ファンファーレ −7



  SIDE HANAI


翌日も、朝から阿部は暗かった。
次は移動しなければならないにも拘わらず動こうとしない阿部に、
花井は律儀に声をかけた。

「おい阿部、行かないのか?」

放って行くのも薄情だと思ったからだが、内心では早くも疲れていた。
予想は当たって、話しかけても聞いているのかいないのかさえわからない。

「阿部!」
「・・・・・え?」
「次移動だろ!!」
「・・・・・どこに?」
「体育館だよ! もうみんな行ってんぞ」
「・・・・・なんで?」
「臨時生徒総会」
「・・・・・・・・そんなんあったっけ?」

花井は呆れた。 行く気があるない以前にわかってないようだった。
今阿部の頭には三橋のことしかないのだろう。 それを言えばいつもだったが。

「あるんだよ」
「・・・・何で今頃?」
「えーと、校則ナン条だかの改正について」

告げながらあまり人のことは言えないか、と苦笑する。

「なんだよそれ・・・・」
「とにかく聞けばわかんだろ」
「どうせオレたちもう卒業じゃん」
「だからその前に決めたいんじゃねえ?」
「ふーん・・・・・・」

ぼうっとした様子の阿部を急き立てて体育館に赴くと、まだ始まっていなかった。
ホッとしてクラスの群れの端の位置に並んで座りながら、花井は
本日最初のため息をついた。
心ここにあらずを絵に書いたようだ。
こんなに世話の焼ける阿部は初めてかもしれない。

と、げんなりしたところで阿部がぼそりとつぶやいた。

「三橋がいねえ」

は? と思わず顔を見つめた。
阿部の視線は三橋のクラスのほうを向いていて、
呆けていても阿部は阿部、と安心半分呆れ半分で思った。
そっちの方に目を凝らしても花井には到底わからず、よくわかるなと今度は感心した。
三橋のこととなると人間離れした能力を発揮するのには慣れたとはいえ、その度に驚く。

「なにしてんだあいつ・・・・・」
「便所じゃね?」
「どっかで迷子になってんじゃねーか」

冗談にしか聞こえないような言葉をクソ真面目な顔で言う阿部は、やはりどことなく暗い。
遺憾なく発揮されるどんよりオーラに辟易としたところだったので
隅のほうで何やらマイクと格闘している野球部の後輩を見つけた時、しめたと思った。
いかにも困っている様子なのを助けてやろうと腰を上げたのは、自分のためだった。
ブラックホールから逃げたかったのだ。

「何やってんだ?」
「あ、花井先輩」
「なんか苦労してるみたいだけど」
「え、ちょっと繋がらないんす」
「おまえ、放送委員かなんか?」
「そうなんすよ・・・・・・」

ふーん? などともっともらしく唸りながら見ても、実のところ花井だって直せない。
要は阿部から逃れる口実だったので、後輩の期待に満ちた目に
後ろめたい気分になった。
適当に点検する振りをしながらダメだこりゃと内心でつぶやいて。

「・・・・よくわかんねーな」
「これ、いつも調子悪いんすよ」
「前の時はどうしたんだよ?」
「あ・・・その時は阿部先輩が」
「え」
「たまたま近くにいてやってくれて」

逃げたつもりが袋小路か、と花井は天を仰いでから諦めた。 
そういう宿命なのだきっと。

「・・・・・・・・あそこにいるから呼んでこい」

教えてやると後輩は嬉々として指示どおりにしたので、
結局どんよりぼんやりした塊りはまたしても傍にやって来た。
この様子では今日は役立たずじゃねーのかという花井の予想を裏切り
阿部はすいすいと無造作に幾つか作業して、
最後にスイッチを入れてぽんぽんと叩いて確認した後また切って
「これで平気」 とあっさりと後輩に告げた。

「あざっす! 助かりました!」

感謝もひとしおらしい後輩の横で へえ、と感心してしまったのは悔しいから
黙っていた。 そこまでは良かったのだが。

「三橋がまだ来ねーんだ」
「・・・・・・はあ」

また始まった。
薄暗いオーラも健在で、返事はため息半分になった。

「始まっちゃうぜもう」
「・・・・・そのうち来んだろ」
「来ねえかも」
「来なくても別に構わねーじゃん」
「いや構う」
「・・・・・はあ」
「なにやってんだあいつ・・・・・・」
「あのさ、阿部」
「オレ、探しに行こうかな」
「三橋だってコドモじゃねんだからさ」
「わかってるよ」
「ならそうやって心配すんの、やめろよ」
「でもあいつ、時々とんでもねーことしでかすから」
「それはそうだけど」
「それに田島と泉はいんだよな」
「ふーん」
「1人でどっかで行き倒れてんのかも」
「・・・・・・マジで言ってる?」
「三橋ならやりそうだ」
「ありえねーから安心しろ」
「ならなんで来ねーんだよ?」
「だから便所じゃね?」
「どっから探せばいーかな」
「・・・・・・オレの話聞いてる?」
「倒れるとしたら、空腹だよなきっと」

もはや会話が成り立っていない。 イライラが募る。
後輩の顔も苦笑いになったのが目の端に映って、苛立ちがひどくなった。

「おまえさあ!」
「は?」
「いい加減三橋離れしろよな!!」

阿部の表情が変わった。
ヤバい、と警報が鳴った。  後輩もいるこの場で言うことじゃない。
壇上の準備も済んでそろそろ始まりそうだし、速やかに戻らなければと理性が告げる。
なのに止まらないのはここ数日の鬱屈のせいか。

