幸いなる世界 (前編)





赤面している後輩の顔を見ながら 「またか」 と花井は思った。
もうすっかりお馴染みのその表情は、西浦高校野球部の春の風物詩と言っても
過言ではない。

後輩の視線の先には部にとっての要であるバッテリーがいる。
ただいるだけではなく捕手が投手を叱っている。   見慣れ過ぎた光景だ。
がしかし、見慣れない人間にとっては驚くを通り越して呆ける、という類のことであると
しみじみと再認識するのももう何度目か。
叱っているだけなら別にそれほど変じゃない。
投手のフォローは捕手の務めの1つだとも思う。 思うのだが。

「今朝の体重は?」
「えっと、 ご ごじゅ・・・・えーと」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・えーと その・・・・」
「・・・・・・・てめまさか計り忘れたとか」
「えっ ちがっ ちゃんと計った よ!」
「じゃあ何キロ」
「えーと   あの 計ったけどその」
「数字を忘れた・・・・?」
「そ、そうそう、そうなん だ!」
「そうなんだじゃねーーーーーーー何度目だコノヤロウ!!!」
「ひいい ごめんなさいい」
「・・・・・まあいい、明日は忘れんなよ?!」
「はいぃ!!」
「んで、昨日は何食った」
「・・・・・・・魚・・・・・・」
「なんの魚?」
「・・・・・・・・マグロ です」
「焼いたやつ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・生 です」
「生あ??!」
「ひっ」
「刺身かよてめっ ナマモノは基本的にダメだっつってんだろが!!」
「だだだってまだ夏じゃな・・・・・・・」
「最近じめじめしてっから!! とにかく今はヤメろ!」
「・・・・・・・ふぇ」
「ふぇじゃねーよ。 その代わり今日の帰りナンか奢ってやっから」
「ふひv」
「あと、腕見せろ」
「え?」
「昨日のとこ。 ちょい切っただろ?」
「あ、うん、 平気 だよ」
「いいから見せろ」
「うん」
「・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・。」
「今朝は消毒したか?」
「あ、まだ・・・・・・・」
「朝練の後すっからな、忘れて先に行くなよ?」
「うん!」
「そいから、昨日転んで捻ったとこ、あの後もなんともねーか?」
「うん! ダイジョブ!」
「ちょっと飛び跳ねてみろ」
「は、はい」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「違和感とかは?」
「な ないよ!」
「本当か? おまえ1人の体じゃねんだから、なんかあったら言えよ?」
「うん」
「あと、ここんとこどうした?」
「え?」
「赤くなってる」
「・・・・・蚊? かな?」
「蚊? ・・・・ならいいけど、そろそろ蚊取りとかもちゃんとしろよ、夜な」
「うん、 出して、もらう」
「よし。 今日は気温上がるらしいから水分注意な!」
「はいっ」
「あとな、3限の数学の宿題はやってきたか?」
「・・・・・・あ・・・・・・・・」
「・・・・・・おまえなぁ・・・・・・」
「ごごごめ」
「2限終わったらソッコー来い。 見てやっから」
「あ、ありがとう!!」


花井はため息をついた。

うっかり浮かんだボヤきは軽々しく吐き出すわけにはいかない。
そう自分を戒めたところだったから、すぐ背後から無遠慮に聞こえた声に驚いて
びくりと肩を揺らした。

「早く付き合えばいいのになーあいつら!」

何気に不穏なことを朗らかに言い放つことができるのはこの男くらいだろう、 
と花井はもう1人、別の意味で気苦労の原因となりがちなその四番打者を見やった。

「・・・・・・いやそれはやっぱマズいだろう・・・・・」
「そうかあ?」
「そうだよ」
「なんでさー?」
「ちょっと声落とせよおまえは」

制しながら花井はこめかみを押さえた。
傍らにいた後輩はとうにその場にはいず、離れた場所でグラ整に勤しんでいるとはいえ、
周囲を憚るような内容の話を天気と同レベルにはしてほしくない。

