そのままの君でいいんだと聞こえたのはきっと願望じゃない





その朝阿部は夢を見た。
自分が怒鳴って三橋が泣き出す夢だった。
怒ったわけじゃなかった、そんなつもりはなかった。
なんで泣くんだと困惑したところで目が覚めて、苦く笑った。

夏と秋を経て随分近くなったつもりだけど、三橋の言動だの思考回路だのが
阿部の常識の範疇から逸脱していることに変わりはなく、
何を考えているのかわからなくてイラつくことも未だに多い。
いい加減慣れたつもりでも、夢にまで見るということは
深層心理では不甲斐なく思っているのかもしれないなと
寝起きの頭でぼんやりと考えた。

だからその後いつもの朝練の後、三橋が阿部の周囲を何か言いたげな顔で
うろうろと歩き回った時についイライラとして
「言いたいことがあんなら・・・・・・」
はっきり言え、と言いかけてから
ぐっと後半を呑み込んだのは夢を思い出したからだった。
ここで怒ると三橋は萎縮して、その結果遠回りになると経験的に知っている。
気持ちを静めながら 「なに? なんか用事?」 と笑顔で聞き直せたのは
自分としては上出来、まではいかなくても格段の進歩だとこっそりと自画自賛した。
三橋も意を決したように 「あの、ね」 と次のリアクションに移ってくれた、ということは
上手く隠せたのだろう。
待っていると三橋は荷物に手を突っ込んでごそごそと探って、
出てきた時には小さな紙袋が握られていた。

「ど、どうぞっ」

差し出されたそれを受け取りながら、なんだこれ という質問をここでも呑み込んだ。
ヘタに聞くよりも早いと踏んで、当然あるだろう説明を黙って待っていると、
期待はあっさりと裏切られた。
阿部が受け取るや三橋は大仕事を片付けたような顔になって
「じゃ、じゃあ」 と言うなり逃げるように先に行ってしまい、
1人残された阿部はぽかんとした。 わけがわからなかった。
待ったほうがいいという判断が裏目に出たことにもがっかりして、
気を取り直したのは三橋の姿が見えなくなってからだった。

中身を見ればきっとわかるだろう。 
あるいは何かを貸していたのを忘れていて、返してくれたのかもしれないと考えた。
けれど袋から中身を取り出して、一目見るなり阿部の困惑はいっそう深くなった。
貸していた物などではもちろんなく、(そもそもそんな物は記憶にないから当たり前だ)
それは長方形の箱で、側面には商品名が記してあった。
名称の最後は 「カルシウム」 となっていて、横に 「600錠」 とも書いてあり、
つまり誰がどう見ても、いわゆるカルシウム剤だった。

「・・・・・・・なんだよこれ・・・・・・」

唸るようにつぶやいて、阿部はしばらく呆然と立ち尽くしていた。





○○○○○○

その日の授業中、阿部の頭は疑問符でいっぱいだった。
なんでまたそんな物を渡されたのかさっぱりわからない。
いやわかるような気がしたけど、それを認めるのはイヤだった。
授業の内容も上の空で、悶々と考えた挙句に出た結論は

(あいつの考えていることはやっぱわかんねー)

だった。
それ以上悩むのを放棄して忘れようとしても、
実際現物がバッグの中に納まっているからにはそれもできない。
本人に問い質せばいいんだろうが、考えると気が重くなった。
すんなりと回答を得られるか甚だ疑問で、途中でキレて怒鳴ってしまう自分が
容易に想像できる。
だからこそのカルシウムなのかそうなのか、と浮かびかけたことは
急いで頭の外に締め出した。

そんなわけで昼休みに阿部は何気ない顔を作りつつ花井に話を振ってみた。

「今朝三橋がさ」
「あー?」
「カルシウム剤くれたんだけど、なんでだと思う?」
「・・・・・・・は?」

最初物憂げに生返事をした花井は顔を上げて阿部を見てから、ぽかんとした顔になった。
やっぱりそういう反応になるよなと阿部は少しホッとした。
理解できないのはきっと自分だけじゃない。

「カルシウム剤・・・・?」
「うんそう」
「三橋がくれたのか・・・・・?」
「多分」
「多分ってなんだよ」
「どうぞっつって渡されただけで説明がなんもなかったんだ」
「はあ・・・・・・・」

