理屈じゃないこと - 5





その夜ベッドに寝転びながら思い出したのは高校時代の生活だ。

あの後は結局カラオケになぞ微塵も行く気が起きず、不満気な水谷が
何か言っているのにもおざなりな返事をして、オレもさっさとアパートに帰ってきた。
シャワーを浴びる気にすらなれないくらい疲れているのは何故だ、と
自問自答して浮かんだのは気の弱そうな眉と大きな目の見慣れた顔。

(せっかく、会えたのに・・・・・・・)

思ってから変な感じがした。  理由はすぐにわかった。
三橋に 「せっかく会えた」 という発想が初めてのものだから、慣れてないんだと。
だって高校の時はイヤでも毎日会っていた。
本当に冗談抜きでほぼ毎日。
それだけ練習漬けだったし、たまの休みにもなんだかんだ会うことが多かった。
2年になった辺りから、野球以外の付き合いも結構増えたからだ。
だから多少気まずいことがあっても、尾を引かずに済んだ。
引きたくても引けなかった、というのが正しいけど。

それが当たり前の生活だった。 それが今はどうだ。

会えないのが当たり前で、たまに会っても今日みたいに
ロクに話せなくておまけに妙な誤解までされて、さらにそれを解く機会がまたないときてる。

(・・・・・・・電話してみようか・・・・・・・)

でも一体何を言うんだ。
誤解なんだ、 とか おまえの邪魔する気はなかった、 とか
オレは恋人なんて作る気はない、  とか
浮かんだ幾つかのセリフはどれも情けないものでため息が出た。

(三橋に、 嫌われたかもしんねーな・・・・・)

考えた途端に胸が痛んだ。 自分で驚いたくらいの強さを伴っていた。
高校の時、特に1年の前半辺りは三橋の考えていることがわからなくて
悩んだりもしたけど、こんなふうに不安になったりはしなかった。 それはきっと。

(バッテリーだったからな・・・・・・・)

何があってもそれは揺るぎない繋がりだと思っていたから。
それ以外のことは瑣末なことでしかなかった。 でも今はもう。

「オレは、あいつの捕手じゃない」

言葉にしてみると不思議な気がした。  それだけ当たり前のポジションだった。
三橋にとって今のオレってどういう存在なんだろう。
オレにとっての今の三橋は、

そこまで考えて詰まった。

(・・・・・・・何だろう・・・・・?)

友人、だとは思う。 でも何かしっくりこない。
よくわからない、けど大事な存在なのは間違いない。

「・・・・・・よし」

奮い立たせるような気分で携帯を開けた。
話す内容は何でも良かった。  ただ、声を聞いて安心したかった。

『もしもし』
「三橋?」
『・・・・・・・阿部くん』
「もう寝てた?」
『ううん・・・・・』

普通の声だったんでとりあえずホっとする。 
さっき浮かんだ言い訳みたいな幾つかの言葉がくるくると頭の中を回ったけど。

「今日、あんま話せなかったな」
『・・・・・うん』
「オレ、あの後すぐ帰ったんだ」

言いながらドキドキした。 釈明しているみたいだ。 実際釈明してんだけど。

『・・・・・そう、なんだ』
「そうそう、やっぱああいうのって疲れるよな?」
『・・・・・・・・・・。』
「・・・・・・・・・・。」

三橋が黙ってるんで、後が続かない。
以前もよくあったことで、沈黙には慣れてるけど久し振りなせいか落ち着かない。

「・・・・・またさ、時々は会おうな?」
『うん』

三橋にしては素早い返事に嬉しくなった。
別に怒っている様子でもないし (といっても三橋が怒った時の声なんて知らない)
もういいやと、思った。

「じゃな」
『・・・・・・・おやすみなさい、 阿部くん』
「おぅ、 肩冷やすなよ」

習慣で言ってしまってから 「あ」 と思った。
ふふっ と電話の向こうで三橋が笑う気配が伝わってきた。
つられてオレも可笑しくなって笑ってしまった。

「おやすみ」

笑いながら改めて告げて、携帯を閉じながら心が軽くなっているのを感じた。
内容なんてほとんどないくらいの短い会話だったけど。
普通の調子で話せただけで、淀んでいた暗い何かが薄くなった。
三橋が無口なのはいつものことだし。  普通の声だったし。
笑ってくれたし。 また、誘ったら会えそうだし。