けれど、その話題をそこで打ち切りにせずに一歩踏み込んでしまったのは
常々疑問に感じていたことを聞いてみたいという、ふとした誘惑が勝ったからだった。

「それにそもそもさ、部のことを抜きにしても付き合うのは難しいんじゃねえ?」
「えーなんで? 同性だから?」
「いや・・・・・・・てか、それもそうだけどその前に三橋がさ」
「へ?」
「三橋はどうなのかなって気がさ」
「どうって何が?」
「だからさ、惚れてんのは阿部だけじゃね?」

顰めた声で核心部分を口にした花井に田島はきょとんとしてから、考えるような顔になった。
が、僅かの時間でそれは終了した。

「・・・・・・・や、多分三橋もそう」
「多分、てことは本人から聞いたわけじゃないんだろ?」
「まーな」
「捕手への執着だけかもしんないぜ?」
「それで言ったら阿部だって投手への執着だけかもじゃん」
「・・・・・・・いやアレはちょっと・・・・・・」
「だよな?」
「じゃなくて三橋だよ」
「だからーあいつも多分同じだって」
「・・・・・・・何でわかんだよ」
「なんとなく!!」

なんとなくかよ、 と突っ込むことはせずに花井は唸った。
田島の人間離れした勘の良さはもう先刻承知だからだ。  しかも田島は三橋とは仲がいい。 
その彼が断言するなら事実なのかと、どこかで納得してしまいそうになる。
がしかしである。 仮に本当にそうだとしても。

「・・・・・・・やっぱ相棒以上の仲はマズいだろ」
「えーいいじゃん別に」
「良くねーよ」
「なんで?」
「・・・・・・・・いろいろと」

省略しまくったのは本当にいろいろあり過ぎるからだ。
対外的なものなどの常識的な懸念だけでなく、阿部がこれ以上になったら
一体どうなるのかという恐れとか、それによって被る部員たちのダメージとか枚挙に暇がない。
何しろ昨年の後輩連中の一部などは、付き合っていると信じ切っているくらいだ。
一応訂正を試みるも己の言葉のほうが疑われているような有様なのに、
真実これ以上の仲になったらと想像するだに恐ろしい。  とはいえ。

「でもオレも、いっそ早くそうなればいいのにと思うこともあんだよな・・・・・」

実は、と小さく付け加えながら、口に出したことで改めて認識したことが1つ。
意外にも大真面目な表情で耳を傾けてくれている顔を一瞥してから、
吐き出したい欲求に駆られる。

「だからつまりさ・・・・・・」

言いよどんだところで田島が爽やかに代弁してくれた。

「じれってーんだよな!」

まさにそのとおり。 じれったいのである。
現状維持でいてくれと願う気持ちは本当だけれど、それとは相反する
イライラにも近いもどかしさが理屈を素っ飛ばして湧き上がるのも事実なのだった。
さらに始末の悪いことに、阿部は己の気持ちを自覚していない可能性が大だ。
それに気付いた時、唖然としてから むしろ天晴れだと感心してしまったことも
今は遠い思い出だったりする。
自覚したら果たしてどうなるのかと怯えながらも、いっそ気付いてさっさと行動を起こしやがれと
切れそうになるこの矛盾をどうしてくれる。

はあっ と細いため息を漏らす花井とは対照的に、田島はあくまでも明るく言い放った。

「でも結局あいつらはなるようにしかなんねーよ」

それは一体いつの話だ、 という疑問は今度は口には出さなかった。
これでもいろいろと心配してやってんだから、幸せな結末を見届けたいと
ちらりと願ってから慌てて内心で付け加えた。

(ただし、今年の夏大が終わった後でな!)



それが3年の春の出来事で、結果的に花井の葛藤だの願いだのは
見事に一歩も進展も後退もしないまま、延々と卒業まで続いたのだった。













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