在るべき場所に - 4





黙っていると相手は言った。

『元気?』
「・・・・・・・・・・。」
『何で黙っているの?』

心臓が早鐘のように打つのを自覚しながらも、
咄嗟に出掛かった言葉はとても上品とは言えないシロモノだった。
音になる前に辛くも呑み込んだ。

落ち着けオレ、  とそろそろと息を吐いた。
この電話で上手いこと、今の2人の状況を把握できないだろうか。
そんなことが掠めながらも、想定外の展開でちゃんと頭が回らない。
結果的に沈黙を守っていたら、ふっと 電話の向こうで笑う気配がした。

『こないだの、もう消えた?』

何が?  と反射的に思いながら。
眩暈がした。  いきなり汗がひどくなる。
まるでオレの疑問に答えるかのようにヤツが言った。 
笑いを含んだ楽しそうな声だった。

『何のことかわかってるだろ?』

切りたい、 と思った。 なのに指が凍りついたように動かない。

『オレが、鎖骨の上に付けたやつ』

ぎゅっと目を瞑った。
勝手に人の電話に出た、これは罰か。

『あの時のキ』

言葉の途中で携帯を耳から離して、切った。 切ることができた。
遅過ぎたけど。
動悸が収まらない。 手が震えている。
震える指で電源まで切って、元の場所に戻した。

しばらく、麻痺したみたいに何も考えられなかった。
次に、もしかして知りたかったことがわかったんじゃ、 と思った。
でもそんなことはもうどうでもよかった。
体の奥底から湧き上がるもの、を抑えるので精一杯だったからだ。
それはあっというまに膨れ上がって、ざわざわと体中を駆け巡った。
努力も空しく、凄まじい勢いで全身を満たしたのは紛れもなく。




音が聞こえた。 ドアの開く音と、続いて足音。  もちろん、三橋が戻ってきた音だ。
オレは顔を上げて三橋を見た。
オレは今どんな顔をしているんだろう。
三橋は机の向かい側の元の場所に座って、オレを見ていた。 邪気のない顔だった。

そうしようと思ったわけでもないのに、勝手に体が動いた。
気付いたら手が伸びていて、間にある小机越しに三橋の腕を掴んでいた。

「阿部くん・・・・・・・?」

三橋の声に不安気な響きがあるのはオレの顔が変なのか、
腕の掴み方に違和感があるのかオレにはわからない。
何も考えないまま目を瞑って、そのままの姿勢で数秒じっとしていた。
そうしていれば怒りが収まるかもしれない、 とちらりと思った。
けど到底無理なこともどこかでわかっていた。

目を開けて腕を掴んだまま、もう片方の手で間にある邪魔な小机を乱暴にどけた。
三橋の目がとまどったように揺れた。
そうしながらオレは三橋の体、シャツの襟から覗く鎖骨の辺りに目を凝らした。
何もない、ように見える。
てことはもう消えたのか。 

そうわかっても何の慰めにもならなかった。
痕が消えてもなかったことになるわけじゃない。
知らなければそれで済んだけど。

さっきまで考えていた、直接的じゃなく状況を聞きだして三橋の気持ちを探ろうとか
その聞き方とか、全部きれいに素っ飛んでいた。 どうでも良かった。
オレ以外のヤツが三橋の体に、 という事実だけが頭の中を駆け巡る。
あいつに組み敷かれて喘いでいる三橋の痴態が脳裏に浮かんだ。
消したい、  と思った。 

掴んでいる腕を力任せに引き寄せた。
三橋の怯えたような目もストッパーにならなかった。
目の前の赤い唇に乱暴に噛み付いた。

「・・・うっ・・・・・」

声とともに三橋の顔が離れていきそうになったのがわかって、
左手で頭の後ろを押さえ付けた。  もう一度、深く唇を捕らえ直す。
僅かに開いた隙をついて舌を差し込んだ。  そのまま夢中で貪った。

