理屈じゃないこと - 1





気が付くと考えている。


一体これはナンだ、と思い始めたのは新緑が目に鮮やかな季節だった。
つまり高校を卒業してから2ヶ月近く経ったわけだ。

オレは大学生になっていた。

1人暮らしを始めたこともあって、最初の一ヶ月は新しい環境に慣れるのに忙しくて
毎日があっというまに過ぎていった。
慣れない教室に講義、見知らぬたくさんの人間、新しい野球仲間、
慣れない自炊に掃除洗濯、だけじゃなく。
バイトもしなければならなかった。
アパートを借りたのは通えなかったわけじゃなくて、家を出たかったからだ。
これといった理由はないけど、親から離れたかった。
でも流石に仕送りなしで生活できるはずがないし、
通えないこともない距離なのに独立なんて到底許されないだろうと
半ば諦めながらオヤジに言ってみたら、意外にも翌日許可が下りた。

「1人で頑張ってみるのもいいさ」

とオヤジは真面目な顔で言った。
毎月の生活費もくれる、と聞いて俄かには信じられない気持ちで、
でも素直に嬉しかったし、親に感謝した。
ただ、バイトなしでは少々キツいのも事実で、
それ以上のワガママは自分でも言う気が起きないから必然的に探すことになった。
今のところ単発的な何かを探しては休日にやるくらいだけど、
練習は高校と違って1日置きだったから、いずれ割のいい長期の仕事を見つけたい。

そんなこんなで、以前と生活パターンは激変した。
想像はしていたものの、何もかも自分でやるのは大変だった。
でもそれ以上に解放感があった。 
受験勉強からの解放、親からの解放。

それが起き始めたのは、無我夢中の一ヶ月が過ぎて
新しい生活にも大分慣れて精神的にゆとりが出てきた頃だった。

気が付くと考えている人間がいる。

高校3年間一番オレの心を占めてきて、毎日のように会っては
面倒をみたりイライラしたり、時には笑いあったりもしたオレの相棒。
講義を聞きながら、あるいはバイトの最中にいつのまにかぼーっと思い出している。
それは泣いているところだったり試合中のあいつだったり、
いろいろだけど、とにかくよく思い出す。

無理ないかもしれない、とも思う。
それだけ密着した存在だった。
毎日会うのが当たり前だったんだから。
流石に3年の夏大が終わって引退した後は、それまでほど密な関係ではなくなったけど
それでも学校でよく言葉を交わしていたし、たまにはいっしょに遊んだりもした。
受験勉強の合間の気晴らしにキャッチボールもよくした。

それがゼロになった。
あいつは別の大学に行ったから、機会がない限り会えない。

高校時代はよく振り回された。
最初は何を考えているのかさっぱり理解できなくて、悩んだものだし
慣れてからも結局よく泣くし、ぼーっとしてるから目が離せないし
捕手としての立場上フォローする事柄も多くて、
結果的に四六時中あいつのことばかり考えていた。
卑屈ではっきりしない性格をうっとーしいと思ったことも一度や二度じゃないはずなのに、
なくなってみるとこれが妙に。

「寂しい・・・・・・・・」

声に出してつぶやいてから自分でぎょっとした。

(寂しいのかオレ・・・・・・・?)

そんなはずはない。 新しい環境でそれなりに友人もできたし。
付き合う人間の幅だって高校の頃より広がった。
でも会話していても気付くと頭の中にはあいつがいる。 つまりオレはあいつに。

「会いてーんだな、うん」

自覚したらちょっとすっきりした。
ナンだオレ? と疑問に思ってから3日が経っていた。
多分密着していた相手だからだろう、 とその時オレは結論を出した。



会いたいとわかったら、その日のうちに電話した。
機会がなければ自分で作ればいいんだ。 簡単なことだ。
我ながら素早いのは、それくらいオレの脳内に出現する頻度が高いからだ。
会って話したら、もっとすっきりするだろう。
以前と違って投手と捕手の立場じゃない状態で会う、というのは
何だか不思議な感じもするけど、でも別に。

(・・・・・・・変じゃねーよな)

うんうんと、1人で頷きながら携帯を耳に押し当てる。
コール音を聞きながら鼓動が速くなるのを感じた。
久し振りだから緊張してるんだろうか。
三橋相手に緊張する日がくるなんて、と我に返って少し可笑しくなった。

『はい』
「三橋か?」
『・・・・・・・・阿部、くん?』
「おぅ、久し振り」
『うん・・・・・・・』

なぜか鼓動がいっそう速くなった。
声だけ聞くと三橋は少しも変わってなかった。
遠慮がちな話し方もそのままで、ワケもなく安心した。 そして嬉しくなる。

「今度さ、会わねえ?」
『え』

すぐさま用件を言うと、やや焦ったような声が聞こえた。
こういう調子の声も聞き慣れたものだ。

「いいだろ? あ、それとも忙しい?」
『え、 だ だいじょぶ!』

胸の中がどんどん温かくなる。
やっぱり、会いたかったんだなと改めて自覚しながら、
お互いの空き時間を突き合わせて日と場所を決めた。

場所は中間地点の駅前にした。
三橋も春から1人暮らしをしている。 あの三橋が。
でも理由はオレとは違って、通うのが大変だからだ。
本人からそれを聞いた時思わず
「おまえ、大丈夫か?!」
とオレが言ってしまったくらいだから、親はもっと心配だろう。
1人息子だし、中学時代は離れていたってことだから
親としちゃできれば自宅から通って欲しかったんじゃないだろうか。

