30年後もいっしょに (前編)





ぼーっと見るともなしにその特集番組を見ながら、最初は聞き流していた。

『そのうち、暴力が日常になって・・・・・・』

プライバシー保護とやらで音声を変えられた女性の声が震えている。

(好きな女を殴る男なんてサイテーだぜ・・・・・・・)

そんなじゃ離婚されて当然だ。
むしろ熟年になるまで妻側が我慢していたことのが不思議だ。
そりゃそう単純な話じゃないんだろうけど、オレには理解できない。  特に夫側のほうが。

なんて心の中でばっさり切り捨ててから、もっと重要なことに思考を移した。

もうすぐ三橋の誕生日だ。

(いっしょになってから初めての誕生日だしな・・・・・・)

いっしょになったといってももちろん、結婚したわけじゃないけど。
でも実質は似たようなもんだぜ、 と思うと顔が勝手にニヤけてくる。

(プレゼントは・・・・・・・)

本人にリクエストを聞いても今までの経験上ロクなことを言わないのはもうわかっているから、
聞かない。  三橋を連れて直接店に行ってその場で選ばせるのがいいかもしんない。

(スポーツ用品店あたりが無難だろうけど・・・・・・・)

でも色気ねーよなーいっそ無理矢理宝飾店にでも、 とまたニヤけたところで
思考が中断した。

『とにかく独占欲が強くて』

耳に入った単語に思わずTVに意識を戻した。
熟年離婚の実例はいつのまにかさっきとは別の夫婦の場合、に移っていた。

『頻々と電話がかかってきて居場所を確認されて』
『同窓会に行くだけでも根掘り葉掘り聞かれて大変で』

じわっと冷や汗が滲んだ。

(・・・・・・・いやオレ、そこまでひどくねーし・・・・・)

『実家に帰るのにも必ず付いてきて、そのくせ親の前でだけは大らかな振りをして』

汗がひどくなる。 

『セックスもこっちが疲れていてもお構いなしな感じで』

吐き気までしてきた。

『最初は、愛されていると思って嬉しかったんだけど』
『そのうち、エゴだけで束縛されているみたいな気がしてきて、一度そう思ってしまうともうその後は』

ぶつり、  とそこでTVを切ってしまった。

「・・・・・・・オレ、そんなことねーもん」

自分でフォローしながらも心臓は正直だ。 動悸が収まらない。
何しろ独占欲の強さにだけは無駄に自信がある。
これくらい大丈夫、とオレが思ってることでも、三橋のほうで重く感じ始めたら。

30年後くらいに三橋に捨てられる自分、が浮かんだ。
「本当は、ずっと鬱陶しかった、 んだ」  とご丁寧にセリフまで付いた。
それは、 そんなのは、 絶対に。

(イヤだ・・・・・・・!!)








○○○○○○

誕生日の予定を聞いた時に最初に感じたことを正直に言えば 落胆、だったけど。
すぐに思い直したのは、その特集が頭を過ぎったからだ。
オレは、変わると決心したんだ。 リコンされたくねーもん。

「あの、良かったら、 阿部くんもいっしょに・・・・・・・・」

という言葉に頷きそうになった自分を押し留めたのも同じ理由。

「久し振りに親子水入らずのがいいだろ」

偉いオレ! とこっそりと自画自賛しながらも半分は本音だった。
実際正月以来全然帰ってないから、オレがいないほうが向こうの親にとっては
いいんじゃないだろうか。

でもその日の夜だけはなんとしてもいっしょにいたかった。
今までだってそれだけは実行してきた。  
お祝いの方法が間違っているような気がしないでもないけど、
幸せだったのはオレだけじゃないと思う。 思いたい。

「でもさ、できれば泊まらないでこっちに帰ってきてくんない?」

頼みながら三橋の表情をじっと観察した。
頷きながら嬉しそうに笑った、 のでホッとした。 演技なんかじゃないと思う。
向こうには早めに行けるはずだから、終わる頃迎えに行ってもまだ店は開いているだろう。
帰りにプレゼントを買って夜はいっしょに過ごせればそれだけで。

(充分だ・・・・・・)

本当にそう思っていた。
だから当日の朝の三橋の咳に気付いた時、複雑な気分になった。
元々その日は練習のない日だ。
通常だったらすぐに帰ってきて大人しく過ごせと言うところだけど。

