけていた意識が少し、浮上した。

「よりによって誕生日に、これだ」
「オレ、サイテーじゃん・・・・・・・」

一気に眠気が飛んだ。
オレは安心したのに、阿部くんがサイテーってどうしてだろう。
目を開けたら、阿部くんは隣で胡坐をかいていてオレを見てた、んで目が合った。

「お、おま 寝たんじゃなかったのかよ?!」

怒ったように言う前のほんの一瞬の表情をオレは見てしまった。
すぐに掻き消えたそれは、何だか心細げに見えた。 迷子の子供みたいな。
気のせいかもしれない。
目の錯覚かもしれない、 けど言わずにいられなかった。

「あの、オレ、ほんとに嬉しかったよ・・・・」
「・・・・・・・なにが」
「え、だから」
「・・・・・・・・・。」
「その、だから・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・。」
「さ、最近阿部くん、なんか 変だった から」
「・・・・・・は?」
「阿部くんらしく、 なかったから」
「・・・・・・・・・。」
「だから、さっきいつもの阿部くんに戻ってくれ て」

途端に阿部くんの表情が変わった。  びっくりして口を閉じた、くらいの勢いで変わった。
何か、マズいことを言ったんだろうか。
阿部くんは目を大きく見開いて口もぱくっと開けて、呆けたような顔になった。
次に赤くなった。
それからぐったりした様子でベッドに突っ伏してしまった。
オレはそれでうろたえて。  
何を言えばいいかもわからないけどとにかく、そろそろと体を起こした。
阿部くんは突っ伏したまま動かない。

「・・・・・おまえの中のオレのイメージってどんななんだ・・・・・」

どんなって。

「・・・・・・・あの、阿部くん・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・。」
「でもオレ、 安心でき」

がばって感じで阿部くんが起き上がったもんでまたびっくりした。 
今度は怖い目をしていた。

「安心・・・・・?」
「え、 あの」
「・・・・・・・そういやさっきもそう言ったな」
「あ」
「・・・・・・不安だった、てか?」

あ、 と気付いた。 けど遅かった。

「オレが変だったから・・・・・・・?」
「う・・・・・・・・」
「・・・・・・オレ、そんなに変だった?」

しぶしぶと、頷いた。   結局取り越し苦労だったんなら本当は言いたくなかった。
些細なことで不安になる自分が嫌だからだ。
どうせバレているんだから今さらとも思うけど、やっぱり情けない。
阿部くんは今度は複雑な顔になった。
そのまましばらく黙ってオレの顔を見つめていた。
あんまり見られるもんで、そわそわと落ち着かない気分になるくらい長々と。

「・・・・・・・・・わかった。 言う」
「へ」
「言わねーと思ってたけど言う」
「・・・・・?」
「不安になられるよりかマシ」
「・・・・・・・・??」
「だからつまり」

言葉を切って、阿部くんは俯いた。 オレはどきどきした。
変だと感じていたのはやっぱり気のせいじゃなかったんだ。
理由があるのなら、知りたい。
オレのせいなら、直したい。

「・・・・・・・TVで」
「へ?」
「・・・・・・・ちょっと前にTVで」
「う、ん ?」
「・・・・・・・・熟年離婚の特集やってて」
「・・・・・へ・・・・・・・?」

ぽかんとしてしまった。 話が繋がらない。

「そんでオレ、ぜってーヤバいと思って」

全然わからない。

「だから必死でいろいろいろいろと我慢して」
「・・・・・・我慢」
「・・・・・・・・でもそれで不安・・・・・って」

すごく大きくて長いため息が入った。
待っても続きがない、 からそれで説明は終わったらしい。

(・・・・・・????)

頭の中が疑問符一色になった。  ワケがわからない。
こういう時、オレってアタマ悪いんだなぁと思う。
けど、1つだけわかったこともある。
阿部くんは、やっぱり我慢していたんだ。 冷めたわけじゃなかったんだ。

と思ったら嬉しくて。

「うひっ」
「・・・・・・・・笑うな」
「ひっ」

笑ったせいで緩んだ顔を慌てて引き締めた。 でも口元が勝手に緩んでくる。

「てかおまえの中のオレのイメージって一体」

さっきと同じ言葉を阿部くんが言った、ところで ぐうっという間のヌけた音がした。

「あ・・・・」
「・・・・・・腹減ったのか?」
「そ、そうかも」

安心したからと、それからきっと。

「オレ ケーキ食べる!」
「え?」
「阿部くんの買ってくれたの、 食べ たい」
「・・・・・無理しなくていいぞ」
「し、したら お腹 すいた」
「・・・・・・あっそ」

阿部くんはまたフクザツな顔になったけど、それ以上何も言わず
ベッドから下りてキッチンのほうに向かったんでいそいそと付いていく。
冷蔵庫から取り出された箱に入っていたケーキは
カットケーキの割には大きくて豪華で、見るからに美味しそうだった。

「い、いただきます!」
「・・・・・・どーぞ」
「ありが とう、 阿部くん!」
「・・・・・・・・誕生日おめでとう、三橋」
「え」

改めて言われて気付いた。 そういえば阿部くんにまだ言われてなかった。
誰に言われても嬉しい言葉だけど、阿部くんに言われるのが一番幸せだ。
ほんの1時間前の不安なんてカケラもない、すっかり満ち足りた気分になって。

「あ、ありがとう!」

御礼を言うと、なぜか阿部くんは真っ赤になった。
それからぷいっと横を向いたかと思うとつぶやくように言った。
目は窓のほうを睨んでいたし、声も小さかったけど。

「来年は、 帰さねーぞ」
「来年・・・・・・」

一番嬉しかったところをこっそり噛み締める。

来年、 もこうしていっしょにいてくれる、 かな。

思わず うへ と笑ったら、阿部くんの眉間にシワが寄った。

「三橋・・・・・・・」
「へ?」
「・・・・・・おまえは、また・・・・・」
「う」

目が据わった。

「来年も、だかんな」
「・・・・・・・・。」
「来年もその次もいっしょにいるに決まってんだろこのアホ!!!!」

怒鳴られてしまった。

それが幸せで、またうっかり笑いそうになって、ごまかすために慌てて頬張ったケーキは

とてもとても 甘かった。
















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