ひとときの夢のような - 3





女は三橋を一目見るなり顔を引き攣らせた。
対照的に阿部は無意識ににんまりと、頬を緩ませた。
やっためたらとかわいく見えるのはひょっとして
元々の顔に惚れている欲目かもしれない、という自制に基づいた推測は
ハズレであると、その瞬間確信したからだ。

(どーだ。 かわいいだろーが)

ふふん、 とさらに笑いかけてからかろうじて留まる。
気に食わないのは確かだが、一応交際を申し込んでくれた女性に対して
あまりな態度だという常識が働いたからだ。
女は憮然とした顔のまま向かい側の席に座り、
飲み物を注文してからおもむろに口を開いた。

「・・・・・・こんにちは」
「どーも」
「その人が彼女?」
「うんそう」

三橋は黙って頭を下げた。
極力しゃべるなと来る途中で厳命しておいたからだ。
万が一の場合は声を作れと言い含めるのも忘れなかったが、
何も言わずに済めばそれに越したことはない。

「・・・・・あなた、阿部くんと付き合ってるの?」

三橋に向かって念押ししてきたことにひやりとした阿部であったが、
三橋は無言のまま頷いた。 セーフ。
さっさと終わらせるに限ると踏んだ阿部は、早々にまとめに入った。
さすがに今来たばかりで早すぎるとは思ったから、不自然にならないように嘘も混ぜる。

「これで気が済んだだろ?」
「・・・・・・・・。」
「てことで悪いけどあんたとは付き合えないってことで」
「・・・・・・・・。」
「そんで実はこいつさ、今日具合わりーとこ来てもらったんだ」
「・・・・・・・・。」
「早々でナンだけど、もうこれで帰りたいんだけど」
「・・・・・・・・。」

黙ったまま三橋を睨みつけていた女は、阿部の言葉を軽くスルーした。

「あなたさ、阿部くんのどこが好きなの?」

視線はまっすぐに三橋に向かっている。
オレは透明人間か、と湧いた文句はひとまずどかして、阿部は横目で三橋を窺った。 
俯き加減になりながら膝に置いた手をぎゅっと握るのが見えた。
緊張しているに違いない。

三橋の緊張は予想の範囲内ではあったが、良くない展開だ。
質問をされた場合の返答までは話し合っていなかった。
もっと細かく想定して綿密な打ち合わせをするべきだったと今頃後悔しても遅い。
こんな内容のことに自分が代わって答えるわけにもいかないので、再度逃げを試みた。

「あのさ、今も言ったけどこいつ、熱あんだ。 だから」
「うるさいわね。 今この人に聞いてんだけど」

本当にオレに惚れてんのか、と何度目かの同じ疑問が浮かんだくらいの
つっけんどんな口調だった。 
思わずカっとしかけたのを堪えたのは、とにもかくにも
尾を引かないようにケリをつけたかったからだ。 それもできれば穏便に。
ここはもう三橋に任せるしかないんだろうと判断しながらも、
悠然と構える余裕もなく、何か上手い手はないかと回りかけた思考は、
そこでぴたりと停止した。
三橋が言葉を発したからだ。

「あの、ね」

内心で唸った。 男の声に聞こえない。
元々が男にしては高い声ではあるが、それにしても不自然でなく作っていて
三橋のどこにこんな度胸があったんだと阿部は密かに舌を巻いた。

「どこ? 早く言ってよ」

この女はまったく、とまたしても湧いた怒りを鎮めるために
阿部はグラスの水を飲もうとして。

「全部 好き」

ぶほっと吹きそうになった。 

思わずじーんと噛み締める。
演技でなかったらどんなにいいだろう。
そう掠めつつも赤面したのを自覚して、でもここでは敢えて隠さなかった。
横にいる三橋は見てないだろうし、赤くなるのは正しい反応だ。
それを証拠に自分の方をちらと見た女の顔が、明らかに面白くなさそうになった。
しかしまだ終わりにはならなかった。

「あーらそう、ごちそうさま」
「・・・・・・・・。」
「でもなんか信じられないんだけど」
「・・・・・・・・。」
「ほんとに彼女なのお?」

ムカムカだけでなく、ハラハラもする阿部のほうは見ずに三橋は黙って頷いた。
ずっと俯いているのは用心しているのだろう。

「全部、なんて嘘っぽくない?」
「嘘じゃ ない」

もはや女の嫌味ったらしい物言いも気にならないくらいの幸福感に浸る阿部である。
俯いている横顔が、かつらのせいでよく見えないのが残念だ。

「嘘だわね」

女が尚も否定した次の瞬間、阿部は我が目を疑った。
三橋がゆっくりと顔を上げて、女を見たからだ。
それだけでも驚きだったのに真っ直ぐに前を見据えたその目は、初めて見るものだった。