三橋の親も、三橋も楽しみにしているだろう。
熱はないから、寝込むほどの風邪でもないし。 
でもその後またこっちに帰ってくるより、そのまま実家にいるほうが体にはいい。 絶対いい。
リコン、されたくねーし。

「・・・・・・風邪みたいだし、無理に帰ってこないでそのまま泊まってきていいぜ?」

平気な顔で言いながら、落ち込んでいた。
バカだと思った。
こんなことくらいで真剣にがっかりするオレはバカだ。
けど自分がミハシバカなのはもう分かり過ぎるくらいわかっているから今さらだ。
三橋の誕生日はオレにとっては特別なんだバカでいいんだ、 と慰める。  我ながら健気だ。

でも具合の悪い三橋にオレのワガママで無理をさせるのは、リコン抜きでイヤなのも確かだった。






○○○○○○

テキトーに夕飯を食って、シャワーを浴びてしまうともうすることがなくなった。
三橋はおしゃべりなほうではないから、いても賑やか、ということはないけど
いないと全然違う。 大して広くもない部屋がやけに広く感じて落ち着かない。
勉強する気にもなれない。
手持ち無沙汰に野球雑誌なんぞめくっても、活字が目に入ってこない。

(今頃、楽しくやってっかな・・・・・・・・)

三橋の笑顔を思い浮かべる。 あいつが楽しければそれでいいんだ、
と言い聞かせながらも寂しい。 誕生日なのに。
でも、 と思い直した。

ここにいたら絶対我慢できない。 自分が信用できない。
普段だったら平気だろうけど、誕生日だから。  無茶なことをしでかしそうで怖い。
いないほうがいいんだ。 リコンされたくねーし。

(もう、寝よ・・・・・・)

時計を見たらまだ9時だった。 早過ぎるけど起きてても楽しくない時は寝るに限る。
立ち上がったところで、玄関のチャイムが鳴った。
こんな時間に新聞の集金かよ、 とムカついた。

だから驚いた。

見慣れた三橋の顔に、不覚にもじわっとする勢いで嬉しかった。
かっこわりーから慌てて何でもない振りをする。
帰ってきてくれた。
三橋も今日をオレと過ごしたいと、思ってくれていたんだろうか。

期待に緩みそうになる顔を意識して引き締めたところで、三橋が咳をした。  
咳はしばらく止まらなくて苦しそうで、朝より悪化している気がして心配になった。 

(今日は、ぜってー何にもしないどこう・・・・・・)

特別な日だけど。 でも具合の悪い三橋に無理はさせられない。

(リコンされたくねーしな・・・・・・)

我慢我慢、と念仏を唱える。
同時に素朴な疑問も湧いた。 何で、帰ってきたんだろう。
抑えてもふつふつと湧いてくるのはやっぱり期待、 だ。

「泊まらなかったんだな」
「う、ん」
「・・・・・・・・何で?」

何気なさを装いながら聞いてみる。 内心でどきどきした。
もし、誕生日をオレを過ごしたいと思ってくれていたら。
なんて調子のいい妄想はしょせん妄想に過ぎなくて、三橋は黙ったまま俯いてしまった。

(・・・・ま、いいや)

理由はなんでも、帰ってきてくれただけで嬉しい。  たとえ何もできなくても。
妄想どおりのことを言われたりしたら、いきなり押し倒しかねなかったから
良かったのかもしれない。

「楽しかったか?」

という問いには肯定が返ってきた。 楽しかったんなら、いいんだ。

ふと思い出してケーキのことを言ってから、すぐに気づいた。
三橋の表情がわずかに微妙なものになったからだ。
たまにしか会えない息子の誕生日に母親が張り切ったであろうことは容易に想像がついた。

「明日にしな?」

優しく告げながら、上手くいっていると満足に浸る。
我ながら理解ある伴侶っぷりじゃないだろうか。
後は早めに寝かせてやれば完璧だ。  その前にお祝いの言葉も忘れずに。
キスくらいはしたい。 だって誕生日だし。 でもそれ以上は、今日は。

(・・・・・・・我慢我慢)

完璧、になるはずだった。  その時点までは。






だからびっくりした、 なんてもんじゃなくそれは不意打ちだった。
鳩が豆鉄砲くらったような顔をした、という自信がある。
すんなり信じられないでいるオレに、三橋はまた言った。 同じ言葉だった。

「誕生日、なのに」

どういう意味・・・・・・と出掛かって、呑み込んだ。 目の前の三橋の様子。
顔を赤くして目を潤ませて、気付けば手もぎゅっと握り締められていて
そのくせ必死な視線をオレから外さない。
毎年誕生日の夜にオレがこだわってきたことなんて、分かりきっている。
でもそれはあくまでもオレが一方的に望んで、強引にそっちの方向に持って行って
それこそ無理矢理に近いノリでなだれ込ませていたわけで。
でも今三橋はそれを自分から、

(望んでいる・・・・・・・?)

