タイムリミット (後編)





真っ白い空間の中を、オレは走っていた。 焦りながら走っていた。 
何のために?

もちろん、わかってる。 探してるんだ。  
誰を?

誰かなんて、決まってる。 1人しかいない。
探しながら走っても走っても見つからなかった。 
焦っているのは時間がないからだ。
時間がない、遅れる。   
なにに?

よくわからない、けど早くしないと間に合わない。
タイムリミットが近付いている。 だから焦る。
なのに見つからない。 影もない。 何もない。 真っ白だ。
早く見つけてやらないと間に合わないのにどこにもいない。
本当は見つけたくないんじゃないのか?

そんなことはない、見つけたい。
タイムリミットは刻々と迫っている、のに。   
一体なんのリミット?

よくわからない。 でも逃げられない。 おまけに怖い。
怖いのは一体何故なのか、何から逃げたいのか、よくわからない。
何もかもが漠としている。 わかるのは早く見つけないと、ということだけだ。

だからオレは走る。
1人焦りながらわけもわからず、白い世界をただやみくもに走り続ける。



















目を開けたら、不快な夢の続きのように汗びっしょりで動悸がしていた。
でも三橋の顔が見えた。 ああ見つけたとホッとしてから、数秒呆けた。
どこまでが現実でどこからが夢なのか、境界線がぼやけていて状況が掴めない。

「阿部くん、気が付いた・・・・」

半泣きのつぶやき声を聞いた途端に霧が晴れて、一気に思い出した。

「おまえ、何で・・・・」

怒鳴りながら起き上がったら頭がくらくらして、思わず額に手をやると
三橋が背中を支えてくれた。
思い出したはいいけど、自分の状態はよくわからない。

「だ、大丈夫?!」
「えーとオレ・・・・?」
「阿部くん、熱あるんだ。 た、倒れたんだよ」

やっぱりそうか、 と頭では思うものの他人事みたいで実感が湧かない。
ちゃんとベッドにいるということは三橋が上げてくれたんだろうか。
部屋が明るいからまだ夜じゃない、とはわかる。
三橋の声は不安げだったけど、支えてくれる手は力強くて
心地よさにぼうっとしかけてから、はっと我に返った。 
ほのぼのしている場合じゃない。
今日何度も見た時計をまた見た。 約束の時間はとうに過ぎていた。

「何でまだいるんだ?!」
「あ」
「おまえ、約束してんだろ? なんだってぐずぐず」

最後まで言えずに口を閉じた。 オレのせいだ。 当たり前だ。
オレが倒れたから、おまけに家に誰もいないしで、三橋は行きたくても行けなかった。
最後のは意志じゃなかったけど、結局邪魔する結果になった。
ただでさえ重かった体が、もっと重くなった気がした。

「・・・・・・・・オレのせいか」
「あの、違う んだ」
「・・・・・なにが」
「阿部くんのせいじゃ なくて」
「オレのせいだろ。 ぶっ倒れたりしたから」
「ちが」
「違わねーだろ? 見え透いた気ぃ遣うな!」

違うのはオレだ。 こんなことが言いたいんじゃない。 違うのに。
そう思うそばから口が勝手に暴走する。 

「たまにしか会えねーんだろ? オレのことなんか」
「あ、阿部く」
「オレなんか放って、行けば良かったのに!!」

手が離れてしまった。
ずきりと痛みを覚えてから、自分を笑いたくなった。 自業自得だ。 
怒鳴って怯えさせておいて、何を期待してるんだ。 どこまで勝手なんだ。
最低だ。 全部わかってる。 どうしてオレは。

怒鳴ったせいか頭痛がひどくなって、とにかく少し落ち着けと念じる。
口を開けたらまたロクでもないことを言いそうで、唇を噛み締めた。
情けないのと体の不快さとか、いろんなことがぐちゃぐちゃで涙が出そうだった。
いくら何でもここで泣くなんてあり得ねーだろ、と腹に力を込めた、
その時だった。
ぐちゃぐちゃしたもんを三橋が吹き飛ばした。 いともあっさりと。

