願うのはただ





どうしよう、と叶は口の中でつぶやいた。 
よく考えれば困るような状況でもないのだが、湧き上がるのは困惑と
それから混乱だ。

目の前には幼馴染みである親友が眠っている。
眠っているだけなら別に困ることはない。
自分も眠りの続きに戻ればいいだけだ。
それ以前に、夜も明けきらぬこんな未明に目を覚ましたりしなかっただろう。
眠りながらのその 「声」 さえなければ。


昼間は楽しかった。
久し振りに会った幼馴染みは、それなりに大人びたとはいえ
相変わらずの童顔で、纏う柔らかな空気は懐かしかった。
お互いの近況を報告しあった後は当然のように野球の話に花が咲き、
夢中で話し込んだせいですっかり遅くなった。
数日群馬に滞在していて、今日アパートに帰る予定なのは聞いていたが
泊まるように薦めたら、最終的には頷いてくれたのも単純に嬉しかった。

客間に自分の分の布団も並べて敷いて、電気を消して横になってからも
ぽつぽつと思い出話が尽きず、その勢いで
ためらいつつも中学の頃の話を振ってみたりもした。
普通の調子で応じてくれたことを意外に感じると同時に安心もした。
あの頃の野球部における三橋の立場や、気にしながらも結局
どうしてやることもできなかった幼かった自分への葛藤は
未だ拭えずに片隅に残っている。
傷になったであろう当時の確執が三橋の記憶から消えることはないだろうが、
随分薄くなっていることが窺えて、心が軽くなった。

それはおそらく、高校時代のチームメイトやバッテリーを組んだ相棒の
おかげだろうという推測は、叶にとっては少々の切なさを伴うことだったが、
親友のために心からの喜びを覚えたのも事実だ。 
そんなこんなで穏やかな気分で眠りについたまでは良かった。 

が、それが中断されたのは三橋の声、それも普通でない声のせいで、
今もそれは続いている。



「んん・・・・・・ やあ」

三橋が再び発した声に、鼓動が速まった。
目覚めた原因であるそれは、やけに艶がある。
眠りながらの表情からも、色っぽい夢を見ているのは容易にわかった。

それは別にいいのだ。 自分だってそのテの夢くらい見る。
若さゆえの生理現象に近いものだから、おかしなことでも何でもない。
寝ているとはいえ親友のそんな様子を眺めて楽しむ趣味なぞないから
目を覚ました時は、眠りの続きに速やかに戻ろうとした。
そうできなかったのは、三橋が次に発した単語のせいだ。

「あべく・・・・・・・」

途端に意識が冴えて、がばりと起き上がった。
脳裏に三橋の相棒である、特徴のあるタレ目の面差しが浮かんだ。
その男が三橋にとって重要な存在なのは知っている。
高校時代のみならず、今でもだ。
何故なら高校卒業後にも便利で経済的だ、との理由で部屋をシェアし始めた、
つまり現在いっしょに住んでいるからだ。
幼馴染みの自分よりも今は親しくなっていても、なんら不思議なことじゃない。
でもだからといって、この艶っぽい声とセットで出てくる名前ではないはずだ。 
一般的には。

続けて叶は、とうに忘れていた数年前の出来事を思い出した。
以前三橋の家に遊びに行った時に、その名の主がいたことがある。
いろいろあってある疑いを持ったのだが、その後その疑惑を思い出したのは
一度だけだ。  卒業後に同居する予定を本人から直接聞いた時にふと思い出して、
表情を観察したりもした。
けれどその時の三橋の様子に不審な点はなく、理由も至極まっとうだったため
特に心配もせず、それきりすっかり忘れていた。
叶にとって 「アベ」 は幼馴染みの過去の相棒で現在の同居人で、
それ以上でも以下でもなかったのだが。

「あ、 あ、 ダメ・・・・・・」

あれこれと考えている最中にまたも上がった声に、思わず頭を抱えたくなった。
何でそんなに色っぽいんだおまえ、 と文句を言いたい。
声だけ聞くと妙な気分になってしまうではないか。  幼馴染みで、しかも同性に。

