タイムリミット (前編)





聞かないほうが良かった。
聞くべきじゃなかった。
でももう聞いてしまったもんはしょうがない。

授業も練習もない休みの今日、三橋は叶と会う。
叶が用事でこっちに来るついでに会うことになったらしい。
時間は午後2時だ。

近くで着替えていた本人と田島の会話から、昨日それがわかってしまった。
耳をダンボにして得た情報に、オレは密かに消沈した。

オレの誕生日の前の休日に練習がないとわかった時、
それなら三橋と2人で過ごしたいと思った。 だから誘うつもりだった。
といっても何かを期待したわけじゃない、つもりだったけど、
どこかでやっぱり期待していたのかもしれない。
もちろん想いが叶う、とかそんな大仰なことじゃない何かを、漠然と。

そんなことまで自覚してうんざりするわがっかりするわ、
だけならまだしも、ざわざわした。 

三橋が幼馴染みに会おうが、止める権利なんてオレにはない。わかってる。
嫉妬する立場にもない。 嫌ってほどわかっている。
そもそも嫉妬するような事ですらない。
三橋と叶は幼い頃から中学卒業まで友達だったし、今はいいライバルだ。
いろいろあったかもしれないけど、今さら三星には戻らないだろうし
焦るようなことは何もない。 ましてや怒るようなことでもない。
むしろ喜んでやるべきだ。 わかってる。

なのに、オレのやっていることは一体何だろう。

「阿部くん・・・・?」
「へ」

ぱちんと、思考が弾けた。
いつのまにかぐるぐると考え込んでいた。
瞬きを1つしてから目の前の顔を見つめる。

三橋は今オレの部屋にいる。 呼んだからだ。
昨日がっかりはしたけど、約束が午後からなら午前中は空いているはず、と
気を取り直して素知らぬ顔で家に誘った。 口実は 「勉強を見てやる」 だ。
断るな、と念じたことは叶って、三橋は一瞬の躊躇の後嬉しげに頷いてくれた。
その時にまたざわざわしたのは、今度は罪悪感だったかもしれない。

「あの、ここ・・・・」
「なに? わかんない?」
「うん」
「どら、見してみ」

覘き込むとついさっき教えてやった問題の簡単な応用だった。
何でここでまた躓くかな。
なんてことは思っても言わない。 癇癪は、今日は一切起こさない。
可能な限り穏やかに教えてやりながら、胸がちくりとした。
もちろん、優しくしてやるのに他意はない。 そのはずだ。
オレはそう自分に言い聞かせる。

丁寧に教えると三橋は理解したのか、ホッとしたように笑った。
満足しながら時計を見ると、そろそろ午前中が終る時間になっていた。
三橋は帰ると言うだろう。 そして午後また出かけるんだろう。 
叶に会うために。

「・・・・・・メシ食ってかねえ?」
「え?」
「昼メシさ、うちで食ってけば?」

唐突な提案に驚いたような顔から僅かに目を逸らす。 意地悪じゃない。
別にここで食べようと帰って食べようと、2時の約束には関係ないはずだ。

「いいの・・・・?」
「いいぜ。 今日親いねーけど、ちゃんとあっから」

これは本当だ。 
今日は誰もいないけど、昼メシは昨夜の残りのカレーだ。
たっぷりあるから1人増えたってどうってことない。
それを朝のうちに確認したのは、別に思惑があったからじゃない。 多分。

三橋が嬉しそうに頷いてくれたので、その後いっしょにカレーを温めて食べた。
食べ終わったら三橋は帰るんだなと思いながら、ゆっくりと食べた。 
後片付けもゆっくりとした。 そして。

「じゃあ休んだら続きするぞ」
「え」
「・・・・・なに?」

横目でじっと見ると、三橋は怯んだように目を伏せた。

「うん、 わかった」

バカだなあ、とオレは思った。
断ればいいのに。 午後は約束があるから帰ると言えばいいのに。

またちくりと胸が痛んだ。 言えないのかもしれない。
それくらいわかる。 1年の初夏の頃の痛い過去が蘇る。
あの頃の三橋はオレの顔色を窺いながらものを言っていた。
他にも見たくない何かが浮かびそうになって、オレは急いで追い払った。

大丈夫、まだ時間はある。
ここから直接行けば、あと1時間くらいの余裕はあるから
三橋はそう考えているんだろう。
オレだって何も阻止するつもりじゃない。
ただ、少しでも長くいっしょにいたいだけだ。 
タイムリミットまではまだ、ある。

「じゃあここ、このページの問題全部やって」
「・・・・これ?」
「うん、できるはずだぜ?」
「う」
「できるまで帰さねーからな」

三橋の顔が心持ち青くなったのは、見なかったことにする。
できるはずがない、と過ぎった客観的判断からも目を背ける。
大丈夫だ、 意地悪じゃない。
間に合うように、ちゃんと帰してやる。

