理屈じゃないこと - 14





びくびく、 という擬音が聞こえるようだ。

それはきっとオレの発するオーラが 「どんより」 以外のナニモノでもないからだろう。

でも仕方ない。
前回会った時より輪をかけて落ち込んでいるタイミングに、
わざわざ声をかけてくるほうが悪い。

などと我ながら勝手なことを考えながら、温くなった不味いコーヒーを飲んだ。
講義の空き時間に学食で時間を潰していたオレに、話しかけてきたはいいけど
今日の水谷は恋愛アドバイザーにはなってくれないようだった。
もっともオレのほうにももう、相談したいことなんか1つもない。

「・・・・・・・・大丈夫か阿部?」
「大丈夫だけど?」

普通に答えたつもりなのに水谷のびくびく度合が増したようだった。
そんなにひどい顔をしているんだろうか。
多分、そうなんだろうなと他人事みたいに思った。

三橋の想いが叶って良かったと思う気持ちはある。  それは確かだけど。
死刑が確定した囚人のような気分のが遥かに勝っていた。
その前に一度舞い上がったのがどうにもマズかった。
あれがなければもう少しはマシだった。

水谷は長居する気はないようで、傍らに立ったまま鞄の中を探って何かを取り出した。
ぼんやりと見ればそれは濃い茶色の小さな小銭入れだった。

「悪いんだけどさ、これ、返してやってほしいんだ」
「はぁ? 誰に」
「あ、 これ三橋のなんだ」
「え」

よりによって一番聞きたくない名前が出てきた。
水谷の顔がさらに怯えたところを見ると、ロクな顔をしていないんだろう。 今さらだけど。

「・・・・・・なんでそんなもんおまえが持ってんだ」
「え、あ、 いつかのコンパの落し物」
「・・・・・・・・随分前じゃん」
「忘れてたんだ」
「・・・・・・・忘れるなよ」
「とにかく頼むよ!」
「おまえが届けてやれよ」
「阿部のが機会ありそうじゃん」

ねーよ、 と出かかった言葉を呑み込んだ。
なぜだと自問自答して、あっさりと湧いて出た答に自分でうんざりした。
水谷の顔がいっそう怯えたものになった。  かと思うと。

「じゃ、頼んだぜ? 三橋によろしく!」

という言葉と小銭入れだけを残して、そそくさと去っていった。 素早かった。
例えイヤでも断る隙もないくらいに。
テーブルの上に置かれたそれをじっと見つめた。
断れなかった最大の原因は水谷が素早かったせいというより。

オレは唇を噛み締めた。

それは 「未練」 だった。

会う口実ができたと喜ぶ気持ちと 顔を見たらつらいだけだと
己を哀れむ気持ちがない交ぜに湧き上がる。
わかっていたことだけど恋って本当に。

「・・・・・・・・・・やっかいだな」

ため息をつきながら、それでもその小銭入れを大事に握り締めた。







○○○○○○

翌日三橋の大学に赴く前に連絡をしなかったことに、深い理由はなかった。
大学での日常の三橋を見たかったのかもしれない。
けどキャンパスは広い。
どこにいるかもわからない相手に偶然会える可能性は限りなくゼロに近いわけで、
つまり本気で会う気じゃないのかもしれない。
早く返してやらないとと思いながらも、先延ばししたい気分もある。
会いたいんだか会いたくないんだか、自分でもはっきりしない。

(ワケわかんねーなオレ・・・・・・・)

こんなに説明のつかない感情は、いちいち持て余すばかりでまるで処理できない。
強豪校の攻略方法を考えるほうが余程簡単だ。

今思えば、高校時代に恋愛事で悩んでいたクラスメートとかを、
オレは冷めた目で眺めていた。  言い寄ってくる女子にも丁寧に断っていたつもりだけど、
内心では鬱陶しい気分のが勝っていた。
理屈としてはわかっていたけど、どこかで 下らないと思っていたような気さえする。
あの頃の自分に説教してやりたい。
今はそのツケが来ているのかもしれない。

自虐的な発想を意識して追い出して、正門を入ったところの掲示板の前で足を止めた。
広い整然とした構内を所在無く見渡した。

(偶然通りがからねーかな・・・・・・・・)

漫画みたいな展開を夢想してから、次に目に入った人間にどきりと心臓が跳ねた。
見間違いかと、改めて目を凝らす。

その人物はのんびりとした足取りで、1人で門に向かって歩いていた。
つまりオレのいるほうに次第に近付いてくる。
その顔がはっきりと見えるにつれて確信した。  あの日に見た、三橋の彼女だ。

(同じ大学だったのか・・・・・・・・)

それは別に変じゃない。
俄かに痛み出した胸は宥めようとしても無駄だとすぐに諦めた。
不思議と、憎しみは湧かなかった。
むしろある種の感慨を持って見つめてしまった。
小柄で感じのいいコだ。  美人というタイプではないけど、
おっとりした雰囲気を纏っていて、三橋には合っているかもしれない。

