幸いなる世界 (後編)





その電話は あっちい、 とボヤきながら
自室で真面目にレポートに取り組んでいる最中にかかってきた。

「おお久し振り」

その相手、水谷と懐かしい気持ちで世間話などして
続いて本題と思しき頼み事を聞いた時、花井は特に深読みはしなかった。
だから問いかけに他意はなく、当然至極な疑問だった。

「その前にさ、何で今頃また引越し?」
『あーなんかね、三橋といっしょに借りてシェアっての? するらしいよ』

途端にいつぞやの田島との会話と、結局3年に渡り味わったもどかしさを一気に思い出した。
はーん、 と思わず出かかった声を呑み込む。
奔流のように脳内を駆け巡った過去のあれこれに意識を飛ばしたせいで、
携帯を握り締めたまま呆けていて、水谷の大声で我に返った。

『花井ってば!!』
「あ、悪い」
『で、どうなの? 来られそう?』
「うーん・・・・・行けるけど」
『じゃあさ、悪いけど車出してくんない?』
「はあ?」
『花井さ、免許取ったよなたしか?』
「ああ、まあな」
『でもって、おまえんちの車ってでかいから荷物積めるじゃん?』
「・・・・・いいけど・・・・それさ、阿部からオレにって頼まれたのか?」
『え、や、違う違う、最初はオレが出すっつってたんだけど
その日オヤジが車使うことになっちゃってさあ』

直前のことでもあり、アテにしてくれていた阿部に悪いから自分で探してるんだ、 
と何でもないことのように水谷は笑った。
意外に律儀で友情に篤い水谷の一面は充分知っていたから特に驚きはないものの
そこで同じ大学の誰かではなく、自分に白羽の矢を立てたのも、
つまりはそういうことなのだろう。
確認したい衝動を抑え込んで、花井は承諾した。 当日聞けばいいことだ。

『オレも手伝いには行くからさ! 終わってからあいつらに奢らせようぜ?』

三橋のほうは田島と泉が手伝いに来るんだ、と続けて告げる水谷の声は弾んでいて、
元チームメイトの引越しに便乗した同窓会気分もあるのだろう。
花井とて、気のおけない仲間との再会は楽しいことだったので、
電話を終えた時には浮き立つような気分になっていた。  それとは別に。

「ふーんなるほどね・・・・・」

ようやく、だの とうとう、だの ついに、だの似たような単語が次々と湧いてくる。 
長い間のじれったさがその日、解消されるのかもしれない。
至近距離にいる2人の姿は何度も、いや何千回と目にしたけど
バッテリーではなく恋人同士になっているとなると。

(どんな感じになってっかなー・・・・・・)

卒業して道の分かれた今、それは自分にとっては
いっそすっきりする光景なのではないだろうか。
何しろあのバッテリーに関するもどかしさ及びジレンマは年季が入っているのだ。
と、感動にも近い感慨を覚えながら、そこでふとある可能性をも思いついた。

(とかいって、実は本当に友達どうしのシェアだけだったりしてな!)

冗談のノリで自分に突っ込んでから、それもあり得ると思い至った。
くどいようだが、何しろ年季が入っているのだ。
もしそうならそれって一体どうなんだとついたため息は、無意識に大きなものになった。







○○○○○○

そんなわけで引越し当日である。
感慨だの好奇心だの 「またもどかしい思いをするかも」 という危惧だのを密かに抱えながら
花井は言われたとおり、車で手伝いに赴いた。
そして花井のその危惧はまったくの無用であった。

無用どころか見当違いも甚だしく、水谷に聞く必要さえなかった。
さらに付け加えればすっきりする光景も予想違い、いや正確にはすっきりし過ぎて
すみませんオレが悪かったです とわけのわからない謝罪を花井は実際につぶやいた。
誰にも聞こえないようにではあったが。

阿部のアパートではまだ良かった。 
花井の姿を認めた阿部は予め水谷から聞いていたのだろう、
「今日は助かった。 よろしく頼むな」 と神妙に御礼なぞ言ってくれて
「いやいや困った時はお互い様だかんな」 などと笑顔で返し、
水谷も交えての荷物の積み込み作業も滞りなく、
思い出話で盛り上がりながらの引越し先までの道のりも渋滞ゼロで、至極スムーズだった。

