理屈じゃないこと - 6





恋。


という単語は 「変」 に似ているなんて昔の歌謡曲があったような。
いや音楽じゃなくて漫画だったか。

などと心底どうでもいいことをぼーっと考えているうちに、午後の講義が終わっていた。
なにひとつ聞いていなかった。
周囲の学生が荷物を抱えて教室を出て行くのを見て あー終わったのか と気付いた。
オレも行かなきゃと思いながら体が動かない。
誰もいなくなっても結局まだ座っていた。 動くのが億劫だった。
入ってくる人間がいないところを見ると、次の時間は空いてるんだろう。

「いつから好きだったんだろう・・・・・・」

声に出してつぶやいてみる。
高校の3年間は確かに、違った ような気がするんだけど、でも。
野球があったから。 
それが第一だったから紛れていただけで実はそうだったんだろうか。

あの頃の自分を思い出すと。
頭の中には常に三橋がいた。
三橋の体調とか精神状態とかチェックして、対策だの何だの考えるのが日課の1つで、
しかも少なくない時間を割いていた。  でもそれはあくまでも、

(「投手」 としてのあいつで・・・・・・)

でももしかしたらその頃から好きだったのかもしれない。  毎日会えてたし、
構える立場にいてそれだけで満足していたから気付いてなかっただけで。

目を瞑って記憶を掘り起こす。
三橋と仲のいい田島に羨望だの焦りだのを感じたことがあったのも
今思えば嫉妬だったんだろうか。
その頃は怯えられていたから、女房役としてどうなんだと漠然と疑問を感じてて。

(・・・・・・それだけだった、はず・・・・・・)

そう思うそばから自信がなくなってくる。
過去の己の心境なんて、思い出そうとすればするほどどんどんぼやけてくる。
今の自分のことだって、ついさっき気付いたばかりなのに。

あれこれと分析しながら、本当はそんなことはどうでもいいこともどこかでわかっていた。
直視したくないことから逃げているだけだ。
いつ好きになったかなんてとりあえず今は問題じゃない。 問題は。

三橋が男だということ。
今は、なかなか会えない環境にいること。  それから。

(あいつには、好きな相手がいる・・・・・・・・・・)

それも随分前から。
三橋の頑固さはよく知っている。
気が弱そうに見えてその実、一度思い込んだらテコでも動かないしぶとさがある。
ただでさえ条件が厳しいうえに本人の気持ちが他を向いているんじゃ。

(望みねーじゃん・・・・・・・・・・・)

常識的に考えてゼロに近いと、思う。  障害が多すぎる。

水谷と分かれてからずっと、浮かない気分なのはそのせいだ。
自分の気持ちについては正直なところ、ショックより納得のほうが大きいかもしれない。
むしろ自分でも疑問を感じていた、正体のよくわからない幾つかの感情の謎が解けて、
すとんと腑に落ちてすっきりしたくらいだ。
でもこの先のことを考えると。

(自覚した途端に玉砕かよ・・・・・・・・・・・)

はあっと、大きなため息が漏れた、 ところで携帯が鳴り始めた。
静寂が破られてびくりと飛び上がった。
出る気になれず、シカトを決め込もうと放置していても一向に止む気配がない。
沈んだ気分のままのろのろと取り出して見たら知らない番号だった。
睨んでいるうちに切れた。
ホっとした途端にまたかかってきた。
諦めて出ながら、負けたような気がして癪に障った。

『阿部くん?』
「・・・・そうですけど」

気分そのままに不審も露な口調になった。
でも言いながら何かが引っ掛かった。 どこかで聞いたこの声は。

『私、 わかる?』
「・・・・・あぁ」

再び漏れそうになったため息を努力して抑えた。
忘れてた、 わけじゃないけど、済んだことみたいに思ってた。
三橋にどう思われたかということだけで頭がいっぱいで
相手のことをすっかり失念していた自分は、客観的に考えれば相当ひどい男だと思う。
それくらいはオレにだってわかる。

『昨日は楽しかった』
「はあ・・・・・・」
『いつのまにか帰っちゃったんだね』
「あー、 うん。」
『2次会も行くかと思ったのに』
「・・・・・用事あったんで」

世間話する気分じゃねーんだけど  という思考を読んだかのように相手は言った。 
やけにハキハキした口調だった。

『さっそくだけど今度の土曜にでも、会えない?』
「えっ・・・・」
『どう?』
「その日はちょっと・・・・・」
『じゃあ日曜は?』
「そこもちょっと・・・・・」
『じゃあ、いつなら大丈夫? 合わせるけど』

のらりくらりとかわすことでうやむやにできないかと一瞬期待してみたオレは、
食い下がる口調の強さに、そう上手くはいかないかと鬱陶しい気分で悟った。
昨日の言動からしても、自分に自信のあるタイプなんだろう。
自分で招いたことだから、尻拭いまできちんとしないと。
一度会って、その時に無難な言い訳を言って、もう会わないことにすればいいんだ。
なるべく相手を傷つけない理由をそれまでに考えて。

素早くそう判断して、結局週末に会う約束をした。






○○○○○○○

その夜の夢には三橋が出てきた。
いっしょに野球をしている夢だった。
マウンドに立つ三橋の目はいつも、日常でのそれよりも強い光を放っていた。
それがとても好きだった。
構えた場所に正確に届く奇跡のようなコントロール。
そのおかげで狙いどおりに打ち取れたり、ピンチを回避できた時の高揚感は
オレにとって何物にも替えがたい魅力があった。

夢の中で三橋は振りかぶって投げた。
球が吸い込まれるようにミットに収まり、ぞくりと肌が粟立つ。
言いようのない充実感に満たされる。 

そこで目が覚めた。 

思わず手を見つめた。  リアルな夢だった。
たった今掴んだ球の手ごたえがまだ残っている気がした。

そしてひどく切ない気分になった。
投手としてのあいつに惚れ込んでいた自覚はあったし、
道が分かれるとわかった時に折り合いを付けた感傷は、今さら別にどうということはない。
別の相手と組むことで、三橋の更なる飛躍を願ったのも偽りのない本音だ。

苦しいのは、それだけじゃなかったとわかったからだ。
バッテリーとして今でもずっと過ごしていれば、気付かずに済んだかもしれない想い。
それがいいか悪いかはともかく、その方がお互いに平和だったのは確かだ。
三橋だって、元相棒に妙な気持ちを持たれていると知ったら複雑だろう。
知らないほうが良かった。


ふいに思った。
どうせ成就しない恋なら。

(・・・・・・・・あのコと付き合っても、いいんじゃねーか・・・?)

発想の転換てやつだ。
彼女なら野球も好きそうだし。
三橋のことを知っているから、三橋の話をしても不自然じゃないし。

と考えかけて、それのひどさにうんざりした。  もし本当に付き合うとしたら。

(ちゃんと、三橋のことを思い切れてからだ)

でも、 と精一杯前向きに考えた。

上手く逃げることばかり考えていたけど、もう少し様子を見てもいいんじゃないだろうか。
向こうだって、いきなりお付き合いなんてする気なくて
(そもそも元々は三橋のことが好きだったんだし)
試しに2人で会ってみようくらいの軽い気持ちだろう。
会ってみれば案外楽しいかもしれない。

(・・・・急いで断らなくても別に、いいか・・・・・・)

そう思ったら気が重いばかりだった週末が、少しだけ楽しみにもなった。















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