ファンファーレ −3



  SIDE ABE



いっしょに帰ろうと誘うのは造作もなかった。
この程度のことも躊躇していた昔を思うと感慨深い。
けれど2人きりで歩き出したところで阿部は心臓の不調を自覚した。
要するに緊張したのだ。

(どこで言うか・・・・・・・)

別れる地点でいつも足を止めて話すからそこが妥当か、
でも場所的にはいまひとつ、などと忙しなく算段しながらも
心臓は正常な動きをしてくれない。
なんとか平常心を取り戻そうと奮闘するあまりに会話まで気が回らず、
三橋がぽつりぽつりと話す他愛ない内容に生返事を返すのが精一杯だ。

それに気付いて、これではまずいと己に渇を入れたところでコンビニが目に入った。
以前はよく練習の帰りに皆で寄ってはエネルギー源を補給したものだが、
引退してからはご無沙汰だ。
とにもかくにも時間を稼ごうと判断するや、誘いの言葉は存外するりと出てきてくれた。

「三橋」
「へ?」
「あー なんか買って食ってかねえ?」

わざとらしく聞こえなかったか、と内心で汗をかく。
正直こんなに緊張するとは思わなかった。
いっそ言わずに済まそうかとまで掠めてから、勢いよく頭を振った。
悶々と過ごすのは今日までにしたい。
どんな結果になってもいいのだと昨夜の決心を思い出しつつ顔を上げると、
心配そうな表情の三橋と目が合った。

「阿部くん・・・・?」
「お、おお なに?」
「・・・・もしかして、具合 悪い?」
「え? 別に全然」

言下に否定した後 「なんで?」 と聞いた声が掠れて心だけで舌打ちした。
どう取り繕ってもテンパっているのは間違いない。

「ち、違うなら、いいんだ」
「・・・・・んで、どうする?」
「あ、うん。 お腹すいた! から買う」

安心したように笑んだ顔にふいに胸が詰まった。
どれだけ失いたくないか、今さらなことを改めて悟る。
不覚にも目頭が熱くなって、振り払うようにきびきびと店のドアを開けながら
阿部は不安になった。

(こんなでオレ、ほんとに言えっかな・・・・・・)

それでも2人して買い物を済ませ、公園の一角に落ち着く頃には
阿部はかなりの平常心を取り戻していて、自分から話を振る余裕もできた。

「こーやってなんか食うの、久しぶりだな」
「そ、だね」
「買うもんは変わってねーけど」
「え?」
「それ、よく食ってたよな」

指さしたのは三橋の持っている大ぶりの串刺しの肉だ。 
以前も好んで買っていたのを覚えている。 
懐具合が豊かな時だけに限られていたようだが。

「うん。 好き、なんだ これ」

ふひっと笑いながら豪快にかぶりつく様も久しぶりで懐かしいような、
でも確かに見慣れたもので緊張が薄らいだ。
阿部が買ったのが小さな菓子1つだったのは食欲がなかったからだが、
特に不審がられなかったことにホッとした。
無造作に口に放り込んでから、咀嚼に忙しそうな三橋にふと思いついて尋ねる。

「最近は投げてんの?」
「え、うん!」
「無茶はすんなよ。 わかってっと思うけど」

三橋の進路はスポーツ推薦でとうに決まっている。
それに向けての調整内容も当然把握したうえでの念押しに、三橋はしっかりと頷いた。
阿部もそれ以上はくどくどしく言わない。
大丈夫という確信があるからで、そこも以前とは変わった点だ。

野球に関することでは三橋は随分変わった。
技術的な面を別にすると、その変化は進歩というよりは
本来あるべき姿になっただけだと阿部は思う。
とはいえ、それについての己の貢献度は大きかったはずと思えるのは素直に嬉しく、
誇りでもあった。
最初の頃はいろいろあったけど、最終的にそうなれたことへの満足感と充実感には
一点の曇りもない。

何やらしみじみしていると三橋がふんわりと笑い、
柔らかなその顔に背中を押された気がした。
意気込むと逆に言えないんじゃ、と不安を覚えていた阿部はこの機会を逃さずに、
1つ息を吸ってから口を開いた。
今なら気負わず自然に言えそうだった。 鼓動は若干速くなったけれど。

「あのさ、三橋」
「うん・・・?」
「オレさ、実は」

おまえのことが  と続けようとしたところで三橋の顔が突然引き攣った。
ひいっと口の中で小さく悲鳴をあげるなり、腰を浮かした。
まだ何も言ってねーぞと一瞬どきりとしてから
何かを凝視している視線の先を辿って、原因がわかった。 
次いで顔を戻した時にはもう三橋は逃げ出していた。 脱兎のごとく。

「ちぃっ」

舌打ちするや阿部も後を追う。
転がるように走ってくる中型犬の目当てなぞ考えなくてもわかったので。

「三橋、それ捨てろ!」
「へっ」
「肉だよ肉! 捨てれば追ってこねーから!!」
「い、いやだっ」

やっぱり、と脱力しながらも足を緩められない。
野良か飼い犬か、後者にしても飼い主らしき人物が見当たらないからには
捨てない限り不毛な追いかけっこは終わらないだろうに、
三橋はしっかと掴んだ串を死守する気満々なようだった。 しかも。

「あ、おまっ 走りながら食うな!!」
「えっ だって」

食べてしまえばいい、と三橋なりの思惑はわかるものの、阿部は呆れた。
犬が苦手なところもそうだが、こういうところは3年間変わらずで
結局怒鳴りつける羽目になるのだ。
串がどっかに刺さったらどーする! 

