登校して最初に会ったのは水谷くんだった。

「おはよっ三橋」
「おはよう」
「もうすぐ試験だなー 練習って今日までだっけ?」

言われて思い出した。

「うん、たしか今日まで・・・・」
「だよなー 朝練ないのは正直楽だけど、勉強もヤだなあ」
「オレは練習ないのもイヤだけど、赤点取ると補習とかで野球する時間がもっと減るし
阿部くんにも叱られるから頑張らないと」

水谷くんの顔がきょとん、とした。
オレも内心でびっくりした。
浮かんだことが全部一気にすらすらと言えた、ような。

「・・・・・・・三橋?」
「はい」
「・・・・・・・なんかあった?」
「何もないよ」

何気ない振りをしながら、オレは密かに興奮していた。
だっていつもと違う。
いつもは言いたいことがぱーっと浮かんでも、絶対要領良く言えないのに今は言えた。
これってもしかして。

とドキドキしたところで田島くんが来た。

「三橋ーっ 昨日のナイター見た?」
「オレ寝ちゃって、見れなかったんだ」
「えーそっかー。 オレはにーちゃんにテレビ取られてさー、録画も失敗してて」
「あ、ならオレ録ったから、貸すかダビングかしようか?
オレはどっちでもいいから好きなほう言って」

ここで田島くんも表情が少し変わった。

「なんか今日、雰囲気違くね? 調子いい?」
「うん、すごくいい! なんかオレ、生まれ変わった気分!」
「おおーーーすっげーーーーっ」

田島くんの目がきらきらしている。
きっとオレの目も同じになってる。
頭に浮かんだことが嘘みたいに簡単に言葉になる。
夢だと思ってたけど、夢じゃなかったのかも。
この調子なら阿部くんとも、上手く話せる!

意気込みながらも朝練では長い会話をすることもなく終わって、
オレは放課後を待った。
試験勉強期間に入る前に阿部くんとも話してみたかった。
だから放課後の練習の合間に阿部くんに呼ばれた時、オレはいそいそと駆け寄った。

「昨日渡した資料のことなんだけど」
「資料?」
「試験明けにある次の練習試合のやつ、相手校のデータ渡したじゃん」
「あ、うん」
「あれ間違いがあったから直してーんだけど、今持ってる?」

昨日もらったやつなら、とオレは考えてすぐに答える。 すらすらと。

「今日は必要ないと思って家に置いてきちゃったから
修正箇所だけ教えてもらえれば帰ってから自分で直す」

阿部くんの目が丸くなって、そのままじーっとオレの顔を見た。
オレはまたドキドキした。

「・・・・・そっか。 ならそうしてもらおうかな。 わりーな」
「ううん」

意外そうな阿部くんの顔を見ながら、嬉しくてたまらない。
これでもう阿部くんをイラつかせなくて済む。
そしたら野球以外のいろいろな話だってできるかもしれない。
思わずニヤけてしまったら阿部くんもにっこり笑ってくれて、オレはもっと嬉しくなった。

翌日もその翌日も、オレはつっかえずにすらすらと話すことができた。
言葉がいっぱい出てくると、今までよりも自信も湧いてくるようで
何だか本当に生まれ変わったみたい。
クラスで話しかけられることも増えてきて、毎日が新鮮で楽しい。
みんなも最初はちょっと驚いたみたいだけど、そのうちに慣れて
試験が終わる頃にはいちいちびっくりされなくなった。
肝心の阿部くんはというと。

「おまえさ、どうしたの?」

そう聞かれたのは試験最終日に廊下で偶然阿部くんに会って
「できた?」 と聞かれたから、張り切って答えた後だった。
たしかに現国と数Uと物理の出来なさ加減を5分くらいかけて詳しく説明したのは
アレだったかもしれないけど、本気で不審げな様子にオレは少しがっかりした。
いっぱい話したのは感心してほしかったから、なのに。

「どうもしないよ?」
「・・・・・・悪いもんでも食った?」
「食べてないよー なんで?」
「・・・・・・や、なんでもねー」

阿部くんは、まるでそれこそ石でも呑み込んだような顔で目を逸らした。 
きっとまだ慣れてないからだ。
1週間練習がなくてその間は阿部くんと話す機会はあまりなかったら、
当然かもしれない。
実は自分でもまだ信じられないくらいだし。

