理屈じゃないこと - 16





いつまで経っても三橋は俯いたまま黙っている。 つまり泣いている。

抵抗がないのをいいことにオレはさっきの約束を棚上げして、
腕を掴んだまま周囲を見回した。
高台にある大学だから、構内の端のその辺からは見晴らしがいい。
部室棟の群れから少し離れたところに眺めの良さそうな、そのくせ
人なんぞ滅多に来なさそうな土手を見つけて、三橋の腕を引いてゆっくりと移動した。
三橋も抵抗せずに顔を伏せたまま歩いてくれた。

「座って、 ここ」

子供相手みたいに座る場所まで指示してやると大人しく座った。
隣に腰を下ろしながらまだ腕は離せなかった。
右側にいる三橋の左腕だけをオレの体の前で改めて抱え込んでも嫌がらない。

それだけで満ち足りた気分になって、ぼーっと景色を眺めながら座っていた。
三橋はまだ泣いているんだか、泣き止んでいるんだかよくわからないけど
相変わらず俯いてるんで表情は見えない。
抱えた手に触れると温かくて、それが嬉しくて両手で三橋の左手を
意味もなく撫でたりする。  ふと、思い浮かんだことを口に出した。

「考えておいてくれる?」
「え・・・・・・・・」

ようやく三橋は顔を上げた。 目蓋が腫れていたけど、もう泣いてはいなかった。

「だから、オレとのこと」
「へ」
「オレはさ、おまえと付き合いたいんだ。 友達としてだけじゃなくて」

うろうろと視線が泳いだ。 頬の赤味が増した。

「考えてみて、ぜってー無理ならそう言ってくれ」
「・・・・・・・あの」
「なに?」
「・・・・・・・オレの好きな人が 誰か って聞かない、の」
「・・・・・・聞かない」

本音を言えば聞きたい。 誰なんだと問い詰めたい。 でも。
それがオレじゃなくてもどうせ諦めなんかつかないし。 もしオレだとしても。

「待つから」

それが償いになるなんて思ってるわけじゃないけどせめて。

「おまえがその気になってくれるまで待つ」
「・・・・・・・・。」
「あ、でもその間もできれば会ってほしんだけど」
「・・・・・・・・・。」
「いいだろ?」

三橋はまた下を向いてしまったけど。
小さくだけど、確かに頷いてくれてホっと息を吐いた。
とにかく伝わった、 だけで今はいいと思った。

でもそれとは別に純粋に不思議だったことを、やっぱり聞くことにする。

「あのさ、でも聞きたいんだけどさ」
「・・・・・・・・。」
「あのコ、山田さんって水谷の彼女なんだろ?」
「・・・・・・・・うん」

走りながら思い出していた。
最初に水谷が嬉しそうに彼女の話をした時に聞いた大学名。
なんで今まで忘れていたのか我ながらバカじゃないかと思う。
もっとも覚えていたところで顔までは知らなかったから、わかろうはずもないけど。

「何でおまえの部屋に行ったんだよ?」
「・・・・・あ、 あれは」
「うん」
「山田さんが、いつかの合コンの様子を 詳しく聞きたいって・・・・・・・」
「・・・・・・・・?」

解決したと、水谷は言ってたけど。

「それって、水谷は知ってる・・・・?」
「し、知らない、 と思う。 内緒にしたいって・・・・・・」
「・・・・・・・・はー」

てことは、水谷はとっくに済んだことだと思っているようだけど
彼女にとっては少なからずわだかまりみたいなものが残っていたんだろう。
水谷が気付いてなかっただけで。
上手くいっている恋人どうしてもそういうことがあるんだ。
と考えると恋って、本当に、

