オマケ1 (翌日)




翌朝花井の足取りは重かった。 寝不足でもあった。
ただでさえあれこれと悩んで寝付くのが遅かったうえに
未明に悪夢にうなされて飛び起きた。 最悪の目覚めだった。

夢に出てきた阿部は幸せそうで、隣には三橋がいた。
それだけなら実際にもよく見る光景だけど
阿部の右腕は三橋の腰にしっかりと回っていて、両者の間には隙間がなかった。
くっ付いて立っている2人を前に汗を掻いていると、阿部が笑いながら言った。

「花井のおかげだよ。 サンキュー」

そこで目が覚めて朝っぱらからどっと疲れた。

そんなこんなで鬱々と登校した花井であったが、朝練の際には何も起きなかった。
マネジから皆にチョコが配られた時には
阿部が便乗するかもしれないとひやりとしたけれど杞憂に終わって、まずはホッとした。

その後放課後までも何事もなくいつもどおりに時間が過ぎて、常と違うことがあったとすれば
休み時間に女子の間でそれぞれの友チョコが披露されて盛り上がってたり
お零れ的に男子にも回ってきたりはあったけど、それだけだった。
本命のやり取りはさすがに目立つ場所では行われないらしい。
そう気付いたら、一筋の光明が差した。
もしも阿部にその気があったとしたら。

(誰もいないところで渡すんじゃねーか・・・・・?)

ありそうに思えた。
それなら何もアクションがないのも当然で、今日1日平穏に終わる可能性だってある。
ただし花井の見える場所では、という但し書きが付くわけだがそのほうが有難い。
あのチョコどうなったんだろう、と気にならないと言えば嘘になるが、
悪夢の再現になるより遥かにマシというものだ。

しかしそうは問屋が卸してくれなかった。
恐れていたことは放課後の練習も終わった、最後の最後になってやってきた。
皆で帰り支度の真っ最中に阿部の 「あ」 というつぶやきが聞こえて、
嫌な予感に怯えながらおそるおそるそっちを見やると
阿部が荷物の中をごそごそと探っていたのだ。 
ああ、と花井は天を仰いだ。 しょせん儚い夢だった。

見たくないけどそれもできずにこっそりと横目で窺っていると
果たして阿部は荷物から見覚えのあるチョコレート菓子を取り出した。
一気に緊張する花井である。
何でこんな他の連中もいる場所と時間に渡すんだよ!! と内心で罵倒しながら
急いで周囲を窺っても特に注目している奴はいないようだったのと、
一番騒ぎそうな田島がたまたま不在なことに僅かに救われた。

「三橋」

阿部が三橋を呼んで、花井の緊張もピークになったのだが。

「これ、やるよ」
「え」
「昨日安かったからさ」
「え・・・・・い、いいの?」
「うん、やる。 糖分補給しとけ」
「ありが とう!」
「今は時間ねーから帰ってから食いな」
「うんっ」

やりとりはそれだけだった。 
くだんの菓子も速やかに三橋のバッグに収まって、あれだけ恐れていたことは
1分もかからずにあっけなく終了した。

(え・・・・・・・・・?)

花井はぽかんとした。 
阿部は満足そうだったし、三橋も嬉しそうだった。 
でもそれ以上でも以下でもなく、想像したような妙なオーラを発する阿部とか
必要以上に赤くなる三橋とか、あるいは 「な、なんで」 ととまどう三橋とかも、
なーーーーーーんにもなかった。 
それだけ? とまず浮かんでしまって、直後に我に返って
いやいやいや、と頭を振る。 

(・・・・・・良かったじゃねーか)

言い聞かせるように思って、これにてめでたく一件落着。 

とは残念ながらならなかった。
ホッとしたのは間違いない。 けれど釈然としないのだ。
あんなに悩んだ時間を返せとは言わないが、今日という日にチョコを渡して
さらりと流れるのはおかしくないか。
そういや他の連中はどうなんだともう一度周囲を見回してみても
特に変な空気でもなく、皆いつもどおりに帰り支度をしていた。
強いて言えば栄口が苦笑いを浮かべていたくらいである。

(・・・・・・・・オレが変なのか?)

何でもないことを大げさに捉えていただけなのか、と改めて考えてもよくわからない。
何が普通で何が普通じゃないのか、考えるほどに見えなくなるようで
妙な孤独感にまで襲われた。
そんなもやもやは皆で連れ立って帰る段になっても続いていて、
一同でコンビニに寄ったところで、ついに花井は我慢できなくなった。
分かち合うまではいかなくても誰かに吐き出したい。
誰がいいかと眺めると幸い泉が1人離れて立っていたので、何気ない風を装って近付いた。

「なあ泉」
「んー?」
「さっきの部室でのことなんだけど」
「へ?」
「あれどう思った?」
「あれって?」
「だから、阿部が三橋にナンかやっただろ?」

棚を物色しながら生返事を返していた泉が、そこでくるりと花井のほうに顔を向けた。

「・・・・・・・ああ、うん。 やってたな」
「どう思う?」
「・・・・・・・どうって?」
「だからつまり、・・・・・なんつーか・・・・・・」

変じゃないか? と言おうとして躊躇ったのはまるで陰口のようで気が引けたからだ。
言いたいのは 「変」 というよりは 「怪しくないか?」 なのだが
それも憚られて言い方を思案していると、泉がさくっと言い放った。