「危ねーだろーがアホウ!! やめろったらやめろ!!」
「う」

その剣幕に諦めたらしい三橋はしかし、肉そのものは諦めてないらしく
さらにスピードを上げ、阿部がちらと振り返れば犬も律儀に追ってきていた。

(あーもうなんだってこんな)

一世一代のつもりの告白シーンが泡と消えたばかりか、これではまるでギャグだ。

(三橋らしいっつか・・・・・・)

そう思えば笑いそうにもなるが、笑い事ではない。
引退しようがなんだろうが、三橋がケガをするのが阿部は一番イヤだった。
三橋には悪いが肉を無理矢理奪い取って放るか、と走りながら冷静に考えた時、
三橋が大きくつんのめった。

「!! あぶ・・・・・」

咄嗟に伸ばした手は見事三橋の腹に回り、転ぶのを食い止める。
己の反射神経を自画自賛した、直後に宙を舞う串が目の端に映った。

「あっ・・・・・・・」

阿部に支えられたまま串の行方を目で追った三橋の顔がみるみるしょげた。
嬉々として肉にかぶりつく犬を恨めしげに見るも、そこで取り返す気までは
さすがに起きないようだった。

「三橋、今のうち」
「・・・・・ほえ?」
「逃げるぞ! 早くっ」

なおも未練たらしく見つめる三橋を引き摺るようにしてその場を離れた。
犬の姿が見えなくなるまで走って、もう大丈夫と足を止めてから
どちらからともなく顔を見合わせて。

「・・・・・・・ぷっ」

あまりの情けない顔つきに思わず吹き出すと、つられたように三橋も笑った。

「う、へへ」
「ははははっ」

安心も手伝って本格的に笑い始めた阿部に煽られたか
あるいは三橋もツボに嵌ったのか、そのまま笑い続ける。
ただでさえ走って息を切らしていたのに、止まらなくなった。
2人して笑い転げながら、阿部はふと感慨を覚えた。
今日はいちいち感傷的になるのは、やはりどこか平常心ではないのだろう。
こんなふうに笑い合うことは決して珍しくないが、最初は想像もできなかった。
じんわりと温かい何かが胸に満ちてくる。

好きだよ、 と心でつぶやいたら衝動が湧いた。
さっき言い損ねたそれを伝えたい。 
早く、と気持ちが逸ったせいか笑いの発作が急に消えた。
勢いに任せている自覚はあったが、何でも良かった。
まだ完全には収まっていない様子の三橋に本気で告げようとして。

「三橋ー?」

一拍早く聞こえた声は、もちろん自分のものじゃない。
阿部は開けた口をぱくりと閉じてから、天を仰いだ。
今日はとことん邪魔が入る運命なのか。

「田島、くん」
「なにやってんだよー 楽しそうじゃん!」

全開の笑顔でざっと自転車を横付けする様がやけにかっこいいことも癪に障って、
憮然としている阿部にも田島は屈託なく笑いかけた。

「オレも混ぜて!」
「混ぜてって言われても」
「なんかおもしれーことしてんだろ?」
「なんもしてねーよ」
「えーだって 2人して楽しそーだったじゃん!」
「犬が追ってきて肉食われたってだけ」
「はあーー?」

わけわかんねー! と叫ぶ田島から目を逸らしてため息を呑み込む。
神様の援助は今日はないようだ、と1人でうっそりしている間にも
三橋と田島は楽しげだった。
この後3人で帰る流れになるのは必至だろう。

阿部が諦めの心境になっていると、
ひとしきり三橋とじゃれあった田島は意外にも 「じゃーな」 と手を振るなり
颯爽と走り去っていった。 拍子抜けした。
けれどその時点で阿部はすっかり萎えていた。 仕切り直す気力が出ない。
今日はもうダメだとささやく自分が片隅にいる。

(明日でいっか・・・・・)

明日がダメでも休みに入るまではまだ日があるから、それまでに言えばいい。
絶対今日でなければならない理由などない。
自転車を置いた地点まで戻って、その後は寄り道せずに帰路につきながら
阿部はそう考えた。
そして最後に 「また明日」 と言おうと口を開いた。  はずだった。

「三橋、」
「え?」
「・・・・・・・あのさ、今日ちょっとうち来ねえ?」

飛び出した内容に自分で驚くヒマもないくらい、三橋はすんなりと頷いた。

「いいよ」















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