胸に灯る温かな (前編)





昼休みに机に突っ伏して惰眠を貪っていた阿部がふと目を覚ましたのは
チャイムが鳴ったからじゃなくて、賑やかな声のせいだった。
よく知っているその声は同じクラスではなかったけど
大方花井に用事でもあって来て、そのまま居座っているのだろうと、
気にも留めずに眠りの続きに入ろうとしたのだが。

「人間って相手との距離がさ」

田島の声はイヤでも耳に入ってきて、聞くともなしに聞いてしまう。

「1メートルだと他人で」
「ふーん?」

応じたのは泉である。 さては9組3人組は連れ立って来たらしい。

「30センチが友達」
「ふんふん」

今度は水谷だった。

「10センチは親友なんだってさ」
「なるほどなー、わかる気する」
「へ、へえ・・・・・・・」

最後の感心したような声は三橋だった。 
話題はすぐに別の他愛もないものに移っていったが、今しがた聞いたそれに
しばし思いを巡らせたのは、期せずして浮かんだことがあったからだ。

(オレと三橋の間って今何センチくらいだろう・・・・・・・)

考えてもわからなかった。 もちろん1メートルじゃない。
けれど10センチと言い切れる自信もなかった。
阿部がそのつもりでも三橋のほうはどうなのか、と疑ってしまう時点で
ダメな気がする。
そう思ったらふいに寂しく感じて、そんな自分にとまどった。

(もっと仲良くなりたい・・・・・・んかなオレ)

自問してみてもよくわからなかった。
いつかの夜父親に 「投手と友達になる必要はない」 と言ったことを思い出す。
あの時は本当にそう思っていたけれど、根底にあったのは
三橋よりも榛名だったと、今はわかる。
三橋と榛名は違うのだ。 とはいえ。

(三橋って時々よくわかんねーんだよな・・・・・)

ひどく明け透けに信頼や好意を見せる瞬間があるかと思えば、
よくわからないことでキョドったりもする。
近いのかそうでもないのか、距離がわかりづらいのだ。
片言のような物言いに、解読不能なことが未だにあるのももどかしい。

(田島は簡単にわかるみてーなのにな・・・・・・・・)

でも、と気を取り直す。
入学した頃を思い出せば、三橋も自分も随分変わったと思う。
それもいい方向に。
それに伴って自分への態度も格段に違ってきた。

(・・・・・・よな、うん)

阿部はとりあえず満足して、それ以上は深く考えずにその話題は忘れた。
少なくとも、忘れたつもりだった。





○○○○○○

翌日の土曜の朝、いつものように着替えている時に視線を感じて、
そっちの方を見ると三橋だった。
何気なく見つめ返したら、一瞬のキョドリの後に逸らされてしまった。

「・・・・・・?」

些細な出来事だったが、その後ランニングが終わった時にも同じことが起こった。
何か用事があるのかもしれない。
そう思って、その後は意識して観察していると
三橋はどこかそわそわしているようにも見えた。
時折空を見つめて楽しそうににこにこしている。
かと思うと、次にはすうっと沈んだ顔になったりして挙動が不審である。
三橋にはよくあることだが。

(変なヤツ・・・・・・・)

だけで片付けようとした阿部であるが、もう1つ気付いたことがあって
そういうわけにもいかなくなった。
三橋は1人で面白い顔をした後に、決まってちらりと阿部のほうを見るのだ。 
そして目が合うと慌てて逸らす。
そのパターンを5回やられたところで阿部は確信した。
何かあるに違いない。 それも自分に関する何かが。

(さっさと言やーいいのに)

いっそ聞いてみようかとも思うが、離れた場所からの観察によってわかったことを
わざわざ問い質すのも躊躇われる。
それにおかしな点はそれだけで、練習には身が入っていたこともあって、
気になりながらも何も聞けずに1日が終わってしまった。
結局、と阿部は帰り支度をしながらため息混じりに考えた。

(オレらってまだ親友ってんじゃねーかもな・・・・・・・)

言い出さない三橋にも腹が立ったが、聞けない自分も情けない。
こっそりと2度目のため息をついたその時だった。

「あの 阿部くん!!」
「え」

いつのまにか近くに三橋が寄ってきていた。
少し驚いてから、やっとか、という期待を込めて顔を見やると。

「きょ、今日いっしょに 帰ってもいい?」
「は?」

思わず不審げに聞き返してしまう。
わざわざ言われなくてもどうせいつものように皆で連れ立って帰るだろうし、
三橋は栄口とともに方向が同じだから、途中まではイヤでも一緒だ。

「あ、ダ、ダメ なら」
「・・・・や、ダメじゃねーよ別に」

ホッとしたように三橋が笑って、阿部は内心で首を傾げた。
まさかそれを言うために今日ずっとそわそわしていたんだろうか。
それとも敢えて2人だけで帰りたいということか。
しかしその後三橋は特に何も変わった行動はしなかったので、
通常どおり全員で帰路につき、途中コンビニに寄って小腹を満たすのも
いつもと同じ流れだった。

けれど三橋の言葉の意味はその後にわかった。
いつもなら曲がるはずのところで曲がらなくて、
栄口に 「あれ?今日は寄り道?」 と聞かれるとこくりと頷いたのだ。

(あ、そーゆーこと・・・・・・)

その後は阿部の推測が当たって、栄口と別れたところで2人きりになった。
今日の様子からすると何か改まった用事があって、
それで付いてきているのだろうと見当はついたものの、
待っていても三橋は何も言わずにもくもくと自転車を漕ぐばかりで
とうとう阿部の家の前まで来てしまった。
阿部は自転車を降りて待った。
まさか一緒に帰るだけが目的じゃないだろうからで、
何を言われるのかと少し身構えるような気分にもなる。
三橋も自転車を降りて阿部に向き合うと、僅かにもじもじしてから顔を上げた。 