花井は数秒黙って阿部の顔を見ていたが、次に微妙に表情が変わった。
そこに哀れみのようなものが掠めたのは、気のせいだと思いたかった。

「なんでってそりゃ・・・・・・」
「うん、なんで?」
「・・・・・・・のんでほしいんじゃね?」
「なんで?!」
「そりゃおまえ・・・・・・・」

そこで花井は目を逸らした。
その態度で逆に阿部は、直視を避けていたことを突きつけられたような気分になった。
カルシウムが足りてないとイライラしやすい、という定説なんて誰だって知っている。
本当にそうなのかまでは知らないが、それはこの際問題じゃない。
阿部は顔を顰めてそれ以上追求するのをやめた。 もしそういう理由だとしたら。

(失礼だろそれ)

喧嘩売ってんのかおめーは、と脳裏に浮かんだ顔に突っ込んでも
頭の中の三橋は困ったようにおどおどするばかりだった。

でもな、と阿部は腑に落ちない。
三橋が自分にそんな嫌味なことをするとは思えないし、
阿部に対してと限らずそういう性格じゃないってことは
カルシウム説と同じくらい明らかだ。
何か阿部の想像を超えた突飛な理由があるんじゃないかと思えば、
それしかない気がしてきた。
なにしろ三橋のわからなさときたら、しばしば宇宙人と化すと言っても過言ではない。
阿部にとっては、という枕詞が付くのも残念ながら否定できないが。

もやもやと考えていると胸の片隅の一点にちりちりと不快な疼きを感じた。
これはつまりイラついているんだと阿部は自覚して、カバンの中のカルシウム剤を思った。
確かに自分には必要かもしれないという殊勝な心持ちと
宇宙人なんだからあっちも悪いという責任転嫁が
くるくると交錯しているうちにその日の授業は終わった。

(あー気になる・・・・・・・)

その後部活の時に三橋のほうから何か補足説明がないかという淡い期待も
空振りに終わった。 朝の一件など忘れたかのような様子に、
実は夢だったのかもなどとバカなことまで考えたけれど、
練習が終わってバッグの中を見れば錠剤の入った紙袋はきちんと存在していた。
持ち上げてみると朝よりも重い気がした。
もちろんそんなはずはなく、要は気分の問題だった。
小さな瓶が重い。 阿部の気持ちも重い。

(やっぱ聞くしかねーか・・・・・・)

それでも三橋が着替え終わるのを待っているうちに2人きりになれたのは
ラッキーだと阿部は前向きに考えた。
別に憚られるような話にはならないだろうが、
三橋の真意が花井の予想どおりだったら相棒としてどうなんだという見栄が
どこかに燻っていて、誰にも聞かれたくはなかった。




○○○○○○

「ちょっと話があんだけど」

頃合を見計らって声をかけると三橋はびくりと肩を揺らした。

「は、は、はなし・・・・・」
「つーか聞きてーことっつか」
「え・・・・・・・」

早くも挙動不審な様子に
そんな怖い声出してねーぞと落ちそうになる気持ちを何とか引っ張り上げて
まずはリラックスさせようと軽い口調で提案する。

「まあ座れば」

言いながら自分も座ってみせると、三橋は緊張したように前に正座した。
逆効果だったかとよぎったものの、気にしないことにしてすぐに本題に入った。

「朝のアレって、くれたんだよな?」
「あ・・・・・う、うん」

朝のって何だっけという顔をされなかったことにひとまず安心した。
三橋ならそれもありだと失礼な心配をしていたのは内緒だ。

「あれさ、どういう意味?」
「う?」

三橋の顔がぎょくぎょくと引き攣ったのはさっくり流した。
予想済みだったし、これくらいで凹んでいては三橋の相手は務まらない。
とにかくキレちゃダメだと2回ほど言い聞かせた。

「い、意味・・・・・・・」
「いやさ、いきなりだったからびっくりしたっつーか」
「え、あ、ごめ」
「別にいーけど、何でまたカルシウムなんか」
「あ、それは 泉くん が」
「・・・・泉?」
「阿部くんにはそれがいいんじゃないか って・・・・・・・」

はあ? と思わず目を剥いた。
あのやろう、と湧いたムカつきをそれでも懸命に抑えたつもりの阿部だったが
努力の甲斐なく無意識に不穏なナニかをぶわっと放出したために、
三橋の顔が一瞬怯えて、その後慌てたように付け加えた。
三橋としてはフォローのつもりだったのだろうが、阿部には聞き捨てならないことだった。

