始まり





翌朝阿部は朝練のさらに1時間早く登校した。
荷物だけ中に放り込んでから、部室の前に立って三橋を待つ。

昨日はあの後まっすぐ自分の家に帰ってしまった。
怒りに任せて三橋にしてしまったことを思い出して、ちょっと時間を置こうと思ったからだ。
大体あんなに怯えられては話にならない。
今度こそ振られる可能性もあるわけだから
ちゃんとした状態で話をしたかった。  後悔のないように。

三橋のことだから、今日はなるべく自分と顔を合わせないように
ぎりぎりまで来ないかもしれない、と不安を覚えつつも
花井に言われたように朝練の前にきっちりとカタを付けたかった。
こんな気持ちのまま平気な顔をして練習なんてできそうにない。
しかも自分は、どうしたって三橋と組まなければならないのだ。

待ちながら阿部はぼんやりと考えた。

(これで振られたらオレ、しばらくは立ち直れねぇだろうなぁ・・・・・・)

でも、それでもそこをはっきりさせなければ
自分たちはどうにもなれない、ということももうわかっていた。

そんなことをつらつら考えながら、
大分待つことを覚悟していた阿部が三橋の姿を目にしたのは
幸いわずか10分後だった。  とりあえずホっとした。

「っはよ。 早いな。」

できるだけ普通に普通にと心掛けたのに
阿部に気付くなり三橋はぴたりと足を止め、あからさまに青くなった。
だけでなく手にぶら下げていた荷物をぼとりと、下に落とした。
こんな時間にいるとは思ってなかった、と顔にくっきりと書いてある。

それから じりっと、半歩下がった。

逃げる、 と阿部は思った。

が、三橋は悲愴な表情を浮かべながらも踏みとどまった、ように見えた。
離れていても、震えているのが見えるようだった。
そんな表情をさせているのが自分だという思いが、阿部の胸に
鋭利な刃物のように突き刺さった けど、
阿部はその痛みを無理矢理抑え込んで、努力して平静な顔を作りながら言った。

「ちょっと話があんだけど。」

三橋の顔がますます青くなった。 
これはダメかな、と阿部は気持ちが鉛のように重く沈むのを感じたけど、
予想に反して三橋は思いのほかしっかりと、頷いた。

なので阿部は僅かに安堵しながら提案した。

「部室は人来るとマズいから、場所変えようぜ。」

三橋がまたも黙って頷いたので、
さっき落ちた三橋の荷物をとりあえず部室の中に置いてから、先に立って歩き出した。

本当に付いてくるのか、という阿部の懸念に反して
三橋は相変わらずひどい顔色ではあったけど、遅れることなく阿部に従った。








○○○○○○

校舎裏の誰も来なさそうなところに来たところで足を止めて、改めて向き直った。
三橋は深く俯いたままじっとしている。
阿部が口を開いたところで、俯いたままの三橋が小さな声で言うのが聞こえた。

「オ、オレ、も」
「え?」
「阿部、くんに、言いたいことが、ある・・・・・・・んだ。」
「・・・・・・・・・。」

阿部は少し焦った。
もしかしたら自分にとって、つらく厳しい言葉かもしれない。
でもたとえそうであっても、阿部は伝えたかった。  ちゃんと、自分の気持ちを。
なので慌てて言った。

「オレ、先に言っていい?」

三橋が俯いたまま頷いた。

「あのさ。」
「・・・・・・・・・・・。」
「昨日は悪かったよ。 いきなり。」

ぶんぶんと頭が横に振られる。

「オレが・・・・・・嘘ついてた・・・・から・・・」
「それはもういいよ。」

さあちゃんと言うぞと拳を握るけど、正面きって告白しようとすると
思った以上に緊張した。 心臓がうるさい。

(情けねぇなオレ・・・・・・・)

逡巡していたら三橋がふと顔を上げた。 訝しげな表情だ。
大きな目でじっと見られて、ますます緊張してきた。
あぁもうまったく と思いながら、でも目を逸らすことはしなかった。


