ささやかな、このうえない





昼休みに廊下を歩いていたら前方に三橋の背中が見えた。
何も考えずに声をかけようと走り寄った阿部は、追いつく前にハタと気付いた。
話しかけるべき用事がない。

とその時、三橋がポケットから何かを出した。
ちらと見えたそれはティッシュか何かで別に変な物でも動作でもなかったが、
それとともに別の物体が飛び出して落ちた、と気付いた時には
もう間に合わなかった。
なぜならその時点で阿部は三橋のすぐ後ろまで来ていたし、
しかも走っていたせいで止まれなかった。

あ、と思った瞬間足の下でぱきっと砕ける感覚がして、
阿部は焦ったし 「しまった」 とも思ったのだが。
慌てて足を持ち上げて、たった今自分が踏んづけた物の正体を見るや
複雑な気分になった。

「あ」
「あ・・・・・・・・」

同時に声をあげたきり2人して押し黙った。
チョコだな、 と阿部は淡々と思った。
小ぶりながら赤い包装紙にくるまれた、いかにも贈りもののそれは
今日に限っては違和感がない。 誰かに貰ったのかそれとも。

(・・・・・・誰かに、あげるために三橋が用意したか)

後者の可能性に冷静に思い至った自分を呪った。
悪いことをしたと、理性ではわかりつつも声は暗いだけでなく
若干素っ気無い響きを帯びた。

「わりい、踏んづけちまった」
「う、ううん」

ふるりと顔を振った三橋は俯き加減で、その沈んだ表情に阿部の胸は
ちくりと痛んだ。 
貰ったにしろあげるにしろ、大事なものだったのかもしれない。
大きくはないけど義理にしては立派な品に見える。
自分も沈んでいくのを自覚しながら拾い上げて、すぐには渡さずに
ぼそぼそと言い訳する。

「落ちるの見えたんだけど、間に合わなかった」
「あの  オ、オレが 落とした、から」
「・・・・・・・・。」
「阿部くんの せいじゃ、ない よ」
「でもこれ、チョコだろ?」
「・・・・・・・・う ん」

ごくりと、唾を呑んでからさり気なく聞いた。 
せめてそうであってほしい、と祈るような気持ちで。

「貰ったんだろ? バレンタインだもんな」
「え、ううん」

再び横に振られた顔をぼうっと見つめた。
心臓がとん、と大きめに1つ跳ねただけで意外に冷静に受け止めた自分に
どこかで驚いた。 それとも後からやってくるんだろうか。

「・・・・おまえが買ったやつか」
「・・・・・・うん」
「・・・・・・マジ悪かったな。 割れちったかも」

神妙に謝りながら残酷な何かが掠める。
わざとじゃないとはいえ、踏みつけて割ったなんてまるで暗示のようだ。
笑いたいのは自分に対してか三橋への意趣返しか。
冷たい笑いが浮かびそうになって自制して、心中の葛藤とは裏腹に
口はなめらかに動いた。

「こればっかりはオレが代わりに買ってやるってわけにもなあ」
「えっ いいよ、悪い・・・・・・・」

三橋が誰かに渡すチョコを自分が買うなんて、それこそ笑い話だ。
全然笑えないけどな、と嘲るように阿部は心で付け加えた。
確認なんてしたくもないのに、決定打を引き出す言葉を口が勝手に紡いだ。

「てかさ、誰かにあげたくて用意したんだろこれ?」
「え」

三橋の目が瞬間すうと空を見つめた。
感じた違和感を探るヒマもなく三橋は視線を阿部に戻した。

「違う、よ」
「へ?」
「自分の」
「・・・・・は?」
「そのチョコ、オレ の」

なんてゲンキンなんだ、と阿部は思った。
何がというと自分の心境だ。
つい一瞬前までツンドラだったのが突然春の野原になった。
同時に短い時間とはいえ、ひどく落ち込んでいたことを今さら自覚する。

