在るべき場所に - 1






三橋には恋人がいる。


それを知ったのは偶然だった。


ある日の昼休みに担任に用事を頼まれて、職員室なんぞに行ったその帰りに
渡り廊下から何気なく外を眺めて、普段あまり人気のない辺りに人影を認めた時は
別段何も思わずに通り過ぎようとした。
足を止めたのは、三橋の声が聞こえたような気がしたからだ。
改めて人影のほうに目を向けたら2人いる。
手前の背中を向けているほうは、おそらく知らないヤツだ。
そいつの影になっている人間の髪がちらりと見えて 三橋だ、と確信した。
見ているうちに三橋とその誰か、は校舎を回ってさらに人目につかない裏の方に
移動していった。

何とはなし、気になった。 嫌な予感がした、と言ってもいい。
もっともそれは後から考えたことで、その時はそこまでのものじゃなかったかもしれない。
けど、2人の雰囲気が妙だったのも確かだ。
先刻聞こえた三橋の声 (内容までは遠くてわからなかった) が
何か叫んだように思えたのも気になった。
いじめかもしれない、 と頭を掠めたらもうそのまま通り過ぎるなんてできるわけない。

なのでオレは足を校庭に向けた。
2人の姿が消えた方向に何かに急かされるように突き進んだ。
意識して耳を澄ませても何も聞こえない。  しんとしている。
それが却って不自然な気がした。

角を曲がりかけて、そこでオレの足は前に進めなくなった。
どころか、慌てて身を隠した。
物陰に2人はいた。
オレが懸念したような 「因縁をつけられる」 とか 「いじめ」 とかの類では全然なく。

2人はキスをしていた。

瞬間見て取れたのは、相手のほうが積極的で三橋はされるがまま、という印象があったのと。
でも間違いなく嫌がってはいない、ということだった。

オレは数秒間呆然と立ち尽くしてから。
音を立てないようにこっそりとその場を離れた。
足が震えているのを自覚して、舌打ちした。
どこをどう歩いて教室に戻ったのかの記憶はない。
やみくもに歩を進めながら無意識につぶやいたのは覚えている。

「・・・・・ちくしょう・・・・!!」

相手はおそらく同じ学年じゃないだろう。 見たことないヤツだ。
体格からすると1つ上くらいか。
益体もなく考えながら、そんなことは本音ではどうでも良かった。
受けたショックを、あれこれ考えることでかろうじて抑えていた。
同性の恋愛に別に偏見はない。
だからオレの衝撃はそういう種類のものじゃない。
衝撃なんて生易しいものじゃなかった。 なぜなら。


オレはもう随分前から三橋が好きだった。
恋愛対象として。









○○○○○○

自分の中に三橋への特別な感情が生まれたのはいつだったかなんて、もう忘れた。
自覚した時は覚えているけど。

最初は確かに相棒という存在だった。
でもそのうち笑った顔が意外にかわいいなと思って。
次に泣いてる顔もかわいいなんて変なことを考えて。
さらにそのうち オレが、泣かしてやりてぇ なんて変態なことまで考えて。
その辺りではまだ、何だかちょっとヤバいぜオレなんて思いながらも
深く考えずに流していた。 けど。

ある時部屋で自分で処理しようとして、ふと三橋の顔が浮かんだ。
え?  と自分で驚いて、でも案外ハマる  なんて冗談のつもりで三橋でヌいた。 
案外なんてもんじゃなく、ハマった。 ハマり過ぎた。
だもんで直後に事の重大さに気付いた。
よりによって三橋をオカズに自慰してしまった自分に呆然としたし、罪悪感も湧いた。 
三橋は大事な相棒だ。  その三橋を。

だけど、同時にどこかで納得している自分がいた。
そこに至ってやっとわかった。    オレはあいつに欲情している。
それはもちろん体だけのことじゃなくて。

オレは三橋に恋をしていた。

気付いたからといって、すぐにどうこうする気はなかった。
学校で三橋を見るとドキドキしたりすることは増えてしまったけど。
苦しい、とか切ない、よりうきうきした気分のほうが大きかったような気がする。
だってオレは誰よりも三橋に近い。
多くの時間を占める 「野球」 で幾らでも近くにいられる。
オレが話しかけると三橋はいつも嬉しそうだし (怒るとビクつくけど) 
普通に話している時の距離は他の誰よりも近い、 という密かな自負があった。

