大学生。 三橋は1人暮らし。



最初にそのメールが来たのは朝学校に行く途中だった。

『さっき窓に虫がとまっていたので追い出しました』

それがどうした、と阿部は声に出さずにつぶやいた。
でもその時点ではそれ以上特に何も思わなかった。
三橋は一般的には変人の部類に入るんじゃないかとは
高校時代から思っていたし、その変わり者を恋人にした時点で
そんなところもひっくるめて好きだった。 恋とは偉大である。
とはいえ何と返信したものか、と思案しているとすぐに次が来た。

『2ミリくらいで丸っこくて黒い虫です。 飛びます』

蝿じゃねーの? と返信を打ったらそれに対する返事が来た。

『動きが鈍いから、蝿じゃないと思う。 摘んで外に出しました』

ああそう、とつぶやいて 「ご苦労さん」 と打って送った。
その後午前中の講義を受けている最中にまたメールが来た。

『また虫がいました』

講義中だったので返信しないでいると、続きが来た。
それも1分置きに何度も来た。

『外に出しました』
『またいました』
『さっき見た時はいなかったのに』
『追い出しました』
『またいました。 今度は2匹』

阿部は講義が終わってからメールじゃなくて電話した。

「虫がなんだって?」
「・・・・・なんかいっぱい、いて」
「窓開けっぱなしで寝たんじゃねーのか?」
「そ、んなこと して、ない」
「ならいーけど」
「でも 虫が」
「殺虫剤でも撒いとけ」
「あの、最近 会えない、ね」

三橋は唐突に話題を変えた。
最近忙しくて会う時間が取れないのは阿部のほうで、悪いとは思っていたから
素直に謝っておく。

「あー、ごめんな」
「ま、まだ 忙しい・・・・・?」
「んー、来週までは無理だな」
「・・・・・・・そっか・・・・・・」
「おまえ、ずっとアパートにいんの?」
「オレ、今週 ヒマ」
「間がわりーな。 来週になったらいろいろ終わっからさ」
「・・・・・・・・悪い 虫」
「は?」
「・・・・・・・・寄ってない?」

一瞬意味がわからなくてきょとんとしてから理解した。
三橋は浮気を疑っているのだ。
生来の短気で思わずかっとしかけたけれど、速やかに発想を変えた。
ヤキモチを焼かれるのは悪くない。
1人でうじうじと抱え込まずに、はっきり言うのもいいことだ。
でも疑われたままなのは不本意だった。

「アホかおまえ、変な心配してんじゃねーよ」
「う」
「とにかくまた連絡すっから」
「うん・・・・・待ってる」
「じゃな」

通話を切ってから言葉が足りなかったかと思ったけど深く考えなかった。
今週はやっかいなレポートの締め切りが2つあるうえに
それを忘れていたせいで連日バイトを入れてしまっていて、優雅に悩んでいるヒマなどない。
学校が違うとこういう時に不便だなんて今さら言っても仕方ないし、
どうせ来週会えば些細な不安は氷解するだろうと、すぐに忘れた。
でもその夜またメールが来た。
この頻度は三橋には珍しいと意外に思いながら内容を見れば。

『床にまた虫がいました。 追い出しました』

阿部はじっとその文面を見つめた。
昼間の言葉が蘇って、これは何かの比喩なのかと眉を顰めたところで次が来た。

『また見つけた。 今度は壁にいました。 外に出しました』

「明日殺虫剤買いに行け」 とだけ返信してから電源を切った。
とにもかくにもレポートを書き上げなければならないのだ。
文句も恨み言も来週まで待ってくれと言い訳しながら無理矢理切り換えた。

翌日携帯を見るのを躊躇ったのは嫌な予感がしたからで
午前中いっぱい電源を落としていて、ようやくチェックしたのは昼休みだった。
着信は30件あって、全部三橋からだった。
メールには繰り返しほぼ同じ言葉が書かれていた。 30件延々と。

『また虫がいました』

ぞくりと背筋が冷えた。







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