最大の失敗





阿部は困惑していた。
途方に暮れていた、 と言ってもいい。


愛しいとかキモチいいとか勘弁してくれとか、混乱気味の思考がくるくると回るが
だからといって現状が変わるわけでもない。
つい2分前までは温かな、満ち足りた気分でうとうとと
幸福なまどろみに身を委ねかけていたのになぜ、 と阿部は小さくため息をついた。





珍しく自分たち以外誰もいない昼休み、
屋上に恋人と2人きりで、ぽかぽかといい天気でお腹もクチくなって
給水塔の壁に並んでもたれながらぼーっと空なんか眺めていて。
それでも最初はぽつりぽつりと野球の話なんかしていたけど、いつかそれも途切れがちになって。

何も話さなくてもお互いにもう気を遣うような仲でもなし、
むしろ隣の体温に安心して寄り添っていられることに
ほんのりとした、けれど確かな満足感なんぞも胸を満たしていて、
眠くならないほうがおかしいと言えよう。

だから、 ずるっと三橋の頭がずり落ちて自分の肩に当たったとき、
阿部はびっくりはしたけど意外ではなかった。
なぜならその時自分も図らずも瞼が半分落ちかかっていたからだ。
が、しかしである。

次に眠気がきれいに飛ぶ勢いで焦ってしまったのは、
三橋の頭が肩で止まらずにさらにずるずると落下して己の足の上まで落ちて、
それだけならまだしも 落ち着きのいいところを求めてもぞもぞと探るように動いたあげく
結局両足のちょうど真ん中あたりにすっぽり収まったところで止まってしまったからだった。

三橋は頭が落ち着くと、体のほうもそれに合わせてじりじりと移動してから
くるりと丸くなって完全に眠り込む体勢になったかと思うと、すやすやと寝息まで立て始めた。

その様を凝視しながら阿部はしばし呆けて、それから困った。
考えてみれば、嬉しくも美味しい状況ではある。
人目はないし、誰も来る気配もないし、
愛しい相手が無防備に自分の足の間に顔を埋めて安心し切って眠っている。
これがどちらかの部屋だったら思う存分寝顔を眺めたり
髪を撫でたり、いろいろ悪戯したりする絶好のチャンスだったろう。
が、あいにくここは学校であり、あと20分もしたら予鈴が鳴り響くという状況だ。

もちろん時間制限付きでも、それなりに幸せな図であることは間違いないのだが。
阿部が困ったのはもっともな理由があった。 
三橋の顔の位置が大層マズいのである。  かなり際どい。
おまけに三橋の口がまた中でも際どい位置にある関係上、寝息が。

当たるワケである。 体中で最も敏感な部分に。

阿部はヤバい予感がして (というより早くも予感は現実となりつつある)
頭の位置をずらそうと試みた。
とはいえできれば恋人の眠りも妨げたくはない。
何しろ練習と勉強でハードな毎日なのだ。
加えて他ならぬ自分が、たまにとはいえ無理を強いてしまうこともあるわけだから
せめてこの僅かなひと時でも休ませてやりたい、 とは思う。

なので起こさないように苦労しながら、何とか少しだけ位置をずらして
ホっと息を吐いた途端に。

「・・・・・ん
・・・・・・・・」

やけにかわいらしい (と阿部には思える) くぐもった声とともに三橋の顔は再び
元の位置に戻ってきた。  要するにそこが一番落ち着くということだろう。

(・・・・・・・・猫みてぇ・・・・・・・・・)

阿部は苦笑した。
気に入った場所を死守しながらひたすら眠りを貪る小動物に酷似している。
目を細めてその様を眺めながら阿部は観念した。
そしてせめてヨコシマな気持ちを散らそうと努力しながら、目を瞑った。









○○○○○○

三橋は夢を見ていた。 断片的なとりとめのない。
田島が猫を抱えている。 ふわふわの子猫。

「いいなぁ」 とつぶやいたら 「おまえも抱く?」 とにかっと笑いながら
三橋のほうに差し出してくれた。
いそいそと受け取って胸にかき抱いた。 

(あったかい・・・・・・・・)