「オレは、 おまえのことが、 好きなんだ。」


やっと言えた。 ちょっと力が抜ける。

その瞬間、三橋の目は何の感情も映さなかった。
まばたきもしないで自分を見つめている、吸い込まれそうな大きな瞳。

(きれーな、目  だな・・・・・・・)

阿部はズレたことを思った。
それから、その目に困惑の色が浮かぶのを見たくなくて
知らず僅かに下のほうに視線を落とした。

「・・・・・だからさ、昨日みたいなのはちょっと、勘弁してほしい。」
「・・・・・・・・・・。」
「それで、」

口の中がからからだ。

「でも三橋がオレのことそんなふうに思えねーなら」

やばい、 と阿部は思った。 声が震えそうになる。
でも最後まで言ってやらないと、という理性だけで言葉を継いだ。

「はっきりそう言ってほしいんだ。 だからと言ってオレがおまえの捕手を」

やめる気はないから、と続けようとして唐突に口を閉じた。
目に映っていた三橋の制服の胸のあたりに
ぼたぼた何かが降ってきて、みるみる染みになったからだ。

思わず顔を見たら、三橋はこれ以上は無理だろってくらい大きく目を見開いている。
その目から大粒の涙がどんどん出てきて転がり落ちていた。
それは三橋の涙には慣れているはずの阿部でも、少々慌ててしまうような泣き方だった。

「な・・・・・・泣くなよ・・・・・・・・」

ハンカチなんて出す余裕もなくて、手でそっとこすってやったけど、全然止まらない。
目は阿部の顔をぼーっと見たまま、声も出さずにぼろぼろと泣いている。
自分が泣いていることもわかってないような様子だ。
阿部は呆然としてそんな三橋を見つめながら、
胸がぎゅうっと絞られるような感じがした。


( 抱きしめて  やりたい )


素直にそう思った。 妙な気持ちじゃなく、心を、包んでやりたかった。

少し躊躇った後、そっとゆっくり両手を伸ばして三橋の背中に腕を回した。
また怖がられるかなと思ったけど、三橋は逃げることもなく大人しく阿部の腕に収まって、
相変わらずひっそりと泣きながら阿部の肩に頭を乗せた。
ホっとして腕に力を込めながら
何で泣いているのか実はよくわかってはいないけど、
三橋の気持ちが少しでも軽くなればいい、軽くしてやりたいと  心から願った。

その時三橋が小さな声で言った。

「      」

それはごくごく小さな声だったけど、阿部の耳のすぐそばだったので
阿部にはちゃんと聞こえた。
阿部は自分も少し泣きそうになりながら、回した腕にさらに力を入れた。

(こんなふうに両手で抱きしめるのって初めてだな・・・・・・・)

ぼんやり考えながら、そういえば、とふと思い出した。
さっき三橋は 「言いたいことがある」 と言ってなかったか。
それはもう聞かなくてもわかるような気がしたけど。

「三橋」
「・・・・・・・・・・・。」
「言いたいことって何?」

答えないかもな、と阿部は思ったけど三橋の小さい声がまた聞こえた。

「・・・・・・オレ」
「うん」
「・・・・・・昨日、の」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・イヤ、だったんだ、本当は。」
「・・・・・・・うん」
「でも・・・・・断れなか・・・・・・」
「うん・・・・・・・・」
「・・・・・・・・ごめ・・・なさ・・・・」

もういいから、と言う代わりに阿部は腕にもっと力を込めた。

それから、

最初にちゃんと言ってやらなくて不安にさせてごめんな  とか
いっぱい逃げてごめん  とか
もっと自分に自信持ってくれ とか、言ってやりたいことがたくさん浮かんだけど、
結局また 「好きだよ」 と言った。

三橋は黙っている。
でも阿部には三橋の気持ちが伝わってくるような気がした。




いくらでも。


何度でも言ってやるよ、 三橋。


それでおまえが幸せになれるのなら。





今までの埋め合わせのように何度も 好きだ、と囁きながら


これからもまたいろいろあるのかもしれないけど、
とりあえずオレたちはここから始まるんだな  と


阿部は満ち足りた気持ちで考えていた。












                                                始まり 了(オマケ

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                                                    おめでとう