キスが甘くなる時 -2
その日の練習後に部室でたまたま2人きりになったのは 阿部が部誌を書いていて残っており、三橋は単に着替えに手間取ったからだった。 大して珍しくもないことで、それまでも時々そういうことはあった。 成り行きでいっしょに帰ることも多かった。 でもその時、阿部は今までしたことのないことをした。 部誌を閉じて立ち上がり、着替えを終えようとしている三橋に近づいた。 何か用事かと思い阿部のほうに向き直った三橋の前に突っ立ったまま、 阿部はしばらく黙って三橋の顔を見つめていた。 それからゆっくりと手を伸ばして、三橋の右の手首を掴んだ。 無言のままで。 「・・・?・・・・・あの・・・・・・阿部くん・・・・?」 内心の動揺を何とか静めながら三橋は阿部に呼びかけた。 掴んだきり、阿部がずっと黙っているからだ。 (空気が・・・・・・・・・) 変だ、 と三橋は思った。 何かが違う。 どう違うのかと誰かに問われれば答えることはできないだろうけど。 三橋のとまどった声にも阿部は反応せず、掴んだ手も離さない。 つと、視線を手に落とし、掴んでいるのとは別の手でそろそろと手のひらを撫で、 それからそろそろと腕のほうまでその指を滑らせた。 ざわりと 肌が粟立った。 快感で。 それははっきりと、性的な触り方だった。 少なくとも三橋にはそう思えた。 ふいに保健室での出来事が蘇った。 拒絶の言葉を言うことも振りほどくこともできない。 それどころか。 (もっと・・・・・・・・・) うっかり思ってしまった。 頭で思ったというより体が欲している。 でも心の中は嵐みたいだ。 何をどう考えればいいのかもわからない。 こんな触り方はおかしい、 と頭の片隅で声がする。 けれど自分の思い違いかもしれない。 阿部のほうは捕手としての何らかの理由があって普通に触れているだけなのに 自分のほうにやましい気持ちがあるせいで、特別なものに感じてしまうのかもしれない。 等々の思いとは別に体が翻弄される。 触れられているのは腕の内側だけなのに。 まるで全神経がそこだけに集中しているかのような錯覚さえ覚える。 (もっと) 無意識にまた願って直後にそんな自分を 浅ましい、 とひどく恥じた。 恥じる理性とは裏腹に立っているのも困難なほどに全身が疼いた。 身動きもできない。 三橋はうつむいて目を固く閉じた。 火照っている頬を隠したかった。 動揺を映す目を見られることも恐れた。 視界が閉ざされると腕の感覚がいや増した。 震えだす体を必死で押し留めた。 目をぎゅっと瞑ってなす術もなく固まっていたら唐突に手が離れた。 同時に掴んでいた手もあっさりと外れた。 こっそりと目を開けたけれど、阿部の顔は見れない。 それ以前に自分の顔を見せたくなくて顔を上げることができない。 そしてまたもや爆弾が投下された。 「今、 感じた?」 三橋は前と同じように驚きのあまり弾かれたように顔を上げてしまった。 一体どういうつもりなのか。 呆然と阿部の顔を見つめた。 阿部は三橋の返事を待っている。 そこには恐れたような揶揄の色は微塵もなく、 表情はいっそ生真面目ですらあった。 空気がぴんと張り詰めている。 呼吸が上手くできない。 顔を左右に振るのが精一杯だった。 「ふぅん」 またもや気のなさそうなつぶやきが阿部の口から漏れた。 それが合図かのように急速に空気が戻った。 あの時と同じだった。 ○○○○○〇 そして三橋は保健室での一件を忘れることができなくなった。 なぜなら、それからたびたびそういうことが起こるようになったからだ。 周囲に誰もいない、2人きりの時にそれは起きた。 阿部が三橋の体に意味もなく触れる。 それは腕だったり背中だったりその時々でいろいろだった。 そのたびに千々に乱れる心を抱えながら三橋が耐える。 空気が奇妙に張り詰める。 そのあと必ず阿部は聞くのだ。 「感じた?」 と。 必ず三橋は顔を左右に振る。 阿部が 「ふうん」 と言い、空気が戻る。 まるで何かの儀式のようだった。 最初のうち、三橋はその都度パニックに陥った。 動揺に耐え、体の疼きに耐え、自制し混乱しそれから脱力し、ぐるぐると悩んだ。 いくら考えても阿部の真意がわからない。 ある日三橋はふと、1つの可能性を考えた。 (もしかして・・・・・・・・・・・) 阿部は自分のことが好きなんじゃないか。 自分と同じ意味で。 それはあり得ないと、でも三橋は即座に断定した。 (だって男同士だし・・・・・・・) 仮に自分が女でもそれだけはない、 と三橋は思う。 阿部は結構もてる、ということを三橋は知っている。 告白もそれなりにされているらしい。 本人が言わなくてもそのテの情報はイヤでも耳に入ってきた。 どういうわけか全部断っているけど、それは多分野球で忙しくてそんな気になれないのだろう。 そんな阿部が自分ごときを好きになるわけがない。 そこまでは三橋はスムーズに考えた。 (じゃあ何で・・・・・・・・・・) あんなことをするのか。 それだけではなく、あんなことを聞くのか。 そこに至って三橋の思考はいつも袋小路に行き当たったように進まなくなる。 最初に恐れたような、からかい という雰囲気でもない。 (・・・・・・・聞けば、 わかる かな・・・・・・) 理性ではそう思う。 思い切って聞いてみれば。 阿部は答えてくれるかもしれない。 悩むほどのことはない、何でもないことなのかもしれない。 そうわかりつつも、それがどうしてもできなかったのは 自分にとって残酷なことを言われるかもしれない、という恐れからだった。 三橋は阿部と両想いになれる可能性など少しも考えてなかったけど、 それでもその事実が決定的になるのはやはりつらいと、心のどこかで思っていた。 それは無意識の自衛であったため、三橋自身がはっきりと意識することはなかったけれど、 行動を起こすには強すぎるストッパーになっていたので、 実際に阿部に問いただす勇気は出なかった。 当然の成り行きとして、ひたすら推測するしかなかった。 でも考えても考えてもどうしてもわからない。 ついには、三橋は諦めた。 もうわからなくてもいい と思い、 それにつれて 阿部のその不可解な行動にも、半分麻痺したようになっていった。 自分の想いがバレることへの恐怖は消えなかったけど、それさえ気を付ければいいことだ。 三橋にとっての 「事件」 はそんなある日に起きた。 2 了(3へ) SSTOPへ |
いやわかりやすいから。