ノイローゼかもしれない、と阿部が暗い声で言った時花井はてっきり
阿部自身のことだと思った。
それくらいその顔は憔悴していた。
阿部とは同じ大学だから学内で偶然会う機会も多く、
前回顔を見たのは先週くらいだけど、その時は普通だった。
一週間の間に何が起こったのか。
もしや三橋と別れたのかと思ったが違うらしく、でも要は結局三橋のことだった。

「あいつ、最近変なんだ」
「変?」
「毎日虫がどうとかメールしてきやがって」
「虫・・・・?」
「もしかしてノイローゼじゃねーかな」
「なんで?」
「いもしない虫を見てるような気がすんだけど」
「・・・・・・・実際にいるんじゃねーの?」
「それにしちゃ変なんだ」
「・・・・・?」
「メールじゃ埒が明かねーから何度か電話もしたんだけど」
「うん」
「あいつの言い分をそのまま信じるとすると、毎日出てくるらしいんだ。 それも大量に」
「大量ってどんくらい?」
「最初の日は40匹くらい、次の日は50匹、その次の日はまた50匹」
「・・・・・・・へえ」
「それもいっぺんにじゃなくて、少しずつ」
「・・・・・・・ふーん」
「たった今いなかった場所に湧くように出てくるとか、あり得ねー」
「うーん・・・・・・」
「そんで見ろよこれ」

阿部は携帯を開いて花井に差し出した。
着信にはずらっと三橋の名前が並んでいて、件名は全部 「また虫がいました」 だった。

「・・・・・・・マメだな」
「てか、おかしいだろ?」
「まあ確かにちょっと」
「ちょっとじゃねーよ」
「会いに行けば?」
「・・・・・実は今日これから行く予定なんだけど」
「ならいーじゃん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・こえーんだよ」
「怖い?」
「実際に虫なんてどこにもいなかったらどうしようとか」
「いるかもじゃん」
「だからそれはないって」
「・・・・・・そうかな?」
「追い出しても追い出してもまだいるってのも妙だし」
「・・・・・・うーん」
「それに先週オレに寄る虫がどうとか言ってたんだよな」
「はあ」
「ノイローゼだと思うんだ」
「とにかく行ってみればわかんだろ」
「行ってみて虫がいなかったらどうする?」

話が戻ってしまった。
阿部は本気でびびっているようだった。
花井はため息をつきながら 「どうせヒマだし」 と考えた。
それにメールの頻度が普通じゃないのは確かなので。

「わかった。 いっしょに行ってやるから」

それでもまだ浮かない顔の阿部を急き立てて三橋のアパートに行くと、
三橋は嬉しそうに2人を迎えた。
花井がいることに少し驚いたようだが、いそいそと招き入れてくれた様子は
至って普通だった。
が、部屋に入ってざっと見回すと、虫なんかどこにもいなかった。
阿部の顔が引き攣った。 やっぱり、と顔に書いてある。
花井はストレートに聞いてみることにした。

「三橋、最近虫がいるんだって?」

途端に三橋の表情が曇った。 

「・・・・・・今はいない」
「今は?」
「さっき 2匹 見つけて、外に出した」
「・・・・・・ふーん」
「でもきっと そのうちまた・・・・・」

そこまで言って口を噤んで、怯えたような顔をした。
阿部の顔色もいっそう悪くなった。
空気が奇妙に張り詰めて、不自然な静寂が落ちた。
その時三橋が黙ったまま窓のほうに目を向けたかと思うと、さっと顔色を変えた。

「ほら、いる・・・・・・」

窓の一点をさす指は微かに震えていた。
少し緊張しながら花井がそこを見ると、確かに小さな丸い虫が止まっていた。
なのでひとまずホッとした。 
三橋は幻覚を見ていたわけじゃなく、つまり阿部の取り越し苦労だったのだ。
阿部も安心しただろうと、顔を見やるとなぜか依然として青かった。
それから花井に向かっておそるおそる、という口調で聞いてきた。

「おまえにも見えてるよな・・・・・?」
「当たり前じゃん」

そう言ってやっても阿部の顔は晴れなかった。
なぜだろう、と首を傾げていると今度は三橋が泣きそうな声で聞いてくる。

「あのオレ、祟られてる、のかな・・・・・」
「はああ?」
「む、虫、いっぱい 変 だよね」
「そりゃまあ・・・・・・」
「オレ、最初、オレのヤキモチが 見せてる幻かもとか 思って」

同じ発想をするあたりが似た者どうしである。
そう思えば笑いそうにもなるが、2人はそれどころじゃないようだった。
三橋は本気で泣きそうだし、阿部はそんな三橋を気遣わしげに見ながらも、
平静じゃないのは明らかだ。 
当初の懸念は外れていても、今度は事態そのものを不気味がっているのか。

「でも 幻じゃない、よね。 気が付くといるんだ。
そんで追い出してホッとして でもちょっとしてから見ると、 ま、またいて」
「ははあ」
「ま、窓もドアも ちゃんと閉めてる、のに」
「あー、それはつまり」
「たたた祟られてる・・・・・?」

花井は2人の顔を交互に見て、そして呆れた。
阿部も三橋も本当にわかっていないのだ。
現象だけ見れば気味が悪いのは認めるが。

「おまえら、バカじゃねーのか?!!」

まだ引き攣っている2人を尻目に、花井は台所の棚を端から開けていった。
説明するよりも見せるのが早いと踏んだからだ。
オカルト映画じゃあるまいし、閉め切った室内に虫が大量に出てくる理由なんて
そう多くはない。
最後に開けたところには乾物だのレトルト食品の類が入っていて、
一目見るなりここだと確信した。
棚の内部のそこかしこで蠢く黒い点は見ないようにしつつ
食品をチェックすると、小豆の入った透明な小袋があった。
生理的な嫌悪感に耐えながらその袋を指先で摘んで、
中身が2人によく見えるように持ち上げてやった。

「げっ」 と阿部が呻いた。
「うわあ」 と三橋は目を丸くした。

袋の中身は小豆と虫が半々、という惨状だったけど、
ややあってから2人揃ってにこにこと笑った。
心の底からホッとしたような嬉しげな笑顔だった。

「大元の駆除と掃除は自分らでしろよ。 オレは帰るかんな」

言いながら立ち上がると、さっきまでとは打って変わったけろりとした顔で阿部が言った。

「ついでに掃除も手伝ってくんね?」

アホかあ!! と花井が力いっぱい怒鳴りつけたのは言うまでもない。









                                             虫  了

                                            SSTOPへ





                                                      我が家にあった実話。