「約束、 ない」
「・・・・・・・・は?」
「約束、なくなったから」
「・・・・・・・・え?」
「昨日の夜、連絡来て、叶くん 都合悪くなったって」

絶句した。 二の句が継げず黙ったまま、三橋を見つめた。
一気に頭が冷えた、のとは逆に頬がかっと熱くなるのを自覚した。

「だから、大丈夫、だよ!」

三橋はそう言って、えへへと笑ってからまた
心配げな顔でひたと見つめてきた。 オレは目を逸らした。
恥ずかしくて。
穴があったら入りたいとはこのことだった。

じゃあ昨日からの嫉妬だの葛藤だの全部、空回りもいいとこだったわけで
ホッとしたのも確かだけど。
それより何より恥ずかしい。
別の意味で眩暈を覚えて、起こしていた半身を勢いよくベッドに戻してしまった。
ぼふん! といい音がした。

本当は丸まって布団を引っかぶりたいところだけど、
我慢したのはぎりぎりで三橋の心情を想像したからだ。
そんなことをしたらどう思うか、わかったもんじゃない。

三橋は、いきなりぶっ倒れたオレにおそらく慌てて焦って
苦労してベッドの上に抱え上げてくれたんだろう。
そして今まで付いていてくれた。
おろおろする様が見えるようだった。
そんな三橋を起きるやいなや怒鳴りつけたオレを、
できることなら一時的に消滅させたい。 神様どうか。

「阿部くん、大丈夫?」
「・・・・・うん」

神様は聞いてくれないようだった。 
三橋の声に非難の響きが微塵もないのが、余計にいたたまれない。
でも問われて意識してみれば、あちこちの痛みは随分和らいでいた。
もっとも中には精神的なものもあった、ような気がする、
じゃなくて確実にあったから当然かもしれない。
今思えば昨夜から寒気がしていた。
つい最近引いていた弟からうつされたんだろう。


「お、お医者さん、呼ばなくて」
「あー、いいよ、多分風邪だから」
「風邪・・・・?」
「うん、多分だけど」

倒れるまで気付かなかった迂闊さにも我ながら呆れ果てるけど、
つまりそれだけ嫉妬の塊になってたんだ。

そんなこと知っていた、もちろん。 
本当は行かせたくなった。 ごまかしながら、わかってた。
どこにも行かせずに、閉じ込めておきたかった。 品物のように。
なんてバカなんだ。 バカで、おまけにエゴイスティック。 

「・・・・・・・悪かった」
「え、ううん」

顔が勢いよく横に振られる様は見慣れている。 いつもの三橋だ。
謝罪の本当の意味は伝わっていないだろうけど、それでも救われた。

「あの、ほんとにただの、風邪?」
「うん、シュンが引いてたからな。 熱と、胃にくるやつ」
「そう、なんだ・・・・・・」
「だから心配すんな」
「・・・・・・・うん」
「うつったらヤバいから、もう帰れ」

今度は意識して優しく言った。 もっといてほしい、という本音を言う気はない。 
言うべきじゃないし言う資格も、ない。

「阿部くん」
「なに?」
「オレ も少し いる」

え、 と顔を見つめた。 逸らさずに、三橋は見返した。

「・・・・・・なんで」
「いたい、から」
「・・・・・・うつるぞ」
「うつんないように、する」
「なんだそりゃ」
「ダメ、ですか?」
「・・・・・・・勝手にしろ」

素っ気無く言おうとして失敗した。 うっかり頬が緩んでしまって
しまったと思った時は三橋はもう笑顔になった。 
それがやけに嬉しそうに見えるのは願望かもしれないけど、
オレはもう逆らうことを放棄した。
いてほしいのはオレのほう、なんて口が裂けても言わないけど
いいタイミングで咳が出て、ごまかされてくれることを願ってみる。
咳き込んだオレに三橋はまた心配げな表情になってから、言った。

「阿部くん、うしろ向いて」
「え? ・・・うん」

素直に言うことを聞いて壁のほうに向きを変えると、背中を撫でてくれた。
おずおずとぎこちない撫で方だったけど、手は温かくて優しかった。
その感触がすごく気持ち良くて、じんわりと何かが溶けていく。
あんなにどろどろでぐちゃぐちゃだったのに、三橋の手のおかげで
どんどん流れて消えていく。 魔法みたいだ。

