理屈じゃないこと - 9





約束の日は生憎雨になった。
それもただの雨じゃなく豪雨、というレベルだった。
待ち合わせ場所を三橋の家の最寄駅にしたのは、
その日はオレのが講義数が少なくて暇だったから、という単純な理由のせいだけど。

三橋の姿を見た途端に、以前のクセで危うく怒鳴りそうになったのを抑えるのに
結構な精神力を要した。  それくらい、その姿はひどかった。 

「・・・・・・・何でそんなにずぶ濡れなんだよおまえ」

抑えたものの挨拶抜きで口から出た声は、やっぱり咎めるような響きを帯びてしまった。
質問の形にしてはみたけど理由は明白だ。
三橋はあり得ないことに傘を持っていなかった。
朝は降っていなかったとはいえ、今にも降りそうな空模様だったから
天気予報なんて見るまでもなかったはずだ!! と罵倒したい衝動をまた堪える。

「えっと、あの」
「・・・・・・・・・。」
「傘、持ってた、んだけど」
「・・・・・・何で今持ってねーんだよ」
「なくなって、 て」
「はぁ?」
「傘立て、に入れたはずがなくて」
「・・・・・・・・・・。」
「だ、誰かが、間違えた、のかも」

あるいは、ちゃっかり拝借されたか。   とは思っただけで言わなかった。 
ごちゃごちゃ言ったところで、今現在三橋がずぶ濡れなのが乾くわけでもない。 とにかく。

「そんなじゃ風邪ひくから、帰ろう」
「えっ」
「おまえんち行こうぜ?」
「・・・・・・・阿部くん、も?」
「・・・・・・悪いかよ」
「え」

ぶんぶんと、三橋は顔を横に振った。
それから笑った。 その笑顔に。

(やべ・・・・・・・・・・)

思わず顔を背けてしまったのは心臓が跳ねたせいだ。
ナンなんだ一体オレはどうなっちゃったんだ。
三橋の笑顔なんて何度も見たはずなのに。

(やっぱ鯉だからか・・・・・・・・)
「阿部くん・・・・・?」
「へ?」

マヌケな思考に比例するようなマヌケな声が出た。

「あの、こっち、だよ」
「あー、うん」

自然な成り行きで並んで歩き出した。
当然オレは傘をさすし、となると三橋も入れてやる。
どうせびしょ濡れとはいえ、だからといってオレだけ入るのはどうかと思う。

というのは言い訳で、至近距離を歩きながらまた鼓動が速くなった。 末期だ。
オレの心臓の具合なんて知りもしない三橋は申し訳なさそうな顔で
油断すると離れていこうとする。

「・・・・・・・なんでそっちに行くんだ」
「へ」
「半分外に出てんじゃねーかよ!」
「え、でもどうせ濡れてる、し・・・・・」
「いーからちゃんと入れバカ!」

以前ならここで 「投手が肩冷やしてどうする!」 という一言がついたところだけど、
それは呑み込む。
でも申し訳なさそうな三橋の顔は懐かしいもので、妙な安心感が湧いた。
三橋のおどおどに安心する日が来るとは思わなかった。

とはいえ現実問題横殴りの風雨のせいで、傘はほとんど役に立たなかった。
男2人で1本の傘なんてないも同然で。
初めて行く三橋のマンション (アパートじゃない辺りは流石金持ちだ) は
歩いて10分くらいのところだったものの、着く頃にはオレも三橋と大差ない状態になっていた。
広くはないけど清潔そうなホールを抜けて2階にある部屋まで案内されて、
中に入ったところで、ホっと安堵の息が漏れた。
三橋の最寄り駅にしたのは幸いだった、と偶然に感謝する。
それから改めて部屋の中を見渡した。

1人用に作られたと思しき部屋はいわゆる1ルームってやつで
多少小奇麗な印象以外はオレの部屋とそう変わらない。
もちろんオレの部屋よりは広いけど、想像していたよりずっと地味だった。
盛大に散らかっているかと思いきや、意外にもそうでもないのは物が少ないせいだろう。
必要最低限な家具くらいしか見当たらない、さっぱりしたもんだった。
小さなテーブルに椅子が2脚とTVとベッドくらいしかない。
半分仕切りの向こうに見えるベッドが、メーキングなんてまるでされてない辺りは
いかにも三橋だけど。
ついでに言えばベッドに球が散らばっているところも相変わらずだ。

「阿部くんも、着替える、よね」
「え?」

見れば三橋は造りつけのクロゼットみたいなところを開いて、
下のほうにある引き出しからごそごそと衣類を取り出していた。
正直このままだと気持ち悪いのも確かなので、有難く借りることにする。
借りたまま帰ることになったらそれはそれで、また会う口実になる。

そんな思惑に気分を良くしながら、受け取ったスウェットに素早く着替えてから
三橋のほうを見てぎょっとした。
服を脱ぎかけていたからだ。

(ま、また・・・・・・・・)

げんなりしたのはまたしても心臓が跳ねたからだ。
それも、またしても見慣れたはずの体で。
三橋の着替える様子なんてさんざん見た。 毎日見た。
慣れた光景のはずなのに。  一体この違いはナンだ。

(自覚すんのって、こえー・・・・・)

