在るべき場所に - 6





歩き出したまさにそのタイミングで、扉の開く音が聞こえた。
振り向いて見たら三橋の母親が出てくるところだった。
鍵をかけようとして、その前にオレに気付いた。  
手を止めて屈託なく話しかけてきた。

「あらぁ! 阿部くん?」
「こんにちは」

挨拶しながら三橋の部屋の窓の方に目がいってしまう。

「今、廉のお友達が来てるんだけど」
「はぁ」  

知ってます、 なんてもちろん言わない。

「阿部くんも来てくれたの?」
「え、 いやオレは・・・・・・・・」
「悪いけど私はこれからちょっと出かけるんだけど」
「・・・・・・・・・・・・。」
「遠慮しないで上がってね?」

にこにことそう言って、去って行ってしまった。
てことは。
家の中に2人きりだ。

胸の中のざわめきが大きくなった。
帰るべきだ、 という理性の声ももう何度目になるかわからない。 
けど裏腹に、もはや絶対に帰ることのできない自分もわかっていた。
何か言いたそうだった三橋の顔がまた脳裏を掠めた。
縋るような目に見えたのはオレの願望かもしれない。
実際のところはオレに 「気持ちには応えられない」 と言いたかったのかもしれない。
いい機会だと勇気を出そうとしたけど怖くて言えなかった、 とかすごくありそうだ。
もしそうなら。

「大バカだくそっ・・・・・・・・・・」

バカでマヌケで最低なことをしようとしている。
入って、それでどうするのか。 
恋人どうしの仲睦まじいところを見せ付けられて、うなだれて帰る羽目になるだけだ。

そう思いながら手と足が勝手に動いて、オレは音を立てないように
扉を開けて家の中に滑り込んだ。 広い廊下を進んでから足音を忍ばせて階段を上る。
心臓が嫌な音を立てている。
その時考えていたことは。
ドア越しにでも、2人の幸せそうな様子を確認できたらそれで。

(・・・・・・今度こそ、 諦めよう・・・・・・)

自分に引導を渡してやろう。
そのためだけに、足を運んだ。



階段の途中で心臓が跳ねた。 三橋の声が聞こえたからだ。

「いや、 だ!」

つい最近自分にも向けられた言葉。
中で何が起こっているのか、嫌な想像がよぎって吐き気がした。 
けど引っ掛かることもあった。
同じ言葉だけど、あの時とは全然違うからだ。
聞こえた声は弱々しいものではまるでなかった。

オレは音に気を付けながらも足を速めた。
相手の声らしい低い声が聞こえたけど、内容までは聞き取れない。

「約束が・・・・・・・・・」

また聞こえた三橋の声はやっぱり叫び声に近い。

(約束・・・・・・?)

不審を感じながらもドアの前まで来て躊躇した。
こっそり覗くつもりだったけど、開けたほうがいいのか。
開けたい。  けど開けたくない。 
でもそんなオレの迷いは次に聞こえた叫び声によって一瞬で霧散した。

「阿部、 くん!!!」

葛藤も躊躇も全部素っ飛んだ。 間髪置かずにドアを開けた。
一歩踏み込んで目に映った光景は。
シャツが半分脱げて半裸に近い三橋と、尚も脱がそうとしている相手の男。
それは半分予想していたことのはずだったのに。

アタマが真っ白になった。
足が床を蹴った感触だけをやけにはっきりと意識した。








次に気付いた時は、相手のヤツの胸倉を掴んで三橋から引き剥がして
思い切り殴り飛ばした後だった。
殴った感触すら定かでない。    力の加減もなにもできなかった。
我に返ったら倒れた男を睨みつけながら荒く息をついていた。

床に這いつくばったそいつは、顔を上げてオレを見た。
驚愕と怯えの表情がくっきりと、浮かんでいた。
一歩近付くと、口の中で 「ひぃ」 と小さく呻きながら後ずさった。
顔の前にかざした手もぶるぶると派手に震えている。

「じょ、じょ、 冗談だよ」

ぼそぼそと言うのが聞こえた。

(冗談・・・・・・・?)

オレは振り返って三橋を見た。
三橋は顔に驚きの表情を浮かべてオレを見ていた。
青い顔で床にへたり込んで、半分脱げていたシャツの前をかき合わせて
呆けたように見ていた。   マヒしたように、数秒見詰め合った。

バタン! という大きな音に、反射的に向き直るともうヤツの姿はなかった。
ばたばたと、階段を下りていくような音が聞こえて、続いて玄関の扉が閉まる音が響き渡った。
しん、 と静寂が落ちた。

しばらく、振り向けなかった。
自分のしたことをようやく認識したはいいけど、良かったのか拙かったのか
判断がつかない。
幸せな様子を確認して去るどころか、確認する以前にぶち壊してしまった。
だって、我慢できなかった。  何も考えられなかった。
とにかく我慢できなかった。

重い静寂を、先に破ったのは三橋だった。

「阿部く・・・・・・・・、 なんで」

震える声に、ゆっくりと三橋のほうに体を向けた。
まだひどい顔色だった。  そのあまりの青さにまず浮かんだことは。

(抱き締めてやりたい)   

だったけど。  
実際に口から出た言葉は我ながら冷たく響いた。

「邪魔しちゃった?」
「え・・・・・・・・」
「せっかくいいムードだったのにな」

大きな目にみるみる涙が溜まった。
零れ落ちないのが不思議だった。   涙の理由はわからない。
オレの雰囲気が怖いからか、邪魔されたからか。

(・・・・・・・・まてよ)

ふいに思い出した。  オレの躊躇いを吹っ飛ばしたそもそものアレ。
廊下で聞こえた三橋の叫び。
三橋は確かにオレ、を呼んだ。
まるでそこにいるのを知っていたかのように。

「知ってたのか?」
「・・・・・・え・・・・・・」

今はもう三橋の顔は見えない。  俯いてしまったからだ。
泣いているのかとも思ったけど、やけに静かだ。

「オレがいるの、気付いてた?」

それは純粋に疑問だった。  三橋は黙って頭を横に振った。  じゃあ。

「何で、オレを呼んだんだ」

三橋は、答えない。   また沈黙が落ちた。   空気が張り詰めている、気がした。
その時 ぐぅ、 と喉が鳴るような変な音がした。    次の瞬間、 

三橋は号泣した。

文字どおり、堰が切れたようにわぁわぁと、声を上げて泣き始めた。  オレはといえば。
その泣き方の凄まじさにあっけにとられて、それから混乱した。

(えーと・・・・・・・・)

それでも何とか考えようとして。
突然考えるのがイヤになった。 

だってもう、疲れた。

三橋とあいつがどうなってんのかとか、オレのしたことを三橋がどう思ってるかとか
今なんで泣いているのか、とか何もかも全部どうでもよくなった。
いろいろ考えるのに疲れた。  推測するのも疲れた。  自分をバカだと思うのも思い飽きた。

そんなことより 今、 したいことがある。 
それも強烈にしたい。  どうしてもしたい。
拒絶されてもいいから  したい。
心のままに素直に、それをした。

三橋の傍に座ってその肩を両手で包んだ。
ぶるぶると、震えているのがはっきりとわかって堪らない気持ちになった。

(・・・・・もっと、ちゃんと、)

泣いている三橋を抱き締めてやりたかった。
何も心配することなんてないんだと、根拠もないことを無性に伝えてやりたかった。  
それだけだった。


背中に手を回して引き寄せて、強く抱き締めた。















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