「オレ、そ、相談して」
「・・・・・・相談?」
「そしたら、カルシウムって言われて、阿部くん足りてないって」
「・・・・・・・・・・・。」
「オレ、阿部くんがそうなの 知らなくて」
「・・・・・・・・・・・。」
「ならそれにしよう って思って」
「・・・・・・・・・・。」
「ご、ごめんなさい」

阿部はしばらく言葉を失った。
泉の対応にもムカついたが、それよりも前半部分に問題があった。
話の流れからすると相談の内容はつまり
「阿部くんをすぐに怒らせてしまってどうしたらいいのか」 といったところか。
泉はともかく、三橋に悪気はないんだろう。 あってたまるか。

阿部は理性を総動員して可能な限りの穏やかな声を出した。

「悪かったな」
「へっ?」
「・・・・・・おまえがそんなに悩んでるなんて知らなかったよ」
「え」

何故か急に顔を赤くした三橋に何か引っ掛かるものを感じたけど
それについて考える余裕はなかった。
阿部は落ち込んでいた。 それも深く。

思い当たるフシがある以上、悩みそのものに文句を言うことはできないし
言う気もないが、これはあんまりじゃないだろうか。
そんなに悩んでいたのなら第三者に相談する前に、せめて直接言ってほしかった。
三橋には難しいのだろうと頭ではわかっても
そうさせた自分への嫌悪とか情けなさが湧き上がるのはどうしようもない。
あるいは愚痴レベルの話に泉が過剰反応しただけかもしれないが、
バッテリーとして近くなったように感じていたのは自分だけだったのか。
ふいに明け方の夢が蘇って、落ちていた穴がさらに深くなった。

「オレも気ぃつけなきゃとは思ってんだけどさ」
「へ・・・・・?」

三橋はきょとんとした。 その様子にまた違和感を覚えながらも
一番伝えたいことを何とか絞り出す。

「でもさ、できればオレに直接言ってくれっと嬉しんだけど」
「え、でも」
「言いにくいか?」
「・・・・・・・・ちょっと」
「・・・・・・・・そうか」

阿部の消沈を察したのか三橋は焦ったような顔になった。

「あ、あのじゃあ来年から そうする」
「頼むよ」

今度からじゃなくて来年からかよ、とは突っ込まずに
阿部は無理矢理笑ってみせた。 ひどく情けなかった。

「オレは今から気ぃつけるよ」

沈んだまま告げた言葉に少々の嫌味がないと言えば嘘になるが、
ここで怒ったらダメだろとは流石にわかっていた。
話は済んだし、とまだ鬱々としながら帰るために腰を上げかけたところで、
三橋は 「あ」 と小さくつぶやいて何か言いたそうな顔をした。

「あの、阿部くん」
「なに?」
「オレ、あの」
「・・・・・・・?」
「あの、だから、」

三橋はもじもじするばかりで、なかなか言い出さない。
まだ何かあるのかと、沈下に拍車がかかってから思い直した。
さっきの頼みを聞いて早速別の不満を言ってくれるのなら、そのほうがずっといい。
覚悟を決めて床を睨みながら待っていると。

「お、おめでとう!」

阿部は面食らった。
何がめでたいのか全然わからない。
めでたさから遥かに遠い心境で顔を上げて見ると、三橋の頬はいい色に上気していた。
その表情が朝と同じように妙な達成感に満ちているのはなぜだろう。
ぼんやりと疑問が浮かんだけれど答は謎だ。 わからないことだらけだ。

(どうせオレにはわかんねーよ)

凹んでいるせいか自棄的になっているのを自覚して、気力を振り絞った。

「なにが?」
「ほえ?」
「何がおめでとう?」
「え」

三橋の目がまん丸になった。 それから表情が大きく変わった。
満足は焦りに、赤い色は青にという変化はいっそ見事で、阿部のほうが少し驚いた。

「え、あれ? オオオオレ間違えた・・・?」
「・・・・・・・なにを?」
「てっきり今日、かと」
「は?」
「ご、ご、ごめんなさいオレ間違え・・・・・」
「だから何を?!」

三橋はおろおろと阿部を見て今にも泣きそうに顔を歪めた。

「あの、誕生日・・・・・だと、オレ」

今度は阿部が目を丸くする番だった。 誕生日だと。

(誰の・・・・・・・)