住んでいる場所はオレのアパートからならそれほど遠くもない。
電車を乗り継いでせいぜい1時間てとこだ。  中間地点にすれば何てことない距離だ。
今まで会おうと思わなかったほうがむしろ。

(変なのかもしれねーよな・・・・・・・・)

うきうきとそんなことを思いながら、約束の日にオレは待ち合わせ場所に向かった。






○○○○○○

三橋はすでに来てオレを待っていた。
姿を認めた途端に。  ぱちぱちと数回瞬きした。

「阿部、くん」
「・・・・・よぅ」

改めて見直してから、そっと息を吐いた。
変わってない。 でも一瞬見違えた。 何かが違うように感じた。
2ヶ月前と同じ髪、同じ顔、見慣れた練習着でもガクランでもないけど
別に突飛な服装というわけでもない。
時々は見る機会もあった無難な私服姿だ。 なのに何で。

(違って見えた、んだろう・・・・・・・)

疑問の言葉は心でつぶやくだけに留めた。
なんか、変わった? なんて聞くだけ無駄だ。 それによく見ると別に。

「変わんねーな、三橋」
「阿部くん、も」

ふにゃっと笑った。 見慣れた控え目な笑顔。
なのにまたぱちぱちと瞬きしてしまった。 なにか変だ。
何がと言われれば、どうにも上手い言葉が見つからない。 強いて言えば。
つまりなんというか、三橋の周辺だけ光っているような。

(・・・・・・・疲れてんのかなオレ?)

なんてこともこっそり思っただけで口には出さず、とりあえずどこか店に入ることにした。
時間が夕方ってこともあって腹もすいていたし、ヤロウ2人でサテンもねーだろと
チェーン居酒屋に入った。
高校時代は考えられなかったけど、大学生になってから
付き合いでビール程度はそこそこ飲んだりもする。
三橋も特に慌てる様子もなく、頼んだジョッキを普通に飲んでいるところを見ると
似たようなもんなんだろう。
僅かにちくりとした。

(・・・・・・・?)

何でこんな気分に、  と思ってから
三橋の日常生活がオレの知らないものになったことが面白くないんだと、すぐにわかった。
高校時代は何しろ全部把握していたから。
なので再会の常套でもあるしと、飲みながら根掘り葉掘り今の生活を聞いた。
バイトしてるかとか野球部の様子とか細々と聞き出しては、頭の中にインプットした。
練習日もチェックしてオレと同じ曜日なのに、嬉しくなる。
だってつまりオレのヒマな日は三橋もだってことだ。

ちゃんと自炊してんのか? という疑惑満々の質問にはごにょごにょとぼかしたところを見ると
コンビニ弁当で済ませることも多いらしい。  オレも似たようなもんだけど。

「ちゃんとバランス考えて栄養摂んねーとダメだぜ?」

自分のことを棚上げして言うと、三橋は小さく笑った。
本当は 弁当じゃなくて作れと言いたいところだけど
料理している三橋を想像すると恐ろしく危なっかしい気がして、オレもそれ以上強くは言わない。

三橋はビールも手伝ってか、結構よくしゃべった。
たどたどしい話し方は相変わらずだったけど、
以前はイラついたことも多いこの独特の調子も今日はまるで気にならない。
それどころか懐かしい。
ホっとしている自分にも気付く。
三橋の傍は安心する。 それだけ馴染んだ空気なんだろう、と改めて思う。
3年前の今頃は考えられなかったけど。

(・・・・・・いろいろ、あったもんな・・・・・・・)

少々感慨に浸りながらもオレは上機嫌で飲んでしゃべった。
三橋も案外イケるクチみたいで、アルコールのせいで目元をほんのり染めながら
思った以上にいろいろしゃべった。 楽しかった。
それに加えてほろ酔いも手伝って、時間に気付かなかった。
気付いて時計を見た時は結構な時刻になっていた。
電車はまだあるだろうけど。

「なあ、今日オレんち来ねえ?」

誘ったのは離れ難かったからだ。
うちに来ると、明日の朝三橋が大変だろうとはわかっている。
承知しながらもまだ一緒にいたかった。
三橋は、迷うような顔をした。 困った顔にはならなかったことで、期待が湧いた。

「いいだろ? 明日はえーの?」

畳み掛けると、首を振ってから柔らかく微笑んだ。

「行く・・・・・・・」

幸せな気分だった。














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