焦りながらもじっくり見てしまったのは、三橋が後ろを向いているからだ。
現れた白い肌を、初めて見るような気持ちで舐めるように観察してしまった。
実際そんなに注意して見たのは初めてかもしれない。
いかにも肌理の細かそうなそれの感触だって知っている。
ストレッチとかで体に触ることは多かったからだ。
もちろんほとんどは布地の上からだけど、腕にはよく触れた。
すべすべして触り心地のいいその。

ざわり、  と体の奥に異変を感じて。

慌てて目を逸らした。
そのまま見ているとヤバい、 と悟ったからだ。
こんな2人きりの空間で勃っちまったら。

(シャレになんねーよマジで・・・・・・・)

必死で散らしながら目を逸らしていても、衣擦れの音がする。
それだけで血がどんどん集まっていくのがわかる。 
どうしてこんなに待ったなしなんだ。  ヤバいほんとにヤバい。
下半身も熱いけど顔も熱い。  一体どんな顔してんだオレ。
今振り返られたらおしまいだ。

そう気付いて、体を反転させて壁のほうを向いた。
目に焼きついた白い背中の残像を消そうと別のことを考えようとして。


『強引に押せばいいんじゃない?』


何でこんな時にいきなり水谷のアドバイスが出てくるんだ。
いやこんな時だからか。

(・・・・・・違うだろオレ!)

押せば、というのは押し倒す、という意味では決してなく。

健気に頑張る理性の戒めを裏切るように 
無理矢理三橋を押し倒す自分、 が脳内に出現した。
目に涙を浮かべた三橋の手首を掴んでシーツに押し付ける図、 が 実 に リ ア ル に。

だん!!   と大きな音がした。  びっくりした。

おまけに手が猛烈に痛い。

つまり壁を殴った、 他でもないオレが。  と気付くのに1秒ほどかかった。

「ひ?!」

背後で上がった小さな悲鳴はもちろん三橋のものだ。 きっと驚いている。
オレもびっくりしたけど、三橋はもっとだろう。
怯えているかもしれない。  なにか、なにか言わないと。
普通の人間は理由もなく、壁なんぞ殴らない。  えーと。

「か」
「・・・・あ、阿部くん・・・・?」
「か、蚊がいたんだ、 蚊!」
「・・・・・ああ」

三橋の声には安堵と納得の色が滲み出ていた。 こっそり息を吐いた。
蚊を叩いたにしては大き過ぎる音だったと思う。 壁がへこまなくて良かった。
三橋が単純なことに心から感謝したい気分。

でも一難は去ったものの、そもそもの一難は依然として残っている。
じんじんした手の痛みで多少はマシになったけど、あと少し。
何か、無意味な会話でもすれば収まる、かも。  何かってナンだ。

決まらないままに口を開いて咄嗟に出てきた言葉は。

「風邪ひかねーように、ちゃんとタオルで拭いてから着ろよ?!」
「う、うん」

内心だけでため息をついた。   習慣てのはそう簡単には直らない。
ざわざわしながらも、それとは別のところで
「風邪ひくんじゃねーか」 という心配が条件反射のように湧いていた。

おまけにそう言った途端に、意外なことに体がすうっと落ち着いた。

(・・・・・・・?)

首を捻って考えて。
そうか、 と気付いた。

(・・・・・・・これがストッパーになっていた、のかも)

「これ」 てのは 「捕手の立場」 だ。
それがあったからこそ、無意識に封印できていたのかもしれない。
自分の本音とか、衝動とかを。

納得しながら、三橋のほうを見るとすでに着替えは終わっていた。 ホっとした。
そしてオレが密かに脱力しているうちに、オレの濡れた服をハンガーにかけてくれて、
次には玄関の側にある狭いキッチンでお湯を沸かし始めた。 
お世辞にもてきぱきとはしてないけど、新鮮な光景だ。

「あ、あの コーヒーで、いい?」
「え、あー うん。 サンキュ」
「あったかい、ほうが いいよね?」
「んー、そうだな・・・・・」
「座ってて、ね!」

勧められるままにテーブルに座りながら
ちゃんと、いろいろできるじゃないかと一抹の寂しさを感じる。
でも無事に熱いコーヒーなんぞ出してもらいながら
ふいに元々の目的を思い出した。 目的は2つある。

「その1  何気なく、誤解を解くこと」
「その2  ついでに告白もする」

思い出した途端に頭を抱えたくなった。

(無理かも・・・・・・・・・・・)

その1はともかく2のほうは到底無理な気がした。
妄想はしょせん想像にしか過ぎず、三橋本人を目の前にすると押し倒すどころか、
それ以前に言い出せるような雰囲気じゃない。
だって3年間ずっと相棒兼友人でやってきた相手にどんな顔して言えばいいんだ。
それに玉砕したらある意味すっきりはするかもしれないけど、それによって今後。

(・・・・・・もう、会えなくなるんじゃ)

今さらなことに気付いて愕然とした。
玉砕覚悟、なんて嘘だ。  勘違いだった。
振られるのは覚悟の上でも会えなくなるのはイヤだ。 
イヤだなんてもんじゃない。

絶  対  耐えられない、  というのがその瞬間に浮かんだ正直な本音だった。















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