というのは明白だ。 本日の日付を思い出してぽかんとした。 忘れていたのだ。

「ご、ごめんねオレ、間違え・・・・」
「・・・・・・・・・三橋」
「は、はいっ」
「・・・・・・・・・おまえな」
「は」

そういうことは最初に言えーーーーーーーーーっ
「ひいいいごめんなさいいいい」

往来だったらご近所迷惑になったろうというくらいの音量で怒鳴ってから
はっと我に返った。
怒ったわけじゃない、驚きすぎたせいで何かが飛んだだけであり。 

(なんつっても言い訳だよな・・・・・・・)

ついさっき 「今から気をつける」 とはどの口が言ったのか。
三橋は全く悪くないどころか、自分ですら忘れていた誕生日を覚えててくれたのに、
と己をぶん殴りたくなってから改めて気付いたことが1つ。

「・・・・・てことはつまり」
「え、 は」
「誕生日プレゼントかよ!!」
「ひあっ ごめ」

今度は音量は抑えたものの、また怒られたと勘違いしたらしい三橋を
阿部はまじまじと見つめた。
先刻感じた幾つかの違和感を思い出して、どんだけ噛み合わない会話をしてたんだと
心底呆れた。 
オレららしいかと、どこかでちらりと思ってしまいながらも
真っ先に言うべきことはわかっていた。

「あー悪かったよ、怒ってねーから」
「あ、うん・・・・・・・・」
「そういや誕生日だっけな」
「あ、合って た・・・・?」
「合ってる合ってる、つかオレ忘れてたよ」
「えっ そうなんだ・・・・・」
「おまえ、よく知ってたなー」
「ま、前聞いた!」

そうだっけ? と思い出せないくらいだから何気ない会話だったのだろう。
それを覚えていてくれたばかりでなく。

「もしかして、泉に相談したのってオレのプレゼント?」
「うん。 何がいいかわかんなくて 悩んでて」

その返答がカルシウムかよ! と泉に心で毒づきながらも気分は急速に浮上した。
いろいろなことが一気に解けていくのも心地良く、
上昇した勢いで正直な気持ちがすんなり出てきた。

「すげー嬉しい。 ありがとな、三橋」

ぴよっと目を見開いてから、一転してにこにこと笑った顔を目を細めて眺めた。
我ながら振り回されてるな、とは思うものの腹は立たない。
三橋の笑顔は悪くない。
そのためにはカルシウムだって呑んでやると思えば、泉へのムカつきも
どうでもよくなった。

「あのでも、阿部くん 大丈夫、なのか?」
「なにが?」
「カルシウム足りてないって オレ 心配で・・・・・」

本気で不安そうな顔に吹き出しそうになった。
これが三橋だよな、と1人で納得してから笑顔で言ってやる。

「そーゆー意味じゃねーから心配すんな」
「え・・・・・・・」
「意味は明日泉に聞いとけ」
「へ・・・・・・・・」
「まあオレもさ、あんま怒んねーように努力すっから」

第三者に指摘されない程度には、と思ったところで三橋がきょとんとした顔になった。

「阿部くん、そんなたくさん怒らない、よ?」
「・・・・・・・・は?」
「阿部くん、怒らない」
「・・・・・・・・そうか?」
「うん、オレわかるよ、さっきもびっくりした けど 怒ってないって わかった、よ!」
「・・・・・・・・・。」
「それに阿部くんは、優しい人、だと思う!」

三橋はそう締めくくって、またにっこりと笑った。
思わず床に突っ伏したくなったのを阿部は堪えた。
全くもってこれだからこの相棒は油断がならないのだ。

(マジ振り回されてんなオレ・・・・・・)

再び思いながら胸の中はほっこりと温かかった。
ついでに顔も温かいを通り越して熱かったけど、
三橋の顔も何故か赤らんでいるからいいことにする。 お互いさまってやつだ。

「じゃあ帰っか」
「うん!」

今日1日の煩悶が嘘のようなすっきりした気分で荷物を持ち上げると
中にある小さな瓶がしゃらんと軽やかな音を立てた。
もう重いなどとは感じなかった。

宇宙人だろうがなんだろうが、そんなのは瑣末なことだと
その時阿部は心から思い、そう思えたことが素直に嬉しかった。














                    そのままの君でいいんだと聞こえたのはきっと願望じゃない 了

                                              SSTOPへ





                                                     長いタイトルですね。
                                                                          全部ひっくるめて好きだよ、という気持ちを込めて。
                                                                                   おめでとう阿部!
 オマケ (翌日)