苦悩する男




どうしてこんなことになったんだろう。 

本日何度目になるかわからないその疑問に オレのせいだよな、と自分で回答する。 
わかりきった自問自答をついやってしまうのはそれだけ悩んでいるからだ。
無関係ならここまでは悩まなかったのに、と花井は自室の机の前で頭を抱えた。 

そもそもの発端はごく他愛のない、微笑ましいとも言える光景だった。
巣山が弁当のおかずを自分で作ってきて、お裾分けとして皆に振舞うのはたまにあることで、
そういう時の常で一同喜んで旨い旨いとパクついたのであるが。

「巣山、これどうやって作んの? 難しい?」

そう訊ねたのは栄口だ。
彼は炊事をすることもあるようだから、そのためだろう。

「あー、意外と簡単だぜ?」
「この味、弟が絶対好きだと思うんだよなー」

そんな流れで巣山は手順を説明し始めたわけだが、
いくらも経たないところで沖が驚いたように口を挟んだ。
何故なら出汁をとるところから始まったからだ。
最近巣山は和食に凝っているそうで、その日も和風の煮物だったから
不思議ではないものの正直花井も驚いた。

「え、ダシって粉のやつじゃないの?」
「あー、うん、これは違うけど・・・・・でも顆粒の出汁でも大丈夫」
「すごいなー巣山」

心から感動したように言ったのは水谷だ。

「なんつーか、本格的?」
「え?そうかな?」
「うん、すげーよ。 巣山偉いなあ」

それを皮切りに賞賛の声が幾つも上がり、巣山は満更でもない様子だった。
褒められて悪い気のする奴はいない。

「や、まあ好きでやってることだから」

照れたように言ってから残りの手順を説明したのだがその内容は
普段ロクに料理をしない連中にとっては簡単とは言い難く、全員からほうっと
感嘆のため息が漏れた。 栄口もそれは同じだったようで。

「オレ作れっかなー・・・・・・・・自信ないかも」
「コツさえ掴めば分量とかは適当にやっても大丈夫だよ」
「そのコツがね、和食ってなんか難しそうで」
「まあイメージはそうかもな。 オレも以前は菓子ばっかだったんだけど」
「お、お菓子!?」

そこでがっぷり食いついたのが三橋である。 さもありなん。

「どんなの 作った、の?」
「いろいろ。 最初はクッキーから入って」

おおお、と田島と三橋がきれいにハモった。
2人の顔はきらきらを通り越してビカビカしている。
そこに至って少々雲行きが怪しくなったのが三橋の隣にいる男である。
それまでは普通に感心したような表情だったのが僅かに曇ったことに、
花井は目聡く気が付いた。 たまたま近くにいたからだが。

(やれやれ・・・・・・・)

花井の内心のため息をよそにその後は田島が巣山にあれこれと質問を繰り出して、
菓子談議が始まった。
三橋は巣山のほうに伸びるようにして聞き入っているため、阿部に背を向けた格好である。
最初は少しだった阿部の曇り度合いが次第に増していき、
ついには半眼になってむっつりと黙り込んでいる様は
ぺかぺかと発光している三橋とは面白いくらいに対照的だった。
一番端っこの位置にいるせいで、花井以外の奴には見えないのがせめてもというところか。 

(ったくこいつは自覚してんだか、してねーんだか・・・・・・・)

しかしながら何か文句を言ったわけでもなし、休憩の終わりとともに
阿部の不機嫌も一応なりを潜めた。
練習が全て終わった後に次年度予算の打ち合わせのため、
副である阿部と栄口とともに残った時も問題はなかった。
作業は滞りなく進んで、その時点では花井も昼の一件は忘れていた。

問題はその後、栄口が家の用事とかで慌しく先に帰った後
2人でコンビニに寄ったところで起こった。
いつものようにレジの隣にあるケースから選ばずに
何気なく奥まで入ったのはたまたまだったが、
陳列された菓子の群れを見るや、阿部の仏頂面が復活したのである。
どうやら思い出したらしい。 しかもその時はそれだけで済まなかった。

「どーせオレは料理なんてできねーしな」

ぼそり、と唐突に漏れた言葉は悲しいかな花井に言ったものだろう。
だって他に誰もいないのだから。

「・・・・・・作ったじゃん、夏の合宿で」
「まともに作ったのってあれが初めてだったし」
「あ、そう・・・・・・・・・まあ普通はそんなもんじゃね?」
「米だってあん時初めて研いだ」

それはどうなんだ、とは呑み込んだ。

「まー練習で忙しいからな、仕方ないって」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

下りた沈黙は長いだけでなく、重かった。 空気が重いのだ。
阿部の本音は頭ではわかる。
練習で忙しいのは同じなのにちゃんと作ってる奴もいる、
という事実に落ち込んでいるわけではなくて、
要は三橋があんなに喜ぶことが自分にはできないのが面白くないんだろう。
それはよーくわかるけど、同時にわかりたくない花井である。

何となればバッテリーだからってそこまで執着するのは何故か、
なんてことを考えたくないのだ。 避けて通りたいナンバーワン事項ってやつだ。
これ以上妙なことを言い出す前にさっさと買ってさっさと食ってとっとと帰ろう、
という目論みは、しかしすぐに崩れ去った。

