理屈じゃないこと - 11





大学のいいところは自由なところだ。
ある程度講義の選択に幅もあるし、サボったからといって叱られるわけでもない。
でもそれはある意味悪いところでもあるかもしれない。
自己管理能力が問われるからだ。
己を律する力がないと、ずるずるとバイトだの遊びばかりに走ってしまって
ロクに勉強しないヤツだって出てくる。

などと改めて考えてしまうのは、講義に出るのが億劫だからだ。
もちろん脱落者になる気はないから、重い気分を持て余しながらも出席する。
けどちゃんと集中できているかというと甚だ疑問だ。
自分がこんなにヘタれだとは思わなかった。

どんなに欲しくても、手に入らないものがある。

そんな当たり前のことを受け入れるのに、膨大なエネルギーを費やしている。

認めたくないわけじゃない。
「終わったな」 と、あの時心から悟った。

それは思いがけない痛みを伴っていた。
三橋に好きな相手がいるのは先刻承知のはずで、だからどうせダメだろうと
覚悟していたはずだったのに、甘かったことを思い知らされた。
どこかで 「過去のことだし」 と高をくくっていた。
3年生から好きだったということはおそらく西浦の生徒で
三橋はもう諦めるしかないだろうと、無意識に期待していた。
三橋の頑固さを忘れていたわけじゃないけど、目の当たりにすると想像以上に堪えた。
あの日以来冗談抜きで世界が灰色に見える。





じくじくと痛む胸をどうすることもできずに鬱々と過ごしていたせいで、
簡易恋愛アドバイザーである水谷と次に顔を合わせた時にも
きっと気分が顔に出ていたんだと思う。

「・・・・・・・阿部さ、あれ、ダメだったの?」

いつものように明るく挨拶してきた後に問いかけてきた口調には、
一転しておそるおそる、という気後れみたいな様子が濃く滲み出ていた。
それに気付きながらも、水谷に気を遣う余裕がない程度にはオレは落ち込んでいた。

「・・・・・・・うんまあ」
「でも、会ったんだろ?」
「うん・・・・・・・」
「『彼女いない』 って言えなかったとか?」
「いや、言ったよ」
「じゃあ」
「もういいんだ」
「え」
「そいつ、他に好きなヤツいんだ」
「えっ」
「オレの入り込む余地なんてなさそーだし」

黙るかと思いきや、水谷はフォローする気満々のようだった。

「え、でも 誘ったら会ってくれるんだろ?」
「まあそれくらいはな」
「無理矢理頼んで会ってもらう感じでもないんだろ?」
「まあな」
「ちなみにどこ行ったの?」
「相手の家」
「え、マジ?!」
「うん、 すげー雨だったから」
「雨だったからって・・・・・・」
「だってびしょ濡れだったんだ向こうが」
「それで家?」
「うん。 着替えないとまずそうだったし」

水谷のあっけにとられたような顔をムナしい気分で眺める。
言いたいことはわかる。  この場合相手が普通に女の子だったら。

「・・・・・・それってすごいと思うけど」
「・・・・・・・・・。」
「脈あるんじゃない?」
「ない」
「何でそんなことわかるんだよ〜」

まさか相手は三橋だからなんて言えないので。

「なんでも」
「あ、そっか。 自宅なんだ?」
「1人暮らし」

水谷の目がまた丸くなった。

「・・・・めちゃくちゃチャンスじゃん!」
「世間話だけして帰ってきたよ」

ぼんやりとあの日のことを思い出した。
結局あの後はオレのほうがショックのせいで上手く話せなくなって
天気がマシになったのを機に腰を上げてしまった。

「え、 もう 帰るの・・・・・・?」

驚いたような三橋の顔が自惚れでなく残念そうに見えて、未練が湧いたのも確かだけど。
おまけにたどたどしい言葉で引き止めてまでくれたけど。
1人になって気持ちを整理したい気分が強くて、せっかくの言葉にも頷けなかった。
三橋の表情が曇って、それで余計に胸の痛みが増した。
それでもそれ以上居続けることはできず、服もその場で返した。  
その時はとにかくどん底の心境で、先に繋げるとかの姑息な思惑は、ただ虚しく思えた。

「じゃあな」

玄関でそう言った時、三橋がやけに寂しそうに見えたのは
多少願望も入っていたかもしれないけど、社交辞令とは無縁のヤツだというのはわかっていた。
そんな顔をさせたまま別れるのが嫌で。

