胸に灯る温かな (後編)





阿部の頭が本格的に再稼動したのは、しばらく経った後だった。
それだけ混乱が深かったのと、ヘタに考えると家族の前でおかしな言動をしそうで、
敢えて締め出していたのもある。
夕食も風呂も済んで自室に落ち着いてから、阿部はようやく真剣に考えた。

一体三橋はどういうつもりなのか。
「ゼロセンチ」 と阿部は言い、対して三橋は 「いいよ」 と言った。

(それってつまり)

脳内に別れ際と同じ図がポンと出現して、1人でまた赤面した。
ほとんど無意識にぽろりと零れた言葉だけど、意味を考えるとどうしても
恋人どうしがするような類のことしか浮かばないのは、自分が変なのだろうか。

(・・・・・・・いや普通だよな)

肯定したはいいが、それはとりもなおさず三橋も同じことを考えたということだ。
恋人どうしのするゼロセンチの代表格と言えば、やっぱり。

(・・・・・・キ)

一文字でストップがかかった。
想像図も恥ずかしいけど単語だけでも結構な威力があって、心拍数が跳ね上がる。

(いやちょっと落ち着けオレ!)

3回ほどそう念じると、少し冷静になった。 
妙な方向にまっしぐらな思考をユーターンさせて、発想を変えることにする。
恋人は一旦リセット。

よく考えれば三橋がどういう解釈をしたかなんてわからない。
それでなくても阿部の普通と三橋の普通は違う、と思われることが多々あるではないか。
大体 「わかった」 というのは何がわかったのか。
たとえば、本当の意味で正確に阿部の真意を察した可能性だってある。
「もっと気安く接してほしい」 ってやつだ。

(・・・・・・・でも、それだと)

「今すぐは無理」 はわかるとしても 「別の日に」 というのはそぐわない。
ニュアンスからすると 「何かをする」 と思うほうが自然な気がして、
うーん、と阿部は頭を抱えた。
たった今リセットしたばかりの諸々があっというまに戻ってくる。
束の間の冷静だった。

(もしかして、マジで)

2度目だったからか、今度はまともに考える。

(キスとかしてきたりして・・・・・・・・)

言葉にした途端にうわあっと転がりたくなったのは、その手のことに免疫がないせいか。
部屋に戻るまで保留にしておいたのは正解だった。 
どんな顔をしているかわかったもんじゃない。 熱くてたまらない。
しかし放り出すわけにもいかないので、何とか再度気持ちを落ち着ける。

(・・・・・あ、そういや抱き合うってのもあるな)

少し無難なやつを思いついたはいいが、
直後に「抱き合う」には2つ意味があるなと気付いて墓穴を掘った。

「・・・・・・・・!!!」

声にならない叫びを上げて、阿部は1人でぜいはあと息を切らした。
無難どころかいきなり過激な方にぶっ飛んだ。
消耗が激しいので、ゼロセンチの具体例を探すのはやめることにする。
それよりも、と阿部は思った。 他に考えるべきことがある。
それで結局自分はイヤなのかどうなのか。 これは重要だ。
真ん中をとってキスと仮定するとして。

(・・・・・・・・・・・・?)

よくわからなかった。 
照れ臭いのは確かだけど、イヤというほど強い感情でもなく、
どうなんだこれ、と自分に呆れたところでふと気が付いた。
どこかで 「そんなまさか」 という気持ちもある。
要は現実味が薄いせいで、いまひとつぴんと来ないのだ。

(とりあえず、待つしかねーか・・・・・・・)

最後に阿部はそう結論を出した。
そもそも三橋がどういうつもりかが謎なんだから悩んでも無駄だ。
ただし心構えはしておく。
三橋が何をしてきても、要求したのは自分なのだし
その段になったら今はわからないことも見えるだろう。 主に自分の心境が。
三橋の心境までは残念ながら自信はないけれど、
見えたことによって、またどうするかを考えればいい。