嬉しくて思わず頬をすりすりと摺り寄せたら。


「うわ ぁっ!!!」

猫が人間の悲鳴を上げた、 とびっくりした途端に唐突に意識が浮上した。
何だかひどく居心地がいい、ということ以外 咄嗟に場所も時間も状況も全然わからない。
まず目に入ったのは誰かの学生服、 らしい黒い布地。
それだけぼんやり認識するかしないかというところで。

「み、三橋・・・・・・・!!」

聞きなれた大好きな声が降ってきた。
いささか焦っている感じなのが珍しい。
続いてこれまた聞きなれた鐘の音が耳に響いてようやく
ここが学校で今が昼休みであることを、三橋は急速に思い出した。

上を見ればなぜか赤い顔の阿部が自分を覗き込んでいる。

「あ・・・・・べくん・・・・・・・」

まだ半分寝ているような声で呼べば

「あ、起こしちゃったな・・・・・・・・・・てかちょうど鐘鳴ったし」

妙に声が上ずっているような気がする。
珍しいな、と三橋はまたぼんやり思った。

「と、とりあえず起きろよ」

阿部に促されてよいしょと身を起こしてから、初めてきっちりと
自分がどういうところで眠り込んでいたのかを認識した。  一気に眠気が飛んだ。

「あ、・・・・・阿部くん、ごめんなさ・・・・・・・・・」
「いいケドさ」

阿部は苦笑してから、続けて言った。

「予鈴鳴ったぜ? 早く行けよ」
「え、阿部くんは・・・・・・?」
「オレ、は・・・・・も少しここにいる。」
「え・・・・・・・・何で」
「えーと、・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・?」
「・・・・・次、自習だから」
「あ、そうなんだ・・・・・・・・」

納得して、でも何かが引っ掛かるような微かな違和感がちらりと掠めた。 
けれど深く考えずに

「じゃあ、オレもう、行くね?」

と笑顔の阿部に手を振って屋上を後にした。





が、教室に戻って席に落ち着いてから、三橋は再び違和感に襲われた。
何かがどうしても釈然としない。

(なんだろう・・・・・・・)

首を捻って考えてすぐに 「あっ」 と思い出したことがひとつ。
7組のこの時間が自習でなんかあり得ない。
朝練の時に水谷が 「5限テストだぁ」 と青い顔で嘆いていたからだ。

(じゃあなぜ)

ウソなんか、と三橋は俄かに不安になった。
阿部の真意がまるでわからない。
同時にショックを感じた。 嘘をつかれた、という事実が三橋の心に陰を落とす。
ずぶりと、暗い穴に落ち込むような感覚を覚えて三橋は慌てて頭を振った。

(きっと、なにか、理由が・・・・・・・・・・・)

必死で自分に言い聞かせながら三橋は考えた。
何か、あるはずだ、  と根拠もなく心の中で繰り返したところで、ふと掠めたものがあった。 
先刻の阿部の様子を思い出す。
阿部の言葉から感じた違和感は、1つだけじゃなかった。
他にも何か引っ掛かることがあった、 ような気がする。

目を瞑ってその正体を見極めようとした。
何か忘れていることがある。 何か重大なこと。

(さっき、阿部くん、・・・・ちょっと様子が変だった・・・・・・・)

「あっ!!!!」

小さく声に出てしまった。
唐突に蘇った。 頬に当たった温かい感触。 温かいというよりはむしろ熱い。
そして気付いた。
起きる直前に頬を摺り寄せた温かいモノ     が、実際には何だったかを。
かーーっと、 三橋は1人で赤面した。 寝ていたからとはいえ、

(・・・・・・何てことを・・・・・・・・)

阿部の様子がおかしかったのは、じゃあ   とはっきり悟ったところで
今度はさーーっと青くなった。

(阿部くん、テスト、なのに)
(オレの・・・・・・・せいで)

