初恋未満 (後編)





さて何て切り出そうと思って、まずは無難なところから入る。

「アニキがいつもお世話になってます」
「ひ ぇ?」

何だその反応、てくらい三橋さんは素っ頓狂な声を出した。

「や、 あの  オ オ オレのほうこそ」
「でもアニキってすぐ怒るでしょ?」
「え、あ  ででもそれは オレのため で」
「そうですか?」

話しながらもうろうろと視線が定まらない。 変わった人だと思う。
アニキが惚れこんでるってことはきっと、投手としては優れているんだろうけど。
こうして話していると写真の顔がどんどん薄れていく。
あんな顔をするなんて想像できない。  目の錯覚だったんじゃないかとさえ思えてくる。  
別に色気もなにもない普通の泣き顔だったのに、
頭の中で勝手に好みの感じに変えたのかもしれない。
写真に撮ったのも単なる悪ノリだったのかも。

そう思ったら理由を聞くのもバカらしい気がした。
何かアニキの弱点を聞き出せないかなんて、ズレた目的が浮かんだ。

「でも、もっと言い方考えろよとか思いませんか?」
「え  そ」
「敵作るタイプですよねー 弟のオレが言うのもナンだけど」
「そ そんなこと ない よ!!」
「え」

びっくりして口を噤んだのは、三橋さんの口調が少し変わった、だけでなく
初めて視線が定まったからだ。
三橋さんはオレの顔をまっすぐに見ていた。  気の弱そうな目の光は同じだったけど。

「阿部くん、 よく怒る けど」
「・・・・・・・・・。」
「オ、オレ は、 好きだ」

あっ  と上げそうになった声を呑み込んだ。
ぱちりと一回瞬きしたら、すぐにそれは消えた。 ほんの一瞬だった。
閃きのように三橋さんの顔に浮かんで消えた表情、があった。
見間違いかもというくらい素早く消えたその表情と、薄れかけていたあの写真の顔が重なった。

(・・・・・・・?)

ごしごしと、目を擦った。 改めて目の前の人を見た。
やっぱり挙動不審で、おどおどした気弱そうな顔があるだけだった。

でも気のせいじゃない。 確かに変わった。 
好きだと、言った瞬間の顔はそれまでの顔じゃなかった。
もちろん泣いたわけじゃないし、泣き顔でもない表情に
何でまたアレを思い出してしまったのかわからない。 けど。

わけもなくドキドキした。

何でドキドキするのかもわからないし、何であの表情が蘇ったのかもわからないけど
1つ、はっきりとわかったことがあった。

三橋さんは、アニキを本当に信頼していて好きなんだということ。
弟のオレに気を遣ったわけじゃない、心からの言葉だと  何故かわかった。

(羨ましい・・・・・・・)

思ってからびっくりした。 羨ましい? 

(・・・・・・誰が?)

アニキがだろうか。 でもオレは別にこの人に好かれたいわけじゃない。

ざわざわと身の内が騒ぐ。 最初に恐れたようなざわざわとは違うけど。
でもそれが何なのかよくわからない。 わからないことだらけだ。
何か聞きたいと思うんだけど、何を聞けばいいのかもわからない。
正体の見えない何かがすぐそこにどかんとあるのに、薄い靄がかかっていて
いくら目を凝らしても見えないような、どうしようもないもどかしさに襲われた。

突然、あの涙の理由を聞けば解決するような気がした。
根拠なんて何もなく、そう思った。
聞いていいのかわからないけど。 むしろマズいような予感がするけど。

今度こそ聞こうと、口を開いた。

「あの、みは」
「なにやってんだシュン」

びょんと、飛び上がった。 
オレが驚いたのは後ろめたさのせいだけど、
目の前の三橋さんも飛び上がったところを見ると、それだけ唐突だったんだと思う。
だって足音とか何もしなかった。

でも続いてオレは息を呑んだ。 
飛び上がった後アニキのほうに目を向けた瞬間の三橋さんの顔。
それは明らかにホっとして、それだけでなく。

「阿部、くん」
「・・・・・なにやってんだよ2人で」
「あ、あの、 話してた だけだよ」
「・・・・・・なにを」
「せ 洗濯物」
「はあ?」

オレそっちのけの2人の会話をぼけっと聞いていたオレはそこで我に返った。

「あーこれ、母さんが持ってけって」
「・・・・あ、そ。 サンキュ」
「じゃあオレ、行くね?」
「・・・・・・・・・・。」

アニキがものすごく何か言いたそうな顔をしたのがわかったけど、気付かない振りをした。
素知らぬ顔で立ち上がって部屋を出ながら、アニキの視線を痛いくらいに感じた。
でもそんなことは実はもうどうでも良かった。