(あり得ねー・・・・・・)

聞いていたくない、 と叶は思った。  覗き見しているような後ろめたさもある。
が、「アベ」 の名が出たのは一度だけだし、夢に出てきているのかは
結局わかりようがない。 思い出した出来事とか疑惑はまた後で考えるとして、
とりあえず水でも飲んでくるかと布団から出ようとした、その時。

「・・・・・・阿部くん・・・・・・」

2度目だ。 
立ち上がりかけた叶は動きを止めて、友人の寝顔を呆然と見つめた。 
半信半疑で考えたことが俄かに現実味を帯びてきた。
あの時に持った、向こうが不埒な下心を持っているんじゃないかという疑惑は、
当たっていたのかもしれない。
そんな夢を見ているとしたら、見過ごせない。
無理強いされているのなら事は重大だ。
でも、と引っ掛かるのは三橋の寝顔が恍惚としているからだ。
声だって嫌がって抵抗している人間のそれには思えない。
ということは、と考えかけて叶はそこで思考を止めた。
それ以上考えたくなかった。

困惑しながら見つめていると、三橋の様子が急に変わった。 
眉間にシワが寄って苦しそうになった。

(・・・・・・・?)

不審を感じて尚も見守っているうちに目から涙が零れ落ちて、混乱が深くなった。
わけがわからない。

「どこ・・・・・・・」

声も顔もさっきまでとは一変した。
夢の内容が変わったのだろうか。
助かった、とホッとしたものの今度は起こさなくていいのか、と迷いが湧いた。 
明らかにうなされている風で、見ているだけで息が苦しくなる。

「ど、どこに いる、・・・」

涙の量が増した。 こんな様子の三橋を横にして眠れるわけがない、と
思ったらもうためらわなかった。 肩に手をかけて軽く揺すった。

「廉、 おい廉!!」

あっさりと目が開いてホッとした次の瞬間衝撃を感じた。
事態を認識するや焦った。
目覚めたばかりとは思えない敏捷さで起き上がった三橋が
ひしと縋りついてきたからだ。
驚きのあまり硬直したところで発せられた言葉が。

「阿部くん!!」

3度目だった。

そして叶は唐突に悟った。 正しくは、認めた。

がっちりとしがみつかれたまま体は固まりながらも、頭の中では
過去のことがくるくるとよぎった。 
あの一件のみならず三橋の言った何気ない言葉や表情など、
思い当たることが幾つか浮かんだ。 すとんと腑に落ちた。

(そういうこと、か・・・・・・・)

目を逸らさずに直視してしまえば、まるでパズルが嵌るようだった。
そういえば三橋が家を出ることを聞いた時も、その場にいっしょにいたルリが
「お幸せにね」 と言ったではないか。
感じた違和感までありありと思い出した。
わかってみればあまりにも単純で、かつ明快だ。
今の今まで気付かなかったことのほうがむしろ不思議で、迂闊な自分を笑いたくなった。

(あの時のオレの推測は、当たってたんだな・・・・・)

ただし半分だけ、 と半ば呆けながら思ったところで
突然拘束が解かれて体が自由になった。
見れば目の前に三橋の驚いたような顔があった。
かっと赤くなったそれは1秒後にはぴょんと遠ざかった。 バネ仕掛けの人形を連想した。

「あ、しゅ、 あ、ごめ、 オレ、まちが、 ゆゆゆめ み、み、」

慣れてない人間なら笑ってしまいそうなくらい見事にうろたえながら
しどろもどろに言い訳する三橋をどこか弛緩したような心地で見つめた。
確認しようかと思ってから 聞くまでもないと思い直し、
問いかけた声が平静なことに自分で驚いた。

「怖い夢でも見たのか?」
「あ、うん、 ちょっと、悲しい 夢」
「そっか・・・・・・・・」
「ごめん、ね? 間違えて、オレ」
「あー、いいよ。 寝直せよ。 まだ早いぜ?」