もっとも自信を持ってそう思えるようになったのは最近だ。
自覚した時は随分マシになっていたけど、その前はひどかった。
誰より近いどころか、誰より遠いんじゃないかと悶々と悩んだ期間の何と長かったことか。
無理なく友情を育んでいるみたいに見える田島に
教えを請おうかと本気で考えたことすらある。

でも想いに気付いた時はもう、体の距離だけでなく心の距離だって間違いなく近い、と
自分では思っていた。
イライラすることも多いけど、バッテリーだから。
オレは三橋に関することなら何でも知っているし、
髪の感触だって肌 (主に手だけど) の感触だって知っている。
ストレッチの相手をすることも多いから、体に触れる機会だって多い。
だから焦って告白しなくたって、いつでも特別な存在になれると根拠もなく信じていた。
今だって 「特別」 なんだからそれにひとつ、別の要素が加わるだけだと。
三橋に 「特別に」 触れていいのはオレだけで、三橋だってきっとそう思っていると、
今思えばバカみたいなことを本気で信じていた。

けど当たり前だけど、三橋にも野球以外のいろいろな生活や人間関係があって。
オレの知らないところで恋人ができたって全然おかしくないんだ。
その、少し考えれば当然のことをいきなり前触れなしに、
それも最悪な形で突きつけられた。
オレの根拠のない自信は一瞬で崩れて消えた。
オレは三橋を、失ってしまった。  得る前に。

いわゆる 「失恋」 てやつだな、 とオレはその夜苦く考えた。

「・・・・・諦めなきゃならないんだろうな」

口に出してつぶやいたら、ぎりぎりと心臓の辺りが痛んだ。
恋愛対象としての三橋を得られない、という現実は想像以上に厳しかった。
といっても想像したこともなかったんだけど。
マヌケな自分を呪いたい気分になる。
理性とは裏腹に、とてもじゃないけど簡単に諦めなどつかないような気がした。









○○○○○○

オレの失恋などお構いなしに朝はやってくる。

いつもと同じように練習に行く。
いつもと同じように三橋にも挨拶するし投球練習の相手をする。
いつもと違うのはじわじわと疼いている胸の辺りだ。
笑顔を見ると喪失感はいっそう募った。
こんなに近くにいるのに。
オレはもう三橋に触れない。 捕手としての立場でしか。

(・・・・・・・・こんなことなら)

もっと前に言ってしまえば良かった。 好きだと。
付き合ってくれと。
もちろんそれで上手くいく保証なんてどこにもないけど、
あいつ (名前も知らないけど) と付き合う前だったらまだ望みはあったかもしれない。
それに今男と付き合ってる、てことはその辺の障害は元々なかったのかもしれない。
もっともあの瞬間まで、オレと三橋には何の障害もないと思い込んでいたんだけど。
男同士が困難なのはわかっていたけど、他人事みたいに思ってた。

少しでも焦っていたら、逆にもう告白していたかもしれない。
どっちに転んでも、こんな煮え切らない後悔はしていなかったかもしれない。
失って初めて気付くことってあるけど、まさにそんな感じだ。
後悔先に立たず  とかいろいろ浮かぶけど、とにもかくにももう遅い。


そんなことを悶々と考えながら練習していたら、どうやら顔に出ていたらしい。
途中で三橋に不安気に言われてしまった。

「阿部くん・・・・・?」
「なに?」
「・・・・・具合、悪い・・・・?」

三橋は真剣に心配そうな顔をしていた。
また痛むオレの胸。

「別になんともねーよ」
「・・・・・でも」
「今日ちょっと集中できてねーよな。 わりぃ・・・・・」

三橋の心配そうな表情はすっきりしなかったけど、オレもそれだけ言うので精一杯だ。

(早く、立ち直らねーと・・・・・・・・・)

せめて、捕手としての自分くらい取り戻さないとヤバい。
てか情けなさ過ぎる。
努力するしかない。
三橋を諦めるべく。 ただの相棒として見るようにするべく。

でも当たり前だけど、理屈で考えてもそんなに簡単にいくわけはなかった。
















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