理屈じゃないこと - 17





「阿部、引っ越すの?」

のんびりした声は真後ろ上方から降ってきた。
夏休みのせいで学食の中は閑散としていたから、
いきなり声をかけられて驚いた拍子に、持っていた住宅情報誌を落としそうになった。
確認するまでもない声の主は、ゆったりした足取りで移動してオレの向かい側の位置に
持っていた紙コップを置いてから座り込んだ。
何だか随分久し振りのような気がする。 水谷もそう思ったんだろう。

「や、なんか久し振り」
「おう」
「あっちーねー」

柔らかく笑う顔は穏やかで、きっと彼女とうまくいってんだなと
ちらりと思ってしまった辺り、オレも変わったななんて自分で突っ込む。

「何で休みなのに、いんだよ?」
「えー、ちょっと事務関係」

答えながら、水谷は珍しいものでも見るようにオレの顔をじろじろと見つめたかと思うと。

「まさかそれはないか。 落ち着いたばっかりで」
「は?」

ワケがわからず聞き返してから、最初の質問に関する言葉だと気が付いた。
そりゃ普通はこんな時期には引っ越さないだろう。
水谷の言うとおり、春から1人暮らしを始めてまだ半年も経ってないのに。

「・・・・・・・・そのまさかかも」
「えっ?」
「また引っ越したくなって」
「え、 マジ?」
「うん、いいのがあればだけど」
「え、 何かトラブルでもあったん? 変わりたくなるような?」
「何もない」
「・・・・・・・・・・。」
「それにまだ引っ越すと決まったわけでもねーし」

これは半分は嘘だ。   いいのがあれば、というのは本当だけど、
何としても見つけていっしょに住みたかった。 三橋と。
そしてもうその了承も取ってある。
最初は躊躇っていた三橋も毎日のようにこんこんと説得し続けた甲斐あって
最後には首を縦に振った。
ちゃんと付き合うようになってからも、最初よりは大分マシになったものの
三橋はついオレの 「迷惑」 をうだうだと考えてしまうらしかった。
なかなか開き直ってくれない三橋に焦れた挙句の強行作戦だ。
いっしょに住んでしまえばこっちのもの。
それに三橋の心境がどうの以外にも理由があった。

オレがもたない。

頻々とメールしたり電話したり会いに行ったりのストーカー状態だもんで
目の届くところにいてもらわないと冗談抜きで日々の生活に支障をきたす。
せめて三橋が完全に自信を持ってくれていればまだいいけど、
そもそも想いが通じたあの時でさえ、腕を解いて顔を見た途端に言われた言葉が

「でも、阿部くんに好きな女の子ができたら、 いつでもそう言って、 ほしい」

だった。 慣れてる思考回路とはいえ、呆れを通り越して悲しくなった。
そういうヤツだから、会えない日が続いたりすると、
不安に陥ってるんじゃないかと想像して落ち着かなくて
何度もメールしたりして我ながらうざい。
オレのためにも三橋のためにも、傍にいる時間を増やしたい。
学校が違うんだから、いっしょに住むのが一番確実だ。

と密かにメラメラと燃えながら黙っていたら
水谷はぽかんとした顔をして、それからふっと頬を緩ませた。

「阿部さ、好きなコと上手くいったんだ?」

ずばりと当てられた。 内心で舌を巻いた、けど。

「・・・・・・・・なんでそう思うんだよ」
「うーん、雰囲気ってか」
「・・・・・・・・・・。」
「てかさ、阿部って顔に出るんだもんな」

反論はできないものの、少々面白くない気分にもなる。
水谷はのんびりした調子でさらに言い当てた。

「で、その相手と住むことにしたんだろ?」
「・・・・・・まーな」

不機嫌な声になってしまったのは そんなにわかりやすいのかオレ、と
げんなりしたからだけど。
頓着なく 「良かったな」 と笑う水谷の顔は穏やかだった。

(そういえばいろいろと世話になったよな・・・・・・・・・)

結局あの財布を頼まれなければ、どうなったかわからない。
今頃はまだ片想いと思い込んで鬱々としていたかもしれない。

と素直に感謝の気持ちが湧いたところで、水谷の顔が曇った。

「でもそれさ、三橋は知ってる?」

ぎくりとしながらも、何故ここでそんな質問が出てくるのか疑問が湧いた。

「なんで?」
「・・・・・・・・や、なんとなく・・・・・・・」

歯切れ悪くつぶやきながら水谷は視線を明後日のほうに飛ばした。
決断は一瞬だった。
だって水谷にはそのうちイヤでもばれるだろうし、変に隠し立てしたくなかった。
バレて気まずい思いをするくらいなら潔く最初に言ったほうがいい。
驚愕とか、あるいは最悪嫌悪の表情をも覚悟しながらではあったけど。

「いっしょに住むのは三橋だよ」
「え・・・・・・・・」

次に驚いたのはむしろオレのほうだった。
水谷の反応が予想のどれとも違ったからだ。
驚いたような表情はほんの一瞬で消えて、すぐにまた柔らかく笑った。
ホっとしたようにも見える笑顔だった。