そう腹をくくってしまえば、むしろ楽しみにもなったのである。






○○○○○○

そんなわけで阿部は翌日からそわそわと待った。

練習の合間につい三橋に目が行ってしまうが、三橋のほうに目立った変化はなく、
誕生日当日とは2人の様子が逆転してしまったことが何となく面白くない。
それに「別の日」がすぐ来るのかまだ先なのか皆目見当がつかないのも
精神衛生上宜しくないけど、三橋はいい加減なことを言うような奴じゃないとも
わかっているので、阿部はひたすら待っていた。
期待や少々の不安と、それからもやもやとよくわからない何かを抱えながら。

事態が動いたのは一週間ほど経ってからだった。
先日と同じように三橋が 「今日いっしょに帰ってもいい?」 と聞いてきたのだ。
来た、と阿部は思った。
すぐに承諾しながら、どきどきと胸が高鳴った。

その後も密かに高揚したまま何食わぬ顔で皆で帰り、
前回と同じように三橋は最後まで阿部にくっ付いてきた。
家の前まで来たところで、阿部は前回とは違う行動をした。

「あー、せっかくだからうち寄ってかねえ?」

誘ったのには理由があった。

(もしキスすんだったら外じゃないほうが)

という目論みはおくびにも出さずに笑ってやれば
三橋も頷きながら嬉しそうに笑ったりして、暗黙の了解を感じる。
母親に挨拶する三橋を急き立てるついでに
「お茶とかは要らないから」 と親に言うのも忘れない。
今日は部屋に入られては困るのだ。
せかせかと自室に招き入れた後、三橋が座るや阿部も向き合う形で座って、
準備OK何でも来い! とばかりに顔を見ると。

「阿部くんの部屋って きれい、だね」

がくりとした。
「まあな」 と生返事をしながら、さっさと動けコノヤロウ! と内心だけで罵倒する。
この調子でどうでもいい話を延々とするのは勘弁してほしい。 心臓が疲れるから。 

(・・・・・待てよ)

そこでハタと思いついた。
三橋のことだから、必要以上に躊躇するとか十二分にありそうだ。
勇気が出ないならばいっそ。

(オレからっつーのもありかも・・・・・・・・)

この際どっちからしても大差ないじゃないか、と意気込みかけた阿部であるが。

「あの、こないだ言ってた プレゼント だけど」

速やかに本題に入ってくれたことにホッとする一方で、俄かに緊張が高まった。

「お、おお」
「ちょっと遅くなっちゃったけど 渡す、ね」

さあいよいよだ!! と身構える。
そんな阿部の前で、三橋は妙なことを始めた。
いや普通に考えれば変でも何でもないけれど、
阿部の目に奇異に映ったのは予想したどの動きでもなかったからだ。
三橋は自分のカバンを引き寄せて、ごそごそと探りだしたのである。

(・・・・・・・?)

ぽかんと見ていると、四角い包みを取り出しておずおずと差し出してきた。
阿部はじっとそれを見つめた。
狐につままれたような心地だった。
手を出そうとしないでいると三橋が律儀に説明してくれた。

「あの、プレゼント です」

キスは? という質問が虚しく宙に浮かんだ。
ふわふわと漂うそれをひとまず横にどかして箱を受け取ると、大きさの割には軽かった。
無地のブルーの包装紙からは中身がわからない。
三橋の真意もわからない。
ついさっきまでの緊張や高揚が急速に萎むのに反比例して、困惑が深まっていく。
とにもかくにも、こういう場合に言うべき言葉は1つしかないので。

「・・・・・・・サンキュ」
「ど、どういたしましてっ」
「・・・・・・・開けてもいい?」
「も ちろん!」

どうにか気を取り直して包装紙を取り去って、中身を見た。
なにこれ、と出そうになったのをかろうじて呑み込む。 愚問だからだ。 
何かなんて見ればわかる。
次いで湧いた 「何でまたこんなものを」 という疑問もコンマ1秒で解決した。 
それもすぐにわかったからだ。
呆然としていると三橋の声が聞こえた。

「種類、幾つか あったんだけど」
「・・・・・・・・・・・。」
「あ、でも、近所のお店に なくて」
「・・・・・・・・・・・。」
「パソコンで ゼロ戦プラモデル、で探したら 見つかって」
「・・・・・・・・・・・。」
「通販 できたから、え、選んでみたんだけど」