そう思って、気を取り直した。

でもその後チームのみんなもどんどん慣れていく中、
阿部くんだけはオレが何か言う度に変な顔をした。
その度にオレはこっそり落胆した。
誰よりも阿部くんに喜んでほしかったのに。

もやもやしたまま数日が過ぎて、ある日練習の後たまたま2人きりになった時に、
阿部くんは唐突に言った。

「おまえ最近、なんだか変じゃねえ?」

阿部くんの表情はやっぱり良いものじゃなくて、むしろ不機嫌そうだった。
以前ならびくついたところだけど、今のオレはすぐに聞き返す。

「どう変?」
「話し方・・・・・・・つーか雰囲気変わったよな」
「そうだね。 でも変じゃないよ、今のが普通だよ」
「・・・・・まーそうなんだけど・・・・・・」
「ならいいじゃないか」
「・・・・・何でまた急に変わったのかなって」

神様が願いを叶えてくれたから、とは流石に言えなかったので。

「オレ、生まれ変わったんだ!」

期待を込めて見ていたのに、阿部くんの顔は期待どおりにはならなかった。
感心とか嬉しそうとか何にもなくて、疑ってるような感じになった。

「本当だよ?」
「・・・・・・・ふーん」

念押ししてみても顔は変わらなくて、オレは悲しくなった。
阿部くんだって、そのほうが助かるはずなのに。
なのでまたすぐにそう言ってみる。

「阿部くん、なんでそんな顔してるんだ? 普通に話せたほうが
打ち合わせだって早く終わるし、阿部くんにも都合いいはずだよね」
「・・・・・・そらそうだけど」
「理由なんて別になんだっていいじゃないか」
「・・・・・・うん、そーだな」

ようやくちょっとだけ笑ってくれたけど、無理矢理作った笑顔にも見えた。
オレはがっかりした。 
どうして喜んでくれないんだろう。

でも阿部くんがそれ以上何も言わなかったんで、オレも
何て言っていいかわからなくて、話が終わってしまった。
当たり前だけど、頭の出来まで変わったわけじゃないから
なんでもかんでも上手く言えるわけじゃない。

まだ慣れてないだけだ、とオレはまた自分に言い聞かせた。
今はとまどっているけど、本当は阿部くんだってこのほうがいいんだから、
もう少し経てば大丈夫。

祈るようにそう思った。





○○○○○○○

なのにその後も何日経ってもあまり大丈夫にはならなかった。
阿部くんはいつまでも慣れないみたいで、オレはその度にもやもやした。

けど阿部くんの反応を別にすれば、オレの周りの状況は良い方に変わっていった。
一番の違いは野球部以外の人とよく話すようになったこと。
クラスの人はもちろん、別のクラスの人にも廊下で話しかけられたりして
キョドらずに返せるのはやっぱり嬉しい。

今日も、練習の合間の休憩時間にグラウンドの隅で誰かが
ひらひらと手を振ってくれてるのが見えて、誰だろうと顔を確認したら
最近よく話す隣のクラスの女子だった。
オレも同じように手を振り返したら、栄口くんがにこにこしながら言った。

「三橋最近もてるよなー」
「え? そんなことないよ?」
「だって廊下とかで女子にいっぱい話しかけられてるじゃん」
「? でも話してるだけだし・・・・」
「いやー、マジもててるって!」

きょとんとしたその時、バン! と大きな音がした。
びっくりして振り返ると、阿部くんが怖い顔で地面を睨んでいた。
大きな音は、横のトタンを叩いたんだってわかって
一体どうしたんだろう? と思ったのと同時くらいに
阿部くんがその顔のままオレを見た。 どきりとした。

阿部くんは、すごく怒ってる。 それも、オレに対して。

「いい気になってんじゃねーぞ、三橋」
「えっ・・・・・・・」
「もてるために話し方変えたんかよてめーは」

オレはまたびっくりした。
そんなことない、と言おうとしたけど、その前に田島くんがかばってくれた。

「なに怒ってんだよ阿部ー。 三橋はなんも悪いことしてねーじゃん」
「・・・・・・・・・・。」

阿部くんは黙り込んだ。 でもまだ怒ってる。 
顔が怒ってるし、雰囲気も怒ってる。
しかも怒らせたのはオレなんだ。
もてるためなんて、誤解なのに。
阿部くんといろんな話がしたくて神様に頼んだのに、どうして。