「自分用に買ったんだ?」
「そ、そう! 今コンビニでいっぱい 売ってる、から、つい」

へへ、 と笑う顔がいつもの3割増かわいく見えるのは一転した心境のせいか。
さっきとは別の意味で浮かびそうになった笑みをここでも抑えつつ
阿部は素早く思案して、即実行に移した。

「そんならオレ、おわびに買ってやるよ」
「へ」

悪い、という遠慮の言葉を言わせないようにすかさず続きを言う。

「だからこれはオレにくんない? 割れたっぽいし」
「え・・・・・・・」

それでも遠慮しそうだなと予想して身構えながらも、聞く耳なんぞどこにもない。
何としても押し切ってやる! と鼻息も荒く待っていると
意外にも三橋はすぐに頷いた。
それもふにゃっとしたかわいらしい笑顔のオマケ付きだった。

「わ、割れたので良ければ」
「つか割ったのオレだし」
「じゃあ、ど、どうぞ」
「んじゃ、もらうな」
「うん・・・・・・・」
「オレからのは明日・・・・・」

渡す、と言おうとして呑み込んだ。
なぜなら阿部のポケットにもチョコが入っているからだ。
昨日の帰りのコンビニでふらふらと買った時に思い描いていたのはもちろん1人だ。
渡せる算段も何もなく衝動的に買って、こっそりと忍ばせてきたそれ。
買ってやるまでもなくすでに買ってあった、とは言えないけれど、
明日になったらもう意味のある日じゃない。

そう思ったら冷静な判断が素っ飛んだ。

「・・・・・・・じゃなくて今渡すな」
「えっ?」

さっさと取り出して差し出した包みを三橋は目を丸くして見つめた。
不自然だったろうか、と今頃汗の噴き出す心地になった。

(いや、どう考えても不自然だろ・・・・・)

何と説明しようかとこっそり慌てているうちに、三橋の顔がまたしても沈んだ。
焦りに疑問まで加わった。

「い、要らない・・・・・」
「え、なんで?」
「・・・・・だってそれ、阿部くん、誰かに渡したかった、んじゃ」
「・・・・・は?」
「オ、オレなんかが貰っちゃ・・・・・」

それで気付いた。 誤解されている。
脳内が目まぐるしく回転した割には言い訳はマヌケなものになった。

「ちげーよ! これはだから、つまりだな」
「・・・・・・・・・。」
「じ、自分用に買ったんだ」
「へ・・・・・・」

三橋の顔が驚いてからホッとしたように緩んだのを見て、阿部もどっと弛緩した。
とにかく重要なのは結果なのだ。 マヌケ上等。

「ならオレと 同じ、だ」
「そうそう、同じ同じ」
「今日、買った、の?」
「や、昨日。 やっぱさ、目に付くトコにあるとつい欲しくなるよな?」
「う、うん! オレも 同じ!」

2人してへらりと笑い合ったりして大変いい感じなところで予鈴が鳴った。
阿部は急いでまとめに入った。 このタイミングの鐘はむしろ好都合だ。

「だからやるよ、これ」
「じゃ、じゃあ お言葉に甘えて」

三橋が遠慮勝ちに、でもしっかりと受け取ってくれたことに
阿部は今度こそ我慢せずに心から笑った。
本当は踊り出したいくらいだった。
これくらいのことでこんなに幸せになれる自分をどうかと呆れたものの
実際幸せなんだからいいんだ、と開き直る。

思わぬアクシデントだったけど、三橋から貰えた上に自分のも渡せた。
去年と同じように。
微かに伴う切ない気分も去年と同じだったけれど。

「じゃな」
「うんっ あの、ありがとう!」
「や、 オレもサンキュ」
「ううん」
「次の授業なに?」
「・・・数学」
「寝んなよ」
「う、 はい」

他愛無い会話の後ひらと手を振って歩き出す。
教室に入っていく三橋の背中をちらりと確認してから
「っしゃっ」 と1人上げた快哉はごく小さかったけど

さっきまでと同じ場所に収まっているチョコが
三橋から貰ったものだと思うだけで、ほっこりと温かくなる心地がした。

















                                  ささやかな、このうえない 了

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                                              三橋もほかほかしている。 というオマケ