ひとときの夢のような - 1





売り言葉に買い言葉だった。
何でまたこんなことになったのか、と阿部が心底困惑した時はもう後の祭だった。
でもそれくらい、その女はしつこかっただけでなく感じも悪かったのだ。

大抵は、といっても告白なぞされることはそう多いわけではないから
過去にあった少ない例で言えば、二言か多くても三言で済む場合がほとんどだ。 
阿部はいつも、まずは無難な言い方をする。

「悪いけど」

それだけで充分伝わる。 最後まで言えば 「悪いけど付き合えない」 となるわけだが、
前半だけで相手の表情が変わるから阿部もみなまで言わない。
それだけで済むこともあるし、まだぐずぐずと納得してもらえない時はもう一言加える。

「忙しくてそんな暇ねーし」

大体の場合ここで終わる。 さらに長引く時は決定打を告げる。

「それにオレ、好きなコいんだ。」

その後 「ごめん」 と謝罪など付け加えれば完璧だ。
相手の反応はその時々でいろいろだけど、基本的に嫌な思いをしたことはなかった。
むしろ阿部のほうが申し訳ない気分になることのほうが多い。
正直わずらわしさがないとは言えないが、
片想いのつらさは阿部自身よく知っているから無下にはできないし
悪いな、と感じる気持ちは嘘じゃない。

けれどその女だけは例外だった。
途中からちょっといつもと勝手が違うな、と思ったのは妙に強引な雰囲気があったからだ。
学年が上のせいかもしれないが、それ以前に性格的なものだろう。
断られるなんてあり得ない、という傲慢さが見え隠れしていて
早い段階から気分が悪くなった。 
それを顔に出さないように気を付けながら決定打を告げて、
終わったとホッとしたのも束の間、ほとんど間髪おかずに相手は言った。

「うそでしょう?」

その言い方もつい否定したくて、とかではなく
あからさまに決め付けているようでカチンと来た。 阿部は元々気が短いのだ。
それまでは一応敬語を使っていたのだが、怒りの勢いで素が出てしまう。

「嘘じゃねーよ」
「証拠は?」
「証拠お?」
「片想いだったらやめちゃえば?」

またしてもむっとした。 早く切り上げたかったのはそれだけじゃなく
放課後の練習が始まりそうで時間もなかった。
これも方便、と胸の内でつぶやいた。

「片想いじゃねーよ」
「そうなの?」
「ちゃんと付き合ってっから」
「うそでしょう?」

また同じことを言ったその女を、今度はぽかんと見てしまった。
図星だったわけだけど、それよりもそのしつこさと根拠のない自信に呆れ返った。

「なんで嘘って決め付けんだよ?」
「だってそんなところ見たことないもの」
「別の学校のコなんだ」

もはやでまかせもいいところだが、とにかくうんざりしていた。
早く終わりにして練習に行きたい一心で、納得してもらえれば何でも良かった。
潮時とばかりに 「じゃ、そういうことだから」 と言い捨ててから歩き出しかけた阿部は、
次の言葉でぴたりと足を止めた。

「じゃあ見せてよ」
「・・・・・・は?」

振り返って改めて顔を見ると形相が一変していた。 女って怖い。
本当に自分を好きなのかという疑いすら湧いた。

「どうせ彼女なんていないんでしょ? わかってるんだから」
「・・・・・・・・・。」
「いるってんなら証拠を見せて。 そのコに会わせてよ」
「・・・・・・・・・。」
「そしたら諦めてあげる」
「・・・・・・・・・。」
「でなかったら毎日帰りに待たせてもらうからね」

うんざり度合が増した。 勘弁してほしい。
同時にこの女ならやりかねない、とも感じた。 そんな事態になって三橋がどう思うか、
ロクなことを考えないのは火を見るより明らかだし、
ヘタすると自分の決定的失恋に繋がりかねない。
それだけは避けたかったのとか、完全に振り払いたいとか
時間がないという焦りなどで衝動的に口から出ていた。

「わかった。 会わせてやる」

びしりと叩きつけるように言うなり今度こそ背を向けて歩き出した。
その時はまだかっかしていたし、特に心配もしていなかった。
練習に没頭してすっかり忘れていたその一件を思い出したのは、
練習後にメールが来たからだ。
読んで初めて本格的に辟易して、それから焦った。
そこには具体的な日時が指定してあった。
しかも始末の悪いことにその日時は確実にヒマな時だった。
それを何故知っているか、は野球部の事情に詳しいからで
その理由はつまり、阿部のことだから、というわけだろう。
告白してきたからには不思議でないと納得しつつも、肝心なその事実を忘れていた。
ついでに湧いたもう1つの疑問の答は、メールの末尾にきちんと記してあった。