オレはそう思った。

予想は当たって、三橋は解けないようだった。
次第に焦りの顕わになる顔を時々確認しながら、助け舟を出さない。
自分の勉強に没頭する振りをして、見えない壁を作る。
静かな部屋に時計の音がやけに大きく響くのは、
オレにとってだけじゃないだろう。 でもオレは黙っている。
ちくちくと痛む胸を抱えながら。
見たくないいろいろなものをせっせと蹴っ飛ばしながら。

「あの、阿部くん」

あと15分でリミット、というところで三橋は意を決したように顔を上げた。
そのタイミングでオレは言った。 
わざと作った明るい声はひどく空々しく響いた。

「あ、そうだ三橋さ!」
「へ?」
「ケーキあんだよ!」

三橋の顔がきょとんとした。 服の下でじっとりと冷たい汗が流れた。

「食後に出そうと思ってて忘れてた」
「・・・・・・・・・・。」
「ちょっと休憩して、食おうぜ? 好きだろ?」

「頷け」 と 「断れ」 が同時に湧いた。 わけがわからない。
三橋は頷いた。 にこにこしながら。
バカ! と内心で毒づいた。 
なんてバカなんだ。
ここで帰ると言わないでいつ言うんだ。
間に合わなくなるとわかっていないのか、それとも。

言えないのか。

胸の痛みが増した。 バカなのはオレだ。

連れ立ってキッチンに行って、冷蔵庫からケーキを出した。
朝一番で三橋のために小遣いをはたいて買ってきたそれを
まるで偶然そこにあったかのような顔をして。

「いっぱい食っていいぜ?」
「うおっ」

大きな皿に5種類並べてやると、三橋は本当に嬉しそうな顔をした。
胸が疼く。 心なしか頭も疼きだした。

「じゃあ、1個だけ・・・・」
「遠慮すんなよ」

盛んに勧めながらオレも1つ取る。
そうしないと遠慮して食べないと踏んだからだ。
オレは本当は食べたくない。 食欲なんてない。
でもオレが食べ始めると、三橋もいそいそと好きなのを選んで大口を開けた。

結局5個のケーキはオレと三橋の胃袋にすべて納まった。
正直オレには2個でも多かった。 けど三橋に食べさせるために
無理矢理詰め込んだ。 おかげで胸焼けがする。
食べ終わってから素早く時計に視線を走らせた。 
胸焼けがひどくなった気がした。

キッチンから部屋に戻りながら自分に言い聞かせた。
意地悪じゃない。 だからこれ以上はダメだ。
もう行かせてやらないと三橋は確実に遅れる。 タイムリミットだ。
これ以上はもう。

部屋に入って、黙って座った。 そして観念して待った。
「オレ、今日は帰るね」 という言葉を。
なのに待っても待っても聞こえないことに不審を感じて見れば、
三橋はちょこんと座ってさっきの続きをやっていた。

「・・・・・・なにやってんだおまえ」
「へ?」

なんで言わないんだ、と呆れてから気付いた。
「言えない」 んだ。 怖いから。

オレの言った事のせいで、怖くて帰りたいと言えない三橋。
バカだ、なんてバカなんだ。 なんてオレはバカなんだ。
痛くてやってられない。 胸と頭だけじゃなく胃まで痛くなってきた。
きっと食い過ぎたんだ。
ぎりっと唇を噛み締めてから、言うべき言葉を搾り出す。
硬い声になったけど、それくらいは許してほしい。

「帰っていいよ、三橋」
「・・・・・・え」
「もういいから」
「え、あのでも、まだ」
「問題はもういいよ」
「・・・・・・・・・・・・・・。」

ぐずぐずと動こうとしない三橋に苛立ちが募った。
せっかく人が断腸の思いで言ってやっているのに。

「また時間のある時見てやっから」
「・・・・・・・・でも」
「だから今日は帰れ」
「・・・・・・・・・・。」
「帰れっつってんだろ!!」

三橋の顔が引き攣った。 言い方が良くなかった。
言い方どころか何もかもがマズかった。 それくらいはわかる。
でも優しくなんて言えない。 
理不尽だ。 わかってる。
嫉妬するような状況じゃないなんてわかってる。 わかっているのに。

「・・・・・阿部く」
「おまえ、約束あんだろ? 2時に駅だろ?」
「えっ」
「叶に会うんだろ?!」

胸がぎりぎりする。 胸だけでなく体中が痛い。 
むかむかして吐きそうで、脂汗まで出てくる。 
三橋が行けば、おそらく消える。 罪悪感といっしょに。
このひどい自己嫌悪といっしょに、きっと全部消えるだろう。 だからもう早く。

「さっさと行っちまえ!!!」

三橋の蒼白な顔が目の端に映った。 まともに見られない。
見たくないのもあるけど、痛くて死にそうだ。 気のせいなんかじゃない。
汗がひどくて普通じゃない。 眩暈までする。
揺れる視界に耐えられなくなって、体を折り曲げて強く目を瞑った。 


意識が飛ぶ寸前、三橋の声が聞こえた気がした。















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