いやスムーズという意味では、その後引越し先に着いて三橋たちと合流した後も
特にトラブルは起きていない。
懐かしい面々との再会をひととおり喜び合った後での、
荷物を部屋まで運ぶ作業もちゃくちゃくと進んでいる、のであるが。

花井は先刻から顔の火照りが取れない。
必要以上に近しく見える2人の様子には慣れている、
高校時代だって何度赤面したかわからないから全然大丈夫、
多少のパワーアップは予測済みだし、免疫はばっちりだから、
それを 「ようやく」 という感慨を持って微笑ましく眺めるつもりだった花井は
己の認識の甘さを半ば愕然と噛み締めていた。

水谷に現在の2人の仲をこっそりと聞き出そうなどと目論んでいたつい数日前が懐かしい。
確認なんてするまでもない2人の会話は、目を逸らしていてもイヤでも耳に入ってきた。

「おまえは持たなくていいから」
「え、でも」
「3日後練習試合だっつってただろ?」
「あ、あのでも」
「何だよ」
「あの、・・・・・・これから2人で何でも、てかあの・・・・・・
 ・・・・・・・だからその・・・・・・・いっしょにやりたい、よ」
「三橋・・・・・・・・・・」
「阿部くん・・・・・・・」
「・・・・・・そうだな! これからは2人なんだから、何でも2人でやる習慣にしねーとな!」
「そ、そう だよ」
「でもとりあえずメシはオレが作っから」
「えっ」
「片付けは2人でやろうぜ?」
「う、うん! でも、・・・・それじゃあ阿部くんばっかり」
「おまえはまずは洗濯担当かなあ」
「あ、うん!! オレやるよ!」
「そんでさ、おいおい炊事とかも練習してさ」
「うん、する!!」
「・・・・・・・いっしょに作るのもいいな」
「オレ、阿部くんの好きなオカズ、作れるように なりたい!!」
「三橋・・・・・・・・・・・」
「阿部くん・・・・・・・・」
「そうだせっかくだからさ、食器も新しく揃えるか!」
「え・・・・・・・・」
「100均でもいいから、揃いにしたほうがさ」
「あ、重ねやすい よね」
「・・・・・・・・や、とかさ、まあいろいろな」
「阿部くん・・・・・・・・・」
「あーその前にまずはカーテン買わねーとな」
「そう、 だね!」
「何色がいい?」
「うー・・・・・・阿部くんの好きなの、なら 何でも」
「三橋・・・・・・・・・・・」


だ か ら、 と花井は心で絶叫した。

その、合いの手みたいにいちいち間に入る 「阿部くん」 だの 「三橋」 だのをやめて欲しい。
その度に余韻を滲ませて見詰め合って、ピンクの結界を作るのもやめて欲しい。
どっちが何を担当するのかなんて、後で決めりゃいいじゃねーかよ何も今でなくても。
新婚夫婦にしか聞こえない甘ったるさをわかってないのか。

いや百歩譲って会話の中身はいいとしよう。
胃もたれするほど甘く感じるのは、多少はフィルターがかかっているせいもないとは言えない。 
一応今後のことについて相談しているだけで
「好きだ」 とも 「愛してる」 とも 「世界は2人のために」 とも
「オカズはおまえだけでいい」 とかも全然言ってない。 それは間違いない。 でもだがしかし。

花井はうっかり横目でピンクの結界のほうを盗み見てから、うっかりまた赤面した。

(だからその目・・・・・・・!!)

恥ずかしいからヤメてくれと言いたいのは主に阿部に対してだが
三橋だって決して負けてはいない。
おまえらそんなでよく3年間無自覚、あるいは我慢してきたなと表彰状を進呈したいくらいだ。
どんなに鈍い輩でも、いっしょにいる2人を見たら一発でわかるだろうというくらい
双方の目には相手への情愛が湛えられている、なんて生易しいものじゃなく
溢れて零れまくって氾濫状態もいいところ。

加えて仕草もいちいちエロく見えるのは、阿部のほうだ。
高校時代もよく触っていたけど、今ならわかる。
あれは純粋に捕手として他意なく触っていたのだ。
慣れたつもりの常套句 「見てるこっちが恥ずかしい」 の切実さ加減たるや
あの頃の比では到底ない。 甘かった。 予想は完全に甘かった。