『メアドは以前水谷くんに聞きました』

「あのやろう」 と苦々しくつぶやいてから 「しめたる」 と不穏なことを付け加えて
見回した時にはもう水谷の姿はなかった。
ちっと舌打ちしたところで、当たり前だが事態は変わらなかった。







○○○○○○

(どうすっかな・・・・・・・)

阿部は悩みながらもまたむかむかと怒りが湧く。
何故知り合いでも何でもない女にプライベートなことで干渉されなければならないのか。
理不尽極まりない。 恋をしてれば何をしてもいいとでも思っているのか。

等々心で罵りながら、何でこんなことになったのかとため息をつくのも何度目か。
売り言葉に買い言葉のノリだったわけだが
一度言ってしまったことを引っ込めるわけにもいかない。 己の短気が恨めしい。
義理はないんだからといっそシカトも考えたが、
女の様子だのやり取りを思い出すと、余計にこじれそうな嫌な予感が拭えない。
ここは何とか希望どおりに 「彼女」 を見せて諦めさせるしかない。

そうは思うものの存在しないものを見せることはできない。
かといって 「あんたの言うとおり彼女はいません」 などと言う気もさらさらない。
しゃくに障るから、という以前にこの先2度と関わりたくない。

ではどうするか。
約束の日が3日後となったその日、阿部は真剣に方法を検討した。

(・・・・・それしかねーか・・・・・)

出した結論は、あまりいいやり方とは思えなかった。
つまり誰かに簡単に事情を話して、その時だけ彼女のふりをしてもらう、というもので
頼めそうな女子はマネジくらいしか思いつかない。
どこがマズいかというと面が割れている、という点だ。
他の学校のコ、と咄嗟についた真っ赤な嘘がバレないようにするためには。

(変装でもしてもらって・・・・・・・)

誰かわからないように化けてもらうしかない。
変装といってもメガネに化粧くらいしか術はないだろう。
後は帽子を深く被ってもらって、などと具体的に考えながら阿部は気が重くなった。
非常識で面倒なことを頼もうとしている自覚はあったし、
さらに心配なのは三橋のことだった。
もちろん秘密裏にこの件を終わらせるつもりだったが
噂というのはどこから漏れるかわからない。
うっかり間違った内容で本人に伝わりでもしたら。

(いっそ予めあいつにも言っとくか・・・・・・・・)

ふとそう思った。 そのほうが妙な誤解をされなくて済むし、
真実を告げることで起こりそうな弊害も思いつかない。
よし、 と決めた時阿部は本当にそれだけのつもりだった。


しかしその日の練習後に期せずして三橋と二人きりになった時に
予定外の色気がふいに出たのは恋する男の愚かさ、というやつだろう。
つまり阿部は嫉妬してほしくなったのだ。
「そこまで思い詰めている女がいる」 という事実に
三橋がヤキモチを焼いてくれはしないか。
もちろん望んでいる意味での嫉妬でないのはわかっているが
「なんとなく面白くない」 という様子が少しでも見られたらそれで良かった。
自己満足だな、と己を笑いながらも誘惑に勝てず、何気ない口調で 
そのくせ期待を込めて話しかけた。

「三橋、あのさ」
「へ?」
「オレ、こないだコクられたんだけどさ」

その時三橋は阿部に背を向けてしゃがみこんで荷物の中を掻き回していたのだが、
注意深く観察する阿部の目には何の変化も認められなかった。
探し物をしているらしい手は止まらなかったし、「ふうん」 とつぶやかれた声も
ごく普通だった。
ちくりと、胸が痛んだ。
バカなことを考えた、と後悔が湧くと同時に半分意地になった。

「そいつがしつっこくてさ」
「ふーん・・・・・」
「断りきれなくて」
「・・・・・・・ふーん」

普通だ。 普通過ぎる。 手も止まらない。
嫉妬どころか驚いている気配すらない。
彼女を作らない、と以前宣言した時の嬉しそうな顔に
うっかり期待が湧いてしまって悶々とした夜を思い出した。 バカみたいだった。
落胆だの自嘲だのやるせなさだの理不尽な怒りだのが身の内に充満した、
その勢いでぽんと飛び出した。

「てことで、そいつに諦めさせるためにおまえ、1日だけオレの彼女のふりしてくんない?」

言ってしまってから自分でぎょっとした。
これも売り言葉ってやつだろうか、などと掠めた。

「なーんて・・・・・・・」

慌てて冗談に紛らせようとして、阿部は言葉を止めた。
それまで淀みなく動いていた三橋の手が、そこでぴたりと止まったからだ。 

そのまま数秒間が過ぎた。
妙に空気が張り詰めたように感じるのは気のせいか。
それから三橋はゆっくりと振り返って、阿部を見た。
笑っても驚いてもいないその顔はごく平静に見えた。
真面目な声で淡々と、三橋は言った。

「いいよ、 オレ やる」













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