ファンファーレ −6



  SIDE HANAI



「あいつ、うぜえ」

目の前に立っている泉が顔を顰めてそうつぶやいた時、視線の先には阿部がいた。
泉が花井のクラスまで出向いてきたのは部に関する、
後輩ではどうにもならない類の後始末的な用事だったが、
教室の入り口から阿部の姿がよく見えるために、つい漏れたものらしい。

具体的にどううざいのか省略も甚だしかったが、言いたくなる気持ちは花井にもわかった。
それはここ数日誰よりも花井が強く感じていたことだからだ。
阿部がうざい。
正確に言えば 「暗い」 となるのだろうが、表情だの雰囲気だのが
暗いを通り越して鬱陶しいのだ。

年内はまだ大丈夫だった。 年が明けた頃から少しずつ兆候が出てきて
数日前のある日を境に一気にひどくなった。 以来悪化の一途を辿っている。
終日どんよりしたオーラを発しているうえ、虚ろな目でぼうっとしていることも多く
用事などで話しかけても意識を向けさせるだけで一苦労するに至っては
どつきたくなるのを何度堪えたかわからない。
我慢したのは原因が推察できたからだ。
詳しい事情は知らないが、三橋絡みで何かがあったに違いない。


泉が渋面のままそれ以上は非難せずに戻った後、花井も席に戻り問題の男をもう一度見た。
さっきまでぼけっとあらぬ方向を眺めていたご当人は今は
何やら大量の紙の束を整理していた。
その手つきはのろのろと動きが遅く、明らかに阿部らしくない。
花井は数ヶ月前に考えたことを思い出して 予想外だったな、とひとりごちた。

予想外だったのは阿部の様子なわけだが、それに伴う自分の心境もだ。
ファンファーレどころか葬送行進曲が聞こえてきそうな様子に辟易している、
だけならともかくある種の衝動が湧いてしまうのだ。

(オレが言ってやってもいいんだよな・・・・・)

阿部は片想いじゃない。
推測に過ぎないそれを花井が信じて疑ってないのは、そうとしか思えないからだ。
根拠だって細かい事例を挙げればキリがないってくらい、ある。
もっともたまたまそういう場面に居合わせたことが多かった、とか
立場上か性格か妙な観察眼が備わっていた、とか
花井にしかない諸々もあったのは否定できないが、
泉にもバレていたからにはそれほどの特殊能力とも思えない。

第三者の自分にわかるのに本人に見えないのは多分、
様々な恐れや不安などが客観的な判断を狂わせているからで、
一言背中を押してやれば事は簡単に進みそうだ。

(でもなあ・・・・・・)

どうしても抵抗感が拭えない花井である。
躊躇の半分は、相談されているわけでもないのに口を出すのはどうかという常識だったが、
残りの半分は本当にそうなっていいのかという懸念だった。
一般的な恋愛ではない分、待ち受けている困難や壁も多いだろう。
先々苦労するのは自分じゃないのだ。

心のどこかで応援していたし、今もしている。
それは確かだけど友人のために逆の方向の心配をしているのも事実なのだ。
ましてや自分が何かして、となると妙な責任感まで生じてしまいそうで
安直に行動する気にはなれなかった。
しょせん常識の枠からはみ出せない自分を花井はもう知っていた。 
それに、と花井は最後に言い訳のように締めくくった。

どうせ阿部には助けなど必要ないだろう。 そうに決まってる。

1人で頷いたところで 「わ」 という叫びが聞こえた。
声のほうを見れば、阿部が紙の束を盛大に撒き散らしていた。
叫びは別の奴のもので、当の本人は呆けたように眺めている。
友達のよしみで拾うのを手伝ってやるべく腰を上げながら、
花井はやれやれとため息をついた。 重症だ。

「あ、サンキュ」

手伝い始めた花井に気付いて阿部がそれでもお礼を言った。
その目がひどく頼りなく見えて、自重していたことがぽろりと口から飛び出した。
さっきの言い訳はどこへやら、である。

「おまえさ、なんかあった?」
「・・・・・・・へ」
「最近すげー暗いよな」
「・・・・ああ、わりい」
「いいけどさ」
「・・・・・・・・・。」
「グチがあんなら聞いてやってもいいけど?」
「・・・・は?」
「や、だからさ、悩みって人に言うだけでも軽くなんだろ?」

阿部は目が覚めたかのようにぱちぱちと数回瞬きした。
花井は期待した。 恐れも混ざっていたものの、確かにそれは 「期待」 だった。

「あー・・・・あのな」
「うん、なに?」

促しながら少しどきどきした。
本人の口から相談されるかもしれない。
もしそうなったら自分の対応も変わってくる。
今までを思えばなさそうだけど今の阿部ならあるいは、と何やら興奮を覚えて
ごくりと唾を飲んで待っていると。

「清水の舞台から飛び降りようと思ったんだけど」
「・・・・・・・・。」
「上がる前に階段外されたっつーか」

はあ、と出た声は気の抜けたものになった。
阿部はやっぱりどこまでも阿部だった。
言う気はないらしいことにがっかりしたのかホッとしたのかよくわからない。
密かに意気込んでいた分、拍子抜けしたのは間違いない。

「意味わかんねーよ」
「わかんなくていいよ」

一応それらしい文句を言ってみるも、主旨はイヤでも理解できた。
どうせそんなことだろうと思っていたが、予想違わずつまりは告白しようとして
失敗したのだろう。

「でも、あんがとな、花井」
「・・・・・・へ?」
「さっき、嬉しかったよ」

阿部らしからぬ感謝に虚を衝かれてから真面目に照れた。
それからふと思った。
3年間阿部はついに何も言わずに通したけど、誰か、例えば野球部と無関係な奴とかに
相談したこともあったのだろうか。

(してねーだろうな・・・・・・)

推測だけど、多分当たっている。
そこまで親しい人間がいたとも思えないし、仮にいても言わなかったろう。
ずっと1人で抱えてきて、苦しい時もあったに違いない。
知っている、と自分が一言言ってやれば何か変わっただろうか。

けれどそんな感傷は一瞬で、過ぎたことだとすぐに切り換えた。
それよりも今現在だ。

舞台に上がれないような何を三橋が言ったのかまでは不明だが、
言いそうだとは花井にもわかる。
三橋だって阿部に負けず劣らず片想いの気満々のうえに、
それがなくても身を引くという発想をしそうだ。 同性だから。

あんなに近くにいたくせに、それくらい何故わからないのだろうと正直不思議だった。
恋する人間ゆえの視界の狭さなのか阿部だからなのかまでは、わからない。 
花井にわかるのは阿部は最後まで誰にも相談する気がないらしい、ということだ。
阿部と限らず男なんて一部の例外を除きそんなものだが。

(こればっかりはなー、結局は本人たちの問題だしな・・・・・)

冷静にそう思ってみれば、先刻の己の心境に今さら少し驚いた。
魔が差したとしか思えない。
一瞬でも首を突っ込む気になったことを、花井は密かに恥じたのである。















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