すれちがい-1





阿部に彼女ができた、というニュースは部内ですぐに広まった。
1組の女子がきゃあきゃあ騒いでいたのを栄口が聞いて、水谷に話してその後はもうあっという間だった。
田島からそれを聞いた花井は絶句した。

「うそだろ・・・・・・」
「マジ」
「・・・・・それじゃあ」

・・・・三橋のことはどうするんだと続けそうになった言葉を呑み込んだ。
田島が何をどこまで知っているかわからない。
もっとも花井だって詳しく知っているわけじゃ全然なかったけど。

「練習ばっかなのにいつデートすんのかなぁ」 と
田島が呑気に言うのを聞きながら、花井は本格的に心配になってきた。

(・・・・・・何やってんだあいつ・・・・・・・・・)






○○○○○○

しかしどういうわけだか三橋だけは知らなかった。
皆無意識に、三橋にだけは話さなかったからだ。
もちろん中には 「相棒なんだから真っ先に知っているだろう。」 と考えて言わなかった者もいる。
が、花井や栄口あたりはむしろはっきりと意識的に隠すことを心掛けた。

でもそんな2人のささやかな努力と心配りは、程なくして無駄になってしまった。
ある日を境にして彼女が部活が終わる時間帯に、部室の外で阿部を待つようになったからだ。



その最初の日のこと。

練習が終わり一番に着替え終えた泉が部室の外に出ると、見知らぬ女の子が立っていた。
そして泉を見ると軽く会釈をしてきた。

「・・・・・・・・??」
「阿部くん、いる?」

泉は 「あー」 と間のヌケた返事をして中に取って返し
「阿部ー彼女が待ってる」  と言ったのである。
その瞬間約2名と他ならぬ阿部が内心ぎょっとして、さり気なく三橋のほうを盗み見た。

三橋は文字どおり固まっていた。
顔にでかでかと 「びっくり」 と書いてある。
その時点で初めて知ったのだ。

阿部は一瞬何とも複雑な表情をしたけど、その後は三橋を見ることもなく手早く荷物をまとめて
「お先」 と挨拶するなりさっさと出て行ってしまった。
三橋はそれをぼんやり見送りながら、呆けたように突っ立ったままだ。
見かねた栄口が 「ホラ、三橋」 と促すと、やっと我に返ったように動き出した。

栄口は少し心配になった。
阿部の件を隠していたのは実は明確な理由はあまりなく
何となくその方がいいような気がしたからに過ぎない。
しいて言えば三橋は阿部に懐いているから、寂しがるかな、という程度の漠然としたものだった。
でも三橋の様子は自分の想像を超えて、明らかにおかしくなった、   ような気がした。
心なしか顔色も悪くなったような。
なので、しばらく付いていてやったほうがいいかなと思い
たまたま自分が鍵当番でもあったことだし、いっしょに帰るつもりで残っていた。
なのに、そんな栄口に三橋は言った。

「栄口くん、・・・・・・先、帰って。」
「え・・・・でもオレ鍵当番だし。」
「オレ、かけとく・・・・・から・・・・・。」
「でも・・・・・・」
「オレ・・・・今日は・・・・・1人で、帰り、たい。」

栄口は内心驚いた。  仰天、と言ってもいいかもしれない。
三橋は中学のときのつらかった環境のせいか、皆といっしょにいるとき
いつもとても嬉しそうな顔をしていた。 その三橋が。
しかも、三橋にしてはあり得ないくらいきっぱりと自分の要求を言い切ったからだ。
栄口はますます訝しく思った。
でも本人がそう言うのに敢えて待っているのも躊躇われて
少なからぬ懸念を感じはしたものの、
「そう? じゃオレ帰るね。 鍵頼むな。」  と表面上はあっさりと部室を後にした。





○○○○○○

最後までいた栄口が去るなり三橋は座り込んだ。 それまで必死でこらえていた涙が溢れた。

(阿部くん・・・・・彼女・・・・・できた・・・・んだ・・・・)

改めて思うと、ずきりと、 胸が痛んだ。

三橋は人前で泣くことの抵抗感が薄いほうである。
要するに我慢できないということであるが。
でも今回だけは部員の前で泣くわけにはいかなかった。
理由がないから。
阿部に彼女ができて悲しいなんてことは、口が裂けても言えるわけがなかった。
それにそれを皆に悟られるのもイヤだった。

ついさっき、阿部にいつのまにか彼女ができていた と唐突に知ったとき呆然とした。
次に襲ってきたのは胸が張り裂けるような強烈な悲しみだった。
寂しくて悲しくて、立っているのがやっとだった。
それでも取り乱さなかったのは、本能的になぜか皆には知られたくない、という気持ちが働いたからだ。
でも三橋自身、自分の動揺の大きさに驚いたし、混乱もしていた。

(な・・・何で・・・・こんなに・・・・・・悲しい・・・・・・のかな・・・・)

三橋にはわからなかった。

別に阿部に彼女ができようができまいが、野球には何の関係もなく
阿部は三橋のキャッチャーをやってくれるだろう。 当たり前だけど。
自分にとっては何も変わることなどないはずだ。 それはわかっている。  わかっているのに。

涙は後から後から湧いてシャツに染みを作った。

わけのわからない悲しみに浸りながら何も考えることすらできずに
誰もいない部室の床に座って三橋は長い時間泣き続けたのだった。







○○○○○○

その翌日。

阿部は1人で理科室に向かっていた。                                 
たまたま理科の教師に 「悪いけどこれ準備頼む。」 と頼まれたからだ。
正直 「何でオレが」 と思ったけど頼まれてしまったものは仕方がない。
必然的に大分早めに来る羽目になり、ぶつぶつと内心でボヤきながら理科室に足を踏み入れた。

阿部はそこで ぎくりと固まった。
当然誰もいないはずの理科室に思いがけないことに三橋がいたからだ。 それも1人で。
でも次の瞬間には、内心の動揺が顔に出ないように素早く気持ちを落ち着けた。

「よぅ」
「あ・・・・阿部・・・・くん・・・・・」

三橋のほうも阿部に負けず劣らず驚いているのが、その表情からわかる。
感情が顔に出やすいのは相変わらずだ。

「・・・・なにしてんの?」
「あ・・・・オレ・・・・・忘れ物・・・して・・・・」

その手には確かにノートが握られていた。

「ふぅん」

阿部はそこで、最近したばかりの決意を思い起こして自分に言い聞かせながら、
何気なさを装いつつ頼んだ。

「ちょうどいいや。 わりいけどさ、ちょっと手伝ってくんねぇ?」 

まだ時間には余裕があるはずだし、自分に避けられていると思って (実際避けていたのだが)
悩んでいた三橋が少しでも安心できれば、  という気持ちだった。
当然嬉しそうな顔で頷いてくれるものと疑わずに。

なのに三橋ははっきりと阿部から目をそらした。
それから俯いて小さな声で言った。

「オ・・・オレ・・・・ちょっと・・・急いでて・・・・」

阿部は耳を疑った。
三橋が自分の頼みとか誘いとかの類を断ったことが今まであっただろうか。
あっけにとられている阿部に三橋は続けて
「・・・・ご・・・ごめん・・・ね・・・・・」  と言いながらそそくさと出ていってしまった。

1人残された阿部は (本当に、急いでたんだろう)  と思おうとした、けど上手くいかなかった。
今のは、どう見ても。

(・・・・・逃げた・・・・・・・・・・・・・・・)

三橋が。  オレから。

ショックは隠しようもなく、阿部はその場に立ち尽くした。












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