「阿部くん あのね」
「ん・・・・?」
「やっぱり 阿部くんのせい かも」
「へ?」

心臓が跳ねたのは、決していい理由じゃなかったのに。

「だってもし、約束あっても、オレ 行かなかった、よ」
「え」
「怒られたって 行かなかった」
「・・・・・・・・・・。」
「あんな阿部くんを 置いて行く なんて、」
「みは」
「で、できるわけ・・・・・」

ない、と言う三橋の声が震えた。 オレの心も震えた。
今にも泣きそうなくせに、三橋は続けて言い切った。 それはそれはきっぱりと。
どんな捻くれ者にだって真っ直ぐに突き刺さるだろう、ような声で。

「だって 阿部くんのが 大事だ、 ずっと。」
「・・・・・・・・・。」
「い、一番、 大事だ!」

声に出さずに、オレは唸った。

いつもそうだ。 
いつもいつもこいつは、いとも簡単に人を翻弄するんだ。
どれだけ破壊力があるか、知りもせずに易々と。

振り向いて顔を見たいと思ったけど、そうしなかった。
だってきっと今オレの顔は不自然に赤い。 咳くらいじゃごまかせない程度には。
ゲンキンだ、という自嘲よりも幸福感のが大きい。
オレが捕手だから、てのが大きいんだろうけどそれでもいい。 
さっきまでのあんな理不尽でかっこわるいオレも、三橋は否定したりしないんだ。
それも、絶対本心で。

そう思ったら急速に、どうかと思うくらい安心した。 
深くて理屈抜きの安心感にぼけっと浸っているうちに眠気まで襲ってきた。
安心し過ぎだろ。

と、自分に呆れながら手の心地よさも相まって逆らえず、
すうっと眠りの淵に落ちそうになった時に第二弾が来た。

「阿部くん、誕生日おめでとう」
「え、あ・・・・・」

またびっくりして、眠気が少し飛んだ。 すっかり忘れていた。

「あ、ちょっと早い、よね、 ごめん」
「・・・・いいけど」
「オレ、今日ずっと 言いたくて」
「・・・・・・・・。」
「ケーキだって、ほんとならオレが 買うはず、なのに」
「・・・・や、あれは別に」
「あの! 何か、欲しいもの、ある?」
「・・・・・別にいいよ」

もう貰ったから、と出そうになった言葉を呑み込んだ。
覚えててくれたことが嬉しい。 
お祝いの言葉を抱えながら来てくれたことが、嬉しい。
それだけでなくとびきりの言葉を、貰えた。

「でも、あげたい・・・・・・」
「・・・・・じゃあ考えとく」
「うん!」

本当にもう要らないんだけど、いやゲンミツにはあるけど
それは言えないから、何か真面目に考えよう。
せっかくの時間なのに寝てしまうのは勿体ない、と掠めたけど
すっかり安心したせいか、三橋の手が気持ちいいからか、
再びとろりと目蓋が落ちてくる。
でもこのまま寝てしまったら、三橋が困る。

「三橋、オレ寝そう・・・・」
「眠って、いいよ」
「・・・・おまえ、適当に帰れよ」

うん、 という返事を確認してホッとしたところで思い出した。
言うべき言葉がまだあった。 どうしても。

でもちゃんと顔を見て言いたい。 感謝だけじゃなく、謝罪も込めて。
目が覚めたら言おう。 だってこれにはタイムリミットなんてない。
覚める頃にはいないだろうけど、そしたら明日言えばいい。 
メールじゃなく直接、照れずに、気持ちを込めて。

心配してくれて、それと看病してくれてありがとう。
お祝いの言葉をありがとう。

一方的だけどプレゼントを、ありがとう

というのは不自然だから、それはやめておこう。
「何が?」 とか聞かれたらボロが出そうだ。
嫉妬して怒鳴ってごめんな、 
も言えないけど 「嫉妬」 のとこを省いたら大丈夫か。

その時に笑顔が見られるといい、と願ってから今度こそ目を閉じた。
温かい手の心地よさに、もう抵抗できない。


ゆっくりと薄れる意識の中、最後にやっぱり三橋の声が聞こえた気がした。















                                       タイムリミット 了

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                                                   「起きるまでいるよ、 阿部くん」