近付いてきた彼女と目が合ったところで、不自然でないように気を付けながら逸らした。
声をかけて財布を渡そうかと一瞬迷ったけど、上手く頼む自信もなかった。
近くを通り過ぎていく気配を感じながら、 「三橋を、頼むな」 なんて
感傷的なセリフまで浮かんで笑いそうになった。
もちろん、少しも楽しくなんかない。  むしろ泣きたい。

その感傷は思いがけないことで中断された。

「あの、すみません」
「は?」

声の主に顔を向けると今通り過ぎたばかりの三橋の彼女だった。
立ち止まって、オレを見ている。  内心で慌てた。

「あの、もしかして」
「・・・・・・?」
「阿部くん、じゃないですか・・・・・?」
「え」

驚いてから、不思議じゃないと気付いた。
西浦だったんなら知っててもおかしくない。

「そうだけど」
「あー、やっぱり!」

ホっとしたように笑う顔はかわいかった。 また胸が痛んだ。

「似てるから、もしかしてそうかなーって思って」
「はぁ」
「あ、いきなりすみません。 あの、アタシ西浦だったんです。」
「・・・・・・・・・。」
「それに最近野球部の写真とか見せてもらったばかりで、つい」

自分に追い打ちをかける質問が、口からついて出た。

「・・・・・・三橋に?」
「え? あ、そうです。 三橋くんに聞いたんですか?」

別に、 と胸の内だけで返事をした。 声にはならなかった。
突き刺さるような痛みを目を瞑ってやり過ごす。

「え、やだ、恥ずかしいどうしよう」

声音は本当に焦っているようで、嫌味な感じはしなかった。
きっと素直ないいコなんだろう。

ぐるぐると渦を巻く感情が複雑過ぎて痛すぎて、
まっすぐ立っているのもしんどいのってどうなんだろう。
わかっていた、 わかっていたことなのに本当はやっぱりどこかで
認めたくなかったんだろうか。  
未練もいいとこで、痛いのに情けなさまで加わった。

(やっぱり、このコに渡そう・・・・・・・・・)

次に浮かんだのはそれだった。   三橋に会いたくなかった。 
今会ったら、妙なことを口走ってしまいそうだ。
のこのこと会いに来た自分が信じられない。
会うのは無理だと、はっきりと悟った。   今だけでなく、当分は。
平気な顔ができる自信がつくまでは。

ポケットを探りながら、意識して明るい声を搾り出した。
そうできた自分をせめて褒めてやりたい。

「ちょうど良かった」
「え?」
「頼みがあるんだ。 えーと」
「あ、アタシ 山田っていいます」

ふいに違和感を感じた。 何かが引っ掛かった。
何だろう、 と首を捻りながらも手を止めずに財布を引っ張り出した。

「これ、あいつに返してやってほしいんだけど」
「え?」
「これ、三橋のだから」
「・・・・・・・三橋くん?」
「うん」
「・・・・・・え、 でもこれ・・・・・」

何故か怪訝な顔をして受け取ろうとしない彼女を見ながら
感傷に拍車がかかっていることを自覚した。
三橋をよろしくな  と本気で頼みたい衝動が湧いた。
三橋が3年の時から好きだったコ、7組出席番号1の、

(・・・・・・・・あれ?)

突然、違和感の正体がはっきりした。
「山田」 で一番なんてあり得ない。 
それにそもそも3年の時の1年7組なら後輩のはずだ。 今現在同じ大学というのも、

「あり得ねー・・・・・・・・・」
「え?」
「・・・・・・・・あんたって、同じ学年だよな?」
「あ、そうです。 クラスは別だったけど」
「・・・・・・・どういうことだ」
「え、あのー 阿部くん?」

多分マヌケな顔をしているであろうオレに 「山田さん」 は言った。

「この財布、水谷くんが阿部くんに頼むって言ってた・・・・・・・」
「何で」

そんなこと知ってんだ?  と最後まで言えないくらいにオレは混乱していた。
聞きたいことは山ほどあるけど一番知りたいのはつまり。

「三橋の彼女・・・・・・・なんだよな?」
「え・・・・・・?」
「あんたって三橋の」
「え?!  ち 違いますよ!?」

混乱が深くなった。

「・・・・・・・だって三橋の部屋に」
「あ、あれは」
「部の写真だってその時に見たんじゃねーの?」
「え、それはそうだけどあの」

彼女の顔が慌てている。 オレもそうだろうけど。
上手く思考が回らずぼけっと見ていたその時、視線を感じた。
だけでなく何かが目の端に映った、 気がした。

ゆっくりと、そっちの方向に目を向けた。

15メートル以上は離れているその人物を目で捉えた。
ちょうどマウンドからキャッチまでくらいの距離だった。


元々大きい目をさらに見開いて、三橋はぽつんと突っ立っていた。
















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