そしてそれは花井だけのことじゃないと思われる。
その証拠に隣にいる水谷を何気なく見やれば、その顔はやっぱり赤くなっていて。

「・・・・・・や、なんか、すごいな・・・・・・・」
「うん・・・・・・・」

シンプル過ぎる言葉から伝わってくるニュアンスは明白で、つまり水谷も恥ずかしがっている。
目だけで会話している2人組とは別の意味で、目で語ってしまう花井と水谷である。
押し寄せるピンクの空気から気をそらせたくて、花井はぼそぼそと話しかけた。

「・・・・・でもさ、おまえは阿部と同じ学校なんだし、もう慣れてんじゃねーの?」
「うーん・・・・まあそれなりにいろいろ聞いたけどさ」
「ふーん・・・・・・・」
「実際に2人いっしょなのを見たのは今日が初めてだから」

あはは、 と笑う様に早くも開き直りが見え隠れするのは
それでも多少は免疫ができているのだろう。
卒業してからの細かい経緯は知らないし、知りたくもないけど、
思わずご苦労さん、と言ってやりたくなった。
が、それを口にしようとしたところで、水谷は唐突に妙なことを言い出した。

「こないだ読んだSF小説でさ」
「は?」
「物事の展開には幾通りもあって、自分が経験しているのはその中の1つに過ぎなくて」
「・・・・・・はあ」
「別の展開の未来も平行して別の次元に存在してて、そっちには別の自分がいるんだってさ」
「・・・・・それで?」
「だからつまりさ、高校時代から付き合った2人の世界ももしかしたらどこかにあって」
「・・・・・・・・・・・・。」
「そっちだったらオレら、もっと大変だったろうなあって今オレ思っちゃった」
「・・・・・・・・・。」

何だそりゃ、 と笑おうとして花井は失敗した。
水谷曰くの 「別次元」 がリアルに浮かんだからだ。
現在の2人は、あるいは溜めた年月の長さのせいで、
さながら眠っていた火山の大噴火とか強固な堤防大決壊とかそんな状態なのかもしれないが、
それはわかりようもないし、正直それだけとは思えない。 
一見クールに見える阿部のその実の熱血度合なんて、イヤってほど知っている。
冷や汗の出るような想像はしかし、田島の声で中断された。

「これってさー、もう開けてっちゃっていいんだよな?」

田島の前には 「台所用品」 とマジックで書かれた箱がある。
家具だのダンボールだのはひととおり部屋に運び終わったので、
次の作業に入ろうということだろう。
花井とて今日は1日付き合う気だったし、まだ午後も早い時間だしそれには別に異論はない。

「え、あの そこまで・・・・・」

という三橋の遠慮は 「みんなでやったほうが早いぜ?」 という泉の言葉で一蹴された。
言うだけでなくさっさと作業を始める2人を横目で見ながら
花井もとりあえずわかりそうな箱を探すと、手近にある小さ目の1つが目に入った。
「すぐ使う物」 と書かれた几帳面な字は阿部のものだろう。
計画性に優れた阿部らしい、と深く考えずにそれを開けた花井は
ここでも赤面して慌てて閉じる羽目になった。
確かにすぐ要りそうなトイレットペーパーだのタオルなんぞに混じって
シンプルなパッケージの箱が目に入ったからだ。 ああもうまったく。

(すぐ使う、ね・・・・・・・・)

そりゃそうだろう新婚だもんな  と、納得しつつもぐったりするのは如何ともし難い。
アテられる、とはまさにこのこと。
日常の光景ではないのがせめてもの救いだ。

(今日は皆で新婚夫婦に焼肉でも奢ってもらうか・・・・・)

高級霜降り肉で、と内心で付け加えた。
異を唱える者は1人もいないだろう。 阿部以外は。
そして水谷じゃないけど、この次元にいられたことを何かに心から感謝した。

どこか別の次元にいる、きっと苦労したに違いない気の毒な自分に同情しながら。















                                             幸いなる世界 了

                                              SSTOPへ






                                                    苦労しましたとも。