だけでなく、誘ってくれてる。
かあっと顔が熱くなった。  慌てて隠しながら 落ち着けオレ! と息を1つ 吐いた。
でもそれくらいで収まるはずもない。

(・・・・・・・どうしよう嬉しい)

体中を駆け巡る歓喜を持て余す。 
一気に舞い上がりかけたところで あっ と思い出した。

(ダメ、だ・・・・・・・・)

体調の悪い三橋を抱いたことは一度もない。
ただでさえ体に負担をかけているのに、そんなことできるわけない。  自分が許せない。 
たとえ誕生日でもそれだけは。

(我慢だオレ!!!)

大げさでなく断腸の思いで決心した、のに。

「今日は、しねーぞ」

はっきりとそう宣言しても三橋は黙っている。 見れば深く俯いて固まっている。
黙っている、ということは納得していないんだろう。
おまけにまた咳をしやがった。
オレはもうまさに正しく葛藤の嵐に襲われた。

したい。 しちゃダメだ。 本人が望んでくれているのに。
でもダメだ。  誕生日なのに。  でもダメだ。
無茶しなければ大丈夫。  そんな自信ない。 ダメだ。 でも。

様々なことが高速で回って収集がつかない。  結論も出ない。
でもその時ふいに悟った。   ごちゃごちゃした渦の下にあるものが見えた、 気がした。 

本当は、わかってる。
こんな三橋を前にして抑えられるわけがないってことを。
はあっとまた息を吐くことで、せめて気を静めた。 気休めかもしれないけど。

「・・・・・・・わかった。 しよ?」

逸る気持ちを抑えながら手を伸ばした時、密かにとてつもなく幸福だったので。

次の瞬間、受けた衝撃は体だけじゃなく心もだ。
突き飛ばされた、ことにショックを覚えながら、一瞬かっとしたのはしょうがないと思う。 
だって誘っておいて、こんなに舞い上がらせておいてこれはひどい。 あんまりだ。
あやうく怒鳴りそうになった、 のを踏みとどまれたのは

「リコン」

という単語が掠めたからだ。 衝動を ぐっと堪えた。
せっせと怒りを静めながらも文句は言ったけど。 言わずにいられるか。

「誘っておいてナンだよ・・・・・・」

三橋がぼそぼそと返した言い訳は 「うつるからキスはダメ」 だった。
正直なところ呆れた。 それに。

(・・・・・・・キスがダメ・・・・・・?)

内心で呻いた。 そりゃキスしなくたってできる、できるけど。
オレは三橋にキスすんのがすげー好きなんだ。
へたすっといれるのと同じか、それ以上に好きなんだ。
それなしってのはオレ的にはものすごい自制心を要するというか味気ないというか片手落ちというか
大昔風に言えばクリープのないコーヒーのようなもんで
三橋風に言えばさながら苺の乗ってないショートケーキだ。

と弾丸のごとく文句が湧き上がったけど。
誕生日 だの リコン だのの単語がくるくると2回くらい頭を回ったので。

「キスはダメだけど、したいってか?」

控え目な抗議に留めた。 少々の嫌味が入ったのは大目に見て欲しい。
でも三橋が素直に頷くのを見た途端に、何かが引っ掛かった。

(・・・・・・・・?)

どうしてそんなにしたがるんだろう。
本当はしないほうがいいってことくらい、本人だってわかっているはずだ。
ましてやオレの迷惑、にまで気を回しながらそれを押してまで求めてくるほど
こいつの性欲は強くない。 オレとは違って。 だから。

「何でそんなに積極的なわけ」

それは純粋に疑問だった。
妙なことを言い出すようなら、するとかしないとか以前の問題だ。
と、己を戒める気分になっていたのに。

「・・・・誕生日、だか ら」

(ま、また・・・・・・・・)

