初恋未満 (前編)





不意打ち的に、蘇った。

近くのコンビニまで行こうと玄関に下りたところでドアが開いて
入ってきた2人と鉢合わせした時、ふいに脳裏に浮かんだのはあの写真だった。

途端に自分の顔が真っ赤になった、 のを自覚した。

漫画だったら 「かあ」 という効果音が入るだろうというくらいの勢いで頬が火照ってしまって、
自分で 「ヤバい」 と思った時はもうアニキに気付かれてしまっていた。
続いて傍らにいる今はもう見慣れた細身の投手の人、も
オレの顔を見てとまどったような表情になった。

それがわかってこっそり慌てたせいで、却って頬の熱がひどくなって、
急いで顔を伏せて足早に出るくらいしかできなかった。  動悸がしていた。

(・・・・・・・びっくりした)

自転車に跨りながら忙しない心臓をなだめようとしたところで、
また思い出したのはあの写真だ。  収まるどころか動悸がひどくなった。

あれを見たのは偶然だった。
辞書を借りるつもりでアニキの部屋に入って、
本棚を探しながらふと目に入った引き出しが5センチくらい開いていた。
中を見たくなったのは実はエロ本でもないかなと思ったから。

アニキは野球に夢中で彼女とかいなさそうだけど、
それくらいは持ってるんじゃないかと期待したのは、
たまたまその日に友達の1人が 「昨日にーちゃんの部屋でヤバい本見つけてさー」 と
自慢げに話していたのを思い出したからだ。

開けながらドキドキしたけど。
でもすぐにがっかりした。
意外に整然とした引き出しの中はオレの机にもあるような文房具とかの類ばかりで
期待したようなものはない、と一目でわかった。
ちぇっ と内心で舌打ちしながら閉めようとして。

それが目に入った。

奥のほうにある手帳の下から覗いていたのは写真らしい紙のはしっこで。

引き出しの奥に隠しているなんて意味深だ。
実は彼女がいるとか あるいは意中の誰かかもしれない、と思いながら
躊躇せずに引っ張り出した。  どんなタイプが好きなんだろう、と密かにわくわくしながら。

見た途端に頭が白くなった。

そのままぼけっと見惚れてしまった。

最初誰だかわからなかった。  だって別人みたいに見えたから。

(あ、これ・・・・・・・・)

よくうちに来る、アニキの相棒の人だと気付いた。
頭の中が疑問符でいっぱいになった。

(何でこんな)

泣いているところなんて撮ったんだろう。 普通じゃない。 イジメみたいだ。 

と思ってからすぐにあり得ないと打ち消した。  そんなはずはない。
よく来るし、アニキがたまに名前を出す時の顔ときたら。

「ミハシ」 というその名を口にする時、アニキはいつもどこか誇らしそうで
世話が焼けるだの何だのの文句の時ですら嬉しそうだったから。
それに時々泊まりに来るし、アニキが向こうの家に泊まることも多い。
そもそも、自分の相棒をいじめるなんてあり得ない。
というかそれ以前に、アニキはイジメなんてしない。
短気だけどそんな人間じゃない。  身内の欲目かもしれないけどそう思う。

ぐるぐると考えながら写真から目が離せない。 なぜかというと。

(・・・・・・・色っぽい・・・・・・・)

男なのに、泣いている顔なのに。
どきどきしてくる。 変な気分になってくる。

夢中で見入っていたせいで部屋の主が帰ってきたのに気付かなかった。
ドアの開く音がした時、文字どおり飛び上がるくらい驚いた。
慌てて振り向いて目に入ったアニキの顔は険しかった。 それだけじゃなく、
ひどく冷たい感じがした。 咎める声も低かった。 
ひやりとした。 ヤバい、と本能的に悟った。

しどろもどろで言い訳をして逃げるように部屋を出た。
自分の部屋に戻りながらさっきの写真が頭に焼き付いていて離れない。
本当はいろいろ聞きたかったけど、そうできない雰囲気がアニキにはあった。
聞きたかったのは。

(何であんな写真を、撮ったんだろう・・・・・)

と思ってからズレを感じた。  違う。  一番知りたいのは。

(何で泣いたんだろう・・・・・・・・)

あんなふうに。 
痛くて泣いてるとか悲しくて泣いてるって感じじゃなかったような。
でもじゃあ何で、と想像してもよくわからない。
半分閉じた目は何かを訴えているようで、不思議な泣き顔だった。
普段見る顔とは本当に別人のようだった。
どういう状況であんな泣き顔になったのかが知りたい。

でもとても聞けるような雰囲気じゃなかった。
見てはいけないものを見たんだ、ということだけはよくわかった。

もやもやしながら、でもオレはそのうちに忘れた。
聞けないんじゃ、どうしようもないし。
なのに本人の顔を見た瞬間に、忘れていたそれを鮮明に思い出してしまった。

一向に収まらない動悸を抱えながらやみくもに自転車を漕いだもんだから
あっというまに店に着いて目的を果たして、でも何だか帰りづらい気がして
立ち読みして時間を潰した。  帰りは意識してゆっくりと漕いだ。

帰った後アニキの部屋の前を通り過ぎながら耳をすませてみたけど、物音1つしない。  
居間に下りて母さんに何気なく聞いてみた。

「三橋さん、来てるよね?」
「え? あぁ来たけど、もう帰ったわよ」
「え?!」

びっくりした。  やけに早い。

「なんで?」
「知らないわよ。 用事が済んだんじゃない?」

釈然としない何かを感じたけど。
ホっとしたようながっかりしたような複雑な気分になった。

不自然に赤面した自覚はあったんで、その後何か言われるかと身構えていたけど
夕食の時のアニキはぼーっと上の空かと思うと急に怖い顔をしたりで、
オレのことなんか眼中にないようだった。
何も言われなかったことにホっとしながらも、今度はアニキの様子が明らかにおかしいのが気になった。
食欲もあまりないみたいで、母さんに 「え?残すの?」 なんて驚かれているし。

(・・・・・・何かあったんじゃねーの?)