そこまで考えて反射的に立ち上がった。
まだ教師が来ていないのを幸いと教室を飛び出した。

(い、行かなきゃ)

戻って、それでどうしようというのか。

(せ、責任とらなきゃ・・・・・・)

どうやって、 と走りながら考えてまた赤面した。
ごく控え目な方法をとっても自分にとっては難しいことは間違いない。 
でも、 と三橋はスムーズに回らない頭で思った。

(知らん振りしてこのまま授業を受ける、 なんて)

できない、 と泣きそうになりながら屋上への階段を一気に駆け上った。
しかし屋上に出ようとまさに扉に手をかける寸前にそれは外から開いた。
入ってきた阿部と危うくぶつかりそうになって、双方びっくりして立ち竦んだ。

「三橋?!」
「あ、阿部くん・・・・・・・」
「どしたんだよおまえ・・・・・・」

阿部は驚いた顔ではあったけど、他に変わった様子はない。
三橋は無意識に阿部の下半身のあたりに視線を走らせてしまった。 何ともないように見える。

「阿部くん、ダイジョブ、なの・・・・・・・?」
「え?」
「・・・・あ、あの・・・・・・さっき、その」
「!!」
「オレ、のせいで・・・・・・・・」

言いよどむ三橋の顔が赤くなったせいで、阿部はみなまで聞かずに理解した。

「あ、バレたんだ?」
「・・・・・・・・・・。」
「だっておまえ、オレのあそこに顔を擦り付けてくんだもんなぁ」

ぼん!! と音を立てる勢いでさらに染まった三橋を、阿部は今は面白そうに眺めている。

「お、収まった、の・・・・・・?」
「うん、おまえが行ってからどうにか」
「良かっ・・・・・・・・・」

ホっと安堵のため息を吐いた三橋に阿部が囁いた。

「心配してくれたんだ?」
「だ・・・・・って、オレのせい・・・・・・・」
「うんおまえのせい」
「ご、ごめんなさ・・・・・・・・・」
「もしかして責任取ってくれようとした?」
「・・・・・・う・・・・・・」
「ふーん・・・・・・・・・」

にっこりと、阿部が笑った。

「じゃあ取ってよ」
「え・・・・・・・」
「今日さ、部活の後うちに来いよ」
「え・・・・・・・で、でも」
「あ、大丈夫。 今日うちみんな遅いからすぐできるし」

(いやあの、そういうことじゃ)

なんて反論は口に出せるはずもなく。

「オレさっきホント、大変だったんだよなぁ」

わざとらしくつぶやく阿部の顔を恨めしげに見上げながら、三橋は観念して頷いた。








○○○○○○

そんなわけで無人の阿部の家に明確な目的を持って上がり込むハメになったわけだが。

三橋とて、予定外ではあったけど、別にイヤだったわけでもないので。
部屋に落ち着くや早速どちらからともなくキスなど交わして、
穏やかだけど甘い雰囲気に満ちたあたりまでは平和だった。
が、ここで三橋はある意味本日最大の失敗をやらかした。

「夢でも見てたのか?」

という阿部の問いに深く考えずに真っ正直に内容を話したのだ。
阿部の顔が瞬く間に仏頂面になった。

「・・・・・・・猫?」
「う、 ん」
「オレのコレ、猫?」
「・・・・・・・・・へ?」
「しかも子猫??」
「え、 だって」

夢だし、 と言おうとしてびくりと震えた。  阿部の目が不穏な感じに光ったからだ。

「ふーん。 子猫、 ね・・・・・・・・・・・・・」

トーンの落ちた声を聞きながら、三橋は心底後悔した。
せめて 「子虎」 くらいにしておけば良かった。



が、 時すでに遅し。















                                              最大の失敗 

                                              SSTOPへ







                                                    大人気なさ過ぎる。




                                              どうしようもないオマケがどこかに。(B面仕様のうえ下ネタ)