以心伝心





阿部が返事をしない。

と、泉は一瞬むっとした。
挨拶したのに無視されれば誰だっていい気はしない。
が、無言でくるりと泉のほうを向いた阿部はぱくっと口を開けて、人差し指で自分の口を指した。
そのままぱくぱくと口を2〜3度開け閉めした。  それで泉も阿部の状態に察しがついた。

「もしかして、阿部」
「・・・・・・・・。」
「声、出ないのか・・・・・?」








○○○○○○

「全然出ないのか?」
「まるでダメらしい」
「今日現国で当たってもぱくぱくするだけだったよな?」
「そうそう。 そんでセンセーに 『お大事に』、なんて言われてやんの。」
「風邪?」
「また季節はずれな・・・・・・・・・」
「風邪とは違うんじゃねえ?」
「熱とかは?」

放課後の部室で忙しない会話が交わされる中、話題の当人である阿部はその真ん中に座って
少々げんなりした顔をしながらも、聞かれる事に頷いたり首を振ったりと忙しい。

「熱がないのは幸いだったな!」

という言葉は、阿部というよりはまだ来ていない三橋に対しての言葉だったかもしれない。
その日は朝練がなかったので三橋は阿部の状態をまだ知らないだろう。
声が出ないだけなら練習にそれほど甚大な影響は出ないんじゃないだろうか。
そのことに一同は阿部を、というより三橋のためを思ってそれぞれ安堵した。

「でも何かと不便だよな・・・・・・」

花井がそうつぶやいた途端に阿部の顔がかすかに輝いた。
それに目ざとく気付いた花井は常の例で何とはなし、嫌な予感がした。
阿部は妙に嬉しげな顔でやにわに立ち上がると自分で紙と鉛筆を取り出してきて、
何事かをそれに書いた。
覗き込んだ一同がそこに見た文章は。

『三橋に通訳を頼みたい』

「三橋に・・・・・・?」
「通訳ってつまりぱくぱくして、それでわかってもらうってことか?」
「てか必要なことはそうやって書くのが早いんじゃないの?」

うっかり正論を吐いた水谷はじろり、と阿部に睨まれて首をすくめた。

「そうかわかった! 三橋なら目を見るだけで阿部の言わんとすることがわかる! と
そういうことだな?!」

嬉々として叫んだのは田島だった。
そのとおり!  とでも言いたげに頷く阿部を見ながら

「・・・・・いやむしろ田島の動物的勘のが通訳に向いてるんじゃ」

とぼそりとつぶやいた花井の言葉は、きれいに無視された。

「そうかーなるほど!」
「バッテリーだもんな!」
「一心同体でなくちゃな!」

口々に言う皆の顔も楽しそうに輝いている。 もはや遊びのノリだ。 
しかしおそらく阿部はマジだ。  花井はこっそりと胃を押さえた。

まさにその時部室のドアが開いて一番最後に遅れて来た三橋が入ってきた。
皆一斉にきらきらした目を三橋に向けると同時に

「三橋来た!」
「通訳通訳!」
「良かったな阿部!」

などと口々に叫んだもんだから、面食らった三橋は一瞬硬直してから
わけがわからなくて目を白黒させる羽目になった。
その後阿部の状態を聞いた三橋はまず心細げな顔になった。
次に 「通訳」 に話が及ぶと不安げな顔になった。 
阿部の期待に満ちた顔と実に対照的である。

が、気遣わしげな花井を除く全員が期待と好奇心いっぱいで見守る中、
気の毒にも三橋はおどおどしながらも阿部の正面に正座したのであった。

無言で心中を伝えるべく、じっと三橋を見つめる阿部。
不安げながらも使命を果たそうと、必死の面持ちで阿部を見つめ返す三橋。
そんな2人を固唾を呑んで見守る一同。

部室の中にはしばし、張り詰めた静寂が支配した。

ややあって三橋は口を開いた。  ごくり、と誰かが唾を飲んだ。  三橋は言った。

「・・・・『今日も練習頑張ろうな』・・・・?」

一瞬の間の後、阿部は力強く頷いた。
おおっ!!  という感嘆の声が上がった。

「すげぇわかるんだ!」
「さすがは一心同体」
「やっぱ違うなぁ!!」

口々の賞賛の声に三橋は心からの安堵の表情を浮かべ、それから嬉しそうに 「うひ」 と笑った。
ひとしきりの盛り上がりの後、また阿部がじぃっと三橋の目を覗き込んだ。
一同はまたわくわくと三橋の通訳を待った。

「『今日は投球練習に重点を置こう』・・・・・・・・?」

またもうんうん、と頷く阿部に歓声を上げる一同と嬉しげな三橋。 が。

「おいもう時間だぜ?」

花井の声で皆我に返った。
そして 「通訳」 にかまけて三橋だけ着替えをしてない、と気付いた。

「ヤベ」
「モモカンにシめられる〜」
「三橋も急げ!」
「あ、・・・・・・うん」

しかし本当はまだ少し時間はあった。
阿部の、(田島でさえ見落とした) ほんの刹那の表情に気付いてしまった花井の、
咄嗟の判断から出た小さな嘘だった。

「監督にはオレが言っといてやるから、慌てずに着替えな?」

花井の言葉にホっとしたように頷いた三橋が急いで着替え始める中、
一同はばたばたと慌しく部室を出て行った。 ただ1人、阿部を除いて。
最後に出た花井はちらりと阿部を一瞥した。
それから  「どうしてオレはこういうことに気付いちゃうのかなぁ」 と心でぼやきながら

「阿部は三橋といっしょに来いよ?」

と友情に厚い助け舟を出してやったのである。










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