(大丈夫)

何が大丈夫なのかなんてわからないけど、とにかく大丈夫。

オレは満足して眠りについた。








○○○○○○

翌朝の目覚めの気分も悪くなかった。 それなのに。

学食で水谷がオレの顔を見るなり発した言葉にぎくりとしたのは
どこかに後ろめたさが残っていたからだと思う。

「阿部ー、おまえひでーヤツだな」
「・・・・・・・・!」
「でもさ、何で帰っちゃったのさ」

いきなり話が飛んだ、ことにホっとした。  そのくせ確かめずにはいられなかった。

「ひでーって何が」
「え、 あー出ないじゃんこれ」

またさらに飛びまくったのは、水谷が無料のお茶を紙コップに注ごうとしたのに
機械が反応しなかったからだ。

「・・・・・・・それ昨日から壊れてるっぽい」

オレの言葉を聞いて諦めてぶつぶつと文句を垂れながら、
テーブルに移動する水谷に金魚の糞よろしく付いて行って向かい側に座る。
答を聞きたかったからだ。
オレの目的をよそに、水谷はのんびりした調子で言った。

「オレってさー、食べた後お茶飲まないとダメなんだよねー」
「あっそ、 で?」
「自分でも若者っぽくないとか思うんだけどさー」
「それはいいから答えろよ!」
「え? なんだっけ」
「オレが何でひどいんだよ?」

水谷はきょとん、としてオレを見た。

「なんか阿部、顔が怖い」
「いーから早く!」
「えー、だってあのコが三橋狙いなのわかってただろ?」

やっぱりそれか、と予想はしていたものの冷や汗が出るような心地だった。
水谷にまでそう思われていたのか。
もっとも水谷という人間はおちゃらけているようで案外人のことをよく見ている、
ということはもう3年間の付き合いでわかっていた。

「でもまぁ、三橋が気に入ったかなんてわかんないし?」
「・・・・・・・。」
「三橋が狙ってたとかでもないし」
「・・・・・・・。」
「別にいんじゃない? そんだけタイプだったんだろ?」

冷や汗が増した。 ごほん! と咳払いをしてから口を開いた。

「そんなふうに見えた?」
「え?」
「だからさ、オレがあの女のこと気に入ったって」
「・・・・・・違うの?」
「・・・・・・・・・・・・。」

動揺が顔に出てるんじゃないだろうかと密かに焦っていたんだけど、
水谷が不審気にオレを見たのは一瞬のことで、
次に視線を明後日の方向に飛ばして遠い目をしたかと思うと、はーっと派手なため息をついた。

「んなことよりさ、オレ、実は大変だったんだよ・・・・・」
「・・・・ふーん? 何で?」

オレにしては優しい合いの手を入れてやったのは、さっきと一転して話題を変えたかったからだ。
水谷にこれ以上突っ込まれたくない。   いや水谷がどうとかじゃなくて問題は。
やっぱり三橋の目にもそう映ったんだろうなと、ということだ。
幸い水谷の常識では 「別にいい」 範疇のことらしい。
だからといって三橋にとってもそうかはわからないけど、なにがしかの慰めにはなった。
とはいえ、もはや避けたい話題なのは間違いない。

オレの思惑なんぞ水谷はどうでもいいようで、
つまり自分の悩みで頭がいっぱいのように見えることにホっとした。  けど。

「オレ、昨日の合コン、彼女に内緒だったんだ」
「え?!」
「それがバレちゃって」
「・・・・・おまえ、彼女なんていたっけ?」
「あ、ひっでーな阿部ってほんとに」
「はあ?」
「前言ったじゃんよー」

