寒い夜には三橋





「クリスマスったらやっぱ恋人どうしのイベントだよな!」

田島が明るく放った言葉は、的をついていると思う。 
ただし日本では、という条件が付くが実際そういう向きがあるのは
否定できないし、田島にカケラも悪気はないことだってわかっている。
泉との会話の流れで出てきただけで、脈絡なく言ったわけでもない。

けれど阿部はその瞬間田島に憎しみを覚えた。
よりによって今この場で言わなくたっていいじゃないか。
と、湧いた恨み言が でもほんの一瞬で消えたのは、
本気で誘うつもりでもなかったからだ。

阿部は横目でいつものようにもたもたと着替えている三橋を見た。
何を考えているのかは不明だが、田島の今の言葉は聞こえただろう。
どうせ、と阿部は自棄的に思った。
イブは終業式の後部活があるし、その後誘ったからといって
何かをする予定も口実もない。 クリスマスだから、なんて。

(・・・・・・女じゃあるまいし)

自分に対する皮肉を込めて口の端を持ち上げてから、
負け惜しみかなと笑いの種類が変わったけれど。

(別にいいやもう・・・・・・・)

諦めたのも本心だった。
だからゆっくりと帰り支度をして、最後まで残ったことに意図はなかった。
最後の時点で自分以外に三橋しかいなくて密かに心を躍らせたのも
単純に2人になれたことが嬉しかっただけだ。


陽の落ちた道を自転車を押して並んで歩きながら、ぽつりぽつりと話をする。
練習で掻いた汗もすっかり引いて、びゅうと吹き付ける風に
阿部は小さく身を震わせた。
きんと冷えた空気と吐く息の白さに、冬だなあと今さらなことをぼんやり思う。
冬は好きじゃない。
日が短い分練習だって短くなるし、寒いのは嫌いだ。

それこそ恋人でもいれば身も心も温かく、
クリスマスなんて絶好の口実になるんだろうけど、
自分には関係ないと思うと逆に寒さが身に沁みるような気さえした。
田島がああ言ったからといって、三橋なら誘っても何も考えないかもしれないが、
身構えられる可能性が万に一つでもある以上危険を冒す気はなかった。
女じゃあるまいしクリスマスなんて別に、と思ってから
2度目だと気付いて、ぐったりした。
たかがクリスマス、されどクリスマス、なのである。

「あの 阿部くん」
「なに?」
「クリスマス・・・・・・・・」
「えっ」

どきりとした。
まさに考えていた単語が三橋の口から出てきたことに驚いた後
次に湧いたのは期待だった。 感情は正直だ。
でもすぐにそんな自分を心で冷笑した。
空振りするに決まっているからで、実際そうだった。

「ケ、ケーキ 食べる、よね?」
「・・・さあ」
「あ、そっか 阿部くんてケーキ、きら」
「いや別に嫌いじゃねーけど」
「そ、なんだ・・・・・」
「うん、こないだだって食ったろ?」
「そう、だよね・・・・・」
「・・・・・・・・・。」
「あの、 きれい だよね」
「・・・・・は?」

阿部は眉を顰めた。
ケーキ=きれい、という発想はなかった。
でも確かにきれいと言えなくもない、と気を取り直す。

「まあ、そうかもな」
「きらきら、して」
「・・・・・・きらきら?」
「うんっ」

変な奴、と浮かびかけたのを揉み消して 斬新な表現だ、と思うことにした。

「そうとも言えるかな、うん」
「うひっ」
「でもオレはきれいよか、美味そうとか甘そうってほうが」
「へ?」
「おまえだってそうじゃねーの?」
「え、オレ 食べないよ」
「は?」
「あ、でも美味そう、は あるかも」
「・・・・・・・おまえ、好きだろ?」
「うん 好き」
「食わないのか?」
「・・・・・・阿部くん 食べるの、か?」

三橋の目が丸くなった。
何か変だ、と阿部はそこで気付いた。

「あのさ、確認だけどケーキの話だよな?」
「え? ・・・・・じゃなくて イ、イラ」
「イラ?」
「イラ・・・・・・・・イラ・・・・・・・・・」
「・・・・・・オレ、別にイライラしてねーけど?」

イライラしながら、阿部は嘘をついた。

「え、 じゃなくて、えーと だから、きらきら」
「はあ?」
「クリスマス、なると きらきらが」
「・・・・・・・イルミネーション?」
「そ、そう!それ」

脱力した。
いつのまに話が変わっていたのか、三橋の話は数学よりもよほど頭を使う。
と湧き上がる文句を押し込めて阿部は切り換えた。
三橋の話が時々ぽんと飛ぶのにはもはや慣れているのだ。

「そうだな、きれいだな」
「うひっ」

つまり三橋は世間話をしているんだろう。
それなら乗ってやろうと自分からも振ってみる。
多少の忌々しさが込められたのは、先刻の虚しい気分のせいだったけど
声には出ないように気を付けた。

