転機-1







崖から落ちたくなくて  (ぺっちゃんこになるのが嫌だったんだ)
安全な舗装道路を歩こうと思った。


道が違うと気が付いて舗装道路から降りたのは自分だけど。


それでもやっぱり落ちたくなくて
慎重に崖から離れているつもりだったのに。


本当はいつだって崖っぷちはすぐそこにあったんだ。


でもそれもどこかでわかってたような気がする。(だから怖かったんだ)


崖っぷちに追い詰められるのの、何て簡単であっけないこと。









○○○○○○○○

今日はオレが鍵当番だった。

だからあれこれ片付けながら残っていたのは決して三橋を待つためじゃない。
なのにいつもは誰かしらダラダラと残っていて、結局数人でつるんで帰ることが多いのに
今日に限って皆それぞれ用事でもあったのか次々に帰ってしまい、
気が付けば部室にはオレとあいつの2人きりだ。

まずいんだけどなぁ・・・・・・・。



オレはもう悪あがきしないことに決めた。
自分に嘘ついてもむなしいだけだし、どこかで無理が生じるのはもうよっくわかったし
自分の気持ちから逃げるつもりも、意識的に三橋を避けるつもりもない。・・・・・けど。

でもだからといって積極的にこいつにアプローチする気もねーんだ。
だって、困らせるだけだ。
最悪、イヤな思いをさせるだけのこんな感情。

オレは三橋に悲しい顔をさせたくない。
野球以外でも友達でいたいし、守ってやりたい。 できるだけイヤな思いをさせたくない。

なのにオレ自分で自分のこと信じらんねぇ・・・・・・。








しばらく前に彼女とは別れて一応迷いはなくなったものの
だからといって事態が以前と変わったわけでは全くなく、苦しいことに変わりはなかった。
誰よりも守りたい相手をオレ自身が傷つけそうで怖い、という恐怖は相も変わらず健在で
我ながら進歩がないとは思うけど、こればかりは理屈で片付けることはできず
どうしようもなかった。

だからできればなるべくこういう状況で2人きりになんかなりたくない。
なりたいけどなりたくない。







オレはきっとその時暗ーい顔をしていたんだと思う。
いつも手際の悪い三橋の手つきがさらにもたもたしてきたからだ。
心なしか顔色も青い。

「・・・ご・・・ごめん・・・・ね。 阿部、くん。 オレ遅くて・・・・・・・」

あぁやっぱり。
いい加減にオレくらいにはそんなに遠慮しなくてもいいのにと思うと面白くない。
というかムナしい。 というより・・・・・・・悲しんだけど。
でもそれが三橋だから仕方ない、のかな。 
といつもと同じ自分への慰めを心の中でつぶやいてみる。

「いいよ別に。 急いでないしゆっくりやれよ。 待ってるから。」

できるだけ優しく聞こえるようにと願いながら、オレは精一杯明るく言った。
目に見えて三橋の肩から力が抜けるのがわかる。

それでオレも少しホッとして、外が見える場所に適当に座って
沈みつつある夕日をぼんやり眺めていた。
その体を、見ないようにして。

でも。

「たっっ!」

三橋の小さな声が聞こえて思わず振り返ってしまった。

あ、もうシャツ着てる・・・・・良かった・・・・・・・・
じゃなくて!!

「どうした三橋。」
「や、あ、 ちょっと・・・・」

右手をきゅっと握っている。  右手? とオレはにわかに焦った。

「手をどうかしたのか?」

反射的に立ち上がって傍に行った。
純粋に 「投手」 としての三橋を心配したからだ。

「え、別に。 あの、・・・・・全然大したことな・・・・・・・」
「見せろ。」

右手を後ろに隠そうとするのを許さずに、無理矢理掴んで開かせた。
薬指に小さな切り傷があって血がにじんでいる。

「ひ、ひっかけた・・・・・だけ。 ロッカー・・・・に。 平気・・・・・・・」

確かに大したことない。 爪でも割ったかと思った。 良かった・・・・・・・。
でもきちんと手当てしとかないと。 小さな傷でも化膿したら尾をひく。


・・・・・血、・・・・出てんな・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「う  ぁ!」

三橋が妙な声をあげてオレは はっと我に返った。

「あ」

あ、あれ?・・・・・・オレ今何した? (舐めたんだ)
ししししまったつい昔のクセが・・・・・・・(相手は弟だけど)
うわぁクセって恐ろしい。 じゃなくて何も三橋相手にやらなくても!
でも大丈夫まだ大丈夫まだごまかせる・・・・・・

「・・・・・わり」

ぶんぶんと三橋が顔を横に振った。 そうしながらみるみるすごい勢いで赤くなった。

それを見たとたん

オレも顔にかっと血が上るのがわかった。


ヤバい。

この状況は    ものすごく    ヤバい。


早く手ぇ離さなきゃ・・・・・・・。 そんで手当てを・・・・・・・・



自分の中の理性がとるべき行動を示している。

でも動けない。 手を、離せない。
どうしてこんな簡単なことができねぇんだ。
今までだってさんざん我慢してきたのに何でこんなことで。
すぐに離せばそれで済むことじゃねぇか!!!