言ってから、起こしていた半身を布団に横たえた。
背を向けて 「おやすみ」 と意識して何気ない声を作った。
背後でごそごそと布団に潜り込む気配を確認して、こっそりと息を吐いた。

特にショックを受けたわけでもないことに、そこでふと気付いた。
驚いたのは確かだしとまどいも否定できないけど、それほどの衝撃でもなかった。
凡人と変人がいるとすれば三橋は後者に当たる、と捉えていたことを
今さら認識して苦笑しかけてから、
変人だから同性と恋愛したわけじゃないかと思い直す。
そこに至るまではいろいろあったのだろうし、要は本人が幸せならいいのだ。

とはいえ、気になることがないわけでもない。
前半はともかく、後半が悲しい夢になったらしいのは
今の生活に何か原因があるんじゃないだろうか。
どんな形でも、親友の幸せを願っているのは本当なのだ。

(・・・・・もし不幸なら、許さない。)

眠りに落ちる前に頭に浮かんだ垂れ目の顔に、そう宣言した。








○○○○○○○

そんなわけで翌日帰る三橋を駅まで送り、
別れ際になって質問した口調は、改まったものになった。
聞きながら、表情を注意深く観察する。

「廉、今幸せか?」
「え? うん」
「・・・・・・・本当に?」
「うん、 幸せ、だよ」

躊躇なく頷いた、その顔を見て安心した。 
嘘や虚勢ではないとわかったからだ。 付け加えずにはいられなかったが。

「なんか困ったことがあったら、いつでもオレに相談しろよ?!」
「うん! ありがとう!」
「・・・・あいつ、何てったっけ」
「へ?」
「同居してるやつ」

しらっと聞いたのは気遣いだった。
夜中に色っぽい声で名前を連呼したなんて、本人は知りたくないだろう。
抱きついてきた時も明らかに寝ぼけていたわけだし。

「阿部くん だよ!」

花が咲いたような笑顔、てこういうのかなと思った。
期せずして、ダメ押しで確認できてしまったことに複雑な気分になる。

「・・・・・・阿部にもよろしくな」
「うん! 伝える!」

去っていく三橋を笑顔で見送りながら
中学時代にはついぞ見られなかったその表情を引き出したのは自分じゃない、
と安堵半分寂しさ半分で思った。

そこに至って叶は気付いた。
ショックではない、引いてもいない、それは確かなのだが。

(・・・・・・・なんか・・・・寂しいな、くそっ・・・・・・・)

弟を奪われたような寂寥感を自覚したと同時に
何がしかのムカつきを感じたのは、夜中に被った被害のせいかもしれない。
今に至るまで、いやこれからも蚊帳の外に置かれていることも気に食わない。
その理由は一応頭ではわかる。
一般的な恋愛でない以上、迂闊には言えないだけだろうが、
幼馴染みとして面白くない感情はどうしようもない。
三橋へは向かわない矛先が別口に向くのを自制する気も起きない程度には。

迷いのない手つきで手帳と携帯を取り出して操る。
何年も前に聞いた番号だし、もう変わっているかもしれないと
半ば諦めながらだったけど、コール音に続いて聞こえた声には確かに覚えがあった。
意地悪じゃない、 と内心でつぶやいた。

『はい』
「叶だけど」
『ああ、どうも。』

昨日三橋が泊まったことはもちろん知っているはずだ。
三橋が連絡していたからだ。 その時の三橋の表情を思い出した。
わかってしまえば、いちいち納得できるのがまた忌々しい。

「・・・・・廉ってさ、抱き心地いいんだな。 知らなかったよ。」

息を呑んで絶句する気配を感じて、満足した。
素早く通話を切ってから続けて電源も切った。

これでダメになるようなら、大した男じゃないし本物の仲でもない。
いずれ終わるのなら早いほうがいい。

そんな大義名分は言い訳に過ぎないことも自覚して、苦く笑った。
子供じみた意趣返しに、若干の自己嫌悪を感じたけれど。

(・・・・・・・幸せにな、廉)

空を見上げて願う気持ちもまた、偽りのない本心なのだった。














                                        願うのはただ 了

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