秘め事 -4(M)





「傘なんて意味ねーな」

顔を顰めて阿部くんがぼやいた。
オレもちょうどそう思っていたから 「うん」 と返事をする。
傘でガードできるのは肩から上くらいで、後は外に出て5分も歩かないうちに
びしょ濡れになった。 ほとんど意味がない。

「肩冷やすんじゃねーぞ三橋、 帰ったらすぐ着替えろよ」
「うん」

頷きながら、オレはまだドキドキしている。
阿部くんの言った 「大丈夫だから」 が頭の中でリフレインして止まってくれない。
言われた瞬間夢の出来事と感触をまざまざと思い出して、こっそりと大慌てした。
顔がかーっとなって頭もかーっとなって、それなのに思わず顔を上げてしまったら
阿部くんがオレをじっと見ていて余計に焦った。 
すぐに隠さなきゃと思いながら数秒そのまま見てしまって
気付けば見詰め合ったりして動悸がもっとひどくなった。
その後、とにかく御礼だけはちゃんと言えて、ホッとした。

阿部くんには何か言いたいことがあるんじゃないかという不安は
否定してもらえて良かったけど、オレの気持ちがバレちゃうかも、
と別の心配が湧いた。  だってその後も顔がどんどん熱くなって、
絶対変だって自分でわかってもどうにもならなくて、話しながら泣きそうだった。
見られたらおしまいだと思ったから。
せめて声だけでも普通に聞こえるようにと、必死だった。

幸い変には思われなかったみたいで、
「帰ろう」 と言ってくれた阿部くんの声は全くいつもどおりだったから、
ああ良かったと安心したら火照りが収まった。 
それは良かったんだけど緊張が大きかった分力が抜けて、
今度は歩けないんじゃないかと不安になった。

けど動いてみたらどうにか歩けたし、動悸はなかなか収まらないけど
何しろ天気がこれだから、並んで歩いていてものんびり話もできなくて
却って良かったかもしれない。

そんなことをぐるぐると考えていたせいか、阿部くんが何か言ったのを聞き逃した。
雨の音に掻き消されるくらいの小さな声だった、こともある。
阿部くんらしくない。
もしかしたらオレに言ったんじゃないかもだけど、気になった。

「・・・・・・・今、なんて 言ったの?」
「え」

雨と風に負けないように大きめの声で聞いてみたら
阿部くんは意外そうにオレを見た。 やっぱり独り言だったんだろうか。

「・・・・・や、大したことじゃねーけどさ」
「うん・・・・・?」
「何で断ったのかなーって」

何の話? ときょとんとしてから思い出した。 今日のことだ。
今日の昼休みに別のクラスの女子から 「付き合ってください」 て言われて
びっくりしたんだっけ。 さっきの緊張のせいですっかり忘れていた。
思い出したと同時に悲しくなった。
付き合ったほうが、阿部くんは良かったんだろうか。

「・・・・・・なんでって」
「あ、別に付き合えってんじゃねーぜ?!」

阿部くんは心を読んだようなことを言った。
どきりとしたけど、次にホッとした。 また考え過ぎた。

「ただ、素朴に不思議ってか」

阿部くんが好きだから、だよ。

という本音はもちろん言わない。 でも心で思うくらいなら許されると、思う。
口では別のことを言う。 それだって嘘じゃない。

「練習で 忙しい し」
「あー、まあな」

でもそれだけじゃなくて。
付け加えたのは衝動的だった。

「オレ、彼女なんて 作らない」
「え」

阿部くんがくるりって感じでこっちに顔を向けた。 またどきんと心臓が鳴った。
まさか今の言葉でバレたりは、しないよね。

「そうなんだ?」
「うん、 作らない、よ」
「じゃあ・・・・・また誰かに言われても断るわけ?」
「うん」
「・・・・・・絶対断る?」
「うん」

阿部くん以外は。 

「ふーん・・・・・・そっか」

阿部くんの顔が何だか嬉しそうに見えるのは気のせいかな。
オレが彼女作らないほうが阿部くんはいいのかな。 でも阿部くんは。

「・・・・・・・言われたら、付き合う?」
「は?」
「阿部くん は 誰かに・・・・・・」
「え、あ、オレ? まさか」

何でもないように阿部くんは言い切った。 途端に嬉しくなった。
今までも断っていたらしいから淡い期待もあったけど、
それはオレの勝手な願望が混ざっていたから。
付き合わない理由はわかっているけど、それだけで嬉しい。
阿部くんがそう断言したことが嬉しくて堪らない。

