ファンファーレ −4



  SIDE ABE


キッチンで菓子を探しながら阿部は後悔していた。


家には誰もいなかった。 大変好都合、と喜んだのも束の間
三橋を促して自室に入った途端に失敗を悟った。
最初の緊張が俄かに、それもこれでもかと蘇ってうろたえて、
「とりあえず座ってろ!」 と言いつけるなり部屋から逃げ出した。
先刻は確かに自然に言えそうだったのに、所詮はどさくさ紛れの勢いだった。

(しまった・・・・・・)

しんとした部屋に2人きり という、緊張がいや増す状況を自分で作ってしまった。
別れ際にさくさく言えば良かった、 と今頃思っても手遅れだ。
無人のキッチンに入って深呼吸してもあまり効果はなく、
とにかくまずは食いモンでも出して場をもたせようと思いついたはいいが、
変調をきたした心臓は戻らないわそのせいか全身が痺れたように重いわで、
振り出しに戻った、というよりそれ以上だ。

でももうなぜか 「明日」 に逃げる気には不思議なくらいなれなかった。
なぜ咄嗟に誘ったか、阿部はわかっていた。 早くケリをつけたいのだ。
自室なら余計な邪魔は入らないだろう。
いつかは、とずっと思ってきたことを実行せずに終わらせる気など
本当はなかったのだと今さら自覚する。

「・・・・・・うし!」

頑張れオレ!  と阿部は1人で気合を入れた。






○○○○○○

床にちょこんと座る三橋の前に決意も新たに座りながら、持ってきた菓子を置く。
嬉しそうに目を輝かせる様子にホッとしてから、阿部は別の意味で少し後悔した。
なにがといえば位置が宜しくない。
真正面に対峙するように座ったのはいささかまずかった。
プロポーズする男の気持ちってこんなだろうか、と益体もないことが浮かんで即座に否定する。
プロポーズは恋人がするもんだ。 前段階なのだ。

「い、いただきます!」

弾んだ声にこっそりと細く息をついた。 力み過ぎだ。

(リラックスリラックス・・・・・)

意識して肩の力を抜いて、まずは世間話なんぞ と思った後すぐに躓いた。
話題が見つからない。
話題に困るのは過去にもよくあったとはいえ、今は部活ネタがないうえに
やはり緊張はどうしようもなく、口も頭もスムーズに回らない。
救いなのは先ほどの肉の恨みか、食欲を満たすのに忙しげな三橋の様子であったが、
相変わらずな心臓の調子に、自己嫌悪まで湧く始末。

(あーもう、なっさけねーな・・・・・)

沈みかけたところで、状況を打破してくれたのは意外にも三橋のほうだった。
阿部の思惑など知るよしもないはずなのに、唐突に食べる手を止めたかと思うと
やけに神妙な顔になった。
お? と阿部が身構えたくらいの真剣な表情だった。

「阿部くん」
「お、おお」
「もうすぐ、卒業だね」
「うん・・・・・・」
「3年って早い ね」
「・・・・・そうだな」

いい話題だ、と阿部は密かに喜んだ。
このまま上手いこと気持ちを告げやすい方向に持っていきたい。

「野球ばっかしてて、終っちゃったけど」
「お互いにな」
「楽しかった、ね」
「うん・・・・・・」

同意はしみじみしたものになった。 本当に楽しかった。

「あの ありがとう、阿部くん」
「なにが?」
「オレの球 捕ってくれて」

うっかりじんとしかけたのをごまかすために、わざと素っ気無く返す。

「今さらだろ」
「うん、でも」
「・・・・・オレもおまえの球捕れて良かったよ」

心からの言葉に三橋は照れたように笑った。
束の間、阿部は目的を忘れた。
三橋の相棒になれて感謝しているのは自分のほうだと、もっと上手く伝えてやれたらいいのに。
けれど言葉を探しているうちにも三橋は続けた。

