在るべき場所に - 2





その日は土曜だったし天気も良かったし、少し早めに練習が終わって
皆どこかのんびりとした様子で帰り支度をしていた。
田島がそんな話題を振ったのは何でなのか知らないけど、(多分なんの理由もない確率が大だ)
「急いで帰らなくてもいい」 という呑気なムードのせいもあったに違いない。

「キスしたことある?」

目をきらきらさせながら皆に聞きまくってる。
皆も呆れた顔をしながらも結構ノっているのはお年頃だからだろう。
他のヤツはどーなんだとか気になるのは、オレだってわからないこともない。
部室の空気はたちまち妙に浮いたものになった。

「ねーよ」
「嘘つけ!」
「ホントだって」
「水谷はありそうだなぁ」
「え〜?」

にやにやしながら探り合っている。
恐れていた言葉は泉の口から発せられた。

「三橋は?」
「え・・・・・・」

見ないほうがいい、と囁く理性の声に反して三橋のほうを盗み見てしまった。
三橋は赤面しながらもごもごと口ごもっている。

「なさそう」
「意外とありそう」
「どーなんだよ三橋?」

矢継ぎ早に突っ込まれて目を白黒させている。

(三橋は、 あるよ。)

胸の内でつぶやきながらオレは手を速めた。
さっさと支度してさっさと出ちまおう、  と思った。
何しろしんどい。 失恋がこんなにしんどいなんて思わなかった。
理屈としては知っていたけど、言う前から玉砕したのなんて初めてだし。
というかよく考えると、自分から好きになったのって初めてかもしれない。
てことはこれ、初恋ってことだ。
初恋は実らないってよく言われるけど。
胸がずきずきだのじわじわだのとにかく痛くてしょーがない。
正直時間が経つのが遅くてやってらんねーという気分だ。

(・・・・・早く、忘れてーのに)

こんな話題になると嫌でもあの日に見てしまった三橋のキスシーンが
脳裏に勝手にフラッシュバックする。
無意識に右手をきつく握り締めていて、手の平にくい込む爪の鈍い痛みで我に返った。
でもそこで聞こえた三橋の返答に、思わず 「え?」 と顔を上げてしまった。

「な、ない  よ・・・・・・・・」
「やっぱりかぁ」
「そうだろうと思ったー」

またわぁわぁと盛り上がる面々の中、三橋はまだ赤い顔で えへへと曖昧に笑っている。
ふぅん、 と思った。

つまりは隠したいということか。  当然かもしれない。
恋人が普通に女の子でも自慢するような柄じゃないし、それでなくても相手は男だ。
「あるよ」 と言えば誰かと聞かれるのは目に見えている。
追及されても答えられるわけがない。

とりあえずオレは、三橋に関してそれ以上話が発展しなくて内心でホっとした。
別に急いで帰らなくてもいーや、 という気分になった。
同時にどちらにしても本日の鍵当番が自分で
部誌も書かないとならない、ということを思い出した。

オレは帰り支度の手を緩めた。
この後、皆でどこかに寄る、という流れになったら行きたいような気もしたし。
三橋もいっしょだとつらいのも確かだけど、部屋で1人でいるよりは何かしていたほうが
気が紛れる。

でもその日はそういう話は出ず、皆ぱらぱらと帰っていって、結局気付いたら部室の中には
オレと三橋しかいなかった。  三橋がもたくさと片付けている間にオレは部誌も書き終えて、
こっそりと三橋の様子を眺める時間さえできた。

ぼんやりと見るともなしに見ていると、うっかりさっきの話題が蘇った。
途端にそれに付随するかのように、思い出したくない場面まで頭の中に再現される。
無意識に三橋の唇に目がいってしまった。
三橋は色が白いせいか、その分男にしては唇が赤い。
しょっちゅう見ていたからオレはそれをよく知っている。
いつか、触れたいと。  時期が来たらいくらでも触れるんだと、信じていたその唇。
いつのまにか他の男のものになっていた。
またもややり場のない怒りがこみ上げた。

触れたい。

むらむらと衝動が湧いた。
できるものならそいつから、奪ってしまいたい。
思ってから、自分で考えた 「奪う」 という単語に違和感を覚えた。
オレとしてはむしろ 「返していただく」 という心境なんだけど。
奪ったのはあっちだ。

経緯も知らないくせにそういう気持ちを捨てられない。
理不尽な怒りがどんどん強くなる。  何であいつがキスできて。

(・・・・・・・オレが、できねーんだろう)

オレは黙って立ち上がった。
ゆっくりと三橋に近づいた。
振り向かせて、押さえ付けて、キスしたい。
その後どうなっても構わない。
どうせこれ以上悪くなりようがないんだ。
自分でも不穏なことを考えている自覚はある、けど止められない。  
その時。