「あいつらちょっと変だよな」

花井は密かに感激した。 さすがは泉。 一人ぼっちじゃなかった安堵も手伝って
よくぞ言ってくれた! と手を握りたいくらいに嬉しかった。 握らなかったけど。

「やっぱそうだよなー」
「でもまあ、あの2人だからな」
「え・・・・・・・・・」

今度は「当然」というニュアンスがあったことで、一転して花井は慌てた。
昨日の時点では浮かばなかった可能性に気付いたからだ。
2人がすでに付き合っているとしたら、先ほどの何気なさも辻褄が合う。

「それってどういう意味・・・・・・?」
「は?」
「・・・・・あいつらに限っては不思議じゃない・・・・・・?」
「まーそういうことかな」

嫌な予感が増した。
知りたくない、とも掠めたけれどこの際だから勇気を出して突っ込んでみる。

「まさか、もう付き合ってるとか・・・・・・・・」
「さあ? 知らね」

即答だった。 花井は混乱した。
付き合ってるかは不明なのに不思議じゃない、というのは矛盾している。
それに内容以前に言い方にも違和感を覚えた。
はあ? とかならわかる。  さあ? は理解できない。
もっと驚くとか苦笑するとか別の反応があって然るべきであり、
今日はいい天気だな → そうだな に匹敵する軽さなのは何故だ。

等々混乱のあまり絶句している花井を見て、泉は複雑な顔をした。
同情と理解と共感と達観と諦めが混じったようなその表情は、
でもほんの一瞬で消えて次にはむしろ淡々と言った。

「あのさ花井、真面目に言うけどさ」
「お、おお、なに?」
「あんまいろいろ考えないほうがいいと思うぜ?」
「・・・・・・・・・・。」
あの2人に関しては

最後のがやけに強調されたのは気のせいじゃないだろう。
そして花井はすとんと納得した。
泉の言わんとするところが今度はよくわかった。 わかり過ぎるくらいに。
2人の関係についても、泉は本当に知らないのだろう。
でももう1つどうしても確認したいことがあった。

「・・・・・・・みんなもそう割り切ってんのかな」
「うーん・・・・・・・聞いたわけじゃねーけど、そうなんじゃね?」
「・・・・・・・・・・ふーん」
「少なくともオレはそうだな」
「・・・・・・・・・・そっか」
「んでもう慣れたよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

花井は急に深い疲労を覚えて、それ以上は何も言わずに会話を終えた。
その後はぐったりした気分のまま過ごしたものの、
皆と別れた後で気を取り直して今回の一件を冷静に思い返してみると。

(あいつらじゃなかったら別に悩まなかったな、きっと・・・・・)

悩んだのは阿部と三橋だからだ。
何となれば悩ませるような雰囲気が2人にあるからで、
それが自分の不用意な発言がきっかけで表に出ることを恐れたのだ。

(結局何もわかんなかったな・・・・・・)

阿部がどういうつもりだったのか、下心があったのかなかったのか、
そして三橋がどう受け止めたのか。 
見た限りでは何も考えてなさそうだったが、三橋の思考回路は時々謎なのだ。
そもそも2人は好きあってるのかどちらかの片想いなのか、
あるいはそんな段階はとうに過ぎて実は付き合っているのか、
はたまた全部100%勘違いなのかも、何ひとつ判明しなかった。

あの2人に関しては、考えないほうがいい。

泉の言葉が蘇って、うんうんと花井は1人頷いた。 
全くもってそのとおり。
首を突っ込みたいなら別だけど、それはしたくないんだから考えるメリットは何もない。
2人の様子や言動がどんなに変でも怪しくても
「まあ阿部と三橋だからな」 とさらっと流して気にしないに限る。 泉は正しい。
実際昨日あれだけ悩んだことも幸か不幸か見事に空振ったわけだし。

(これからはもう、いちいち気にしないようにしよう・・・・・・)

念のためにともう一度自分に言い聞かせる。

(気にしない気にしない)

まだ足りない気がして、花井は目を瞑って尚も唱えた。 念仏のように。

気にしない気にしない気にしない気にしない気にしない気にしない気にしない
気にしない気にしない気にしない
正直気にはなるんだけど気にしちゃいけない
でも気にしないわけにはいかないような言動を2人してしやがるからその度に
呆れたり疲れたりすんのはもうどうしようもなくてでも
気にしてもしょーがないのは
わかってるわかってるから
気にしない努力をしなきゃ大体阿部が悪いと思うんだよな
三橋三橋って三橋に構いすぎなんだよ三橋だって阿部に拘ってるのが丸わかりで
そりゃ正捕手だから当然かもしんねーけど紛らわしいっつの
いや気にしないようにするけど
でもよく考えると主将だから部員のそういうのも把握してなきゃマズいんじゃねーかな
部員と部外の誰かじゃなくて部員と部員だもんなどうしたって目に付くもんな
嫌でも気になるってか気になるほうが自然で
気にしないなんて無理

(・・・・・・・あれ?)


花井の苦悩はまだまだ続くのであった。












                                    オマケ1 了 (オマケ2へ)

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                                            というわけで、あと1回続きます。 花井くんごめん。