「この時期ってさ、世の中クリスマス一色って感じだよなー」
「オレんちは、そうでもない、よ」
「・・・・・・・うちもだよ」
「同じ、だね!」
「・・・・・・・まーな」
「・・・・・・・・・・・。」

振った途端に今度は微妙にズレた。 しかも途切れた。
けどそれにももう慣れている。
せっかくクリスマスの話題なんだし、と阿部はここでも気を取り直して
一番知りたいことを聞いてみた。 特に期待もせずに、でも大いに興味を持って。

「おまえは、どうすんの?」
「え」
「や、だから・・・・・クリスマス」
「あの、ケーキ、をね!」
「ああ、食うわけね」
「あ、それであの」
「うん?」
「阿部くん ケーキ 好き?」
「・・・・・・・・さっき言った」
「あ、ごめん、なさい!」
「いいけど」
「どこのケーキが 好き?」
「・・・・・あんま詳しくねーから」
「ご、ごめ」
「いーから! いちいち謝んなよ」
「ご、むぐ」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」

また途切れた。 ケーキの話はもう終ったと思っていたのに
戻ったのは何故だろうと考えて、食うの好きだからなと納得した。

「あの、ケーキで」
「うん」
「オレ、最近評判のいい店 聞いて」
「ふーん」
「あ、水谷くん で」
「・・・・・・・・・・・・水谷から聞いた、てこと?」
「うん!」
「ふーん」
「スポンジが美味しい、らしくて」
「あっそ」
「あ、興味ない、よね、 ごめ」
「だから謝んなって!」
「あ」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」

慣れているからといってイラつかないとは限らない。
またしても謝りかけた三橋をじろりと睨んでしまってから、急いで目を逸らした。
良くないパターンだ。
ここは自分が切り換えないと会話が続かない、と
平常心を取り戻そうと努めていると、三橋からまた話しかけてきた。
パターンからズレて、阿部は少し驚いた。

「あの、阿部くん」
「え?」
「それでケーキ、が」
「・・・・・・・・・・・・・。」

ケーキはまだ続いているようだった。

「オレ、好きで」
「知ってる」
「クリスマス、だし!」
「・・・・・・・・・。」
「美味しい店が あるから」

さっきも聞いた、と出そうになったのを堪える。
油断すると眉間に寄りそうになるシワも意識して伸ばす。
その店は親戚かなんかでおまえは回し者か、と1人で突っ込んでみる。

「うち、買う、んだ それ」
「ふーん」
「予約も した!」
「ああ、この時期だからな」
「・・・・・・それで、あの」
「うん」
「だから・・・・・・」
「・・・・・・?」
「良かったら い、いっしょに・・・・・・」
「へ」

それが本題か! と瞬時に悟った。 
急速にイライラが晴れてすっきりして、一拍してから。

(・・・・・・マジかよ)

舞い上がった。 期待が空振らなかったのが信じられない。
三橋は確かに誘ってくれたのだ。
途中でぶち切れなくて良かったと胸を撫で下ろしながら
快諾しようと口を開けた途端に。

「あ、う、うそ です」
「・・・・・・はあ?!!」
「だって阿部くん、ケーキそれほど、好きってわけでも」

盛大に顔を顰めそうになってから留まった。 ここで切れたら台無しだ。

「だから! 普通に食うって」
「へ」
「さっきそう言ったろ?」
「あ、そか、そだよね」
「・・・・・・・・・。」

嬉しげな顔になった三橋が続きを言ってくれるのをわくわくと待った。
1分が経過したところでわくわくがイライラに横滑りしそうになって
ヤバいと自制した。 もう少し、あとほんの少しなのだ。
待っているとあと1時間かかると推測したのは学習のおかげだけど、
何より気持ちが逸って、阿部は自分から言った。

「あのさ、さっきの、いっしょにってさ」
「あ、うん」
「オレがいっしょにケーキ食うってこと?」
「う、うん・・・・・・」
「クリスマスに、だよな?」
「あ、でもやっぱ いい」
「え、なんで?!」
「デート、だもんね」

目が点になった。

「・・・・・・・・・誰が?」
「阿部くん、が」

浮き上がっていた気分が劇的な変化を遂げた。 
不穏な方向に暴走していくのを戻そうと努力をしながらも、
これは聞き捨てならない。
怒鳴らずに通常の音量で話せたのは、ひとえに修練の賜だった。

「オレが、誰と?」
「え、だって、田島くん が」
「田島がそう言ったのか?!」
「じゃなくてさっき、クリスマス、恋人、 って・・・・」
「はあ?」
「・・・・・・恋人の イベントって 部室で さっき」

それは聞いた。 もちろん覚えているが。

「何で田島のアレでオレがデートになんだよ?」
「う」
「オレに彼女いねーっておまえ、知ってんだろ?」
「あ、うん・・・・・・・・」
「じゃあ何で!」
「・・・・・・今はできた、とか」

残念なことに、阿部のそれまでの頑張りはここで水泡に帰した。
ぴたりと足を止めたのは、全エネルギーが怒りに向かったからだ。
両手が自転車に取られていたのがせめてもだった。

