ひとときの夢のような - 4





見つめ返しても逸らされない目にじっと見入りながら、鼓動が速くなる。 
向かいにいる他人のことなどもはやどうでもよくなった。
この誘惑に勝てる男など果たしているだろうか、いやいない。 いないに決まってる。

「・・・・・ほんとに?」
「うん」

間髪置かずに返って来た承諾にまたもや心臓が大ジャンプしたところで
三橋がぎゅっと目を瞑ったもんだから、他人の存在だけでなく
いろいろなものが頭から素っ飛んだ。
思考が停止したまま、ふらふらと顔を近づけようとして。

ガチャン! と耳障りな音が響いた。
反射的に音のほうを見れば、女が三橋を睨んでいた。 
カップをソーサーに置いた音だったらしい。
前にいる人間の存在をそこで思い出して、ついでに我に返った。 
動きを止めた阿部の頭に浮かんだことは。

(違うだろ・・・・・・・)

何が違うのか、はっきりとは意識せずにただそう思った。
その後ふと下のほう、三橋の膝の辺りに目を落としたのに理由はなかった。 
でも見てしまった。 
そして怒りが湧いた。
自分への怒りが一番大きかったのは確かだが、
前に向き直って低く告げた声はもう全く取り繕えなかった。

「わりーけどオレら、帰るな」
「え」

驚いたような声は前ではなく、隣から聞こえた。
阿部はちらとその顔を見てから、また前を向いた。
女の顔が再び歪んだのはおそらく先刻までとは別の理由で、
自分の顔と声のせいだろうとわかったけれど
変えることはできなかったし、女のために演技する気ももうなかった。

「これ以上あんたの言うことは聞かねえ」

その段になってまだ言い返してきたのは天晴れとも言えたが、
あいにくと声が震えてしまっていた。

「・・・・・・・じゃあ信じないけど?」
「勝手にしろよ」

見ていてわかるくらい、びくりと体が揺れた。
無理ないかなと他人事のように思った。

「好きにすればいい。 ただし」
「・・・・・・・・。」
「何があっても、オレはあんたとは付き合わねえ」

色の抜け落ちた顔をダメ押しとばかりにもう一睨みしてから、三橋に声をかける。

「行こうぜ?」
「え・・・・でも」
「いいからもう。」

言葉だけでなく伝票を掴みながら立ち上がって、急き立てるように緩く腕を掴んで促した。
歩き出す時短い時間とはいえ肩を抱いたのは、半分は促すためだったけれど
半分は見せ付けるためだった。 もちろん役得もあったのは否定できないが
要するに阿部は完全にブチ切れていた。
女が見ているのがわかったけれど、もう一顧だにせず店を出た。

これ以上付き纏われることはないという確信を持ちながら。







○○○○○○

店から出て歩き出したところで、すっと怒りが消えていった。
元凶から離れたからだが、それだけではなく。

「あ、あの 出ちゃって良かったの?」

歩きながらおずおずと聞いてきた声に、阿部は吹き出した。

「もう声作んなくていいよ」
「あ、そっか」

へへ、と顔を赤らめて笑う様子に今さらドキドキする。
格好や化粧のせいというよりは、汗だらけの泥だらけで練習している日常と
かけ離れている状況に心が踊った。
もう少しこのひとときの夢を長引かせたい。
すぐに帰るのが勿体なくて、近くの大きな公園へと向かうと
三橋も何も聞かずに付いて来る。
天気も良くて、まるでデートみたいなシチュエーションに
先刻までとは一転して阿部はうきうきした。

けれど自販機で買ったジュースを手にベンチに座ってから改めて顔を見れば
三橋はどこか沈んだ面持ちで、それが気になった。
何故そんな顔なのかと推測して。

「おつかれ」
「あ、阿部くん も」
「・・・・・悪かったな、ヤな思いさせて」
「え、そんなこと」
 
ないよ! と言いながら三橋はぶんぶんと顔を横に振った。
揺れるロングヘアーも悪くないけど、ふわふわとなびくいつもの髪が見たいと
ふと思った。

「でもオレ、びっくりしたよ」
「へ?」
「おまえ、度胸あんだな」
「あ・・・・・・・」
「マジ助かった。 ありがとな」
「うひっ」

嬉しそうな笑顔にホッとしたのも束の間、三橋の顔がまた微かに曇った。
何がそんな顔をさせているんだろう。
聞いてみようかと迷いながらとりあえずジュースを飲む。

「あの、大丈夫なのか な」
「え?」
「信じない、って言ってた」
「あー・・・・・多分大丈夫」

気にしているのはそれか、と思ったところで。

「ほんとに しても 良かったのに」

げほっ とむせただけでなく、ぼとりと缶を落としてしまって中身が零れた。
慌てて拾い上げながら、心臓が暴走する。
見れば、阿部の心臓の具合とは逆に三橋の顔は依然として冴えない。
まさかキスしなかったことが浮かない顔の原因とは思えないが
人の気も知んねーでと恨めしさが湧いて、しなかった一番の理由を突き付けてやった。

