理屈じゃないこと − 8





三橋の顔には表情がなかった。 奇妙なほどに無機質な顔でオレを見ていた。 
最近立て続けに2回見たそれ。
何を考えているのかまるで窺えない顔に呆然と見入った。

真っ白になった頭が再び動き出して 何でこんなところに、 とまず思った。
次に浮かんだことは。

(また誤解される・・・・・・・・・・)

続けて強く感じたのはまたしても 「言い訳したい」 だったけど。

オレがそう思った時にはもう三橋は身を翻して視界から消えた。
見詰め合ったのはほんの数秒だったと、思う。
三橋が消えてからも、うかつにもオレはしばらく固まったままだった。

一体いつからいたんだろう。
どう思っただろう。

普通に見ればデートにしか見えないだろう。
実際デートなのかもしれないけど。
三橋にとっては自分を好いてくれていたコをオレが横から盗ってお付き合いを始めた、 
というふうに解釈できる、 できるどころかそれしか考えられない状況なんじゃないだろうか。

「・・・・・阿部くん?」
「あ」
「どうしたの? ぼんやりして」
「え、 あ」

我に返れば横で彼女が不思議そうな顔でオレを見ていた。
てことは三橋には気付かなかったってことだ。
さっき言いかけた続きを言わないと、と理性では思うもののオレはもうそれどころじゃない。
簡単に言えるようなことでもないし、そんなことしている間に三橋はどんどん遠ざかってしまう。
今すぐに追いかけて話したい。  違うんだと言いたい。

焦りながら口をついて出た言葉は自分でもどうかと思うものだった。

「オレ、ちょっと急用が」
「え?」
「ごめん、 急がないと」
「え? どうしたの?」
「わり、ほんとごめん」
「ちょっと阿部くん?!」

背中で彼女の声を受けながらオレは走り出していた。
三橋以外のことはどうでも良かった。  とにかく焦っていた。


通りに出て三橋の消えた方角に足を向けながら目を走らせても、もう見えない。
曲がったのかと思って走りながら横の通りをチェックしても、望んだ姿は見つからない。
5分ほども走ってから、流石にこの先にはいないかと思う。
素早く動けなかったとはいえ、ぼけっとしていたのはほんの1分くらいのはずだ。
そんなに遠くまで行けるわけない。  あるいは。

(・・・・・・どこか店に入ったのかも)

左右に立ち並ぶ店の群れを絶望的な気分で眺めた。
もしそうならとても探しきれる数じゃない。
中に入って探している間にも移動してしまうかもしれない。
見つけるのは不可能に思えた。 
けど、あっさりと諦める気になんてなれない。

(三橋の入りそうな店は・・・・・・・)

物色し始めたところで、思いついた。  携帯にかければいいんだ。
すぐに取り出してかけてみる。

『電源を切っているか』

お馴染みの音声に舌打ちを1つしてから機械をポケットに捩じ込む。
落胆しながらも、いてもたってもいられない気分で目の前にあった本屋にまず入った。
やみくもに通路を歩き回ってから出て、隣の店に移動する。

バカだと思った。 バカ過ぎる。
なのに、不毛なその行動をやめることができなかった。
こんな気分のまま平然と帰るなんてできるわけない。

小一時間もそうやってうろうろと徘徊し続けて、
切望した姿を捉えることはついにできずにようやく諦めた時には疲れきっていた。 
体もだけど、気持ちが。

のろのろと、先刻いた小さな公園に足を向けた。
まだ彼女がいるとは思ってなかったけど。
そうするのがけじめのような気がした。 万が一まだいたら。
謝って、予定していた話をできればしたいと思ったからだ。
でも当然のことながら、狭い空間にすでに人影はなかった。

オレはベンチに座り込んだ。 ため息が漏れた。
結局きちんとした形の尻拭いすらできなかった。
これで呆れられて終わり、になればそれはそれで別に構わないけど、後味が悪いのも確かだ。
何より、三橋にまた誤解されたのは痛かった。
よく考えれば言い訳が必要な状況でもないんだけど。 だって。

(どうせ、片思いなんだし・・・・・・・)

誤解されようがされまいが、オレの気持ちは叶わない。
自棄的にそう考えれば少しは紛れるような気もするけど。

「一体なにやってんだオレは・・・・・・・・」

唸るようにつぶやいて、重いため息をまたついた。









○○○○○○

「阿部くんて頭いいねー」 と言われたことは一度や二度じゃない。
けどだからといって、自分で本当にそうだと思っていたわけでもない。
それを言われるのはクラスの女とかに数学を教えてやった時が多かったし。
(半分はお愛想だろう)
三橋はよく 「阿部くんて、すごい」 と言ってくれたけど
それは捕手として、という意味だし。
三橋にとっては誰でも 「すごい」 人になりかねないところがあったし、
その前におまえこそすごいんだよ自信持てよ! という気持ちが先に立って、
嬉しいどころかむしろ歯がゆくてイラつくことが多かった。

でも正直なところ、自分がここまでバカだとも思ってなかった。
何しろどうすればいいのか全然わからない。
こないだからわからないことだらけなのは、今まで野球ばっかで生きてきたツケが
ここにきて回ってきたということか。

(どうせ、何かしてもダメなんだし・・・・・・)