「あー、なんだそうか」
「・・・・・・・・・・・。」
「やっぱり三橋だったんだ」
「やっぱり?」

聞き返しながら呆然としていた。 やっぱりってことは、

「・・・・・・・・知ってた、のか・・・・・・・?」
「いやー確信はしてなかったけど」
「・・・・・・・・・・。」
「可能性はあるなぁと」
「・・・・・・・・・じゃあアドバイスとか全部」
「あ、だからわかってたわけじゃないって」
「・・・・・・・・・。」
「大体阿部、最初に女の子っつったじゃん」
「あ、・・・・・ごめん」
「や、いいけど」
「・・・・でも三橋かもとも思ってたんだ・・・・・?」
「うんまぁ 途中から。 大分経ってからだけど。」
「・・・・・・・なんで?」
「だから阿部って顔に出るんだって」
「・・・・・・・・・・・。」
「ずーっと前から好きだったろ?」

今度こそ絶句した。

「あ、でも自覚したのはそういえば最近だったもんなー」
「・・・・・・・・・。」
「あん時は女の子っての信じたんだけど」
「・・・・・・・・・。」
「相手は誰でも自覚したってだけで、マジ感慨深かった」
「・・・・・・・・・。」
「阿部ってさー、恋してもわかんない、てイメージが強かったから」
「・・・・・・・・・・。」
「結局三橋だったのかぁ」

あはは、 と楽しそうに笑う水谷とは対照的にオレは笑うどころじゃない。

(・・・・・・ずっと前から好きだった・・・・・・?)

それはオレ自身そうだったんだろうとは思ったけど。
でもそれこそ自覚してから気付いたことであって。

「オレ、やっぱそうなのかな・・・・・・・・・」
「へ?」
「三橋のこと、前から好きだったのかな・・・・・・・」
「じゃないかと、オレは思ってたけど」
「・・・・・・・・・・そう見えた・・・・・?」
「すごく」
「・・・・・・・・・・・・。」

二の句が告げない。
第三者に断言されると納得よりショックのが大きいような。
でもじゃあ。

「あん時財布をオレに頼んだのって、だから・・・・・・・・?」
「あ、うん。 それはそう。 いろいろ思い返すとやっぱり三橋なんじゃないかって思って」
「・・・・・・・・合コンに誘ったのも・・・・・・?」
「あー、あれはほんとに人数欲しかったからだけど」
「・・・・・・・・・・。」
「でも阿部に後ろめたい気がしてたのもあったかな」
「・・・・・・・・・・。」
「でも卒業して立場が変わったし、どうなんだろうとは思ってたよホントに」
「・・・・・・・・・・。」
「合コンの時もよくわかんなかったし」
「・・・・・・・・・・。」
「マジであのコが気に入ったのかなーとか」
「・・・・・・・・・・。」
「あの合コンはさ、ちょい義理絡みで断れなかったんだけど、ごめんな?」
「・・・・・・・・おまえ、まさか三橋の気持ちにも気付いてた・・・・・?」
「へ?」
「三橋も1年の頃からオレのこと」
「えっ!!」

水谷は今度は本当に驚いたような顔をした。

「三橋のは知らなかった」
「・・・・・・・・・・。」
「や、それもありかなとは思ってたけどさ」
「・・・・・・・本人は自覚してたみてーだけど」
「あー、だからだよきっと」

いきなり納得した面持ちの水谷をまじまじと見た。 
ワケがわからない。 だからってナンだ。

「睨むなよ阿部」
「睨んでねーよ」
「だからさ、三橋は自分で気付いていたから意識して隠してたってことだろ?」
「・・・・・・・・・・・。」
「阿部は自覚してなかったから、ダダ漏れだった」

ダダ漏れ。

そこまで言うか。

オレは憮然とした。 水谷はまた笑った。

「なんだそうかー。 やっぱ三橋も前からそうだったんだー」
「・・・・・・・・。」
「やー良かったなー、阿部」
「・・・・・・・・あのさ」
「なに?」
「オレのその、キモチって皆知ってた、のかな・・・・・・・・」

内心ではおそるおそる、という心境だったけど。
水谷は考え込むような表情になった。

「・・・・・・気付いてないヤツもそりゃいたと思うけど」

ホっとこっそり息をついた途端に恐ろしいことを言った。

「でも後輩の連中はみんな、付き合ってると思ってたみたいだけど」

唖然とした。

「マジで・・・・・・・?」
「多分」
「そんなふうに見えた・・・・・・?」
「うーん、まぁ・・・・・・・・・」

オレに気を遣ったのか曖昧に唸って断言しないながらも、表情はそうだと告げている。
何だか頭が上手く働かない。
いろいろなことがいろいろな意味でショックだ。

「あ、でも気付いてなかったヤツもいるし」
「・・・・・・・・。」
「オレも一応誰にも言わないでおくな?」
「・・・・・・・・うん、頼む・・・・・・・・」

半ば呆けながら頷いた。

「でも阿部は本当は言いたいんじゃないの?」

指摘されて気付いた。 また図星だ。
本音を言えば誰にも隠したくない。 
むしろ全国放送でオレのもんだと発表したいくらいだ。 ただ。

「三橋が嫌がりそうだから」
「あー、そうだよね」
「オレはバレてもいいんだけど」
「元野球部にはそのうちイヤでもバレると思うけど」
「・・・・・・・・・・・。」
「花井あたりはむしろホっとすんじゃないかなー」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「でもさー、流石だよなー」

何が、 と聞くのも億劫な気分。

でもここでも顔に出たのかもしれない。 答えるかのように、水谷は続けた。

「いや決断力ってかさ」
「・・・・・・・・・。」
「いくら好きあっててもいっしょに暮らすと、きっと何かと大変だと思うよ?」

わかってるけど。

続いて内心でつぶやいたのと全く同じ言葉を、水谷は笑いながら言いやがった。

「でも恋ってさ、 結局理屈じゃないからな!」

















                                          理屈じゃないこと 了

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