あ、 と思い出した。
そういえば西浦のコに卒業してからコクられたとかなんとか。
それが自分でも密かにいいなと思っていたコで付き合うことにした、と
ムカつくくらいの笑顔で言っていたような。

「別に浮気とかする気なかったし、言うと嫌な気するかなってだけだったんだけど」
「・・・・・・・呼べば良かったんじゃん」
「その日用事があるって聞いてたんだよ」
「はあ」
「でも昨日オレのこと気に入ってくれたっぽいコがいて」
「良かったな」
「良くないよ!」
「なんで?」
「オレはマジで浮気する気なんてなかったから」
「ふーん」
「したら2次会で行ったカラオケにいたんだよ、彼女が偶然」
「へえ・・・・・・・」
「向こうは友達っぽいコといっしょでさ、会計の時に鉢合わせしちゃって」
「ふーん」
「それがまた間の悪いことに携帯の番号渡された時で」
「え」

何だか何かと重なる。

「結局受け取っちゃったんだけどもう冷や汗もんで」
「・・・・・・・・。」
「そこで解散にして、彼女といっしょに帰ろうとか思ったんだけど」
「・・・・・・・・・。」
「オレの顔を冷たく見てからさっさと行っちゃってさ」
「・・・・・・・・・。」
「そんでその後電話しても出てくんないし」
「・・・・・・・・。」
「あーヤバいよなーこれって」
「・・・・・・・・。」
「オレ、ほんと別のコと付き合うつもりとか全然ないんだけど」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・聞いてる?」
「え、 あ」

聞いてるなんてもんじゃない。 
現在進行形で汗が出てるのはむしろオレだ。 冷や汗とも違う、別の汗っぽいけど。

「阿部のことだから、番号受け取るほうが悪い! とか言うかと思ったよオレ」
「・・・・・や」

言えません、  という言葉は呑み込んだ。  代わりに。

「・・・・・・・水谷」
「なに?」
「おまえさ、その子のこと、好き、なんだよな・・・・?」
「え、だから好きじゃなくて成り行きで受け取っただけで」
「じゃなくてそっちじゃなくて」
「へ?」
「その、今付き合ってる彼女のこと」
「もちろん、好きに決まってんじゃん」
「・・・・・・・で、誤解されたっぽいと」
「そうなんだよー」
「で、焦っていると」
「ヤバいと思わない?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」

ああどうしよう今日また電話しないと とか何とか尚も盛大に嘆く水谷の
言葉はもうほとんど耳に入ってこなかった。



「阿部ー、大丈夫かおまえ?」

という大声で我に返るまで、どれだけぼけっとしていたのかもよくわからない。
水谷が変な顔をしている、のを見て、そういえばここ学食だっけと思い出した。
続いて そうだ聞いてみようとふと思い付いた。

オレは彼女なんか作る気はなくて。
そこのとこを三橋に誤解してほしくなくて。
三橋が誰かに世話されるのが面白くなくて。
三橋が誰かと付き合うのが許せなくて。
1人でいるとしょっちゅう思い出して。
会うと嬉しくて。
傍にいると安心して。

と頭の中に箇条書きにした文章から 「三橋」 だけ消して 「その人」 に置き換えて
ずらずらと言ってみる。  目の前の顔がさらに変になった。  締めくくりに、

「これって何だと思う?」

なんて聞くまでもなくもうわかっていたけど。
むしろこれだけ条件が揃っていて、今まで気付かなかった自分が信じられない。
呆れるを通り越していっそ感心するくらいだ。

呆れたのは水谷も同じだったらしい。

「何って、恋だろ?」

返ってきた言葉には 「なに言ってんだこいつ」 という響きがあった。















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