「・・・・・・・・難しいよな・・・・・・・」
「え?」
「あ、なんでもねー」
「・・・・・・?」

納得と同時に少々抗議したい気分になったのは、あの時のショックがまだ
生々しく残っているからだと思う。

「でも、いくら彼氏持ちでも1人暮らしの男の部屋に女が入るのってマズくね?」
「へっ?」

三橋はきょとんとした。 全然わかりませんと、顔に書いてある。
女の子ってのはその手の危険度みたいなのが本能的にわかるんだろうか。
それとも三橋が特別なのか。
そういう発想すらない、わかってなさ気な三橋の顔を見ていると、
何だか自分が汚れた人間に思えてくる。
でもこの場合オレのが常識的だと思うんだけど。 嫉妬抜きで。

「・・・・・・まぁいいや」
「・・・・・・??」
「んで? 様子を話してやったんだ?」
「う、うん。  それでいろいろと話がズレていって」
「・・・・・・・ふーん?」
「ノ、ノロケとか聞かされて」
「ふぅん・・・・・・・・」
「思ったより、 長引いて」
「写真見せたり?」
「あ、うん、  頼まれて」
「でもさ」
「へ?」

一瞬迷ってからもう1つの疑問を口にした。

「なんでおまえの彼女なんて嘘ついたんだよ」
「・・・・・・・・・・・。」

三橋がまた俯いてしまったせいで、またもや顔が見えなくなったけど。
隠せない耳がわかるくらいの勢いで赤く染まった。

「だ、だって山田さんが」
「・・・・・・・・・。」
「阿部くんてキャッチャーの人だよねって 言って」
「はぁ」
「この人、好きな人がいて大変みたいだねって言った、 から・・・・・・・」

水谷か、と舌打ちしたいような気分になったけど、考えてみればありそうなことではある。
彼女に話したのは多分他意はなかったんだろう。
彼女が三橋と長時間接するという発想はなかっただろうし、
そもそも相手だってわかってないし。
彼女のほうもまさか当の本人とは思うわけないから、
軽い気持ちで言ったんであろうことは容易に想像がついた。
女ってのがそのテの噂話が好きなのは、女には疎いオレでも知っている。

「あ、阿部くんはじゃあ、 嘘ついてた、 んだって」
「嘘?」
「・・・・・・・彼女作る気ない、 なんて言って、 ちゃんと好きな人がいるんだって・・・・・・・」
「・・・・・・・おまえのことだけど」
「う」

耳の色が濃くなった。

口がむずむずした。

何で、オレが嘘ついてたって思ったからって自分まで嘘をつくんだ。

と、聞きたい衝動を抑え込んだら別の衝動が湧いた。

「ごめんな」
「へっ・・・・・・・・」
「ごめんな三橋」
「・・・・・・・なんで、阿部くんが  謝る、の」
「・・・・・・・・。」
「オレ、が 勝手に誤解、 して拗ねて」
「それじゃなくて」
「え」
「なんつーかいろいろ、ごめん」

重ねて言いながら、身の内からすっと何かが落ちていくのを感じた。
やっぱりオレは謝りたいんだなとそれでわかった。 勝手な自己満足だけど。

「いろいろ、  て・・・・・・・・・」
「うーん、上手く言えねーけど」
「・・・・・・・・・・。」
「おまえが野球以外のことでも頑張ってんのとか知らなくて」
「・・・・・・・・・・。」
「きっと無神経なこともいっぱい言っただろうし」
「・・・・・・・・・・。」
「気付いてやれなくて、ごめん」

三橋はじっとオレを見つめた。 
オレも逸らさなかったんで、しばらく黙って見つめ合った。
次に三橋は迷うように視線を泳がせてから、意を決したように口を開いた。
視線は再び下のほうに落ちてしまったけど、声は落ち着いていた。

「オレ 他にも 嘘ついてた んだ」
「へ?」
「オレ その人  好きになった の」
「・・・・・・・うん」
「3年の時から、 なんて、 嘘だよ」
「えっ・・・・・・」
「1年の終わり頃から、・・・・・ずっと好きだった・・・・・・・」

ぎょっとした。 そんなに長い間。

「でもオレ、一生言わないつもり だったんだ」
「・・・・・・・・・・・。」
「一生片想い、 だろうし」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・ま ま 万が一両思いになれ ても」
「・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・迷惑かけちゃう し」
「なんで?」