先日とは全く違う理由で頬がかーっと火照るのを止める術などなくて、
せめてもと顔を見られないように下を向く。
恥ずかしくてたまらなかった。
何がって、三橋の解釈がわからないとか現実味が薄いとか
冷静に踏まえているつもりで、その実1つのことしか考えていなかったのを、
その瞬間自覚したからだ。
蓋を開けてみれば解釈もへったくれもなかった。
ゼロセンチと言ったはずが、三橋の耳には最後の 「チ」 が届いてなかったわけで。

(そんでゼロ戦のプラモって、どんなギャグだよ・・・・・・・・・・)

ここは笑うところなのかとも思うが、その気力すらない。
未練たらしく漂っていた 「キスは?」 がぱちんと弾けて消えていく。
自分からしなくて良かった、と慰めてみるも
メモリゼロまで目減りした気力は回復どころか、隠せているかも疑わしい。
現に俯いたまま黙っている阿部に、三橋は不安になったのだろう。
そこで問いかけてきた声はさっきよりも小さかった。

「あの、き、気に入らなかった・・・・・?」

いやそういう問題じゃなくて、と言いかけてやめた。
ならどういう問題だと聞かれても困るからだ。
何も言えずにいると、三橋は 「あっ」 と口の中でつぶやいた。

「もしかして プラモデル、じゃなかった・・・・?」

当たり、 とまた心だけで返事をする。
違うにも程があるものを期待してました、とももちろん言えない。

「オレ、てっきりそうだと、思って」

三橋の声が小さいだけでなく、弱々しくなった。

「ち、違ってたら、ごめ・・・・・・・」

ついに湿り気を帯びたことで、のぼせていた頭が少し冷えた。
手にした箱に改めて目を落として、阿部はようやく我に返った。 
先刻とは別の意味で。

(これ、一生懸命選んでくれたんだろうな・・・・・・・)

ちくりと胸が痛んだ。
阿部は顔を上げて正面から三橋を見た。
さっきまで紅潮していた頬が青白いことに胸の痛みが増した。
そんな顔をさせるつもりじゃなかった。

「や、勘違いじゃねーよ。 こういうの欲しかったんだ」

三橋の表情がぱあっと一転した。 
願ったとおりの、空気さえ明るくなるような笑顔にまずはホッとする。

「よ、良かった!」
「ちょっとぼんやりしてて、ごめんな?」
「ううん」

嬉しそうに首を振る様子を見ながら、気持ちが急速に凪いでいく。
それとともにじわりと喜びも湧いた。
行き違いはあったけど、三橋の気持ちが純粋に嬉しい。
自分の言葉1つでこれだけ喜んでくれることには感動すら覚える。

そして阿部は、ふいにすとんと腑に落ちた。

(・・・・・そうか、オレって)

遠慮してほしくないとかゼロセンチ希望とか
こうして何だかんだと振り回されていることとか全部、要するに。

(オレ、三橋のことすげー好きなんだな・・・・・・)

今さらとも思えたが、言葉にすると目からウロコが落ちたようにすっきりした。
好きの中身が強すぎる友情なのかそれ以外の何かか、まではわからない。
でもきっと親友以上の存在なのだ。
もし恋情だったら嘆くべき事態なのかもしれないけど
その時阿部は不思議なくらい平静な気持ちだった。

家族でもない人間が初めてこれだけ大きな存在になった。
三橋が大事なのだ。
胸の中にほっこりと温かい領域があるのが心地良い。
絶対誰にも侵せないそれは三橋がくれたもので、
三橋以外の誰ももたらすことができないのだから、これ以上ない贈り物なのだ。
そんなこと当の三橋はわかっていないだろうけど。

それに三橋だって同じなのかもしれない。
今回の回りくどいやり方だって、気後れじゃなくて 「特別」 の表れという
可能性もあるわけで。

(・・・・・・・だったら嬉しい)

でも違っていても別にいい、とも思う。
三橋がどうあろうと、胸に灯った確かな温もりはとても強くて、
それだけで満ち足りた気分になる。
友情以外のものだったらこの先苦労するのかもしれないけど、とりあえず今は。

「ありがとう、三橋」

穏やかな幸福感に浸りながら、阿部は三橋に心から笑いかけたのだった。














                                         胸に灯る温かな 了

                                           SSTOPへ





                                             遅くなったけど、愛と願望を込めて。  おめでとう阿部!