自嘲しながらそう己に言い聞かせても、いつのまにか悶々と考えているのは
やっぱり三橋のことで。

ついにオレはプライドを捨てることにした。
そういう面ではオレより余程経験に長けていそうで、かつ身近にいる男に
さり気なく教えを請うことにした。





「水谷さ、彼女とはどうなった?」

オレが何気ない顔でそう切り出した途端に、失礼にも水谷は目を剥いた。
信じられないものを見るような目でオレを見た。

「・・・・・なんだよその目」
「え」
「なんか変なこと言った? オレ」
「・・・・・・・・・言った」
「は?」
「だって、阿部がそんなこと聞いてくるなんて」

水谷のびっくり顔に少々げんなりした。
今までの己の生き方、みたいなものを突き付けられたような気分になる。
一体どういうイメージなんだと文句を言いたい気持ちも湧いたけど
思い当たるフシがてんこ盛りなだけに、反論もできなくてイヤになる。
だからこそ、今こうして困っているわけだし。
おまけに憮然としてるであろうオレの顔を見ながら、水谷は表情を変えた。 
と思ったら、ずばりと言い当てられた。

「わかった! 阿部、好きなコできたんだ?!」

内心で感心した。 何でわかるんだろう。

と口に出して聞く気にはなれずに黙っていると、水谷はしきりに頷いた。

「やっぱそうかー。 こないだも変なこと聞くから、そうかなとは思ったんだけど」

あ、 と思い出した。  そういえばアレもあったなと納得する。

「いやー、オレは感慨深いよ・・・・・・・・」

オレも感慨深い。 けど今聞きたいのはそれじゃなくて。

「で、どうなんだよ?」
「へ?」
「仲直りできたのかよ?」
「あ、 それね、 うん、ちゃんとできたよ」
「どうやって?」
「えー、・・・・・あのさ、それって阿部の恋の参考になることなわけ?」

改めて問われるとならないような気がする、 けど。

「・・・・・・・多分」
「ふーん? 誤解されちゃったんだ?」
「うん」
「付き合ってんの?」
「・・・・・・・・・・・・・。」

沈黙で、悟ったらしい。

「違うの? でも上手くいきそうなんだよね?」
「・・・・・・・・・いや」

全然。 と続けそうになった言葉を呑み込んだのは情けなかったからだ。
そこで笑うこともなく、真面目に考えるような顔になった水谷は
やっぱりいいヤツなんだなと素直に感謝の気持ちが湧いた。

「どんなコ?」
「どんなって・・・・・・・」
「気が強いとかさ」
「気は弱い、女の子」

咄嗟に嘘をついた。 後半だけだけど。
いや前半も微妙に違うような気がする。 三橋は芯は強い。

「え、じゃあ強引に押せばいいんじゃない?」
「・・・や、だからそれ以前に誤解されたっぽくて」
「解いておきたいんだ?」
「そういうとこかな・・・・・・・・」
「付き合ってないんじゃ、言い訳すんのも変だよねぇ」
「そうなんだよ」

そこなんだよ!  と力強く頷いてしまう。
水谷の顔が再び感慨深そうなものになったのは見なかったことにする。
今のオレに必要なのは感慨じゃなくて具体的なノウハウなんだ。

「えーと、阿部のその好きなコってさ」
「うん」
「とりあえず友達なんだよね?」
「うん」
「じゃあ次の機会にでも 『彼女いない』 ってのをアピールしておけば?」
「次の機会がねーんだ」
「作ればいいじゃん」
「・・・・・・・・・。」
「適当に理由つけて会えばいいだけの話だろ?」
「・・・・・・・・・やっぱそうかな」
「・・・・・くどいようだけど、友達なんだよね?」
「うん」
「じゃあ簡単じゃん?」

それは当然オレも考えたことではあったんだけど。
水谷に言われたことで背中を押された気分になった。
よし! と内心で拳を握り締めながら表面では淡々と言う。

「そうしてみる。 ありがとう。」

またもや水谷の目が丸くなるのをどこか苦々しい気分で眺めながら
オレは次の行動を決めた。



1人になってから早速三橋に電話した。
内心でドキドキしていたけどあっさりと繋がって、三橋の声が聞こえた。

『はい』
「三橋?」
『・・・・・うん』
「阿部だけど」
『うん』
「あー、 ・・・・・・・・・・・・・。」

数秒黙り込んでしまったのは、この前のことを何か言おうかと衝動的に思ったからだけど。
それこそが会って話したい本題なわけだし、電話だと上手く言えない気がする。
顔が見えないから反応がわかりづらいのもマズい。
思い直して元々の用件を切り出した。

「今週どっかで会えねえ?」
『・・・・・・・なんで?』

うろたえた。 理由を聞かれるなんて思ってなかった。

「・・・・別に用事ってわけでもねーけど」
『・・・・・・・・。』
「何だよ忙しいとか? ダメなら来週でも」
『・・・・今週で、平気』

ホっとした。 前の時と違って余計な反応が挟まったのは
やっぱり誤解されているからなんだろうか。
でもその後は特に聞き返されることもなく、スムーズに日時を決めながら
ふいに思いついたことがあった。
そして用事を終えて通話を切る頃には早くも心が決まっていた。

なぜなら三橋についての決着がつかないうちは、一歩も動けないような気がしたからだ。 
毎日が落ち着かない。 目の届く場所にいればまた違うんだろうけど、いないから全然ダメだ。
どうせ片思いなんだから、とは思うもののそれならいっそ玉砕したほうが
まだマシのような気がする。
今のままじゃまな板の上の鯉になった気分で体に悪いことこの上ない。

(恋なだけに鯉)

アホ極まりないことまで浮かぶ始末。
とにかく初めての自分の状態に耐えられない。
後押しするように脳裏に水谷の言葉が蘇った。


『じゃあ強引に押せばいいんじゃない?』


つまりオレの考えたのは。

誤解を解くだけでなく、いっそ告白してみようか  ということだった。
















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