「い、忙しいもん ね!」
「てかおまえの世話だけで手いっぱいだよ」
「え」

足を動かすのを忘れた、せいで前に進まなくなった。
気付いた阿部くんが怪訝な顔で立ち止まった。
今何かすごいことを言われたと思うんだけど、聞き違いだろうか。

「オレの世話・・・・・・?」
「・・・・・・だってそうだろ?」
「う・・・・・・」
「おまえのフォローでオレは充分だっつの」

聞き違いじゃなかった。
浮かれそうになってから、でもそれなら、と気付いて複雑になった。
だってもしかして、オレは。

「邪魔、してる・・・・・・」
「え・・・・・?」
「オレのせい、で彼女 作れな・・・・・・・」
「はあ?」
「あのオレ、のせい、で阿部くん・・・・・」
「・・・・・・・・・。」

阿部くんが黙り込んだんで、おそるおそる顔を窺うと別の方向を睨んでいた。
黙ってるってことはつまり図星なんだろうか、
と青くなったところでぼそりと何かつぶやいた。  もっと青くなった。 だって。

そうだよ、 て聞こえた ような。

でもわからない。 風の音に掻き消されたそれを聞き返す勇気なんてない。
確認したくない、けどオレは阿部くんの、迷惑になってるのかもしれない。

目の前が暗くなって足の力がすうっと抜けた。 
歩くどころか立っているのがやっとだ。  それが顔に出たのかもしれない。 
阿部くんはオレの顔を見て小さく 「あ」 と言ってから、いつもより早口で言った。

「おまえのせいじゃねーよ」
「・・・・・・・・・・。」
「オレがそんな気になれねーってだけで」
「・・・・・・・そう、なの?」
「うんまあ、だからさ・・・・・・・」
「うん」
「・・・・・・・だから、つまり」
「うん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・?」
「・・・・・・とにかくさ、おまえの世話でいっぱいなのはほんとだけど
 おまえがそれで責任感じることはないってこと」
「・・・・・・・・・・でも」
「それがなくてもどうせ作る気もねーしな」
「え」
「ヒマがどーの、以前の問題だからさマジで」

ぱあっと光が差したような気がした。 足の力が戻ってくる。
阿部くんは嘘を言っているように見えない。
オレの世話がなくても阿部くんは、誰のものにもならないんだ。
夜中に布団の中であれこれ想像したことは、現実にならない。
それが高校時代だけでも。

「う、嬉しい・・・・・・・」
「えっ?」

阿部くんの目が丸くなった。  あ、と慌てた。 
うっかり出た本音を、なかったことにするためには。

「あ、ごめ ちが、 あ、嬉しい、のはほんとだけど あのだから」

パニックになった。 無理だ。 一度言ったことを取り消すなんてできない。
バレたらおしまいなのに、 と泣きそうになったところで。

「オレも、嬉しいよ」
「へ・・・・・・・」
「や、だからさ、・・・・・・おまえの世話すんの楽しいし」
「え」
「おまえに彼女できたら なんかな、」
「え、あ、 オレも お、同じ、阿部くんに彼女できたら さ、寂しいな って」
「オレは作んねーよ」
「オ、オレも!」

阿部くんが真剣な顔でオレを見てる。 オレは目が離せない。
きっと今、オレの顔は赤い。 ドキドキする。 嬉しくて、走り出したい。
阿部くんはふっと苦笑いした。

「・・・・・オレたちってほんっと野球バカな」
「うん!」

やれやれって感じの口調だったけど、オレにとっては良かった。 
阿部くんが野球一筋で本当に良かった。

「・・・・・・いつまで突っ立ってんだよ、行こうぜ?」
「あ、うん!」

急に元気いっぱいになったオレは歩き出した。
いつのまにか雨は小降りになっていて風だけになっている。 だけでなく。

「あ・・・・・あそこ、晴れてる」
「え?」

阿部くんの視線の先を見ると、遥か遠くの空の一角の雲が切れていて
幾筋かの光がすーっと地上に降りているのが見えた。
綺麗で、何だか不思議な光景で、見惚れてしまった。

「あれって、台風の目ってやつかな」
「・・・・・・わかんない」

わかんない、けど。
今のオレの心みたいだ。

阿部くんが彼女を作らない、それだけでオレは充分幸せだ。
オレの見た夢も、したことも絶対絶対秘密だけど、
阿部くんが誰のものにもならなければ、それほど罪悪感を感じないで済む。

「あー、やっぱジェットコースターだ・・・・・・・」
「へ?」

阿部くんのつぶやきがわからなくて聞き返すと
「こっちの話」 と阿部くんが笑ったんで、オレもつられてうへっと笑った。
2人で笑える、それが嬉しい。 
秘密が増えていくのは苦しいけど、同じくらい幸せだからいいんだ。 でも。


あの光の筋がいつまでも消えなければいいのに。

どこかでそんなことを願った。














                                       秘め事 了 (オマケ

                                         SSTOPへ






                                               匍匐前進のような進展。(と言っていいのか)