さっきの顔が浮かんだ。
ホっとしたと同時に、三橋さんは確かに笑った。
その笑顔はやっぱりほんの一瞬で消えてしまったけど。

目を奪われた。

それくらい、輝いていた。
小説なんかで 「蕩けるような」 という表現があるけど、まさにこれだろうと、
そんなことまで思った。
まじりっけのない、純粋な好意にそれは見えた。 それくらいオレにだってわかる。
友達への好意か相棒への信頼か、それとも。

(・・・・・別の何かか・・・・・・・)

ふいに浮かんだその思考を慌てて追い払ったのは、どこかで警報が鳴ったからだ。
ヤバい と思った。
さっきの笑顔とか写真の表情とかが点滅するように浮かんでは消える。
頭が混乱して、気付いたら息苦しくなってた。 警報が強くなった。

振り払いたくて、居間に下りてオヤジの見ていたTVをいっしょに見た。
渦巻くあれこれを全部まとめて頭の外に放り出した。
それ以上、何も考えたくなかった。

(忘れよう・・・・・・・)

翌日、そう思った。
見たこと、感じたこと、全部。
だって思い出すと混乱して、それから息苦しくなるからだ。
そしてその理由はさっぱりわからないときてる。  気分悪いし、いいことなんて1つもない。

幸い、その後しばらく三橋さんはうちに来なかった。
アニキが向こうに行くことは相変わらず時々あるようだけど。
オレだってヒマじゃないし、日々の生活や部活に紛れて次第に忘れていった。








○○○○○○

記憶もすっかり薄れてきたある日、母さんと喧嘩した。
喧嘩といってもつまり、怒られたわけだ。 つまんないことで。
むしゃくしゃして、家にいたくなくて自転車に飛び乗った。
適当に漕いで無意識に向かった先は馴染んだコンビニだった。
もう夕方だったし、行き先なんてそうそうない。 でも店の前まで来てから気付いた。 

(財布忘れた・・・・・・・)

むしゃくしゃに拍車がかかった。 せめて時間を潰そうと中に入って
雑誌コーナーで読むものを物色していたら。

「シュン」

声をかけられて驚いた。 アニキだった。

「すげー顔してるぞおまえ」

アニキは苦笑いした。 仏頂面をしている自覚はあったけど、
このタイミングでここにいるってことは母さんに頼まれたのかと思ったら、もっとムカムカした。

「・・・・・何でここにいんのさ」
「は?」
「後つけてきたのかよ?」
「はあ? オレのが先にいたんだよ」
「え」

言われて気付いた。 別に頼まれたわけじゃないんだとわかったら、少し恥ずかしくなった。 
目を逸らして半分だけ正直に言った。

「金、忘れちゃったんだよ」
「・・・・・・ふーん」

ぶすっとしているオレをアニキは少しの間眺めていた、と思ったら
黙ってレジのほうに行ったんで物色の続きをし始めたら。

「行こうぜ? シュン」
「え、オレまだここに」
「奢ってやるから付き合えよ」
「え」

見れば手にはさっきにはなかった小さな袋が増えていた。
不審に思って改めて顔を見るとアニキは機嫌良さそうで、オレの返事も待たずにさっさと歩き出した。
別に雑誌に執着していたわけでもないし、時間を潰せれば何でも良かったから
後を追って、外に出た。
並んで自転車を漕いで、川沿いの土手に来たところでアニキが止めて降りたんで
何も考えずにオレも倣った。

「座って食おーぜ」

ここでもマイペースなアニキに無言で従ったのは、本当に帰りたくなくて有り難かったからだ。
説教なら聞かないぞという反抗的な気持ちはあったけど。

「ほら」
「・・・・・・ありがと」

渡された肉まんはまだ温かくて、素直に御礼を言った。
並んで座ってもくもくと食べながら、アニキは何も言わない。 オレも黙って食べる。

そういえばあまり話さなくなったなと、 ふと思った。
オレが小学生の頃はそれでもまだ今よりずっと話したり喧嘩したりもしたけど
最近は会話すら減った。 別に仲が悪くなったわけじゃなくて、
お互いにそれぞれの生活で忙しいからだ。
用事で話したりはもちろんするけど、それ以外でゆっくり話すことはあまりない。