「あの 誕生日 おめでとう、阿部くん」

阿部は虚をつかれた。 これは予想外だった。
今日が自分の誕生日なのを忘れていたわけじゃないけど
ことさら宣伝していたわけでもない。
三橋が知っていたことに驚いたし、幾分身構えていたせいで拍子抜けもした。
でももちろん、素直に嬉しくもなったので。

「おー、ありがとな」
「あの それでオレ」
「うん?」
「オレ あの だから」
「・・・・・・・なに」
「プ」
「・・・・・・・・?」
「プ、プレゼント なにか したいなって」
「え・・・・・・・・」
「でも何が、いいか わからなくて」
「・・・・・・・・はあ」
「あの 何か、欲しい物 ある?」

これも思いがけなくて、束の間呆けながらも阿部は納得した。
おそらく三橋は朝からそれが聞きたかったのだろう。
でもなかなか言い出せなくて、結局最後の最後になってしまったと。

そう合点がいったし嬉しいのも本当だが、同時に微かな苛立ちも覚えた。
それだけ聞くのに1日がかりってどうなんだ。 何でここまでためるのか。
性格もあるだろうけど、それだけとは思えない。 

(・・・・・・オレのせい?)

有難い言葉に苛立っているのをどうかとは思いつつ、面白くない気分も確かにある。
それで阿部は認めないわけにはいかなくなった。
以前を思えば格段の進歩だとわかってはいるが、もっと普通の、
いや普通以上に遠慮のないフランクな付き合いを望んでいるからこそ、
時折思い出したようにひょいと出てくる気後れのような態度が癇に障る。
誰に対してもそうならまだ諦めもつくのだが。

(もっとこう、気楽にできないんかよおまえ・・・・・・)

ぼやきそうになって呑み込んだ。
ここは素直に喜ぶところだよなと気を取り直す。
遠慮が見え隠れしながらも頬を紅潮させて返事を待っている表情に促されて
何がいいかと真面目に考えてみれば、真っ先に浮かんだのは
つい今しがたの文句そのままの要求だった。 品物よりも。

(もっと気安くしてくれんのが一番の贈り物なんだけど)

という本音をストレートに言うにはプライドが邪魔をするのである。
そんな小っ恥ずかしいこと言えっか、と一蹴してから阿部は困った。
何か適当な物、と考えてもすぐには思いつかない。
ふと昨日聞いた会話が蘇って、1つの単語が掠めたけれどそれも言えない。
言えるわけがない。

と思ったはずなのに。

「ゼロセンチ」

三橋が 「へ」 と間の抜けた声を出した。
阿部も 「え」 と驚いた。
今の言葉誰が言ったんだろう。

(・・・・・・オレだよ!!)

途端に頬がかあっと火照った。 それから慌てた。 慌てまくった。
浮かんだのは 「10センチ」 だったのに、出てきた時にはゼロになっていた。

(・・・・・・じゃなくて!!)

言うつもりなどなかったのに、何故言ってしまったのか。
勝手に飛び出たんだと言い訳しようとして、意味がないと気付いてやめた。
無意識だろうが何だろうが、言ってしまった事実は変えられないのだ。
大体、 と阿部は自分で突っ込んだ。

(ゼロセンチってナンだよ・・・・・・・)

普通に聞いたらわけがわからない。
もちろん前提にあるのは前日に聞いた会話だから、当事者だった三橋にはわかる
かもしれないが、むしろわかってほしくないのは10じゃなくて0だからだ。
小っ恥ずかしいどころか最大級の恥ずかしさ。

(いやだから間違い・・・・・・・)

心で言い訳しながら、ふと思った。
無意識に出たきたということは、もしかしてひょっとして。

(オレ、そう思ってんのか・・・・?)

距離ゼロセンチの仲、ってどういう仲だと考えた途端に浮かんだ図に
顔ばかりでなく全身がぼんと熱を帯びた。 ちょっと待て。
内心のうろたえっぷりが一気に加速しながらも
残っていた理性がそこで一番の重大懸念事項を喚いた。

三橋に、引かれる。

己の深層心理だのはこの際横にどかして、今まさに三橋がどう思っているのか。
「ゼロセンチ」 を昨日の話題のことだと正しく判断すれば
その先の解釈はいくら三橋でも阿部と同じ発想になるに違いない。
そしてどうなるか。 当然まずは引かれるだろう。
それもドン引きってやつだ。 それだけは避けたい。 となれば。

(取り消さねーと・・・・・!!)

その当たり前の結論が出るまでの無駄に大量の思考や突っ込みは
猛スピードで脳内を駆け巡ったので、時間にすれば10秒かからなかった。 
永遠とも思えた10秒間だったが。
今ならまだ間に合う、と三橋が正しい解釈をする前になかったことにするべく口を開く。
「間違えた」 と 「冗談だよ」 のどちらが有効だろうか。

と一瞬迷ったところで三橋が言った。

「わかった」

阿部はぎょっとした。 
本日3度目にして最大の予想外に、聞き間違いか空耳かと己の耳を疑っているうちに
三橋がまた言った。

「いい、よ」

阿部の頭の中がすっきりとした。
つまりは驚きすぎて真っ白になった。

「あのでも 今すぐは 無理 だから」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「また 別の 日に」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「じゃ、じゃあ」

白くなったままの阿部を相手に、三橋は1人で会話を終えると自転車に跨った。

「マジか・・・・・・・・」

阿部がぽつりとつぶやいたのは、
去っていく三橋の背中がすっかり見えなくなってからだった。














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