問いには答えずに三橋は続けた。

「・・・・・・・て ずっと思ってきた んだ」
「・・・・・・・・・。」
「そう思って ずっと我慢してきた」
「・・・・・・そうか」
「そ、そう決めて たのに」

いきなり涙混じりになった。

「あ、 阿部くんは ずるい」
「・・・・・・・・・・。」
「阿部くんにそんなこと 言われたら、オレ、 こ、断れない・・・・・・・」
「・・・・・・・・みは」
「だってほんとに、 ずっとずっと」

阿部くんが好きだったんだ、   という半泣きの声が聞こえた途端に。

(・・・・・・・・・・ヤベ・・・・・・・・)

半分くらいは確信していたことのはずだったのに、
予想外の変化が自分の体、目の奥とか喉の辺りに起きてしまって、
慌てまくった。

どうにかして収めようとしてもどうにもならないとわかったんで、
三橋が俯けた顔を上げる前に えいっとばかりにオレの胸に押し付けた。 
目的は本当に顔を見られたくなかったからだけど、
ふいに これって抱き締めてるみたいだなと思った。

(みたいじゃなくて)

抱き締めてんじゃん!  と意識した途端にどきどきして、
それから幸福な気分になった。 三橋が嫌がらないからだ。
手を背中に回して隙間がないくらいに腕を引き絞る。
気持ちいいし、顔も見られなくてちょうどいい。

「で で でも やっぱり ダメ だ」

もごもごとくぐもった声がする。
何が? と聞きたくても聞けないのは声を出したくないから。

「付き合わないほうが、いい、と思う」

何で! という叫びも口から出る前に押しとどめた。

「だって、 絶対迷惑に、なる」

さっきもそう言った。 なんで、とまた思ってからすぐに気付いた。

同性だから。  

三橋の性格を考えれば気にしないほうが変だ。
自分のためじゃなくて、オレのために。
しかも1年の終わりからってことは2年半だ。
そんなにも長い間、ずっとそんなことを考えていたのか、 
と思ったら堪らない気分になった。  かっこ悪かろうが何だろうが。

「迷惑なんかじゃねーよ」

小さく息を呑む音が聞こえた。 それでバレたとわかった。
バレないわけない。  我ながらひどい声だった。
オレは腕の力を増した。 離したくない。
でも三橋がどうしても付き合えないと言い張るなら別にそれでもいい。
それならそれで。

「待つからなオレは」

またひどく掠れた、だけでなく派手に震えた。
おずおずとぎこちない手がオレの背中に回されたのがわかった。

「あ、あの 阿部くん・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・なに」
「・・・・・・・ま 待たなくて いい よ」

それは待っても無駄だという意味なのか、
思い直して今付き合うことにしたのか、どっちなんだ。

確認しようと口を開いたところで三橋は続きを言った。

開けた口を閉じたのは確認する必要がなくなったからだけど、もう1つ。
収まりかけていた目の奥の熱がぶり返したからだ。 それもすごい勢いで。

(そんなにオレのこと甘やかすなよ・・・・・・・・)

次に浮かんだその言葉はもう全然言えなかった。

自分を笑いたくなる。
三橋は長い間耐えてきたのに、オレはこのザマだ。
一体こんなオレのどこがいいんだか真剣に不思議だ。
けどだからといって、他のヤツに渡す気になんかなれるわけもない。
三橋はオレの迷惑になると考えたりもしていたのに。

胸の内で自嘲しながらも、ようやく捕まえた温もりが理屈抜きで嬉しい。
いろいろ悩んだことも落ち込んだことも、全部帳消しになってまだお釣りがくる。


(三橋も、そうだといい・・・・・・・・・)


長い、 本当に長い間まるで気付いてやれなかった三橋の苦しみが

せめて今、100分の1でもいいから消えてくれればいい、 と願った。















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