「お、おまえな・・・・・・・」
「う?」
「なんでそーなんだよ!!?」
「ひっ」
「作んねーっつっただろーが!!」
「あ、 う」
「信じてなかったんかよ?!」
「や、 あの」
「大体誘ってんのかそうでないのか、はっきりしろ!!」
「ご、ごめ」
「謝んなーーーー!!!」
「はいいっ」

はっと我に返った。
三橋は涙目になっていた。

せっかく幸せな展開になっていたのに嬉しかったのに、
どうしてこうなるんだと天を仰いだ。

一体どこからそういう発想になるのか理解に苦しむ。
こんなに一筋なのにあんまりじゃないだろうか。 いっそ泣きたい。
嘆息しながら星が綺麗だと脈絡なく考えた。 
星座が 「平常心」 という文字に見えるのは気のせいか。

(・・・・・・いやまだ大丈夫!)

阿部は速やかに立ち直った。
何としても正しいところに戻したい。 終着点は目の前なのだ。
ここで逸らしてなるものかと、星座を睨みつつ深呼吸を三回して
それから軌道修正に取り掛かった。

「とにかくさ、デートなんてあり得ねーから」
「えと、・・・・・・・・でも、あの」
「でも何だよ?」
「だ、誰かに 誘われたり とか」
「ねーよ」
「そっ・・・・か」
「うん」
「・・・・・・・じゃあうちに きま、きま・・・・」
「・・・・・・・・・・・・。」
「きま・・・・・・・」

「せんか」 を聞くのは諦めた。 早く望むところに辿り着きたいし
このまま待っていると引っ掴んで取り戻した平常心がまた飛びそうだった。

「オレ、行っていいの?」
「い、いいよ!」
「じゃあ行くな。 サンキュ」
「うん!」

ゴーーーール!!!  と心で快哉を叫んだ次の瞬間。

「あのでも、ごめんね?」

また謝りやがった! とかっとしかけてから 「待て」 とどこかで声がした。 
その謝罪は反射から出た意味のないものとは違うように思えた。
とりあえずは再び歩き出しながら聞いてみる。

「なんでごめん?」
「あ、・・・・お母さん、とか」
「・・・・・・?」
「がっかり、しない、かな?」
「あ? お母さんってオレの?」
「うん」
「しねーだろ」
「・・・・・・そう?」
「もうそんなトシじゃねーだろ? それこそ彼女いるやつとかさ」
「そ、そだよね」
「そうそう」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・。」
「あの、・・・・・・・オレなんかで、ごめん」

まだ言うかー!!!!

と咄嗟に怒鳴りそうになって、また急ブレーキをかけた。 忙しいったらない。
でもあと少しで別れ場所に着いてしまう。
せっかくの展開なんだから、最後は平和に締めたい。
平常心! とめらめらと燃えつつ阿部はにっこりと笑ってみせた。
なるべく爽やかに見えるように意識しながら。

「充分だよ、どうせヒマなんだし」
「な、ならいいんだけど」
「おまえこそいいのか? クリスマスなのに」
「うん! オレも、ひま、だし」
「そっか」
「うん、だから 来てね!」
「おお、ケーキ楽しみにしてるよ」

えへへへ、 と顔を見合わせて笑い合ったところでちょうど別れ場所に着いた。

よっしゃあ! と阿部はこっそりガッツポーズを作った。 
とにもかくにも結果オーライだ。
途中少し失敗したけど頑張った! と大いに満足もしてしばし充実感に浸った。

それから改めて呆れ返った。 慣れているとはいえ、
ただ誘うだけなのにどうしてこうも手間取るのか。

しかしそんなマイナス気分は2秒で終った。
なぜなら喜びのほうが圧勝しているからだ。
クリスマスに行ったからといって、ケーキを食べて野球の話なんぞして
終わりだろうけど。
色気も何もないその時間が、自分にとってはこの上なく甘いのだ。
それこそケーキよりもずっと。
しかも三橋から誘ってくれたんだから、
少々まだるっこしいくらいで文句を言ったらバチが当たる。

(オレって結構、・・・・いやすんげー幸せモンじゃねえ?)

気付けば寒さもまるで感じない、暑いくらいだ。
それはもちろん、満ち足りた気分のせいだろうけどそれだけじゃない。
会話するだけで体が暖まる人間てどうなんだと思ったら、
ぽんと浮かんだ単語があった。

「人間湯たんぽ・・・・・・・」
「・・・・・へ?」
「あ、や、なんでもねー。 じゃな」
「うんっ また 明日!」

無事に別れて自転車のペダルをぐんと漕ぎ出しながら、笑いがこみ上げた。
ぷぷ、と実際小さく笑ってもそれくらいじゃ全然収まらなくて、
もう本人に見えないことだしと、阿部は思い切り相好を崩したのである。














                                     寒い夜には三橋 了

                                       SSTOPへ





                                                    阿部限定と思われ。 (オマケ