「あの、あとね」
「うん?」
「・・・・・約束、守ってくれて」
「・・・・は?」

一瞬きょとんとしたのは、果たせなかった約束のほうを先に思い出したからだ。
随分前のことになるが。

「阿部くん、彼女作らなかった よね・・・・・・」

どきりとした。 当初の目的が光の速さで戻ってきた。
まるでお膳立てのような展開が信じられない。
三橋がなぜそれをここで言うのか、実はやっぱり三橋も、などと
それまでなりを潜めていた期待が俄かに存在を主張して、いやいやと打ち消しながらも
気分が急上昇する。

「おまえもな」
「オレは・・・・・もてなかったし」
「そんなことねーだろ」

それはお世辞じゃなかった。
三橋はその気になりさえすれば恋人を作れたはずだ。
野球バカで本当に良かったと、改めて胸を撫で下ろす。
あるいはもしかして、と急に活発化した期待はとりあえずまた抑え込んだ。

「や、約束って感じ でもなかった、けど」
「あー、まーな」
「でもオレ、あの時すごく 嬉しくて」
「え・・・・・・・」

たった今抑えた期待が再び一気に膨らむのを止めることができない。
この誂えたような成り行きはなんだろう。
それにさっきから三橋の頬がやけに上気しているのは何故だ。

「ほんとに、嬉しかった んだ」
「三橋・・・・・・」
「そんで 最後まで 実行してくれて オレ、し、幸せ だった」
「・・・・・・・・・・。」

信じられないような言葉がどんどん出てくる。
差し出された絶好のチャンスと甘い予感に、頭がぼうっとした。
体が浮き上がるような心地がして、高らかに鳴るファンファーレまで聞こえるようだ。

「野球を優先してくれて、ありがとう・・・・・・」

阿部はそこで少し我に返った。
呆けている場合じゃない。 言うなら今だ。
彼女を作らなかったのは野球のためだけじゃないと。  そして次には。

「三橋、オレは」
「阿部くん」

被せるように強く呼ばれて、一旦切ってしまった。
走り始めたところでけ躓いた気分になったものの、まだ失速はしていない。

という阿部の高揚を、三橋は淡々とぶった切った。 ばっさりと。

「もう、いいんだ」
「・・・・え?」
「オレ、ずっと思ってた、んだけど」

なにを? と反射的に出掛かった質問を呑み込んだ。
嫌な予感がしたからだ。 聞かなかったことにして続きを言いたい。
けれどその願いは叶わなかった。 
三橋の頬は赤いままで、表情は楽しげにすら見えた。

「卒業したらオレ、彼女作る、んだ」

凍りついたように動かなくなった。 口も体も、思考さえも。
硬直した阿部に向かって、三橋はにっこりと笑いかけた。

「だから 阿部くんも 作ってね」
「・・・・・・・・・。」
「今まで本当に ありがとう」

何と返事したのかよくわからなかった。
ああ、とか うん とか口の中でつぶやきながら
普通の顔ができてるだろうか とだけぼんやり思った。

少しの間のあと、三橋がまた何か言っているようだけどロクに聞こえない。
最大限の努力で意識を向ければ、もう話題は他愛もない世間話の類で
止まっていた手も再び菓子に伸びている。
妙にすっきりしたようなその顔をぼけっと見つめているうちに
真っ白な中に幾つか浮かんだことがあった。

これから作るつもりならまだ間に合う、なんて気休めもいいとこだ。
アテがあるのかもしれない。
あるいは、と突然別の可能性が浮かんで愕然とした。
自分の態度から実はバレていて、予防線を張られたのかもしれない。
もしそうなら。

(・・・・・・言うなってことか)

失恋は予想の範囲内だったが、これは想定外だ。
もちろん考えすぎかもしれないし、なにより
どんな結果になってもケリをつけるつもりじゃなかったのか。

突っ込んではみたものの阿部はわかっていた。 無理だと。
ほんの数分前にぱんぱんに膨らんだ両思いの期待が無残に打ち砕かれた今、
代わりのようにくるくると回って消えてくれない言葉がある。

友達ならまた会える。

ファンファーレどころか、水谷の言ったそれは結局三橋が帰るまで、
阿部の頭の中で延々とリフレインし続けたのだ。














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