「三橋ってさ」

がくりと花井はうなだれた。 遅かった。

「食うの好きだよな・・・・・・・」
「うんまあ・・・・・・・」
「菓子なんてオレには逆立ちしたって作れねーっつの」
「普通の男子高校生は作れないだろ」

逃げたい話題でも律儀にフォローに勤しむのは、もはや性である。

「まあそうなんだけど・・・・・・・」
「だから気にすんなよ」
「気になんかしてねーよ」

でも凹んでんじゃん、と突っ込まないのは変なグチが出てきたら困るからである。
聞き役に徹するのは危険だ、と本能が告げて花井は急いで考えた。
手っ取り早く浮上させるためには。

「あのさ、阿部」
「なに」
「三橋はつまり食うのが好きなんだからさ、作れるかってのはあんま関係ないと思うぜ?」
「・・・・・・・そうかな」
「そうそう、料理の話ができなくても何か食いモン買ってやれば
それが一番喜ぶんじゃないか?」

相当おざなりな助言だったけど、阿部の表情が明るくなった。

「そうだな、これに関しちゃ重要なのは過程じゃねーよな!」
「そーそー重要なのは結果!」

ホッとした勢いで強引に結論付ける。

「何がいーかなー。 やっぱ菓子かなー」

あっさりと納得して早くも物色し始めた阿部に
明日でいんじゃね? 本人もいるし、と言おうとしたところでふと目についた品が1つ。

「あ、これなんかどう? セールで半額」

何気なく提案したのは真実値段のせいだった。 

「お、いいかもな」

阿部は素直に頷いてその品を手に取ってレジに向かった。 回避成功。
首尾良く運んだことに胸を撫で下ろしながら、花井も適当にパンを選んだ。
しかしレジに行く途中で入り口近くにある陳列棚が目に入った瞬間、
ぎくりとして足を止めた。 そして己の大失敗を悟った。

目立つ場所に並んでいるのが華やかにラッピングされたチョコレートの群れなのは何故か、
なんて考えるまでもない。 
うっかり失念していた恐ろしい事柄を花井はその段になって思い出したのだ。
次いで本日の日にちも。

(明日ってバレンタインデーじゃん・・・・・・・・!!)

慌てて見ればすでに阿部は会計の真っ最中で、
店員がまさに先ほどの品であるチョコレート菓子を袋に入れたところだった。

「ちょっ 待っ・・・・・」
「ん? なに?」

満足げに袋を抱える阿部を半ば呆然と見ながら、言いたいことが幾つか浮かんだ。

それ明日あげるんだよな? とか
明日ってバレンタインじゃね? とか
バレンタイン用のやつじゃなくても、チョコはまずくないか? とかエトセトラエトセトラ。

けれど花井は何も言えなかった。
その時だけでなくその後別れるまでの間ひとつとして言えなかったのは、
阿部のあまりに満足そうな様子に水を差すのが気が引けたのともう1つ、
言ったとしても 「それが何か?」 などと黒い笑みを浮かべられたら、
と掠めてしまったせいだ。
結果、その後はお一人様苦悩大会の開催と相成って今に至る。

(オレがあそこでチョコなんか薦めなけりゃ・・・・・・)

いくら悔やんでも後の祭である。
どうしてこんなことに、と不毛な自問自答をしたところで解決するわけじゃないので、
花井は一歩進めることにした。

(大体あいつはどういうつもりなんだろう・・・・・・)

まず明日がバレンタインデーだとわかっているのかいないのか。
知らなかったとしても、それほど驚かない程度には阿部は野球バカである。
現に自分だってあの棚を見るまで忘れていた。
それも充分あり得る、と花井は少し気が楽になった。

その前にそもそも、阿部が三橋にどういう気持ちを持っているかもわかってないのだ。
限りなく疑っているのは事実だけど確信しているわけじゃない。

(そんな悩むようなことでもねーか・・・・・・)

奢ったり奢られたりはそう珍しいことではないし、贈り物用の品でもないし
たまたま前日に安く売っていたチョコレート菓子を
たまたまバレンタインデーに渡すだけであり、別におかしなことでは

(・・・・・・・・・・ないわけねええええ

やっぱおかしいだろ、と花井は再び頭を抱えた。 髪があれば掻き毟ったところである。

もし相棒以上の気持ちがあるのなら確信犯かもしれない。
その場合自分が背中を押したことになるわけで、花井にとっては
不本意なんてものじゃなかった。 自分をぶん殴りたい。
仮に全てが取り越し苦労で、思惑も何もない偶然の流れだったとしても。

(三橋がどう思うか・・・・・・)

いくら三橋が天然でもバレンタインにチョコを貰えば、
普通に告白と受け止めるんじゃないだろうか。
しかし阿部の方にそんな気がなかったらどうする。
かと言って、そんな気があったらもっとどうする。

推測だけで悶々としても埒が明かないから
いっそ今からでも阿部に電話して、とも思うがどうしてもできないのは
黒い笑みがチラつくのと、真実を知りたくないからだ。
知って安心するなら大歓迎だが、そうと断言できないうちは
目を逸らしていたい気持ちのほうが勝ってしまう。 

はーっと花井は長いため息をついた。
よりによって何で明日がバレンタインなんだよ! と理不尽な怒りまで湧く始末。
この一件さえなければそれなりに心躍る楽しいイベントのはずなのに。

(何だってこんなことに・・・・・・)

最初に戻ってしまった。 もちろんわかってる。
種を撒いたのは自分なのだ。 でもどう育つかなんて見たくない。
元々こういう悩みに向き合いたくないからこそ逃げの手を打ったつもりなのに、
結果が真逆にも程がある。
自ら掘った穴に落ちたようなもので、これぞまさしく墓穴ってやつだ。

「あああオレのバカ・・・・・」


苦悩の夜は刻一刻と過ぎていく。

楽しいバレンタインデーまで、あと数時間。












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