「・・・・・・震えてたくせに」
「え」
「おまえ、震えてた」

あ、 という顔になった。
正確に言えば震えていたのは三橋の手だけだったけど、気付いてしまった以上
挑発に便乗して平然とすることはできなかった。 それに。

「なんかさ」
「・・・・・へ」
「違うだろ」
「・・・・・・違うって・・・・」
「だからなんつーか、」

言葉を切って、考えた。 あの時に感じた強い抵抗感を分析してみる。

正々堂々と自分の意志でしたいと思った。
三橋が三橋でいる時に人に言われたからじゃなくて、
自分がしたいからする、と分かって欲しかった。
切望している瞬間が人に命じられて、しかもあるべき意味合いじゃないなんて
不本意極まりない。

うん、 と1人で納得してすっきりしたはいいが、何と言えばいいのか。
本音をそのまま言うわけにはいかないので。

「証拠のため、とか変じゃん」
「・・・・・・・うん」

まだ顔が晴れない。 何が気に入らないのかわからず、困惑が深くなったところで
ぼそりと三橋がつぶやいた。

「・・・・・・・気持ち悪い」
「へ?」
「・・・・・とかも あるよね」
「は?」
「オレにするのは」

どういう意味、とすぐにはわからなくて一拍してから理解した。
ぽろりと、今度は本音が転がり落ちた。

「全然」
「えっ」

まん丸になった目を見て 「あ」 と慌てた。
「おまえなら」 と続けて出そうになった言葉を喉の奥に押し戻した。 危なかった。

「そう なんだ・・・・・・」

言いながら三橋の顔がぱあっと赤くなったことに心拍数が増した。
またしても自分の顔まで赤くなったことがわかって、
どぎまぎしつつ慌てて地面を睨みつけた。
一体なんだこの雰囲気。 
空気が桃色に思えるのは自分だけだろうか。

気持ち悪いどころか、ぜひともしたいんだけどイヤでなければ大真面目に。

と空気に便乗して言いたくなった。 言えそうな気がした。 
間違っているかもしれないけど、この際どうでもいい。
その後のことは後で考えようそうしよう。
コンマ1秒でそう決断して、阿部は口を開けた。

「みは」
「あーらかわいいカップルねv」

まさにそのタイミングで、頭上から降ってきた声にぎょっとして飛び上がった。
顔を上げると、犬を連れたどこぞのオバチャンが前を通り過ぎながら
にこにこと笑っていた。
がっくりとうなだれた。 見知らぬオバチャンがとてつもなく恨めしい。
失速した阿部の心のような落ちたトーンで三橋がいかにも情けなさそうに
つぶやいた。

「そ・・・そんなに このかっこ 違和感ない、かな」

桃色の空気はきれいさっぱり消えていた。
浮かない顔の理由はつまりは結局それだったのか、
と阿部は気付いてから納得もした。
女装が似合って嬉しい男なぞいないだろう。
うっかり早とちりしそうになったことに冷や汗が噴き出した。 暴走しかけた。
ホッとすると同時に 「それでも言ってしまいたかった」 と刹那掠めた。

「・・・・・・・うんまあ」

服のデザインと化粧が上手いことも大きいだろうが、残念ながらそれだけではない。
でもそれは言わずに曖昧に頷くに留めたのは、三橋の表情があまりにも
情けなかったからだ。
男としては複雑だろうなと同情めいたものも感じるが、正直なところでは。

(いいもん見れた・・・・・・・)

改めて見惚れてから、ふと思いついた。
三橋の落ち込みに追い討ちをかけることになるかもしれないけど、
本気でそうしたかったし、残したい気持ちもあった。
それこそ気持ち悪がられるかも、 と恐れも湧いたものの
その思いつきの魅力には勝てなかった。

「あのさ、頼みがあんだけど」
「え?」
「写真撮らせてくんねえ?」
「へ・・・・・・」
「今度またしつこい女がいたら、オレの彼女ってそれ見せっから」

ありのままの三橋を 「恋人」 と言える日は来るのかと
お馴染みの切なさに襲われそうになったけど。
三橋の目が驚いたように見開かれてから、こっくりと首が縦に揺れて単純に嬉しくなった。

「・・・・・・三橋」
「へ?」
「今日は本当にありがとう」

改まって御礼を言うと 首大丈夫か、と心配になるくらいの勢いで
三橋は顔を横に振った。
それから笑った、その顔に今度は阿部が目を見張った。
三橋の笑顔は今では決して珍しくはない。 なのにいつもと違って見えた。
試合に勝った時などとは雰囲気が違うのは、化粧のせいだろうか。
先刻のがっかりとか、その前の諸々の出来事の不快な部分までが
一瞬でどこぞに吹き飛んだ。

というくらいのとびきりの笑顔に

(これが見れただけでいいや・・・・・・)

強がりでなく阿部はそう思い
心から満ち足りた、幸福な気分になったのだった。















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オマケ1

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                                             どこから見てもかわいいカップル。(自覚なし)