勘ぐりが湧いた。
けど、ここでも聞けるような空気じゃなくてオレは黙っていた。
油断すると 「あの顔」 が浮かんでしまっては追い払う、を繰り返しながら。








○○○○○○

翌日気のおけないダチの1人と、その話題が出たのは偶然だったけど
最近そいつには好きなコができたらしくて、ナンだかんだと女の話になることが時々あった。
オレだって興味がないわけじゃないけど、特定の誰か、というのはないし
あまり想像もできないしで、そいつの熱に浮かされたような様子に内心で引くことも多かった。
でもその時は。

「シュンはさー、どんなタイプが好きなん?」
「どんなって・・・・・・・・」

そりゃかわいいほうがいいけど。

くらいしか浮かばない。   でもそれだけ言うのもかっこわるい気がして。

「目が茶色ででかくて」
「ふーん」
「あ、そんで吊ってんだ」
「ふーん」
「眉が情けない感じ」
「へ? なにそれ?」
「唇が赤い」
「ふんふん」
「で、色白で細身で」
「・・・・・・・なんか具体的じゃん」

指摘されるまでもなく、自覚していた。
だって思い浮かべていたのはあの写真だったから。
だから本当は強調したいのは 「泣き顔が色っぽい」 だったんだけど。
それって何だか変な気がした。
ああいう顔がいい、 と咄嗟に思ったのは本当だけど
アニキの友達で男なのに 「好きなタイプ」 の具体例にするのはどう考えても変だ。
それにそもそも。

「外見ばっかじゃなくてさ、性格とかは?」
「・・・・・・・・・。」

自分で突っ込んだ部分をまさに言われて詰まってしまった。
性格まではよく知らない。
アニキの愚痴をたまに聞く限りでは 「男らしくてハキハキしてる」 とかじゃないことだけは
確かだけど。   でもじゃあどういう人かと言われてもよくわからない。
それに性格はどうでもいい。  気になってるのは顔だけだ。
それもあの写真の顔だけが限定だ。  普段の顔もどうでもいい。
つまり好きなタイプなんかじゃない、多分。

(なんかオレ、サイテーかも・・・・・・)

そう思ったら、それ以上言う気がしなくなった。
黙り込んだオレにそいつは突っ込んで追求する気はないようで、
結局またそいつのコイバナみたいな話を上の空で聞くだけの、いつものパターンになった。
もやもやとした何かを感じながら、それがナンなのかはよくわからなかった。








○○○○○○

その投手の人、三橋さんと次に会ったのはそれから一ヶ月くらいしてからだった。
土曜で、オレは1日遊びで出かけていて、帰ったのもいつもより遅かった。
遅れて1人で夕御飯を食べた後で母さんから
「これ、タカの部屋にお願い」 と洗濯の済んだ服の群れを渡されて、
ノックしてからアニキの部屋を開けた。  開けながら

「アニキー、これ」

まで言ったところで口も足もぴたりと止まってしまった。
いるのを知らなくて、びっくりしたせいだ。  うちに来たのは久し振りだった。

「あ、あ、あの お邪魔 してます・・・・・・」
「あ」

あ、 の後が続かない。 部屋にはアニキはいなくて、三橋さんだけが所在無げに座っていた。

「あの、阿部くん 今 お風呂・・・・・・」
「え、あー そうですか」

そう言う三橋さんは髪も濡れているしパジャマなんぞ着込んでいるしで
つまり、もう風呂に入って今日は泊まるってことなんだろう。
珍しいことじゃないのに、何だかどぎまぎして目を逸らしてしまったのは、
またしてもそこで例の写真が掠めたからだけど。

抱えた服をその辺に適当に置きながら、思い切ってその姿を見た。
三橋さんはどことなく落ち着かない様子できょときょとと目を泳がせている。

(・・・・・・・やっぱ別人みたい)

力んでいた分気が抜けた。
当の本人を改めて見ると、色っぽいなんて全然感じない。
男にしては白くて華奢でかわいい顔立ちなのは確かだし、
ひよこ柄のパジャマがやけに似合っているけど (一体どこで買ったんだろう)
だからといって女に間違えるほどじゃない。
じっと見つめても別に妙な気分になんかならない。 もやもやも湧かない。
本気でもやもやしたらどうしようと思っていたからホっとしたけど、
同時にどこかで落胆したのも本当で。

(何か期待していたのかなーオレ・・・・・・・)

わけもなく自分に腹が立った。  三橋さんにも何となく腹が立った。
もちろん、それはオレのほうの勝手な事情だとわかっていたけど。
ふと、思った。

(あの写真のこと、聞いてみようかな・・・・・)

どういう理由で泣いたんだろう、 という最初に感じた疑問がまた沸々と湧き上がった。
なので三橋さんの前に座り込んだ。

三橋さんは驚いたように目を見開いてから、いっそう落ち着きなく視線を泳がせた。















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