落ち着きかけていた気分が再びロケットのごとく上昇するのを抑える術なんてない。
またしても熱くなった顔を見られないように、深く伏せることで隠した。
どうしてこいつはこう無自覚にオレを煽るんだ。
しかもいっつも不意打ちときてる。
それでなくても、大抵つい暴走してしまって負担をかけているような気がして
それも変えよう、と決心したばかりなのに。
おまけに今日三橋は体調悪いのに。
こんなに舞い上がった気分のままいたしちゃったら、
調子に乗って延々と離せなくなりそうな自分が怖い、のに。

「・・・・・人の気も」

知んねーで、 という後半は心でだけつぶやいた。  どうせ聞こえてないだろうけど。

それでも何とか自制心を復活させた。
半分飛びかけた 「我慢我慢」 が完全に消滅する前に必死で掴んで引き戻す。 
せめて暴走しないように。
「我慢我慢」 を 「暴走は禁物」 に変換してから、オレは顔を上げて笑顔を作った。

「・・・・・・・・わかった」

三橋の顔がホっとしたように緩みながら、微かに複雑なものになった、
ような気がしたけどそれを深く考える余裕はもうなかった。






○○○○○○

「暴走は禁物」 は途中まではきちんと有効活用できた。  大変だったけど。
何度しても当たり前にならない。 ベッドでの三橋はいつも無自覚にオレを煽る。
ともすれば理性を飛ばしそうになりながらもその度に念仏を唱える。 
オレは変わるんだから。 それに何より、具合の悪い時に
必要以上に負担をかけたくないという自戒は大きい。 リコンは抜き。

だからまたしてもそれは不意打ちだった。 完全に予想外の。
しかも三橋本人もまったくあずかり知らぬ部分での。
だって咳なんて意識して出したわけじゃないだろうし。
締まった、だけでなく振動みたいなもんが伝わってきた、なんて三橋は知るわけない。

「うっ」

我ながら情けない声が出た。 焦ったなんてもんじゃない。
そのままめちゃめちゃに突き上げたい衝動に逆らうのはいつもそうだけど、大変なんだ。
勝手に動き出しそうになる体を押し留めながら、
霞んで消えそうになる 「暴走は禁物」 を呼び戻そうとしても体のほうが限界ぎりぎり。

(ダメだ・・・・・・・・・)

それはもう勘というより確信だった。 さすがに20年近く己と付き合っていれば
いい加減わかっていることもある。
これについての理性が紙より薄いことなんてもうイヤってほど自覚している。 
念仏だってここまで効いたことのがむしろ奇跡だ。
ギブアップ、 という単語が浮かんだ。
これ以上紳士的にコトを進めるなんてもう。

(ぜってー無理・・・・・・!)

我ながら賢明でかつ、健気な判断だったと思う、のに。

「とりあえず抜くぞ」

一応お断りしてからのオレの健気な行動は、他でもない三橋に阻まれた。 それも体で。

「うぁ」

気が遠くなりかけた。  思 い っ 切 り 締めやがって。
またもや襲い来る衝動を散らすのにきゅうきゅうとする。  
それだけでも鼻血が出そうだったのに。

「や、 いやだ」

言うなり三橋は泣き出した。 それも最中によくあるいつもの涙じゃなくて、マジ泣きだった。  
内心で焦った。 そんなに嫌がるなんて思ってなかった。
またしても葛藤の渦に突き落とされるオレ。
ぐるぐるの内容は先刻と大差ない。
何でこんな体勢でこんなに悩まなくちゃならないんだ。
悩むのはリコンされたくないからと、三橋の体調のせいであって。
つまり自分のためでもあるけど、三橋のためでもあるわけで。

と思うと何だか自分がアホに思えてくる。 
こういうのを本末転倒っていうんじゃないだろうか。
真っ赤になっているであろう顔を隠しながら
ぼそぼそと言い訳じみたことをつぶやけば、当の三橋は殺し文句を吐きやがる。

葛藤だらけの思考が一瞬途切れたのは三橋の発した 「安心」 という単語だった。
何でここでそんな言葉が出てくるんだ。  ワケがわからない。
葛藤に疑問符まで混じって、もうオレの脳内はいっそうひどいカオスと化した。 
収集がつかなくて眩暈がする。

でもそんな混沌はそこまでとなった。
オレの下で涙を零しながら三橋は言った。  それはもう必死な目だった。

「な、なにしても いいよ!」
「阿部くんのしたい ことなら、 何でも」

その瞬間きれいさっぱり、カオスが消えた。 つまり。

ブチ切れた。


我慢も禁物も全部遥か遠くに飛んで行った。   もう追わなかった。
















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