逃避-1





それは本当にたまたまだった。

マネジから言われた連絡事項を 
「阿部くんにも伝えといてくれない?」 と言われた三橋はきょろきょろと阿部を探し、
背中を見つけて駆け寄って、その勢いのまま何気なく腕に触った。
触れながら 「阿部くん」 と呼びかけた。

が、次の瞬間結構な勢いで手を振り払われた。

(え??!)

三橋は驚いた。
阿部には手を握られたり触られることはあっても、振り払われたことなど一回もなかった。
最初は会話さえ覚束なかった三橋も、それでだんだんと安心して
今では阿部(と田島)にだけは結構気軽に触れるようになっていたのだけど。

でも驚くと同時に少し傷ついた顔をした三橋より、阿部のほうがもっと驚いた表情になった。
それから我に返ったように三橋に謝った。

「あ・・・と、ごめんな。 ちょっと考え事してて。 びっくりしたんだ。」

その顔はいつもの阿部の普通の表情だったので
三橋も一瞬感じた小さな痛みをもみ消して、マネジからの連絡を伝えながら
(別にそんなに、気にすることじゃない。)  と自分に言い聞かせた。

(きっと、いきなり触ったんで・・・・本当にびっくりしただけだ。) 

そして実際に大して尾を引くこともなく忘れてしまった。

少なくともその時は。








○○○○○○○

最近阿部が少し変った。

花井は思う。
目立たないけど何かが、以前とは違う。
と言っても前と同じように普通に練習しているし普通に授業も受けているし、
部員たちともクラスメートとも変わりなく接している。

でも時々ぼーっとしていたり。
ものすごく暗ーい顔をしていたり。

(いや、それだけじゃなくて・・・・・。  もっと何かが・・・・・・・)
(何か決定的に違うことが・・・・・・。  何だろう・・・・・・・。)

考えに耽る花井の耳に聞きなれた騒々しい声が飛び込んできた。
「花井!」
確認するまでもなく田島である。

「なんだよ。」
「英和辞書貸して!」
「えーまたかよ。 おまえ持ってくる気ないんじゃねぇの?」
「あるよ!」

しょーがねぇな とぼやきながらも花井は辞書を出してやる、 とそこで田島がまた言った。

「もう1冊いるんだ。」
「はぁ?」
「三橋の分。」
「え、あいつも忘れたの。」
「うーん、忘れたってかなくした? 今探してるんだけど見つかんないかも。」
「ふぅん。」
「だから貸して。」

花井はそこで当然阿部がしゃしゃり出てくるはずだと身構えた。
近くにいるからこの会話は聞こえているはずだ。
貸すどころか 「オレも探してやる」 とか何とか言って
あっというまに9組の教室に向かうだろう。 (と花井はいささかげんなり考えた。)
田島も同じことを考えているようでちらちらと阿部のほうを見ている。
でも予想に反して阿部は動く気配がない。

(・・・・・・???)

しびれを切らして 「阿部」 と声をかけたのは田島だった。
「なに。」
「三橋に辞書貸してやってよ。」
「・・・・いいけど。」

少しの間を置き結局阿部は辞書を出して田島に渡した、けどそれだけだ。
花井は内心大いに驚いた。 今までの阿部からするとこの反応は変だ。 あり得ない。
そして田島が戻っていった後、花井は先刻の疑問を思い出して気が付いた。

(そうかわかった。)
(・・・・・あいつ三橋のことを話さなくなったんだ。 前ほど。)

改めて考えると、いたたまれないような気持ちになることが減った。
全然話さないわけじゃないけど、言ってみれば。    「普通になった」 感じがする。
以前みたく野球に関係ないことまであれこれ気にしたり
「他のヤツは近寄るんじゃねー」 みたいな顔をすることもない。

(・・・・・だから普通?・・・・・の感じ、だよな・・・・・)
(いつからだっけ・・・・えーと・・・・・)

思い出そうとして、すぐに気付いた。

(あーアレ・・・・・あの事件の後くらいから・・・だ・・・・・。)

何で?  と花井は首を傾げた。
(あいつってオレの勘に間違いがなければ三橋のこと・・・・・のはずだよな・・・・。)

勘がなくても、近くでちょっとよく見てれば誰でもわかるだろうというくらいわかりやすかった。
そのお陰で何度恥ずかしい思いをしたことか。

(冷めた・・・のかな・・・・・?)

それはあり得ない気がした。 となると。

(それとも・・・その・・逆・・・・??? 上手くいったのか・・・・・?
 それで少し落ち着いたのかも・・・・・・・・・)

そこまで考えて花井は諦めた。  上手くいったのかもしれないとは思ったものの、
しょせん推測でしかなく本当のところなんて本人にしかわからない。
それで阿部や三橋が調子を落としているとかならともかく、特にそんな様子もなくバッテリーとしては安定したもんだ。
個人的な興味本位であれこれ詮索するのも気がひける。

(気にしないっ と。)

花井は忘れることにした。






○○○○○○○

しかし一見普通に見える阿部のほうは実は大変なことになっていた。

まず。
三橋といるとやたら嬉しかったりドキドキしたりつまらないヤキモチを焼いたり、いろいろ様々
「恋する人間」 の症状がてんこ盛りで押し寄せてきたのだが、その辺はまだいい。
よく考えれば以前と大した違いはない。  多少感情の振れ幅が大きくなったくらいだ。

ただ 「隠さなければならない (特に本人に)」 という意識が働くようになったのは、大きな違いだった。
この前いきなり首にキスした (というより噛みついた) のはよく考えると (考えなくても)
非常にまずかったのだが、幸いというか三橋の天然な性格のせいで特に疑われている様子もない。
あの説明で納得できるあたり三橋らしいといえば三橋らしい。
もっとも納得してなくても、阿部としてはそれで押し通すしかないわけだけど。
とにもかくにも知られてはならない。
そのため、押し寄せるあれやらこれやらの感情を表に出さないようにするのに、
ものすごいエネルギーを使って消耗するのである。

でもそれもまだ良しとする。
人間何事も慣れるものだし、慣れるしか道はない。 (と阿部は思う)


一番問題なのは
明確に自覚してしまって以来、それまでは掠めることはあっても、
無意識に心の奥に押し込めていた (らしい) ことが、表面に浮上してきてしまったのだ。
つまり。


体の問題だった。













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