「ん
・・・・・・・・・」

苦しげな声が漏れた。
離して顔を見ると、薄く開いた赤い唇が忙しなく息をついている。
すぅっと半分だけ開いてオレを見つめた目は涙で潤んでいる。

「・・・や・・・・」

また声が漏れた。
言葉が明確な拒絶になる前に急いで封じた。
塞ぎながら背中を支えて、床に押し倒した。
そのまま両手首を押さえ付けて思う存分唇と口の中を味わった。

「・・・・は・・・・・・・」

合間に三橋の吐息が漏れる。
拒絶の言葉を聞くのがイヤで長いことそうしていた。
夢見ていたはずの瞬間なのに、幸福な気分は微塵もなかった。
それなのに、止まれない。 
だけじゃなく、衝動に任せて左手を服の下に忍ばせた。
押さえつけている体が小さく揺れた。
唇を解放してやって今度は首筋に舌を這わせる。

「あっ・・・・・・やだ・・・・・・」

初めて、言葉が出てきた。 その声は震えていた。
それで少し正気に返った。  口を離してから、歯を食い縛って己を叱咤した。
残った理性を総動員して、押さえつけていた手も離してやった。

逃げればいい、 と心の中だけでつぶやいた。

なのに三橋は僅かに身じろいだだけで動かない。
逃げようとしない。
我慢できずに、再度服の中に手を入れながら改めてその顔を見下ろした。
頬を上気させて、目を半開きにして、息を荒げながら三橋はオレを見つめていた。
ひどく、色っぽい。
滑らせた指が胸の突起を掠めたらまた小さく、体が反応した。

「い、 や・・・・・・・」

急速に、理不尽な怒りが新しく湧いた。
嫌ならなぜ逃げないんだ。 オレは今はもうどこも押さえつけてなんかいない。
力も入れていない。  逃げようと思えば簡単に跳ね除けられるはずだ。
その努力の片鱗すら見えない。  口先だけの拒絶はまるで。

「・・・・・・・誘ってんのかよ」
「・・・・え」

茶色い目に怯えたような色が走った。

「あいつのことも、そんなふうに誘ってんのか?」

ぎょっとしたように目が見開かれた。
上気していた顔が一転してみるみる蒼白になった。
ここまで激変した人間の顔なんて初めて見たかもしれない。
どうでもいいことを考える。 どうでもいい。 何もかもどうでもいい。

「あいつと付き合ってんだろ?」

冷たく告げながら残酷な気分になる。
追い詰めることになるのは三橋だけでなく、自分もだ。
ダメだ、言っちゃダメだと声がする。

わかっていながら止まらなかった。 

「さっき電話かかってきたぜ?」
「えっ」

驚愕した顔に尚も言ってやる。  ひどく投げやりな気分だった。

「キスマークはもう消えたか?  てさ」

すうと三橋の顔から一切の表情が消えて、能面のようになった。
怒ったのか、と思ったけどそれもどうでも良かった。

「あいつとよろしくやってるクセに」
「・・・・・・・・・・・。」
「オレにも許すんだ。 こんなこと」
「・・・・・・・・・・・。」
「逃げもせずに」

三橋は真っ青な顔のまま何も言わない。
色の抜け落ちた唇が微かに震えているのが見てとれた。
この期に及んでどこかで期待している自分にふいに気付いた。
全然どうでもよくなんかない。
待ってみても震えたまま何も言おうとしない三橋に、苛立ちと怒りが募った。
肯定も否定も釈明もなし。
オレにわかるのは、三橋とあいつがキスだけの仲じゃないということだけだ。

オレは三橋から手を離して身を起こした。
自分の荷物を掴んで立ち上がった。
出る前に一瞥したら半身を起こして下を向いていた。  表情は、見えない。

「・・・・・・・最低だな」

吐き捨てるように言って部屋を出た。
乱暴に閉めたドアの音が予想した以上の鋭さで深々と、 自分に突き刺さるのがわかった。
















                                                  4 了(5へ

                                                  SSTOPへ









                                                     肝心なところで短気を起こす。