成長痛






全くもってこの感情はやっかいだと、

そう痛感するのはこんな時だ。


そして阿部は思い知るのだ。

















○○○○○○

きっかけはごく些細なことだった。

三橋が今日の昼間何か忘れ物をして教師に怒られたと、
田島が笑いながら花井に話しているのを耳ざとく聞きつけて、
たちまち感情が負の方向に動いてしまった。
そんな自分に気付いてうんざりしながらも、その場では何も聞かなかったような
涼しい顔で着替えを続けたのは、周囲にまだ他の部員がたくさんいたからにすぎない。

全然大したことない、 と阿部は心の表面のほうでは思う。
三橋が忘れ物をするのはしょっちゅうだし、怒られたと言っても
殴られたとかの大仰な事態でもない。  笑い話になる程度のことだ。
にも拘わらず小さな棘のように引っ掛かるのは なぜ、自分を頼らないのか、という一点だ。
忘れ物をした時は大抵は自分に借りにくるのに。
三橋は時折助けを求めてこないことがある。
1年の頃はそれは遠慮や恐れ (面白くないことだが事実だ) のせいだったけど、
今はさすがにそれはないだろう。
なのにたまにこうして頼ってこない。

代わりに他の誰かを頼るのなら話は簡単だ。
それを許せないと感じる根底にあるのは、単純な独占欲や嫉妬であり、
強過ぎるそれに自身でも辟易することはあるものの、
阿部は基本的に嫉妬深い己を三橋に曝け出すことにそれほど強い抵抗はなかった。
かっこわるい、 と自嘲はしても好きなら当然と開き直っている部分もあって
意識してことさら強調することはなかったけれど、うっかり露呈するものまで
ひた隠しにしたいほど己を恥じているわけでもない。

しかし三橋が自分に対してだけでなく、他の誰にも頼らないとなるとまた別の話になる。
もっと根が深くなる。

頼らないのはいいことだ。
日常生活で常に誰かに依存している状態は客観的に考えてどうかと思う。
自分の不始末の責任は自分でもつ。
それは人間として当然のことであり、いいことなのは間違いない。

それは阿部とてよくわかっている。
わかっているにも拘わらず、阿部の感情は別の行動を三橋に対して求めるのだ。

自分を頼って欲しい。
些細なことから重要なことまですべからく、三橋が困った時には
自分が近くで密接に関わっていたい。

それは一見三橋を甘やかしたい、という情の表れともとれるが
実はそんないいものでは少しもなく、むしろ真逆の、エゴイスティックな欲求に基づくものである、
ということを阿部はどこかで自覚していた。
けれどそれを正視したくはないのだ。  
誰だって己の弱さや醜さと正面から対峙するのは苦しい。

だからその時も阿部は、そんな小さなことにまで不愉快になる自分に頭の片隅で警告を発しながらも、
その正体を見据えることをせずに三橋に対して文句を言うほうを選んだ。 
他の連中がいなくなるのを待って、不機嫌な心持ちを隠そうともせずに三橋に詰め寄った。

「三橋、 さっき田島が言ってたやつ」
「・・・・へ・・・・・」

三橋はきょとんとしながらも、でもその目にはたちまち怯えの色が走る。
阿部の機嫌が悪いこと、そしてその原因がどうやら自分にあることがわかってしまったからだ。

「忘れ物したって?」
「あ、・・・・・・・うん」
「なんでオレに言わねんだよ?!」

詰問しながら微かな後ろめたさを阿部は感じる。
それに気付かないフリをして、己を騙しながら問い詰める言いざまは、
傍目には何の迷いも見えず、ひたすら不機嫌にしか聞こえない。
三橋は困った顔でおろおろと視線を彷徨わせた。

阿部は待つのに耐えられない。
この場合の沈黙は危険だ。  なぜなら考える時間ができてしまうからだ。
今何か考えるのは、自分が目を背けたい事実をうっかり省みる羽目になりかねない。
本能でそうわかっている阿部は、それでもイライラと三橋の返答を待った。
三橋の煮え切らない態度にはいい加減慣れているので 「待つべきだ」 と理性が囁く。
が、無意識に保身の気持ちが勝ってしまい、結局大して間隔を置かずにさらに畳み掛けた。

「困ったことがあったらオレんとこ来いっつってんだろ?!」

苛立ちを含んだ声音に三橋のうろたえ方がひどくなる。
逆効果だ、 とわかっているけど阿部は募る苛立ちを抑えることができない。
見え隠れする自己嫌悪から逃れたくて三橋の返事を切望する。

三橋は視線を彷徨わせた後、阿部の目をちらと見てそれから、
伝えるべく言葉を探して困窮し、ようやくおずおずと口を開いた。

「オ、オレ、・・・・・・ちゃんと、 したい、 から」

阿部は目を見開いた。
待った挙句の三橋の返事は微妙にズレている。
何を言いたいのかわかりづらい、 けどその時の阿部は正確に理解した。
三橋の考えていること、言わんとしたこと。

それは阿部の望んだ返答ではない。
むしろ自分の恐れていた意味を含んでいる。
そのせいでさらに苛立ちが大きくなるのを感じながらも、否定も非難も阿部にはできない。
そこまでするには己の負の部分を自覚し過ぎていたし、理性が勝ち過ぎてもいたからだ。

いいことだ、 と阿部は思う。
認めてやらなければならない、 とも。
「ちゃんとしろよ」 と他でもない自分が言うことも多いのだ。 でも。
野球においては、自信を持たせたいと偽りなく願い そう仕向けてきたのに、
それ以外となると余計な葛藤や矛盾が生じるのは何故か。


(オレは、  本当は)

阿部は苦しく考える。
必死で目を逸らしていた事実を、否応なく突き付けられるのをまざまざと感じて
唇を噛み締めた。

(依存しているのは)

自分のほうかもしれない、

と苦く思い、三橋の努力を肯定してやれない自分を心底嫌悪した。
さりとて否定することもできずに、
阿部は言葉を失ったままその場に立ち尽くしていた。













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