三橋が人を睨んでいる。 あの三橋が。

マウンドに立った時の目の強さとはまた違う光を呆然と見つめた。 
これは本当に三橋なのだろうか。
しかもそれだけでは終わらなかった。 その眼差しのまま三橋は再び口を開いた。

「絶対 渡さない」

女の顔が真っ青になってから引き攣った。 
阿部は危うくグラスを落としそうになった。
夢でも見ているんだろうか、それもとびきりの夢を、
と顔をつねろうとしてから思い留まった。
せっかくの迫真の演技を無駄にするような真似はできない。

とはいえ見た光景も聞こえた言葉も、いろいろな意味で予想を遥かに上回っていて
驚くやら嬉しいやら阿部は混乱を極めた。
混沌の渦から強く浮かび上がってきた思いが1つ。

(これが見せ掛けじゃなかったらどんなにか・・・・・・)

混乱に切なさまで加わった。
何とも複雑な気分で前を見れば、女は白くなるくらい唇を噛み締めていた。
テーブルの上で握られた手に悔しさが滲み出ている。
勝った、と思った。 
勝負でもないのにそう思うのも変な話だが、それが一番しっくりきた。
三橋は今はもう元のように俯いてしまったけれど、
先刻見せた目は横顔でも充分わかるくらいの強い光を帯びていた。
正面から見たらもっとだったに違いない。 加えてあの言葉だ。

無礼な女ではあるが追い討ちをかける気はない。
要は諦めてもらえればそれで良かったから、阿部は僅かに同情も感じた。
三橋がここまで見事にやってくれるとは思わなかった、と
感謝だけでなく尊敬の念まで覚えた。

しかし阿部は甘かったのである。
すっかり満足して、切り上げる無難なセリフを探し始めたところでそれがわかった。
女はぎりりと目を吊り上げたかと思うと、またしても爆弾を
今度は阿部に向かって放ってきた。

「じゃあ、今ここでキスしてみせてよ」
「はああ?」

盛大に顔を顰めた阿部に憎々しげに、女は重ねて言った。

「そしたら信じてあげるわよ?」

阿部は目を剥き、少しでも同情したことを後悔した。
悪足掻きか嫌がらせとしか思えない。
ふざけんな、とせり上がった罵倒をそのままぶつけようとして
ぎりぎりでそうしなかった一番の理由は店の中だったからだが。

(・・・・待てよ)

ふと、誘惑がよぎった。
叶わぬ想いと半分諦めている相手にキスできる絶好のチャンスではないか。

目だけで横を見ると、俯いている顔はかつらのせいで相変わらず窺えない。
でも今日の三橋は何しろぶっ飛んでるし、という客観的事実が
襲いくる誘惑に拍車をかける。 
恋する男なんて総じて愚かなもので、阿部はまさに恋をしているのだ。
それでも、非常識に過ぎるという冷静な判断が働いてから次に、
三橋だって嫌がるに決まってる、と理性が喚いた。
阿部は誘惑に一旦は打ち勝った。

「あんたさ、ちょっとムチャクチャじゃねえ?」
「あら、なんで?」
「人前ですることじゃねーだろ?」
「大丈夫よ」

周りを見回してから女はけろりと言った。 
店内がすいているうえに奥まったところにあるボックス席のせいで
店の従業員からも死角になっていることを言ったものだろうが、それ以前の問題だ。
アンタは人じゃねーのかよ、とは心だけでつぶやいて尚も反論する。

「大体、会わせればいいって話じゃなかったっけ?」
「だって怪しいんだもの」
「言いがかりも大概にしてほしーんだけど」
「だからキスしてくれればそれでいいわよ」

話にならない、とため息をついたところで小さな声がした。

「あの」
「へ?」
「・・・・・・・いいよ、 しても」

耳を疑った。
信じられない気持ちで隣を見ると、三橋は心持ち顔を上げて阿部を見詰めていた。
どきりと心臓が跳ねた。
















                                            3 了 (4へ

                                            SSTOPへ





                                                 欧米人なら迷わない(だろう)ところ。