「・・・・・なんだよそれ」
「そのまんまの意味だよ!」
「・・・・・・・・・。」
「大体卒業したら会えなくなんだぜ? わかってんのかよ?!」

「あ」 と口を押さえた。 禁句だった。
みるみる阿部は顔色を変えた。 気の毒になるくらい。
けれど花井の後悔だの同情だのは、長くは続かなかった。

「・・・・・・そうだよな」
「・・・・・えーと阿部」
「もうお別れなんだよな・・・・・・・」
「あのさ」
「この先あいつにも人並みに彼女ができたりして」
「・・・・・・それはないんじゃ」
「オレのことなんかきれいに忘れて」
「忘れねーだろ」
「次に会うのは披露宴かも」

そこまで飛ぶか、と目が点になった。

「スピーチ頼まれたりすんのかなオレ・・・・」
「ちょっと待て」
「いややっぱ田島かーうん、そうだよなオレなんか」
「おい、阿部」
「オレってあいつのナンだったんだろう・・・・」
「話を聞けってば!」
「わかってる、相棒だ。 それ以上でも以下でもねーよな」
「そんなことは」
「その相棒ももう終ったし、これからあいつには新しい相棒ができて」
「そりゃそうだろうけど、おまえのことは」
「彼女もできてオレのことなんか忘れて人生の春を」

そこで花井は切れた。 
一瞬だったが、おそらく今までの人生で最大ってくらいの勢いでぶち切れた。
だもんで勢いのままに出た言葉は衝動の見本のように正しく衝動的だったので、
花井自身飛び出した内容を認識するのに数秒を要した。

「ぜってー失恋しねーから! とっとと三橋を探して告白してこい!!!」

阿部の顔が呆けた。
花井も呆けた。 

まだ近くにいた後輩の顔も呆けたようだが、それはこの際どうでもいい。
オレは今何を言ったんだ、 と掠めつつもそれとは別に気付いたことがあったからだ。
それはとてつもなく恐ろしい事実だった。

静かだ。

ほんの数秒前まで大勢の生徒の私語でざわめいていたはずの体育館は、
しんと静まり返っていた。
総会がいつのまにか始まっていたのか、なんて希望的推測は空しいだけだ。 
そうじゃないと知っている。
ならばこの異様な静けさは一体ナンだ、という疑問の答ももうわかっていた。

花井は化け物でも見るように至近距離にあるマイクに目を向けた。
阿部がぐだぐだ言っている間は、確かに入ってなかったはずのそれを。
まさか自分がぶち切れたのがスイッチになったはずがない、 ないはずだ。

次の瞬間、体育館が揺れた。

ように花井には思えた。

どっと上がった歓声やヤジにところどころ悲鳴も混ざっているのは
阿部か三橋のファンの女子だろうか。
校内で2人は結構有名なのだ。 それを言えば花井もだったが。

いいぞお! だの 頑張れえ! だの ダンダンと足を踏み鳴らす音だの
ヒューヒューという口笛だの怒涛のような声と音の洪水の中、
阿部はまだ木偶のように突っ立っていた。
先に我に返って、ついでに開き直ったのは花井のほうだった。
今度はマイクに声が入らないように阿部の腕を掴むなり
1メートルほど引き摺ってから、小声でダメ押しした。

「三橋が何言ったか知んねーけど」
「・・・・・・・・。」
「おまえら、どう見ても両思いだろーが!!」
「・・・・・・・・。」

阿部は花井のほうを見てはいるけど、表情が乏しい。
まだ放心しているような顔にこれで最後とばかりに断言してやる。

「絶対だ!!」
「・・・・・・・・花井」

そこに至ってしっかり目の焦点が合った阿部は一瞬何か言いたそうな顔になった。
おそらく聞きたいことがあるんだろう、それも幾つか、 とは推測できたけど、
結局1つも出てこないまままた表情が変わった。 それはそれは鮮やかに。

「・・・・オレ、行ってくんな」
「さっさと行きやがれ!!」

最後の 「れ」 を言い終わらないうちに阿部はダッシュした。
館内の歓声は今や地響きのようになった。
背中を見送り、間もなく姿が消えたのを確認してから花井はつぶやいた。

「信じらんねえ・・・・」

何がというと、自分だった。
長きに渡る膨大な努力が一瞬で水泡に帰した。
あんなに自重していたのに。

まさかこんなことになるとは、と半ば他人事のように感じる一方で、
別の種類の何かがふつふつと湧いてくる。
ただし、とぐったりと思ったところで誰かにぽんと肩を叩かれた。
振り向くといつのまにか泉が立っていて、にやりと笑いかけてきた。

「グッジョブ、花井」
「・・・・・・そうか?」
「おお」
「・・・・大きなお世話って気もすんだけど」
「あー、花井が言わなかったらオレが言ってた」
「・・・・・はは、そっか・・・・」
「でも何もさあ」
「・・・・・・・・。」
「全校生徒に発表しなくても良かったんじゃね?」

がっくりと花井は頭垂れた。 全くもってそのとおり。
事故だったわけだが言い訳する気にもなれない。
もうすぐ卒業なのがせめてもだった。
けれどそんな精神的疲労だのやっちゃった感だのやけくそ気味の何かだのを超えて
湧き出たものは消えないばかりか、ますます強くなっていく。

花井はそれを口にした。
晴々と、そして万感の思いを込めて。

あーーーーーすっきりした!


館内に溢れる割れんばかりの歓声はまだ収まりそうにない。

まるでファンファーレのように、それは聞こえた。















                                        ファンファーレ 了

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                                                 良かったねえ (>花井くん)