イヤなドキドキがひどくなって、こんなだと前みたく上手く話せないんじゃ、
と恐くもなったけど、どうしても誤解を解きたくて言ってみる。

「オレ、もてたかったわけじゃないよ・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・。」
「普通に話せるようになりたかった、だけだ」
「なんで?」

だって阿部くんと、ってのは言えない。 
これは言っちゃダメなことだから。

「今のオレのほうが阿部くんだっていいだろ?」
「・・・・・・そうでもねーよ」
「へ?」
「てかオレは前のが良かった!!」
「えっ」

阿部くんの答えは、オレの期待とか予想と違い過ぎた。
あんまり驚いたせいで、何も言えないでいる間にも阿部くんは早口でまくし立てた。

「そりゃ今のがいいんだろうけど、実際いいこともあるけど
前が不便だったわけでもねーし、いや不便だったけど
それが悪いってほどじゃなかったしオレだってそれでいろいろ頑張って」

何を言ってるのかよくわからない。
阿部くんは途中でぴたっと止めて、それから怒鳴った。

「大体三橋じゃないみてーで、キモチワリーんだよ!」

えっ とオレは青くなった。 キモチワルイ?

「おい阿部、ちょっと落ち着けよ」

ショックを受けていたら、今度は花井くんが声をかけてくれた。
気付けば、みんながオレと阿部くんに注目していた。
空気がちくちくととんがっているのがわかる。
それは阿部くんが怒っているからだろうけど、怒らせているのはオレで、
でもどうすればいいのかわからない。

オレは 阿部くんと もっといっぱい 話したかった だけなのに。

じわっと涙が滲みそうになって、慌てた。 最近は泣かなくなってたのに。
久し振りにお腹に力を入れて堪えていると、泉くんが吐き捨てるように言った。

「阿部勝手すぎ」

空気がどんどん悪くなっていく。 泉くんも怒ってる。
それはよくわかったんだけど。

「独占欲丸出しにしてんじゃねーよ!」

泉くんのその言葉はよくわからなかった。
ドクセンヨク?  って誰が? 

「わりーかよ!」

阿部くんがまた怒鳴った途端に、びしっと空気が凍った、ような気がした。
「びし」 って音が聞こえたわけじゃないし
実際に聞こえたのは はーっ というため息みたいな声(音?)だったけど。
オレはまだよくわからない。
ドクセンヨク?? 誰がなにに?

考えようとしても頭がぐちゃぐちゃで全然まとまらない。
わかるのは阿部くんが怒ってるってことだけで。
今は泉くんに怒鳴ってるけど、原因はオレなんだ。

「三橋が普通の人みたくなって、普通にもてたりとかあり得ねーだろ。
三橋は三橋でいーんだよ! オレは」

阿部くんはそこで一回切って、またじろりとオレを睨んだので
それでなくても混乱していた頭の調子がもっと悪くなった。
オレ神様に、もっと賢くしてほしいって頼んだほうが良かったんじゃないかな。

とだけ浮かんだところで阿部くんが喚いた。
隣のグラウンドまで聞こえるんじゃないかってくらいの音量だった。

「オレはそーゆー変な三橋が好きなんだよっ」

うわあっ と誰かがつぶやいた。 
「あーあ言っちゃった」 という声も聞こえた。 
誰だろう? とぼんやり思いながらオレは阿部くんの顔を見ている。
阿部くんはまだすごく怒ってるみたいに見えた。
何が起きているのか、オレにはよくわからない。
きっとオレは何か勘違いしているんだろう。
ドクセンヨクのあたりからわからなくなってたから、そのせいだ。
数学でも、1つわからないことがあるとその後どんどん謎が深まるんだ。 

でも空気がまた微妙に変わった、のはわかったんで、きょろりと周りを見ると
みんなの顔が赤くなっていたり苦笑いしていたり呆れた顔だったりして、
いつのまにかトゲトゲした雰囲気は消えていた。
それはホッとしたけど、代わりに変な感じの空気が漂っているのは どうしてだろう。

阿部くんに聞いたらわかるかなと思いながら目を戻すと、
阿部くんはやっぱり怒ってて、怒りのあまり顔が少し赤かった。
そしてまたオレに向かって怒鳴った。

「わかったかよ!!!」

わかりません。

と思ったけど、そう言っちゃいけないような気がして頷いた。
本当はさっぱりわかっていなかった。

今 一体 なにが、起こっているんだろう?






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