三橋はふと目を上げてそんなオレを見てそれから。
ふにゃりと、笑った。

急速に どす黒い気持ちが萎えていくのが、自分でわかった。

同時に悟った。
オレが今まで三橋に手を出せないでいたのは。
いつでもコイビトになれる、という安易な安心感のせいもあったけどそれ以上に、
大事にしていたからだ。
そっち方面ではてんで疎そうなヤツだから、一度想いをぶつけてしまったら
歯止めが効かなくなりそうな自分もわかっていたから。
この邪気のない笑顔が涙で曇るのが嫌で。
少しずつゆっくり育てていきたいという気持ちがあったからだ。 なのに。

そう気付いたら、やるせなさでいっぱいになった。
不覚にも涙まで出そうになって慌てて下を向いて堪えた。

「阿部、くん・・・・?」

とまどったような声が聞こえて、必死で何でもない顔を作りながら三橋を見た。

「も、もう終わる、から」
「あー、うん」
「ごめんね。 待たせ、ちゃって」
「いいよ。 いっしょに帰ろうぜ?」

言うと三橋はまた笑った。 控え目だけど嬉しそうな顔だった。
胸の奥がぎゅうっとした。

「どっか寄ってなんか食ってかねえ?」
「う、うん!!」

また心から幸せそうな笑顔で頷いた。
この顔があるから、オレは過信していたのかもしれない。
三橋にとってもオレは特別だと。
その 「特別」 はただの相棒としてのものだなんて知りたくなかった。
苦い何かが押し寄せてくる、 けどそれでも2人でいっしょに部室を出て
並んで歩きながらオレは幸せだった。
たとえ三橋にオレと同じ気持ちがなくても、いっしょにいられるのは楽しかった。
あんな場面を見なければ以前と全く変わらない、穏やかで幸せな時間。
いっそあれは夢だったと思いたい。

でもそんなオレの 逃避の入ったささやかな幸せすら、程なくして消えてしまった。
それもまたもや最悪の形で。



ぽつぽつと他愛ない話をしながらのんびりと歩いていたら三橋の足がぴたりと、止まった。
不審に思って顔を見ると、前方をまっすぐ凝視しながら顔色がひどく悪い。
ついさっきまでの幸せそうな表情など微塵もない。 
三橋の視線を追って前を見た。
生徒が1人、近づいてくるのが目に入った。 見たことないヤツだ。
背はオレより少し高いくらい。 ひょろっとしてどう贔屓目に見ても運動系には見えない。
むしろ運動とは無縁そうな目立たないタイプ。

「やぁ」

そいつは三橋に向かって言った。
その瞬間わかった。 直感だった。  

(・・・・・・・あの時のヤツだ)

後姿しか見てない、三橋の相手だ。
一瞬横顔も見たはずだけど、あの時は動転してしまって顔までは覚えていなかった。
血が逆流するような感覚を覚えながら三橋を盗み見た。
三橋はさっきよりさらに青くなっていた。

「今帰り?」
「あ・・・・はい・・・・・・」

か細く、三橋が答えた。

「ちょっと付き合ってくんない?」
「え・・・・・・・」

考えるより先に言葉が出た。

「ダメだ!!」
「・・・・阿部く・・・」
「オレといっしょに帰るっつっただろ?」
「う・・・・・・」
「悪いけど先約なんで」

最後の言葉はそいつに向かって放ってやった。
それで、終わりになるはずだったのに。

「オレは三橋くんに言ってんだけど」
「・・・・・・・・・。」
「オレと来るよな? 三橋くん」

オレは黙って三橋を見た。 三橋は俯いていた。
先約なのは本当だけど、三橋はそいつと過ごしたいのかもしれないと、
冷静に でも凄まじい痛みとともに考えた。
三橋がそうしたいならオレに止める権利なんてない。
普通に考えれば友達より恋人といたいのは当然のことだ。

「う、うん・・・・・・・・」

表情はわからなかったけど、三橋ははっきりとそいつに同意した。
ぎゅっと拳を握り締めた。
勝ち誇ったような顔のそいつに向かってのろのろと、三橋は寄って行った。

「ご、ごめんね、阿部くん」

そいつの隣に立って顔を上げないまま小さな声で言った。
黙っていると続いて 「じゃ、じゃあ」 とつぶやいて、オレに背を向けた。
隣のヤツがちらりとオレの顔を一瞥するのを目の端で捉えながら、
オレは三橋の背中だけ凝視していた。
2人が去っていこうとする刹那、また口が勝手に動いた。

「三橋!!!」

呼びかけて、それで何か言おうとか、どうしようとか何も考えてなかった。
ただ、呼ばずにはいられなかった。
きっと自分は今情けない顔をしているだろうと思いながらそれでも。
三橋は一瞬だけ、振り向いてオレを見た。
それから急いで前に向き直って急き立てられるようにして離れていった。
遠ざかっていく背中を見つめながら、オレは1歩も動けずに呆然と立ち尽くしていた。


瞬間見えた三橋の顔は、   少しも幸せそうなんかじゃなかった。















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