アタマの中でがんがん声がする。 なけなしのオレの理性。 それなのに。
オレの手はどうしても意思どおりに動いてくれない。
顔がますます熱くなって反対に指先が痺れてくる。 (のがわかる)

窓から夕日が差し込んで部室の中が赤い。  あの時と同じ。

そう思ったら三橋の首筋の下、鎖骨のあたりに目がいってしまった。
上のほうのボタンが外れている。

ヤバ・・・・・・・・。

無理矢理視線をもぎ離して顔を上げたら今度は目が合った。

三橋は大きい目をもっと大きくして固まってる。
オレ今どんな顔してんだろ。
こいつ今何考えてんだろう。
何で目ぇ逸らさないんだよいつもみたく!
何でそんなふうにじっと見てるんだよ!!!

マジでまずいんだってば!!!!


気が付いたら、ずっと死ぬほど恐れていた崖っぷちに簡単に追い詰められている。
どうしてこんなことに。
だからオレ ヤだったんだ。 いつかこうなるんじゃねぇかって。

バカの一つ覚えみたいにヤバいヤバいと焦りながら、とにかく目を逸らそうと思って
今度は少しだけ下げたらさらにまずいことに唇があった。 (当たり前だ。)
それからもう逸らせなくなった。


さっきオレ何考えたっけ。 ちゃんと。 ちゃんとこいつの友達やってそれで。

理性の声がどんどん遠ざかっていってやけに赤い唇しか見えない。

ちょっと開いてる誘ってるみてぇ・・・・・・・・そんなワケあるかバカかオレ!!!

何だかちゃんと立ってるんだか自分でもよくわからない。
全身が全部心臓になったみたい。

ダメダメダメダメだってば!!!!

頭の片隅で弱々しい声がするけどもう全然止まれそうもない。

嫌がれ三橋オレのこと突き飛ばせよ!!
そうしないとどうなっても知んないぞ目ぇ見開いて固まっている場合じゃねぇぞ!!!!

なのに最後の頼みの綱の当人は 次の瞬間あろうことか




ぎゅっと目を閉じた。




オレはその時 自分の理性の糸がぷっつり切れる音が聞こえたような気がした。






























・・・・・やっぱやーらかいな・・・・・   とか
あぁやっちゃった  とか オレやっぱり我慢できなかったなぁとか
何だかおそろしくたくさんのことが頭をよぎったけど、多分ほんの1秒くらいのもんだったと思う。

ちょっと離したら今触れたばかりの唇がきゅっと結ばれてた。 目、も閉じたまま。
顔はもうゆでた蛸みたいだ。
でも自分もきっと似たようなもんだろう。

これが最後かもしんないなと思ったらたまらなくなって
せめてもう一回だけとまた触れた。 今度はもう少し長く。

それは確かに幸せな瞬間だったはずなんだけど。
同時に、最後かもと自分で思った言葉が自分に突き刺さって胸がぎりぎりと痛んだ。
何かもうオレ。 バカだ・・・・・・・・・・・・













どれくらいの時間が経ったのかさっぱりわからなかったけど (実際のところ僅かだろう)
気が付いたら2人して俯いてこちこちに固まっていて、
オレはまだ三橋の右手を掴んだままだった。
その手はかすかに震えていた。


違う。

震えてんのオレ、だ・・・・・・・・。

いやこいつもかな。 わかんねぇな・・・・・・・・。



こわばった指をやっと動かして離した。 ギギって音がするかと思った。
声出るか全然自信なかったけど、何か言わなきゃと思って出してみる。

「・・・・・・ごめん」

掠れたみっともない声がして
あ、今のオレかとか思った。 夢みたいに現実感がない。

三橋は一言も何も言わない。
オレは俯いたまま、とてもじゃないけど顔を見る勇気が出なかった。



これでもうおしまいかなってことだけ

どこかでぼんやりと考えていた。















     
                                           転機-1 了(転機-2へ)

                                             SSTOPへ