「・・・・・コーヒー美味かったよ。 ちゃんとやってんだなおまえ」

そう言ってやると嬉しそうな顔になったんで、僅かに慰められた。 
でも切なさと、せっかく引き止めてくれたのに、という罪悪感に苛まれながらの帰路は惨めだった。

それがもう先週のことだ。
その後一度も連絡してないし、当然だけど来てない。

現実は受け入れたものの、だからといって気分が浮上するわけもなく。
尚も何か言いたげな水谷に、悪いと思いながらも
感謝の気持ちよりも逃げ出したい気分のほうが勝っていたから。

「あれ? 鳴ってる?」
「あ」
「阿部の携帯?」
「あー、うんそう」

タイミングよくかかってきた電話に相手を確認せずに出た。
たちまち、眉間にシワが寄るのを自覚した。

『こんにちは』
「・・・・・・・どうも」

不機嫌な声が出てしまってから思い直した。 ここは謝っておこう。
一応デートのようなものだったのに、途中で放り出してその後連絡していない。
当然謝罪もしていない。

「あー、こないだは、ごめん」
『ホントだよ〜』

相変わらずの屈託のない声に、前回と違ってプラスのイメージが湧かないのは
三橋を誘った、と聞いたからだ。
三橋がダメとわかったから、またしてもオレを構う気になったのかと思うと
あっちがダメならまたこっち、 という軽薄な印象が湧く。
個人的事情を抜きにしても、三橋が断ったのは正解だったんじゃないだろうか。

『あのね、また会ってもらえない?』
「・・・・・・・・・。」

黙っていたのは断り文句を考えていたからだけど。

『大事な話があるの』
「どんな?」

冷たい口調は意識してのことだ。
わざわざ会わずに、電話で済ませたいと言外に匂わせたつもりだった。

『えーと、だから』
「・・・・・・・・・・。」
『三橋くんのことで、ちょっと』
「!!」
『電話だと言いにくいから、できれば直接話したいんだけど』

眉間のシワが深くなったのが、また自分でわかった。
今さら何を、 と思ってから気付いた。  推測だけど、多分当たってる。

(まだ三橋を、諦めてねーんだ・・・・・・・)

オレは承諾した。   用事を終えて携帯を閉じたところで。

「今の誰?」

横からの声にびっくりして携帯を落としそうになった。
存在をすっかり忘れていた水谷の顔は意味ありげに輝いていた。
そういえば彼女は水谷の友達だか知人だかだっけと思い出したけど、面倒だったんで。

「ただの知り合いだよ」
「でも女の子だよね?」
「まあな」
「阿部さ、新しい恋をするのもテだよ?」
「・・・・・・・・・。」
「そんな怖い顔してないでさ、周りを見るのもいいんじゃない?」

水谷の顔は真面目だった。
オレ自身一時考えたことでもあったわけだけど。

「・・・・・・・・・そうだな」

同意しながら、口先だけなのもわかっていた。
当分誰も好きになれそうもない。
当分どころか、この先新しい恋なんてできる自信はなかった。

こんなになってから改めてわかった。
自分の中の三橋への気持ちの尋常でない大きさに。
目を逸らそうとしても、欲しい欲しいと奥底から湧き上がる欲求は
自分でも辟易するほど強くて際限がない。  そして絶望する。
失ってから初めて気付いた己をアホだと思ったけど、
いつ気付いたところで結果は同じだったろうから後悔するのすら虚しい。

(てか失う以前に手に入れてねーし・・・・・・)

片想いだからってこの気持ちは簡単にはなくならない。
多分しばらくの間。  もしかしたら延々と。

だから会うことにしたのはもちろん、前向きな目的なんかじゃなくて。
まだ三橋に付き纏う気なら、オレが引導を渡してやろうと思ったからだ。
以前三橋のプライバシーだからと考えたこともあるけど、もういい。
余計なお世話とも思うけど、諦めさせたい。
それは単純な嫉妬心もあるけど、そのためじゃない。

三橋のあの表情を思い出す。

おそらく誰も割り込む余地はない。
神聖すら感じた、あの迷いのない顔をオレはきっと一生忘れない。

オレがダメなんだから他のヤツにも渡さないという姑息で残酷な気分がゼロといえば
嘘になるけど、それより何より。

三橋の想いが叶えばいいと、思ったから。

邪魔させたくなかった。















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