でも別に気を遣う相手じゃないから、黙って傍に座っているのはそれなりに安心感があった。
ヘタに説教されたらムカつくだろうけど、何も言われないせいで
逆にさっきまでのむしゃくしゃが消えていく。 川の音を聞きながらぼーっとしているのが心地いい。

思い出したようにアニキが声を出して笑った。 
珍しいことだったんで自然に問いかけが口から出た。

「なにが可笑しいの?」
「え、いや別に・・・・・・・」

言いかけてから、思い直したように理由を言った。

「三橋がさ、今日肉まん落として」

久々にその名前を聞いた。 小さく心臓が跳ねた。
でもアニキは笑っているしオレも何だか気分良かったんで。

「三橋さん、元気?」
「元気だぜ?」
「最近、来ないよね?」
「あー、まーな・・・・・・」
「・・・・・・・三橋さんて」
「・・・・・・・・・。」
「アニキのこと、すごく好きだよね」

言いながら、少しだけドキドキしたけど。
アニキは黙ってオレを見た。
ドキドキが増したけど、その目は予想に反して穏やかで何だか拍子抜けした。

「・・・・・・・なんでそう思うわけ?」
「え、 だって、本人が前そう言ってた」

じっと顔を見ながら答えた。
アニキは一瞬、虚をつかれたような表情をして それから。

微かに 笑った。

途端に不思議な感覚に囚われた。 頭の中がすうっとクリアになった。
靄がかかったまま放置していた何かが、見えた気がした。  だってその笑顔は。

「・・・・・ふーん」

つぶやいた顔はやっぱり穏やかだった。
それから下を向いてコンビニの袋をがさがさと探り始めたんで、顔は見えなくなったけど。

「アイスも食うか?」
「へ?」
「食わねえ?」
「え、アイスなんて買ったの?」
「頼まれたんだ」
「ああ・・・・・・・」

うちの冷蔵庫には季節に関係なく、アイスが常にある。 一箱にたくさん入ってるタイプのが。
オレとアニキのためだけど、実は母さんも食べている。
それを頼まれたのがあそこにいた理由か、なんて今さら納得している間に
アニキは箱から1つ取り出して渡してくれた。

甘いそれを舐めながら横顔を盗み見た。
オレにはくれたくせに自分は食べずに、川面を眺めているその顔はひどく大人びて見えた。 
まるで知らない人のようだった。 
そのことに驚いて目を逸らしてしまって、それから唐突に悟った。

アニキは子供時代ともう、訣別したんだ。

ガキの頃は何だかんだ遊んだり喧嘩したりもしたけど、もうそういうこともなくなるんだ。

はっきりと、そう思ったら急に寂しくなった。
寂しく感じた自分に、また驚いた。 その時、ぽつりとアニキが言った。

「オレさ、あいつのこと、大事なんだ」
「・・・・・・・・・・・。」

あいつが誰かなんてもちろんわかる。 寂しいような気分が増した。

「おまえはさ、親孝行しろよ」
「・・・・・・・・・・・。」

話が飛んだ。
何でそんなこと言うんだろう。

でもそれよりも。
オレは何でこんなに寂しいんだろう。
寂しい、というのとも違う気がするけど、何て表現すればいいのかかよくわからない。
苦しい、のほうが近いけどそれとも違う。
第一なんでこんな心境になるのかもよくわからない。

アニキと三橋さんがお互いにすごく大事に思っていて誰も入る隙間がなくても
オレが寂しく思うことはない。 アニキは嫌でもずっとオレのアニキなんだし。 
それに三橋さんのことだってよく知らない。 外見と雰囲気しか知らないし、
友達になりたいとかいうのでもない。
だからこんな気分はきっとすぐに忘れるんだろう。

ぐるぐると考えながらアイスを舐める。

いくら考えても寂しい気分がなくならないのは何故だろう。
今だけなんだろうけど。  でも。

これからこのアイスを食べるたびに、このよくわからない
寂しいような苦しいようなワケのわからない不思議なキモチを思い出すのかな

と思ったら。


甘ったるいはずのアイスが何だか少しだけ、ほろ苦いような気がした。














                                                初恋未満 了

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                                               黄金の子供時代   は過ぎてからわかる。